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第一章 蕩けるチョコと特異者たち
「――ここでも魔法少女になれるの?」
「もちろん、なれるわ」
歓喜に満ちた
ルージュ・コーデュロイのチャットに、
優・コーデュロイは思わずリアルで頷きながら応答した。
「RWOにはね、【レイス】マジカルガールっていう種族があるの」
「種族? 職業ではなくて?」
「種族よ。説明には『魔法少女は職業ではなく生き様』なんて書いてあって――」
なんだかちょとアレよね? とチャットに入力しようとして手を止める。まさしく魔法少女そのものであるルージュが今の言葉をどう受け止めるか、うまく想像できなかった。
「――説明だけじゃ分かりにくいかな。待ってて、見せてあげる」
優がアイテム選択を行うと、彼女が操作するキャラクター、レティアスの全身を七色の光が取り巻いた。
その間、ほんの数秒。あっという間に、レティアスは十代後半の少女から十歳に差し掛かったばかりの魔法少女へと姿を変えていた。
「か、かわいい……」
「気に入った?」
「ええ、とっても。ねぇレティ、私も同じようにできるかしら」
「アイテムが手に入れば、かな。ルージュが欲しいなら、あげてもいいんだけど……」
「それはだめ」
「……言うとおもった」
想像通りの答えに思わず口元が緩む。
「もう、そんなに笑わないで」
「え、そんな、笑ってなんて」
「ごまかしても駄目よ。さっきからずっと肩が震えているの、気づいてるんだから」
「あ……」
……そうだった。RWO上では街の広場で向かい合っている二人だが、リアルでは自宅のソファに並んで座っているのだ。
優の視界はVR用のヘッドセットでふさがっているが、ルージュは隣で3Dホロデバイスを使用している。彼女がデバイスから顔を上げてれば、こちらの姿勢や挙動はしっかり観察できてしまうだろう。こちらの感情がごまかせるはずがない。
「ごめんなさい。あまりにもルージュらしくて……RWOでも変わらないなって思ったものだから」
――本当に、ルージュは何も変わりがない。
RWOでは、キャラクターの容姿は全て自分の意思で選びとることができる。
優が選んだのは健康的な肌色と深い色味の髪を持った愛らしい少女だった。彼女が幼い頃から胸に抱いていた理想が、そこに現れている。
だからルージュもどこか憧れをこめた外見を選ぶと思っていたし、どんな彼女が見られるのか楽しみにしていた。
けれど、彼女はありのまま、リアルと同じ姿を選んだ……。
(……ルージュは、今の私を見て、どう思うのかしら)
小さな問いが胸をよぎるものの、なんとなくそれを口にすることはためらわれた。――けれど。
「……ねぇ、レティ。私、なんだか不思議な気持ちだわ」
「不思議?」
「ええ。今のあなたは、名前も姿も知らない人。でも、内にいるのは世界で一番いとおしい人……それが分かっていれば、こんなに暖かな気持ちで見つめることができるのね」
「っ」
内に秘めた問いにあっさりと答えを提示されて、息をのんでしまう。
「私ね、キャラクターを作っている間、少し悩んだの。どう自分を再現しようかって。私だと分からない構成じゃ、嫌われる気さえしたわ。……でも、そういうものではないのね」
「ルージュ……」
「どんな世界のどんなあなたも素敵。この気持ちが、人を愛するということなのね」
それがたとえ理想をつめこんだレティアスでも、ありのままの優・コーデュロイでも、他の世界で性質を変えた優だとしても。
「……ありがとう、私も同じ気持ち。何があってもルージュへの気持ちは変わらないわ」
そうチャットに入力し終えたところで、手の甲にそっと暖かな感触が触れたことに気づく。
(ルージュ……)
リアルに並んで座るソファの上で、二人はしばし互いの手を握り合った。
「……よし。それじゃあルージュ、そろそろバレンタイン回廊に行きましょ」
「バレンタイン回廊?」
「そう。いま期間限定で、バレンタインデーを記念した特別イベントエリアが用意されてるの。噂によると、今年はオブジェクト全部チョコレートでできてるらしいわ。今日誘ったのもね、それが理由なの。甘い物、好きでしょう?」
「え、ええ。好きだけど、あまりたくさんは――」
「大丈夫よ。RWOなら、いくら食べてもカロリーゼロだから」
「あ……」
図星だったのか、ルージュのチャットが止まる。
(……可愛い)
顔を真っ赤にしてるだろうルージュを想像して、優の口元に再び笑みが浮かんだ。
(――少し、ドキドキしてる)
シルノ・フェリックスは自身を支配する緊張を意識しながら、じっと一点を見つめていた。
初心者が最初に召喚される座標。そこに、大切な友人が現れる瞬間を見逃すまいと息を詰める。
不意に、ひゅ、と小さな音がしてその座標を中心に淡い光が円を描きながら広がった。
光はそのまま、一人の少女を形どる。
(きた……!)
