脆苦戦―トラウマを越えて― 5
ウォークス・マーグヌムは、【民間無線機】で周辺の情報を集めている
弥久 佳宵の指示のもと、脆苦の拠点に辿りついた。
ウォークスは前方に【全地形対応機動戦車「緋翔」】を走らせ、機関銃で近寄ってくる魔獣たちを撃ち抜く。
背後には頭に
日長 終日、肩に佳宵と
ハンディフォートレスを乗せた【アイアンゴーレム】が続く。
佳宵はアイアンゴーレムに落とされないように緊張しながら【フローリング】でバランスを取り、【DD:高水圧砲】を放つ。
終日は、セットした【錬成チューブ】を使い、素早く【地弾】と【氷刃】を錬成し、遠距離から攻撃を繰り出す。
ハンディーフォレストの【デッドエンド】に加えて、アイアンゴーレムの足元の【プチゴーレム】が攻撃補助に回る。
首尾よく脆苦周辺の魔獣たちを力技でねじ伏せて進んでいたウォークスたちだったが、脆苦の精神攻撃の及ぶ範囲に居た為、それぞれにトラウマが呼び覚まされる。
ウォークスのトラウマは、地球に居た頃の記憶だ。
その頃、職場の上司に、毎日のように注意を受けている同期が居た。
それだけならまだ良いのだが、こともあろうにその上司は、時折暴力を交えて同期を罵った。
今思えば、あれは苛めだったのだとはっきり分かるが、その時は自分の職場内の地位や、上司の言い分も間違ってはいなかった為、口出しすべきことではないと判断し、ウォークスは見てみぬふりをしてしまった。
結果、その同期は自ら命を絶った。
あの時――せめて、上司が暴力を振るった時だけでも、止めに入れば良かったと、ウォークスはずっと悔いていた。
何も出来なかった無念さが、ウォークスを襲い、ウォークスの手から無線機が落ちた。指示を失った「緋翔」は、やがて動きを止める。
「くそっ……何故あの場面に俺は立っている……また、俺は何も出来ないのか?」
目の前で何度も繰り返される、上司に叱責されてうなだれる同期を見つめながら、ウォークスは自問する。
【クール・アセンション】で心を落ち着かせ、冷静に目の前の出来事を見返す。
過去はやり直せない、けれど、あの場面にもし今の自分が居たのなら――、あの時の過ちをやり直せるのなら、せめて。
(今度こそ見て見ぬ振りはしない!)
心に決めたウォークスは自分の拳に力を籠める。
「全部は背負えないし、こちらに道理も通ってないし、責任も取れないけど、それでも……あの結末だけは絶対に嫌だ!」
吠えたウォークスは同期を叱りつける上司へと突撃し、怒りの拳をめり込ませる。
すると、殴りつけた上司の影がふつっと消え、終わる事のなかった映像のリープがようやく解けた。
ホッと一息ついたウォークスは、慌てて周囲を見回す。
「……そうだ。終日と佳宵は……?」
後ろを振り向くと、制御を失ったアイアンゴーレムに振り落とされた終日と佳宵が折り重なるようにして、その場に倒れている。
「終日!佳宵!」
慌てて駆け寄り、二人を担ぎあげる。
と、うっすらと目をあけた終日が、目を見開き、僅かに怯えた表情を見せたが、すぐに安心したような笑みを浮かべる。
「どうしたんだ?」
不思議にそうに首を傾げるウォークスに、終日は悪い夢を見ていたと言う。
それは昔、犬に噛まれて殺されそうになった時の夢だ。
見た目だけなら大きな犬型の獣人と変わらないウォークスを初めてみた時は、終日は怖くて目が離せなかった。
けれど、ご飯を食べさせてもらい、共に過ごしているうちに、ウォークスの優しさに触れ、彼の傍が一番安心を感じる場所になった。
「ウォークスの顔見たら、怖くなくなっちゃった」
「なんだそれは」
呆れたように言うウォークスに、終日もはにかむ。
「それより、佳宵は?」
ウォークスと一緒に、苦しげな佳宵の顔を覗き込む終日。
