第三章 愛のレプリカ
市販のチョコを、刻んで溶かして型に入れ、冷やして固めてデコレーション。
幼い初恋と共に興味を抱く、時に他愛ないと揶揄されもする『手作り』は……実は繊細な温度調節が求められる、難しいレシピである。
「――それマジでイケてんのか?」
「え?」
回廊の奥まった場所にある、調理台が用意された一画で、
高杉 大介はややいぶかしげな目で妻の
高杉 ありすを見下ろした。
チョコモンスターから集めたドロップ品を、一切の迷いなく魔法の炎にくべる彼女の姿。普段なら心癒される存在の伴侶だが、今は妙な不安をかきたてた。
「いや……俺も詳しかねーけど、なんか湯を使ったりするもんじゃねーのか。チョコってのは」
「わあ、大介さんよく御存知ですね」
「いや、感心してる場合じゃなくてよ」
「うふふ、ご心配なく。この炎は術者が自在に操ることができるアルテラの魔法ですから、そそぐ魔力を加減すれば強くも弱くもできるんですよ」
「直火が駄目なんじゃねーのかって言ってんだが、俺は……」
「そんなに心配なら、一口召し上がってみますか?」
ありすは溶けたチョコレートをスプーンで掬い、すっと大介の口元に運ぶ。
「はい、大介さん、あーん」
「……いや、自分で」
「あーん」
「…………」
押しの強い妻に負け、大介はしぶしぶ口をあけた。
「いかがですか?」
「……悪くねぇ」
心配したコゲや油の分離などなく、なめらかな舌触りのとろりとした味わいを感じられる。
「ふふ、よかったです。それじゃこれ、くるくるしてていただけますか?」
溶けたチョコを集めたボウルと、氷水が入ったボウルを重ねた状態で差し出される。
「一度お水で少し冷ますんですけど、冷やしてる間、ずっと混ぜ続けてないと温度が偏っちゃうんです。ゆっくりでいいですから、こういう感じで……」
底からチョコレートをすくいあげるようにしながら、ありすは丁寧に混ぜて見せた。
「気泡ができないように気を付けてくださいね」
「お、おう」
繊細な作業を依頼された気がする。一応いわれた通りに混ぜてみるが、それが正しいのかさっぱり判断できない。
ありすを見ると、違う色のチョコレートを火にくべ始めている。白、緑、ピンク……そんな色のモンスターいたかと首をかしげたくなるが、普段見かけないアイテムであることを鑑みるに、このイベントでドロップしたチョコレートであることは間違いないだろう。
そんなに使って何を作るつもりなのだろうか。
視線を感じたのだろう。不意にありすは顔を上げ、にこりと大介に微笑みかける。
「これで猫ちゃんとお花を作るんですよ。白は体、ピンクはお顔や肉球、花びら、緑は葉っぱ……頑張って作りますから、見ててくださいね」
「べ、別に何も聞いてねぇだろ」
「聞きたいって顔してましたよ?」
「ぐ……」
大介は息をつまらせ、くやしさを飲み込んで作業に集中することにした。
――まったく、この嫁にはかなわない。
「タヱ子、とってきたぞ」
「あら、ありがとうございます」
夫の
信道 正義が操作するキャラクター、ジャスティスから、どさどさと言う音が聞こえそうな勢いでチョコレートの譲渡を受ける。その数が予想よりはるかに多いものだから、
納屋 タヱ子は目を丸くした。
「ずいぶんたくさん取ってこられたんですね。大変だったでしょう?」
「雑魚ばかりのフロアだ、たいしたことはない」
「そうでしたか。よかった……」
「途中、妙にでかい穴があって、そこはひやっとしたがな」
「穴?」
「それで、タヱ子の方はどうなんだ。順調なのか?」
「ええ。いま、ビスケットが焼き上がったところです」
タヱ子は焼きたてのビスケットをずらりと並べたトレイを指し示した。
「へえ、焼き菓子なんて使うのか」
「ええ。一般的なケーキのスポンジ役、というところでしょうか。これとチョコクリームを何層も重ねていくんです」
「すごいな、うまそうだ」
「ふふ、御味見のときにもそうおっしゃっていただければいいのですけど」
(――さて、まずはチョコレートのテンパリングを済ませてしまわないと。それからココアをといて、生クリームをたてて……)
ケーキ作りの手順を思い返しながら湯煎の準備を始め――ふと、視線を感じた気がして、ぱっと視界を動かす。
所在なげに立つ旦那とぱちりと目があった、気がした。
「……正義さん、どうされました?」
「あ、いや……何か、その……」
(……?)