少女の名前が表示されるより先に確信する。淡い緑の髪、あどけなくも意思のある眼差し……待ち人が来たのだ。
反射的に目頭が熱くなり、視界が僅かにぼやけた。
いけない、こんな時に泣いたりしたくないのに。
シルノはぐい、とリアルで目元をこすり、チャットウインドウを開く。
とにかく今は彼女の名前を呼びたい。そして、再会の挨拶を――。
「――ヴェル、お久しぶりなのー!」
(え)
たたた、と視界の外から別の少女がやってきた、と思ったら、次の瞬間には緑髪の少女に抱き着くモーションを実行していた。
思わず何者、と身構えてしまう。画面上ではシュネー、とキャラクター名が表示されていた。
「え、え、なに? なんですか?」
対する緑髪の少女のチャットには
ヴェルディアと名前が出ている。
やはりそうだ。彼女こそが待ち人、ヴェルディアなのだ。
「ふふ、ごめんなさいなの~。……分からないですよね。私です、
リリィ・ウィンタース」
「リリィさん!? え、本当に……?」
「もっちろん本当なの~。去年のホワイトデーはアルテラで一緒にお買い物したの、おぼえてるの~」
「アルテラ……嘘をつかれてるわけでは、なさそうですね。すみません、印象が違っている気がして」
「あはは、びっくりさせちゃったの~」
目の前でどんどん展開していくヴェルディアとシュネーのやり取りを呆然と見つめてしまう。
(そっか……待っていたのは、私だけじゃないんですね)
僅かな落胆が胸をよぎる。だけど、きゅっと唇の端に力を込めて向きなおった。
(いわなくては)
リアルでならまだしも、ここはRWOなのだ。普段と違う姿を選んでいるのだから、こちらから声をかけなければ誰にも気づいてもらえない。
「――ディア、お久しぶりです!」
チャットを入力し、二人の前に進み出る。
「あ、えっと……もしかして、シルノさん?」
「わ、わかりますか?」
「お約束していましたし、呼び方も……もしかしてそうかなって」
「約束? ヴェル、シルノ――あ、ごめんなの、いまはシルフェね。――とも、お約束してたの?」
「はい。お二人から同じようなタイミングでお誘いいただいたので、三人で遊んだら楽しいと思って……あれ、言ってませんでした?」
「聞いてなかった気がするの~」
「わ、私も聞いてなかったかもしれないです……」
「わわ、ごめんなさい! お伝えしたつもりになっちゃってました……こんなの失礼ですよね。どうしましょう……」
「ああ、だめだめ。落ち込まないでほしいの~。今日は楽しく遊ぶためにお約束したんだから、三人なのはノープロブレムなの。ね?」
シュネーに水を向けられた気がして、シルノは慌てて同意を示すために頷くモーションを入力する。
「も、もちろんです。三人で遊ぶのも絶対楽しいです!」
「お二人とも……ありがとうございます」
「それじゃ、これからどうしましょうなの~。私は、まずはヴェルの装備整えて~、それからバレンタインイベントやりに行きたいの~」
「いいですね、私も今日はディアと一緒にイベントに参加するつもりでした。三人で行きましょう」
「さすがシルフェ、お話がはやいの~。ヴェルも、それでいーい?」
「はい。私は今日が初めてで、まだよくわからないので……お二人にお任せしちゃいます!」
「了解なの~! それじゃーあー」
シュネーがヴェルディアに手を差し出した。
(あ、あれは……)
手をつなぐモーションだ。恐らくシュネーからヴェルディアに申請しているのだろう。彼女がそれを許可すれば、二人はRWO上で手をつなぐことになる。
そのまま数秒、画面が固まったかのように誰も動かないまま時間が過ぎた。
「……あ、あの、これって、三人でもできますか?」
沈黙を破ったのはヴェルディアだ。
「うん、できるの~。シルフェ、申請してあげてなの~」
「あ、は、はい」
言われるまま、シルノはヴェルディアを指定しながら手をつなぐモーションを入力する。
「おーけーなの~。ヴェル、二つの申請が届いてると思うの~。両方了解したらいいの~」
「はいっ!」
元気のいい応答と共に、ヴェルディアはシュネとシルフェの間に立ってそれぞれと手をつないだ。
「えへへ、これ素敵ですね。なかよしーって感じに見えます」
「仲良しだもの~」
「じゃあ、このまま移動しますね。まずはお買い物で、それから――」
「――ヴァレンタイン回廊に、れっつごー、なの~」
――コロボックルの視点は、低い。
「わあ、すごいですね」
スパイラル77階全体を支配する艶のある茶色いテクスチャを見上げて、
弥久 佳宵は思わずチャットに感想を書き込む。
「これがバレンタイン回廊……期間限定のエリアなのに、随分気合を感じます」
壁や道路にはいずれも四角い凹凸がいくつもついていて、それがどこまでも続いている。リボンや薔薇の花、ハートマークなどの装飾もあちこちに点在しているが、そのいずれもが上品な艶があり、率直に言っておいしそうに見えた。
全てのオブジェクトがチョコレート――ざっと見渡しただけでも、そのコンセプトが徹頭徹尾貫かれているのが分かる。
