ギンヌンカガプの悪霊
ユドグラシル、地下3階。
樹の腐食部分から入り込み徘徊するギンヌンカガプの悪霊を昇華させるため、幹の中を進む人々がいた。
「……うん、よし。この道なら安心だよ。でも念のため、僕の踏んだ場所を歩いてきてね」
鞘に納めた剣の先で床をつつき確認しながら慎重に進んでいるのは
古城 偲。
「おー。すまないさー、コジョー」
「ありがとう!」
「かんしゃするですよ~。ねえ、シャロちゃん~」
「ハァ……」
偲の後ろには悪霊を昇華させるために集った面々、
イクリマ・オーと
ソフィア・スミス、
古川 瀬里たちが続く。
(僕自身はノルンの力を持たないからね。せめて、これくらいは……)
彼女たちを守るため、偲は誘導を買って出ていた。
「ハァ……何も、何一つ出来なかった……やっぱりこの世界でも大した活躍はできそうに無い……」
盛大に溜息をつきながらついて来るのは
シャーロット・スミス。
ソフィアの護衛の為に同行したのだが、日頃のネガティブアンニュイが発動し何やらひたすら悪い記憶に囚われていた。
「このあたりは腐った木ばっかり、歩くたびにミシミシ不安になる音が聞こえてくる……まぁ、今の私にぴったりと言えばぴったりか……」
「え、ええとその、シャーロット先輩、大丈夫? 私で良かったら話を聞こうか?」
「せりさん、それ違います~、シャロちゃんはおばけさんではありませんよ~」
あまりのネガティブ愚痴に思わず瀬里が話を聞こうとするが、それを制するソフィア。
「こういうときのシャロちゃんは~、そっとしておくのがいいんだよ~」
「そうなんだ……」
心配そうにシャーロットを眺めながら、一歩引く瀬里。
――ウゥウウウ
「しっ、皆。来たようだよ」
そんな彼らの耳に、慟哭する人の声のようなものが届いた。
偲はひろがる幹の隙間にぼんやりとした人影らしきものが飛び回るのを見た。
――ウォオオオオ
「へへっ、おでましさー」
「うぉう、おばけさんだ~」
「よし、まずは私に任せて」
瀬里が一歩前に出る。
それと同時に舞い散る桜吹雪。
「お願い……ここにいる皆の心を癒して……! ……舞い上がれ、桜吹雪!!」
見る人の心を癒す桜吹雪。
その中で、イクリマはごそごそと何かを取り出した。
「花見酒さー!」
そう、イクリマが持ってきたのは酒と木のゴブレット二つ。
「お前らも来いよー。話そうさー」
悪霊と酒を酌み交わし、腹を割って話をしようという考えらしい。
「さあ、お前の言葉を俺たちに託すさー。 お前が生きて死んだ物語、俺達がどこにでも運んでやるさー。……失わせねえ」
イクリマが問いかける。
「……私は弱くて、色んな事まだなんにも知らなくて、中身が空っぽです。でも、空っぽだからこそ悲しみとか苦しみとか負の感情も受け入れられると思うし、受け止めたいです。……だから、お願いです。教えて下さい。貴方達の想いを、声を!」
瀬里が語りかける。
「よぅし、ソフィアのおなやみそうだんはじまるよ~」
「あぁ、体が重い……頭が痛い……ハァ……」
ソフィアも両手を広げて声をかけ、その隣では相変わらずシャーロットが落ち込んでいる。
――ウォオオオオ!
――ウァアアアア!
低い慟哭のような雄叫びが響き渡る。
ひとつ、ふたつ……たくさん!
彼らの声に導かれたのだろうか、今や無数の悪霊たちが、偲たちの頭上を飛び回っていた。
(アァアアア……)
「さあ、どうだい? 何か言いたいコトがあるんだろー?」
(グォオオオ……く、ぐく……)
「悪霊さん……」
(ぐくく、クルシイ……)
「なになに~? ん~、よくわかんないけどたいへんだったね~」
無数の悪霊たちの声に、イクリマたちは耳を傾ける。
(クルシイクルシイククククク……ウォオオオ!)
「ほら、落ち付けー。誰かに話せばスッキリするさー」
「私ができることで、してほしいことがあればできるだけ叶えてあげるよ!」
(アアアア……転空ガ、転空ガァアアアア!)