いつになく歯切れの悪い旦那の言葉をじっと待つ。
「……その、俺にもできることは、あるか?」
「できること、ですか?」
「ああ。難しいことは無理だろうが、何か、手伝いたい、と思ってな」
「まあ……」
信道正義、という人はどこか不器用なところがあって、細かな作業に向くような部類ではない。タヱ子にとってはそこもまたこの人の愛しい一面だが、本人は少しばかり引け目に感じているようだ。
「……助かります。でしたら、このビスケットをお願いできますか。少し大きく焼いてしまったので、食感がよくなるように砕いて、それから牛乳にひたしてくださいな」
「砕く、か。教えてくれ、大きさはどうしたらいい?」
「大体半分でしょうか。真ん中を軽く押して……こうです」
タヱ子が一度やって見せると、ジャスティスも見よう見まねでビスケットを持ち、くっと力を込めた。
バキッ
「あ」
「あら」
粉々に砕け散ったビスケットを目の前に、二人の間に沈黙が舞い降りる。
「……す、すまん」
「あ、い、いいんですよ。破片も全部牛乳にひたしておいてください」
「いいのか? せっかくのケーキが、ボロボロになってしまわないか?」
「大丈夫ですから、形は気になさらないで」
「わかった。なら、全部やらせてもらうぞ」
力強くうなずき、シャスティスは先ほどと同じ要領でビスケットを割り進めた。そのほとんどが粉々に砕けていったが、タヱ子はそれ以上口を出さず見守ることに徹する。実際、成形は最後の工程でなんとでもなるのだ。
(さて、では改めて)
タヱ子はジャスティスの隣に立って、譲渡を受けたばかりのチョコレートを刻み、湯煎にかけていった。
(……ふふ)
無意識のうちに、口角があがる。ひとつのケーキを作るために、二人並んで違う作業をしている。たったそれだけのことで心が暖かくなるような気がした。
そうだ。今日のゲームを終えたら、おうちでも同じように作ってみたいと我がままをいってみようか。
もしかしたら、煩わしいと思われるかもしれないけど――。
「――タヱ子」
「え……あ、はい? どうしました?」
「家に戻ったら、このケーキ、もう一度一緒に作ってもらえないか」
「え」
心臓の鼓動が高鳴る。
「作り方を覚えたいんだ。俺の練習に突き合わせるようで悪いが、一緒に教えてくれると嬉しい」
「も……もちろん。もちろんです」
同じことが頭にあったのだと思えるのが嬉しくて、タヱ子は何度も何度も頷いた。
「いつだって、何度だって、ご一緒します……!」
「うわぁ、こんなに!」
ミシェルから提示されたチョコレートの山に、
高宮 綾は目を輝かせた。
「しかもほとんど薔薇の香りステータス付……お姉ちゃん、ありがとう! すっごくうれしい!」
「そう、良かったわ。私にここまでさせたんだから、しっかり王女様がお喜びになる物を完成させるのよ。アヤ」
「もっちろん、そのつもり! 腕が鳴るなぁ」
早速お菓子作りを始めるべく、綾は最初のスキルを入力する。
す、と差し出した手から仄かな光が浮かび上がり、ふわ、と全身を包み込んだ。
「なにしてるの」
「レディ・スイーツ! ……っていう、準備スキルだよ」
「へえ、DEXでも上がるの?」
「直接は上がらないよー。ただ、すっごく清潔になるの」
「……手を洗ったってこと?」
「どっちかっていうとお清めかな、お菓子の神様に失礼になるからね」
えっへん、と胸をはってみたが、ミシェルにはいまいちその熱意が伝わらなかったようだ。「あ、そう」と軽く流されてしまう。
伝わらないものは仕方ない。些細な悲しみを完全に流して、綾は改めてお菓子作りに着手した。
チョコを刻み、湯煎を用いて溶かし、氷水でじっくり冷やしてから、また少し温める。
作業を進めていくうちに、香ばしいカカオとかぐわしい薔薇が入り混じった、高貴な香りが辺りを満たした。
(素敵……)
胸いっぱいに吸い込んだ香りから連想したのは、愛らしくも上品に微笑むアリサ姫の姿だ。
(……うん、ぴったり)
綾は円筒の缶を用意し、クッキングペーパーを巻き付けた後、別のクッキングペーパーをくるくると巻き始めた。それを片側の先端を細くした円錐型にし、その内側に溶かしたチョコを流し込む。
ここから少しずつチョコを絞り出すことで、ペンのように細い線を描くことができるのだ。
ペーパーを巻き付けた缶に向かい、するすると器用にチョコを絞りだしていく。くるりくるりとチョコレートの円を描き、重ね、缶の形にそって広げていくのだ。
「へえ、器用なものね」
「えへへ……っと」
ミシェルの言葉が嬉しくて笑ってしまいそうになるが、いけないいけないと口元を引き締める。
一本でも線が歪んだら、全て最初からやり直しだ。完成まで一刻たりとも気は抜けない。
(喜んでもらえますように……)
丁寧に丁寧に心を込めて、綾は曲線を描き続けた。
シルフェがパンケーキを作りたいと言ったとき、リリィは少しばかり意外に思った。
(どうして、あえてパンケーキを……?)