かつて猟師の罠に掛かり、暗くて身動きの出来ない空間に餓死寸前まで閉じ込められた時のトラウマに苦しめられている佳宵は、小さく身を震わせその時感じた恐怖に怯えていた。
それでも、気丈にも佳宵はどうにか正常な精神を保っていた。
「か、帰るんです、もう私には待っててくれる人達が居る場所があるんですから」
自分に言い聞かせるように佳宵は声を張り上げる。
「そうだ。帰って来い佳宵」
「もうだいじょうぶだよ!」
佳宵の声に応えた二人に、佳宵の頼りなげな視線が合わさり、やがてしっかりとその瞳二人の顔を映し出した。
「良かった……私、戻って来れました」
微笑む佳宵に、ウォークスは大きく頷く。
「脆苦め……お前の様な悪魔に何が解る!? 抗う事も出来ず、現状に付いて行く事も出来ない一般人の気持ちが解るものか!!」
怒りで昂るウォークスは、再び「緋翔」を呼び寄せ、銃撃と共に脆苦へ向かって叫ぶ。
「俺は、せめて特異者で居る内は! 戦う術を持たない者の味方になるんだよ!」
突撃するウォークスの背後から、終日の錬成した【土龍】が追いかけ、脆苦へと襲い掛かった。
ミレル・カーマインの過去は、苦痛に満ちている。
裕福な家庭に生まれ幸せな毎日。
しかし幼くして両親を失ったことが、彼女の悲劇の始まりだった。
当たり前だった優しさが目の前から消えて、幸せだった時間が崩れていく。
施設に引き取られてからも、落ちぶれた家の子供に、周囲の目は冷ややかだった。
馴染もうと努力するも、中々勝手がつかめなかった。
そしてそれは突然訪れる。
嫌がらせ。理不尽な暴力。
いつ終わるともしれない苦痛が、延々と繰り返される日々が続いた。
手を差し伸べてはくれる者は誰一人として居なかった。
しかし恐ろしいことに、人とは慣れる生き物だ。
ミレルがそれらに慣れ始め、反応を返さないとなると、それは更にエスカレートした。
その場から立ち去ろうと、逃げるようにバッグを持って走ろうとしたした時、ミレルのバッグから、その中身が零れ落ちる。
穴のあけられたカバンと、地に落ちた所持品をミレルは茫然と見つめ、そこに踊る幾つもの心無い言葉が目に入る。
その横で、ずたぼろにされたぬいぐるみが地面に転がっていた。
それはミレルの両親の形見だった。
過去の幸せな日々と自身を繋ぐ、唯一の心のよりどころだった遺品。
それを失った瞬間、ミレルの中で何かが音を立てて崩れた。
限界だった。
自身の身に降りかかる不快な言葉や暴力は全て心を殺すことで耐えてきた。
けれど、心のよりどころだった両親の存在さえも否定するかのように、ボロボロになったぬいぐるみに、ミレルは自分自身を重ねて、人生に絶望した。
皆がそう望んでるなら望むままに消えてしまおう。
そして、ミレルの世界が真っ赤に染まった――。
「……落ちましたか」
脆苦の精神攻撃を前に、完全に動きを止めたミレルに、脆苦は火炎を放つ。
そこに。
「「お嬢様…!」」
ミレルを庇うように飛び込んできた
リリカ・フォーマルハウトが【耐熱コート】で火炎を防ぎ、
マリア・フレグランスが錬成した【鉄壁】がミレルを囲う。
リリカは、コートの裏で【コル・ア・コル】を駆使し、【対魔族用ナイフ】を放ち、脆苦の攻撃の手を止めようとする。
リリカの攻撃を弾く為、一端火炎を収めた脆苦へ向かって、練成した【銀槍】持ったマリアが、【液化ローブ】軟化させ、【スプリングリム】のバネの反動を利用し特攻をしかける。
マリアは脆苦の足を狙って槍を繰り出し、その動きをけん制するが、威力が足らないと見て取るや、脆苦の背後から自身もろとも【液化ローブ】に取り込み、硬化させ脆苦の動きを封じる。
「ホッホ……その身もろともですか」