(イヤァアアア……コワイ、コワイコワイコワイ……)
(ヒャァアアアアハハハハハハッ……)
「こわいことがあったの~? でもね、わるいことしたら~ず~っとこのままなんじゃないかな~?」
悪霊たちはそれぞれ思いのままに叫び、怒り、そして嘆いていた。
しかしそれでも根気よくノルンの特異者たちが語りかけることで、少しずつ落ち着きを取り戻してきているかに見えた。
「イクリマ、頼む」
「ああー、やってみるさー」
偲はかねてから聞いてみたいと思っていたことをイクリマを通して実行する。
もちろん、守るべき相手への警備は怠らないままに。
イクリマは、偲から託された悪霊への問いを、言葉にして伝えてみる。
「君達の生き様も死に様も、僕達が歌にして届ける。失わせはしない。君の物語を語ってくれ、誰に、どこに届けて欲しい?」
「どうさー? 何か希望はあるかー?」
(イヤァアアアア……)
(コワイコワイ……)
偲とイクリマの問いに、だが悪霊たちは具体的に答えはしない。
「落ちる前はどんな場所に住んでいたさー? 転空前の巨人の勢力はどこまでだったさー?」
(落チル……アァアアアア落チル落チル落チルチルチル……!)
(転空……コワイコワイモウイヤダァアアア!)
(イヤアァアアア……落チルゥウウウウ!)
転空という言葉に一斉に反応する悪霊たち。
「もしかして……この悪霊たちは、皆転空の犠牲になった人たちなのか?」
「ギンヌンガガプの中はどうなっているさー? そこに神を見た者はいるさー?」
(アァアアアア!)
(ヒィイイイイイ!)
「ヒルドというヴァルキュリアを知っているさー?」
(イヤァアアア!)
(落チルコワイコワイコワイィイイ)
イクリマがいくら問いかけても、明確な情報が返ってくることはなかった。
聞こえてくるのは、ただ転空の恐怖。
「おばけさん~、いまのこわいをこくふくするためには~、つよくならないと~」
ソフィアは気にせず説得を続ける。
「でも~、おばけさんじゃ~つよくなるのはむずかしそうだから~、いまとちがうようになれば~もしかしたらできるかもしれないよ~。そうすれば~キミがしたいことができるようになるよ~」
「貴方達の想い……恐怖、私が受け取りました」
「ああ……失わせねえ。それが、お前らへのせめてもの慰めだ」
(アァアアア……)
(ヒィイイイイ……)
ノルンたちの説得に、悪霊たちの慟哭は次第に静かなものへと変貌していく。
(ア……)
そして悪霊たちは、この世界から消え去った。
浄化されたのだ。
「忘れないよ…… 細かい話や情報は聞けなかったけど、それでも、君たちの思いを皆に届けるよ」
偲はメモを取る手を止めないまま、小さく呟いた。
樹の腐敗部分の隙間から、イクリマが持ってきた花束が手向けとして投げられた。
そして忘れてはいけないもう一人は。
「……あれ、もう終わってる……? あぁ、何てことだ……今回も私は何もしないまま終わってしまった……ああ、全て古城に任せっぱなし……」
ふと気が付けば全て片が付いていたという事実に、シャーロットは一人更に落ち込むのだった。
「私はどこへ行っても不幸続き…… ここだって、そうだ……ハァ」
こちらはまだなかなか昇華されることはなさそうだった。
◇◇◇
「……昔読んだ小説にのう……こう言う巨大なダンジョンの中に町があって、いろんな種族が暮らしておると言う話があったんじゃ」
フライヤー・フィルクレイは歩きながら話し続ける。
「『高きに沈み、低きに登れ』と言う言葉が出て来るんじゃが……今の状況にピッタリじゃのう。最上階層に降りようとしとるんじゃから」
「ん……そうですね」
「ええ……」
そんなフライヤーの話にやや生返事ぎみに答えるのは、
衛之宮 緋と
淡島 結。
フライヤーと彼女たち、そして協力者の
ローレンツ・オルストロたちもまた、悪霊を鎮めようと探している最中だった。
フライヤーは気にすることなく再び話を続ける。
「その話の中に女郎蜘蛛の御婦人が出て来るんじゃが……怖いんじゃよアレ。そう言えば、アリは殆どが女性じゃったよな? くわばらくわばら……」
ドヴェルグの姿を思い浮かべ、フライヤーは思わずぶるぶるっと身震いをする。
「……って、おぬしたち、どうしたんじゃ?」
(あ、今、いましたよね?)