今回のイベントに合わせたチョコレートスイーツ……と考えると、少しカジュアルなメニューのような気がする。
ところがいざ調理過程を見せてもらうと、そんな疑問は吹き飛んだ。
「すっご……」
ヴェルディアと並んで、息を詰まらせながらシルフェの手元に注目する。
全ての材料を手際よく測って記事を混ぜ合わせ、そこにイベント中に拾ってきたチョコを刻んで溶かしたものを追加する。
良く温まったフライパンを一度濡れた布巾でさまし、その状態で生地を流し入れ、火力をごくごく弱くしてからフライパンを元に戻す。
焼いている間に様々な果物を切って――……。
それらの動作全てに迷いがなく、洗練されている気がした。
「シルフェさん、すっごくお料理お上手なんですね。びっくりしました」
「そんな、普通ですよ。簡単なレシピですし。ディアも一枚焼いてみますか?」
「無理です無理です! 私、そんなすぱぱぱぱーってできないです!」
「すぱぱぱぱーとは、私もできないですよ」
「できてますよ! ね、シュネーさん。すぱぱぱぱーでしたよね!」
「うん、すぱぱぱぱーだったの~」
「そ、そうですか……? ふふ、ありがとうございます」
照れて少しはにかむ間も、シルフェの手は止まらない。飾りにでも使うのか、粉砂糖を丁寧にふるいにかけている。
「お二人は、お菓子作りってあまりなさらないんですか?」
「う~ん、シルフェほどにはできないかな~。ヴェルは?」
「今は全然ですね……。練習して上手になりたいなって思うんですけど、そういう時間がとれなくて……」
「あ~、そっか~。でも仕方ないの~」
ヴェルディアは国を支え導く役目を担っているのだ。日々忙しく過ごしているのは間違いない。今日ここに来るための時間だって、相当な調整と幸運とを重ねて捻出したことだろう。
(――あ)
ふと、気付くものがあって、リリィは改めてシルフェの顔をじっと見つめた。
(だから、パンケーキ、ですか?)
カジュアルで、簡単に作ることができるメニューを選んだ上で、あらゆる動作を洗練させ最適化させて時間短縮を図る。そこに、彼女なりの気遣いが秘められている気がした。
正誤を問うことは、シルフェの気遣いをヴェルディアにも悟らせることになる。だからリリィはチャットには何も書き込むことなく、全ての言葉を飲み込んだ。
――結局、生地を焼く以外の時間はほとんどかかることなく、あっというまにチョコレート色のパンケーキが完成した。
「うわあ、おいしそう……!」
大きなお皿に、むらなく綺麗に焼き上がったパンケーキを重なっている。表面はパウダースノーで化粧し、周囲には抹茶味のアイスクリームと様々なフルーツが彩りを添えていた。
「さあ、お二人とも、お好きなだけ召し上がってくださいね。足りなければ、追加で焼きますから」
「ありがとうなの~、いっただっきまーす」
「お言葉に甘えます。いただきますっ!」
示し合わせたかのように、ヴェルディアと同時に最初の一口を頬張る。
「……お、おいしい……!」
「本当、すっごくおいしいの~」
基本は表面さっくり、中ふんわりの昔ながらのホットケーキだ。
そこにカカオの風味とシルフェの気遣いがしっかり感じられて、いい意味で濃厚な味わいだった。
「……では、よろしくお願いします」
騎士の姿をしたNPCにミランダがチョコレートを手渡したことを確認すると、REは彼女の手を引いて、そっと広場の隅へと移動した。
「ふう、やっと渡せた……ちょっと緊張しちゃいました」
「優勝はもらったの(’ ’」
「優勝……そういうものでしたっけ。でも、本当に無理だと思いますよ。私、ちょっと失敗しちゃいましたし……」
ミランダは、謙遜というより本心でそう考えているようだった。実際、今日のケーキ作りでは彼女はいくらか苦戦していたし、大事なところは結局ほとんどREがこなした。きっと彼女のいる世界とここRWOでは随分勝手が違ったのだろう。
「そんなことないの。ふわっとかるーいチョコレート、すっごくおいしかったの。気絶するおいしさなの」
言葉に嘘はない。本当に、彼女と一緒に作ったチョコレートはおいしかったのだ。それはもしかしたら、大好きな友達と一緒、という付加価値がそう感じさせたのかもしれないが、叫にとっては完全な真実だった。
「本当に気絶したときは毒を作っちゃったかと思って慌てましたけど」
「えへへー」
「もう。笑ってごまかしましたね?」
しかたないなぁ、と苦笑しながらも彼女はREを優しく撫でてくれる。その光景を見ているだけで、叫は幸せな気持ちになれた。