■1-2-1.孤独の石礫
さて、泉の女神に対して睡蓮寺 小夜が歌を届けている中真逆の区画では二人の特異者が街の人々を守るために奮闘していた。
「……みんなの大切なもの……思い出してほしいのですよ!」
そう声をかけながら歌を歌うのは
シア・クロイツ。街を二分するように、シアのオンステージが開かれていた。
大切な人を守るための心。シアはそれを揺り起こすための歌を紡ぎ、その歌に合わせて暖かな幻影が立ち上がる。
運命の筋書きのように押し付けられる幸せではない。本当に大事なものを思い起こさせる思い出のイメージ。
彼女の歌を聞くたびに人々は大切なものを思い出して我に返っていく。
幸いもうひとりのエラダム――ヘンゼルはまだ本気ではないらしく街の人々が逃げる余裕は十分にある。今のうちに負傷した人々を治療し、一人でも多く逃がすことが大事だと言える。
『より長く楽しく遊ぶ為には準備が大切。自分が持ってる中で一番丈夫で頑丈な防具を身に着けようか。缶蹴りには空き缶が縄跳びには丈夫な紐が必要な様に、準備をする事は良い事だよ。折角の楽しい遊びが早く終わってしまったら勿体ないものね』
そう刻まれたメモ帳を閉じる
池田 蘭。彼女の記した筋書き通りに、状況の遅滞は十二分に成功していると言えた。
――逆に、準備を終えた時のヘンゼルは万全になってしまう可能性はありますが。
すでにヘンゼルと特異者たちの衝突は始まっている。泉の女神に比べて戦力が割かれている以上、仲間たちを信じる他にない。
彼女に出来ることはヘンゼルの攻撃の余波から人々を守り、癒すこと。守った人々を運命の筋書きから解き放つのはシアの役目だ。
「体力を回復させるのも楽しく遊ぶ為の準備……なのですよ。元気になってから向かいましょうね。」
今もまさにヘンゼルの元へ向かおうとする少女をなだめながら魔女のスープを差し出す蘭。そうして落ち着きを取り戻した頃合いに、歌が効いて正気を取り戻していく。
「……蘭。どうですか?」
「このあたりの人はみんな正気に戻った……と思うのです。別の場所へ移動しましょう」
「……そうですね。この調子で……犠牲を出さないよう……がんばるです」
街中を駆けずり回りながら彼女たちは歌い、癒やし、安らぎを与えていく。決して目立つような立ち回りではなかったが、それが彼女たちに出来る最高の援護であった。
そうして彼女たちが民間人の避難に徹している間、ヘンゼルの下ではある意味別種の戦いが繰り広げられていた。
街中で巻き起こる炸裂。単なる小石が激しい衝撃となって家々を破壊し人を傷つける。
「おいおいおい! ちょっと無防備すぎるんじゃない?」
ヘンゼルの放つ小石に抵抗することもなく、ただ歩み寄る特異者の少女。
飴乃 るるかはこの場に立つにはあまりにも頼りなく、か弱い存在だ。
「うん。でも……お兄ちゃんを怖がる妹なんて居ないよ」
傷を負いながらも歌を口ずさみ、気丈に微笑みを浮かべ続けるるるか。最早戦う力、抗う力すら残ってもいないだろうほどの怪我。“理想の妹を見つけ出す”という自己中心的なヘンゼルすら、彼女の姿に思わずたじろいだ。
「抵抗しないの? ちょっと、まるで僕が悪役みたいじゃないか!」
「そうかな。大丈夫だよ、一緒にブロートを食べよう?」
パンを二つに分けて一方を差し出するるか。その献身的な姿は、今この場において“妹”を象徴するかのようにすら見えた。
「! 僕は……いいや、違う! そういうんじゃない!」
小石をるるかへと叩きつけるヘンゼル。その爆発は、ギリギリを保っていたるるかの膝を折るには十分すぎる威力だった。
「……ごめん、ね」
それでもるるかは抵抗しようとはしなかった。ただヘンゼルを抱きしめようと手を伸ばし、ヘンゼルはそれを振り払う。
るるかの描く理想よりもヘンゼルは頑なであった。それでも彼はるるかのその自己犠牲に取り乱し、その動きを完全に止めていた。
この間、その様子を呆然と眺めていたのはヘンゼルに囚われてしまっていた人々だ。いくらシアたちが歌を届けていたといってもヘンゼルの近くに居た人々は逃れることが出来ていなかったのだ。
だがこの瞬間、ヘンゼルの意識は人々から外れていた。これを勝機と見た
フィア・ヒーターが一歩、彼らの中へと踏み込んだ。
「私の話を聞いてっ! この物語は捻じ曲げられているんだよーっ!」
人々に歌と想いを届けたいと願った時に現れるオーラ、ワールドエンドを纏いながら彼女は周囲へと呼びかける。そこから歌い上げるのはヘンゼルとグレーテル。小石は爆発するはずもないし、兄妹で支え合いながら困難に立ち向かう物語だ。
これが真のヘンゼルとグレーテルだと言いはるつもりはない。それでもフィアは自分の信じる優しい物語を伝えたかった。
「ヘンゼル君の物語には僕や貴女のような彼にとって関係ないお嬢さんは登場しないのじゃよ。だからここから離れるべきじゃ」
その歌を聞いて心を揺り動かされた人々に向けて、好々爺然とした
天津 恭司が語りかける。その手に持ったオルゴールの調べがより優しくその心を包み込む。
辺りには歌によって紡がれた背景が立ち上がる。立ち込める恐ろしい森、見るものを誘惑するお菓子の家。兄妹は誘惑に負けながらもそれでも支え合い、魔女という悪意を打ち破る。
「さあ、お行きなさい。あの輝く石を辿って、森の外へ抜けるといい」
正気を取り戻した人の肩に手を置くと余った手で幻の先を指し示す恭司。その導きに従い、次々にヘンゼルの誘惑を受けた女性たちが離れていく。
「ああっ、この……僕の、僕の妹だったかもしれない子たちを!」
ヘンゼルはそこでようやく己を取り戻したようであった。憎しみを存分にぶつけるように、ポケットから大量の小石を一気にばらまいた。
「ほっほっほ、空に花を咲かせるとしようかの」
恭司は気狂いウサギのカトラリーセットを空に向かって投げ込んだ。増殖する食器たちは小石とぶつかり合い、地上への被害を出来る限り抑えていく。
「この……ッ!」
恭司へ向けてヘンゼルが攻撃を放とうとした瞬間を狙い、フィアが横殴りに突っ込んだ。
「君にとって妹は誰かが代わりになれるようなものなのっ? 大切な家族は他の何にもかえられないんだからっ!」
「妹だけだ。僕にとって、本当になれるのは妹しか居ないんだよっ!」
インエスケイパブルによる強襲、それを受けて吹き飛ばされながらもヘンゼルは叫ぶ。追い打ちをかけるのは危険、ポケットに手を突っ込んだ時の彼は、ある種完全な迎撃態勢を取っていると言えた。