(え……先程の、白いのですか?)
(そう、きっと間違いないですよ)
「おーい?」
既にフライヤーの話は聞かず、何か別の事に気を取られている緋と結。
「あ……すいません。何でもないんです」
「ええ。何のお話でしたっけ?」
「いや、改めてお話っていうものはないんじゃがな」
慌ててフライヤーに顔を向ける二人に、フライヤーは苦笑して頭をかくのだった。
(……だめね、気を引き締めなくてはいけません)
そんなフライヤーを見ながら、結は自分の頬をぺちぺちと叩く。
「私は、この世界で自分が選んだ力で、できる事をしようと決めたんですから……」
「結ちゃん……」
思わず声になって漏れて出た結の気持ちに、ずっと結の後方を警戒しながら歩いていたローレンツも思わず彼女の名を呼んだ。
彼女の肩に手を置こうとして差し出した自分の手を止め、そのままぎゅっと握りしめる。
そして、声をかけた。
「結ちゃんがそうしたいなら、俺は結ちゃんを手伝うよ」
「ありがとう、ローレンツさん」
「いや、俺にできることなんかたかが知れてるからさ。それでも」
それでも、俺は君を守りたい。
ローレンツには結の気持ちが痛い程よく分かった。
今までの世界でも、たくさんの人が亡くなった。
それに、彼女はいっぱい傷ついているのだと。
だから今回、少しでも亡くなった人のために何とかしたいと……だから、彼女はここに来ることを選んだのだ。
「俺も、祈ってみるよ……」
「ええ。受け入れてくれるといいですね」
少しでも結ちゃんの祈りが届くように。
それが、ローレンツの祈りだった。
「んん……こちら、から、何か聞こえたような気がします」
「おお、そうか。だが気をつけるんじゃ。そこの床は腐っておる。少し回り道になるが、こちらから行くとしよう」
「感謝します」
木々の囁きに耳を澄ませた緋が気になる場所を指定し、フライヤーが初級迷宮勘を駆使して道案内をする。
こちらの一行も、着実に目的に向かって歩を進めていた。
「あっ、あれは……」
「いましたね、2体も……」
途中、緋と結は何かに気を取られたりもしたものの、最終的に彼女たちは到着する。
悪霊ひしめく3階の広間に。
(ウォオオオオオ……)
(ヒャアアアアア……)
「全く、不憫な奴等よの」
悪霊の呻き声を聞きながら、フライヤーは気の毒そうに眉をしかめる。
「今、楽にしてやるからな……」
「祈りを捧げます。どうか安らかに……」
結は手を組み、静かに祈り始める。
「犠牲になった者と、戦いに散った者達の安息を……」
緋は祈りながら、神楽を舞い始める。
(アアア……落チル落チルイヤァアア……)
(転空メ……転空メエエ……)
口々に恨み事を垂れ流していた悪霊たちは、3人の静かな祈りに少しずつ大人しくなっていく。
「どうやら……戦闘の準備は不要だったようですね」
そんな彼らの様子を見ながら、緋は僅かにほっとしたような息を漏らす。
悪霊というくらいなのだから、中には悪意あるモノ、攻撃してくるモノも存在するかと考えたいた。
戦いの中に散りたいと願うモノもいるかもしれない。
そうなった時のために、一応準備だけはしておいたのだ。
「戦わないで済むのでしたら、それが一番です。でも……」
(アァア……オソロシイ……)
(イタイクルシイヤメテェエ……)
止むことのない、悪霊の声。
転空によって犠牲になった人々が、今もまだ苦しみを抱え続けている。
「どうか、どうか安らかに……」
舞いながら聞こえてきた結の言葉に、緋は心から同意するのだった。
「……ふむ。なんとか昇華してくれたようじゃな」
悪霊たちの姿が霞み消滅したのを目の当たりにしたフライヤーは、ほうっと大きな息を吐く。
「ならば、次に行くとするかの……ん?」
「あっ……」
「ああっ……」
そんなフライヤーの言葉も耳に入らないかのように、緋と結は一点を見つめていた。
「何じゃ?」
「ああ、ヌクティフニャットだ」
ローレンツも小さく呟く。
そう。
緋と結はヌクティフニャットのことをずっと気にしていたのだ。
だが今回彼女たちが反応したのは、それだけではなかった。
「……見ました?」
「ええ」
二人は顔を見合わせる。
「今の、目が一つしかなかったような……?」
「こちらを見ていましたよね……?」