「大丈夫。リリカの狙いは正確ですわ」
マリアの言葉通り、リリカが【ファーント】で踏み込み、【対魔族用ナイフ】を脆苦の体躯へと突き刺した。
けれど、頑強な脆苦の体には大した傷はつけられない。
「くっ……浅い……!」
リリカは体勢を立て直す為に、一旦後方へと退く。
「いい加減、離れてもらいましょうか」
「ただでは離れてあげませんわ!」
背中のマリアを放り投げようと、マリアの腕を掴んだ脆苦に、マリアは今度は【液化ローブ】を軟体化させ、ゼロ距離からローブに流し込んだ【哲学者の水銀】を触媒にした【爆裂】を至近距離で起爆させる。
互いに爆風で煽られながら、距離を取る。
喰らったダメージは、明らかにマリアの方が酷い。
「イフリート! 頼みます!」
リリカの声に応じて、
イフリートが時間稼ぎの為に、脆苦に向けて【地獄の火炎】を放つ。
その間に少しでも体力の回復をと、リリカはミレル用に持ってきてた【ケミカル菓子】を口の中に放り込んだ。
そんな時、深く過去のトラウマに突き落とされていたミレルの耳に、優しい声が降る。
『よく御覧なさい。あなたは一人じゃない』
【ホーリートーカー】で聞こえてきた声に、ミレルはハッとして目を見開いた。
いつの間にか、マリアが築いた鉄壁は消え、ミレルの目に飛び込んで来たのは、脆苦との闘いに傷つきながらも、ミレルを守ろうと必死に戦うリリカとマリアの姿だった。
(そうだ……私はもう1人じゃない……)
ミレルは【エンジェルウィンク】を受けて、苦痛が遠のいて行くのを感じる。
「天使様! 私に力を貸して!」
【ダブルポゼッション】で【エンジェリックジャベリン】に加え、【エンジェリックティアー】も憑依させたミレルは、立ち上がる。
ミレルが立ち直ったことに、表情を輝かせたリリカとマリアは、ミレルの攻撃を感じ取り、すぐさま援護に回る。
リリカは【栄光の小瓶】を投げつけ、脆苦の視界をくらませ、マリアは【銀槍】を脆苦に投げつけ、脆苦の行動を狭める。
「「お嬢様に勝利を!」」
二人の重なる声を合図に、【エンジェリックブーツ】で地を蹴り上げ、【エンジェリック・ウィング】で飛翔しながらミレルが脆苦に突撃する。
「これで!終わりよっ!!!」
脆苦に向かって【エンジェリックジャベリン】の穂先を照射し、続けざまに【エンジェリックディアー】を撃ち放った。
しかしやはり威力が足らず、脆苦は激しい爆炎の中、未だ倒れることなく立っている。
そこへ、脆苦の吐いた炎に身を隠すようにして、思いがけない場所から飛び出て来た
吉備津 桃太郎の一振りが浴びせられる。
「どりゃぁああああ!!」
一際大きな咆哮と共に振り下ろされた刀を、脆苦は【魔獣のツメ】で弾き返した。
「貴方は……おかしいですね。先ほど、私の攻撃を食らったはずでは?」
脆苦の目が、驚きで大きく見開かれる。
次々とトラウマに心を囚われた者たちと共に、確かに桃太郎も動きを止めたのを脆苦は見ていたのだ。
「それがなんだよ。オレは、桃から生まれてないが、四十三代目桃太郎だ! 鬼がいりゃあ退治する。それだけってもんだ!」
「鬼……?」
そんなものがどこにいる、と怪訝そうに眉を顰める脆苦に、桃太郎は容赦なく【名刀・鬼火彈護】の力を解放し、真横一文字に脆苦に斬りつけた。
「目の前にいるじゃねーか”鬼”が!! それに…勝負はいつも声のデカイ奴が、勝つに決まっているぜ!!」
ガハハハッと大きな笑い声をあげて、桃太郎は力押しとばかりに大きく太刀を振り回した。
本来、トラウマに囚われた者は、心の傷を抉られる恐怖に立ちすくむものだが、桃太郎の心にあった”鬼退治をしそこねた”という、唯一の心残りは、逆に桃太郎を奮起させる結果となってしまったようだ。