「奥の方になにか見えますね。何か建物……うーん、ちょっと手前の木が邪魔です」
その場でぴょんぴょんと飛び跳ねるが、視点は依然として低いままで回廊の奥を伺い知ることはできそうにない。
落ち着いた言い回しを選ぶ彼女だが、その四肢は短く、体の全体サイズもSと非常に小さかった。彼女は本来すらりとした長身の美女だが、今は【レイス】コロボックルの力を得ているのだ。
「…………」
彼女のすぐ後方に控えていた華奢な少女、
弥久 ウォークスが、無言のまま、むんずと佳宵の頭をつかんだ。
「え」
佳宵が驚きに目を丸くしているうちに、ウォークスは彼女を自分の肩に乗せてしまう。
ウォークスが選んだ少女の体も決して大きくはなかったが、それでもコロポックルのそれに比べればずっと大きい。自然、その視点も一気に高くなり、回廊の奥に広がる広場と、教会にも似た豪奢な建物が見えた。
「あ、ありがとうございます。……装飾だらけの建物ですね。あれもチョコレートなんでしょうか」
「……さあな」
美しい相貌には不似合いなぶっきらぼうな口調で応答したきり、ウォークスは押し黙ってしまう。
(うーん、テンションが上がらないようですね)
ほんの数分前にがっくりテンションを下げてからというもの、ずっとこの調子だ。
理由は言われなくても察することができる。バレンタインイベントに誘った『猫』が急きょ来れなくなってしまったのだ。久々の再会を三人で楽しもうと色々と計画していただけに、これにはウォークスも動揺したらしい。
理由を聞いてもなんとなくはぐらかされてしまい、気持ちの持っていきようがなくなっているのだろう。
佳宵も今日のことはとても楽しみにしていたから、ウォークスの気持ちは理解できた。
「と……とりあえず、せっかくだから行きましょう! 私、予定通り用意してきたんです」
「予定……」
「言ってたじゃないですか、お約束の……ほら、これです。でゅわっ!」
登録しておいたスキルを実行する。
途端、彼女の体は淡い光を伴って、その場でめきめきと膨れ上がった。タンク職特有の秘技、守護神化である。
佳宵のサイズはSからLLへ変化し、その体色も濃く深く艶のある茶色へと染まっていた。説明欄にはブロンズ像のようになると記されているスキルだが、この回廊に置いては巨大なチョコレート像に変身したように見えた。
「さ、どうぞ御乗りくださいね……あら?」
ウォークスの姿が見えないと思ったら、膨らんだ佳宵の体に押しつぶされるように回廊の隅に追いやられていた。
「むぎゅう……」
「ご、ごめんなさい!」
慌ててその場からキャラクターを動かして、ウォークスのためのスペースを空ける。
「……ええと、怒っちゃいました?」
「……いや、面白かった」
「え」
佳宵が驚いているうちに、ウォークスはさっと騎乗を行った。
「ま、ちと予定は狂っちまったが、予定は未定だよな」
ウォークスの中で何か整理がついたようだ。少なくともチャット上はいつもの調子に戻っている。
「変な心配かけちまって悪かった。今日は二人でバレンタインと洒落こもうぜ」
「――はい。楽しみましょう」
リアルで少し胸を撫でおろした後、佳宵はウォークスを乗せたまま、回廊の奥を目指して駆け出した。
「(’ ’」
それを最初に見た時、
私 叫は顔文字を入力することしかできなかった。
「え、なんだろ。どうかしました?」
そう応えるチャットの冒頭には、ミランダの名前がある。
RWOでのキャラクターネームとしては一般的な部類の名だろうが、それを名乗るのが
オリヴィア・ヴァレンシュタインとなると少々意味合いが異なると感じた。
「ミランダなの?(’ ’」
「う……やっぱり気になりますよね」
バツが悪いことなのだと示すように、ミランダは考え込むようなモーションを見せた。
その髪も、顔のパーツも大人びたものを中心に選ばれており、ミランダの名に――オリヴィアの姉、ミランダ・ヴァレンシュタインに相応しい上品な美女が完成している。
「綺麗だなってパーツ選んでたらこうなってたっていうか……名前も、あんまり似てるからついつけちゃって……ゲーム内で位は、ミランダ姉様を目指したいと思っているんですけど、おかしいですよね、やっぱり」
「おかしくないの。驚いたの」
叫はREと名付けた自身のキャラクターを操作し、小さな背中に生えたセレスティアの翼でミランダの頭部あたりまで移動する。そのまま、優しくその頭を撫でた。
「……ありがとうございます」
それが少しは慰めになったようだ。ミランダは考え込むモーションを解き、今度は逆にREへと手を伸ばし、その体を抱えあげた。抱っこモーションである。
「さて、イベントがあるんでしたっけ?」
「うん。チョコ食べるの。おいしいの作って」
「え、私が作るんですか? アタッカー選んじゃったけど大丈夫なのかな……」
「へーき。料理は愛情なの(’ ’」
「あはは……友情の方なら自信があるんですけど。んー、とりあえずチョコ集め行きましょうか」
「行くの!」
REはミランダに抱っこされたまま、回廊の奥をびしっと指さすモーションを何度となく繰り返した。