名を持つ悪魔
特異者たちの妨害によって、モロク派の魔人らによるサタンの生け贄集めは芳しくなかった。
そこで、魔人たちが使ったのは奥の手である。
すなわち増援を呼ぶことだ。
それは彼らにとって最終手段とも言うべきものだった。
実際にはそれほどまでの危機的状況に陥るとは思っておらず、増援を呼ぶつもりもなかったのだが……。
――仕方ないことだ。
そう判断して、魔人たちは助けを請うた。
増援の要請からしばし――ほどなくして現れたのは、一人の魔人だった。
「……状況は」
「はっ……それがその……聖騎士に味方をする連中の力があまりにも強く……こちらも次々と味方を失っている状態です……」
「ふむ。セフィロト教会に味方する者か」
実際には、特定の誰かの味方ではないということはその魔人には分かっていた。
だが、現状ではそう判断して問題あるまい。
事実、彼らは聖騎士たちに協力してアンダーグラウンドの人々を守ろうとしているのだから。
「……構わん。生け贄に選ばれるのは生き残った者だけでいい。あとは煮るなり焼くなり好きにしろ」
「し、しかし……」
「そうすれば力を加減してやる必要もあるまい。思う存分戦えるというものだ」
その魔人は不敵な笑みを浮かべながら言った。
指示は各魔人へと伝えられる。間もなく魔人たちの総攻撃が始まるだろう。
「さあ――凌げるものなら、凌いでみるがいい」
そう言葉を紡ぎ、名を持つ悪魔――ガープを憑依させたその者は、静かに笑った。
闇野 名無しは完全憑依の状態になって人々を襲い、アンダーグラウンドの市民から生け贄を選出していた。
「お姉ちゃん、見てて……わたし、頑張るよ……」
クスクスと名無しは笑う。
その背後には憑依した堕天使しかいないはずだが、しかし彼女はそれに話しかけていた。
無論、堕天使は答えない。
そもそも堕天使の姿はハッキリと確認することが出来ないのだ。
しかしその顔は、どこかぼんやりと微笑んでいるような気がした。
その笑みを見るとさらに、名無しは気分が高鳴るのだ。
「お姉ちゃんのために……友達をたくさん連れて行くね」
そう言って彼女は次々と生け贄を捕まえてゆく。
しかも、時には傷を負わせることをいとわず、だ。
彼女は聖騎士団との無用な争いは避けたが、とにかく生け贄をたくさん連れて行くことに専念していた。
サタンの為? いや、あるいは堕天使の為か……?
「フフ……お姉ちゃん……待っててね」
それを知る術は、誰にもなかった。
●
小松智子は愕然としていた。
それまで優勢かに見えた聖騎士団の救出活動だったが、ここに来てその状況が一変したのだ。
敵の魔人たちは新たな味方を付けたらしい。
それが名を持つ悪魔を憑依させた者だということは、すでに彼女の耳に届いていた。
「そんな……!?」
名を持つ悪魔が味方に付いたことで、魔人教団も勢いを増したらしい。
しかも生け贄を生かしておくことに拘らなくなったためか、彼女同様新米の聖騎士たちも次々と傷ついてゆく。
その様子を、彼女は呆然とした目で見つめていた。
教会から派遣されたのは数少ない聖騎士たちとはいえ、それでも敵わないというのか?
それほどまでに、敵は強いのか?
智子は思わずへたりこんでいた。
そこに――
「智子さん!!」
半月 風花、
支援者、
ルビィ・エヴァレット、
エンジェリック・ドレス、
乙町 空の五人が駆け付けてきた。
彼女たちは皆、智子を心配してやって来たのだ。
風花はメルカバーに支援者と乗り、ルビィはトロイホースにエンジェリック・ドレスと乗り込んでいた。
一方の空は、地上からだ。
彼女はへたりこむ彼女の傍までやって来た。
「大丈夫ですかっ!?」
「皆さん……」
智子は皆に視線を向ける。
「さあ、今のうちに私たちで民を運んでしまいましょう!」
そう言ったのはルビィだった。
彼女は支援者と共に逃げ遅れた民をトロイホースに乗せると、急いで避難ルートを通って安全な場所を目指した。
その間の連絡は支援者が取る。
風花は支援者と連絡を取りながら、智子のもとで避難者の誘導に当たっていた。
「みんな! こっち! こっちだよっ!」
火の海と化したアンダーグラウンドを人々は逃げ惑う。
しかしそれでも、聖騎士である彼女の言葉に従って、一人、また一人と、避難場所を目指していった。
エンジェリック・ドレスは、その間に讃美歌で風花に憑依する天使の力を増幅させる。
それがさらに人々を導くのに効果をもたらした。
「…………」
その様子を、智子が見ていた。
彼女は不安げな瞳を揺らしながら、しかしそれでも真っ直ぐに見ていた。
人々に必死に声をかける風花を。
トロイホースに人々を乗せて飛び去っていったルビィを。
彼女たちは諦めてはいない。そして、誰も望みを捨ててはいない。
と、そこに空が声をかけた。
「これは、教会の教えとは違うのですけれど……」
彼女は自身も不安をその目に滲ませながらも、しかし揺らぐことなく智子を見つめていた。
「騎士道十戒というものがあります」
「騎士道十戒……?」
「ナイツの教えです。それは、守るべき正道の道。そしてそれを守ることは義務でもありますが、必ず成果をもたらしてくれるはずです」
そう言って空は微笑んだ。
「智子さんのしていることは正道に適っています。ですから、きっと大丈夫です」
彼女は言いながらクリスマスブレードの光を智子に見せる。
それは聖なる光。ナイツにも、聖騎士にも通ずる、聖なる光だった。
「…………」
智子はしかと前を見つめる。
そしてぎゅっと拳を強く握りしめた。
「騎士道……」
もうその目に、迷いはなかった。