脆苦戦―トラウマを越えて― 3
己の信じる“正義”を貫き、弱者を守る為に戦う。
そんな聖騎士となった使命を掲げ、モロク派の蛮行を断罪する為に脆苦と対峙した
イルファン・ドラグナは、その絶対的正義が歪み始めるのを感じていた。
過去、強さのみを追い求め、人斬りの修羅となった自分。それが再び顔を出すことを、イルファンは何よりも恐れている。
特異者となった当初、イルファンは人々を守る為の強さを求めていた。
強者と戦い、倒す事で更なる高みへ。
それを何度も繰り返していれば、自らの望む力が手に入ると思っていた。
それがいつしか目的と手段が入れ替わり、強者との殺し合いを楽しむようになっていた。
始まりは、そちらも正義だった。正義を守るためには、力が必要なのも事実だ。
今だってまさに、脆苦の暴挙を止める為には、力でねじ伏せるしかない。
説得が通じない相手には、どうしたって力で分からせるしかない。
目的と手段を見誤る怖さを、身をもって知っているイルファンは、だからこそ、このトラウマに縛られた。
純粋に己の正義を信じて、剣を奮うことが怖い。
イルファンは、振りかざした剣を力なく下ろした。
「わたしが、気を引く……弥恵はイルファンを……」
リコ・ハユハは【レジスタンス用トラック】のガソリンを使用し、あらかじめ作成しておいた【火炎瓶】を片手に立ち上がる。
【韋駄天の草鞋】で地を蹴り、駆け出したリコは、あっと言う間に敵中へと突っ込んで行った。
脆苦自身に精神攻撃の類は効かないが、脆苦の周囲を未だ取り巻いている魔獣たちへ向けて【ウィスパー召喚】で動揺を誘い、火炎瓶と【閃光手榴弾】を投げつけ、出来るだけ派手に暴れて注意を引きつける。
【フリーランニング】で群がる魔獣たちの視界を撹乱し、イルファンと弥恵からなるだけ遠ざけるように誘導する。
「大丈夫ですか? しっかりして下さい。何がそんなに貴方を苦しめているのですか? 私はここに居ます……!」
リコに促され、イルファンに駆け寄った
津久見 弥恵。
けれどそんな彼女にも、自分では気づいていない、心の底にトラウマがあった。
「あっ……これは……」
脆苦の精神攻撃に、自覚なく踏み込んでしまった弥恵は、イルファンに引きずられるようにトラウマに囚われる。
動けなくなってしまった弥恵に、慌てて
第七級祓魔師が【大天使の盾】で弥恵の防御に回る。
弥恵自身自覚していなかったトラウマ――それは、弱い自分を認められないと言う事。
今までの戦いで経験した敗北、命を落としかけた経験。
それらが積み重なって、いつしか常に凛々しくあろうと、過剰に自分を律するようになった。
その根底にあるものは、いつか周りの人達に置いていかれるかも知れないという恐怖だ。
(弱い私を見捨てないで……)
そして蘇るのは、幼い頃、両親に落胆された、その時の絶望にも似た気持ちだ。
しかし、そんな彼女に、心の何処かで声がする。
(だから脚を止めるのか? 傷つき助けを求める声を見捨てるのか?)
と、それは誰の声だっただろう。
弱さを隠したのは、誤魔化しではない。
そうやって、強がりでも何でも、確かに弥恵が救ってきたものがある。
そして、今の弥恵には、本当の自分を見ていてくれる人がいる。
(大丈夫…今の私には弱い自分をそのまま受け入れてくれる愛しい人がいますから)
弥恵は、縋るようにイルファンの手を握り、顔を見上げる。
すると応えるように、イルファンの手に力が籠り、そのまま弥恵はイルファンの胸に抱き寄せられた。
ジッと弥恵を見つめるイルファンの目が語る。
彼女をトラウマから救ったのがイルファンという存在であったように、彼のトラウマを救ったのもまた、彼女であったことを。
イルファンは、過去の自分に怯えながら、けれど今の正しさを信じる強さを持った。
仲間たちに、そして何より愛する彼女に支えられ、決して、己の中の修羅になど負けたりはしないと、挫けぬ“意志の力”を手に入れる。
「ありがとう。君の存在に救われた。俺はもう絶対に―――君を離さない」
「ええ、私はいつも貴方の隣に。共に進みましょう」
寄り添うように立ち上がった二人を見て、リコはホッと小さく満足げな息をついた。
自らをコマンダーと呼ぶ戦闘指南役の
ルドルフ・キューブの【空挺戦車】に先導され、
パティア・ノイラートの操縦する【地烈のメルカバー】で、脆苦のいる拠点に奇襲をしかけた
島津 正紀は、脆苦の精神攻撃に思わず口元を抑えた。
「ぐっ……苦い……くそっ……あの味が蘇ってくる……!」
かつて酷く苦いたくあんを食べさせられて以来、どうにも正紀はその味が苦手だ。
とは言え、我慢出来ないという程ではない。【コンポージャー】で心を落ち着かせ、その不快感に耐える。
指示を仰ごうと、前の戦車を見れば、同じくトラウマを引きずり出されたルドルフが、かつてその毒に苦しめられた毛虫に、びっしりと身を覆われる幻影に苦しめられていた。
だが、ルドルフの方のトラウマも、心を強く持てば耐えられないという程のものではない。
ルドルフは戦車内に満たした【療養のお香】を深く吸って、一先ず心を落ち着けた。
ここまでならば、ちょっと地味な嫌がらせ程度の被害だ。
けれど、問題はパティアだ。
メルカバーの操縦席でうずくまるパティアには、幼い頃に両親を亡くしたり、見た目からダークエルフと間違われて迫害された過去がある。
それがトラウマとなって、パティアを苦しめているのは明らかだった。
「パティア、しっかりしろ、大丈夫だ。 何があっても俺が守ってやるから」
正紀は、パティアの手を握って励ます。すると、キュっとパティアからも握り返される。
(そうだ……今の私には、私の苦しみを分かってくれる大切な人がいる)
どれだけ辛い過去があろうと、過去は過去だ。
今のパティアを苦しめるものではない。
「有難う、正紀。もう大丈夫です」
心を癒す為、【桜吹雪】を舞わせたパティアが、正紀に微笑む。
「よし、総攻撃、行きますよ!」
ルドルフは、【砲撃支援】による遠距離攻撃で脆苦の攻撃を牽制する。
脆苦本人ではなく、周囲の壁を狙い、辺り一面に瓦礫を散乱させる。
「……うるさいですよ」
脆苦がルドルフへと火炎を放つ。
そこへ、パティアが【地烈のメルカバー】を割り込ませる。
「ブレイズ、召喚だ!」
正紀は界霊獣ブレイズを呼び出し、水塊を火炎にぶつけて相殺する。
パティアもすかさず【大天使の盾】で守りを固めた。
「次はこっちから行くぞ」
正紀は【ダークイーター】で周囲の闇の力を吸収しつつ、【栄光の小瓶】を脆苦に向かって投げつける。
「うっ、目が……」
閃光に、脆苦の視界がくらんだ隙に、【影潜】で影に身を隠した。
と、パティアがメルカバーの投光器で照らす灯りと、ルドルフが散りばめた瓦礫で、より多くの影を作りだし、正紀の行動範囲を広げる。
「おや……お仲間を置いてどこへ隠れたのでしょうね。それとも尻尾を巻いて逃げ帰ったか。まあどちらでも良いでしょう」
正紀は遠ざかる脆苦の後を影を伝って追い、攻撃のタイミングを伺った。