脆苦戦―トラウマを越えて― 1
脆苦との戦闘が続く中、脆苦にトラウマを引きずり出された特異者たちは、それぞれのトラウマと向き合い、どうにかそれから抜け出そうと足掻いていた。
葛城 吹雪を取り巻く景色が、衝撃と共に塗り換えられる。
所々破壊の跡が残る壁や、瓦礫に囲まれた薄暗い空間が、じめじめと鬱蒼とした密林へと姿を変える。
「迂闊に動いてはいけないであります! 敵はどこからでも襲撃してくるであります!!」
かつて身を置いていた傭兵時代へと、すっかり囚われてしまった吹雪は、【軍事用段ボール】の中でひっそりと息を殺し、周囲を警戒する。
草を掻き分ける衣擦れの音と、ドガガガッ、と言う激しい銃声が、吹雪の耳に木霊する。
木々の隙間に、複数のゲリラたちの影が見える。
安易に足を踏み出せば、敵のブービートラップに引っかかって吹っ飛ばされる。何度も、そうやって吹雪の目の前で散って行った仲間たちを知っている。背後の仲間たちは、確かに特異者として多くの闘いを経験してきてはいるが、吹雪の身に沁みついている傭兵としての経験とはまた別のものだ。現状、最も頼りになるのは自分の経験と勘である。
そう信じて、吹雪は斥候として、最前列で隠蔽物に身を隠しながら、匍匐前進で周囲を警戒する。
「この動き、奴らとて捉えることは出来ないであります!」
吹雪は地を這い、時には【フリーランニング】で壁を伝い、瓦礫から瓦礫へと飛び移り、縦横無尽に動き回る。
過去へと囚われた吹雪は、終わりの見えない目に見えぬ敵との闘いへと身を投じて行ったのだった。
たった一人の『家族』と呼べた女性を失った過去と、その『家族』を守れなかった自身の弱さをまざまざと見せつけられた
水無月 望は、その時の屈辱を思い出し、不甲斐なさに唇を噛みしめる。
ともすればそこで、動けなくなってしまってもおかしくないほどのトラウマを前に、望は左頬に残る傷を掻きむしるように触れた。
痛みで、少しだけ冷静な思考が戻ってくる。
誰のせいでもない。家族を失ったのは全て、己の弱さのせいだ。
過去を幾ら悔いたところで、過ぎたことは覆せないし、決して消えることの無い現実なのだ。
(なら、ここで立ち止まるのか?)
望は自問する。何もかもを、投げ出してしまうことはそう難しいことではない。
(違うだろ……。立ち止まる事も後悔する事も、死んだ後で幾らでも出来る。それに、こんな奴に『家族』の死を侮辱されていいのか?)
望の過去を、己の為に暴き出す脆苦のやり方は、望にとって大きな意味を持つ『家族の死』を利用され、踏みにじられたことに他ならない。
(良い訳無いだろ…。ならやる事は一つだ、『家族』の死を侮辱したこいつに、死を以って報いを与えるっ!!)
俯いていた顔を上げ、望は脆苦を睨みつける。
「脆苦覆臓、お前は他者の命を奪う事の重さを理解してない。俺は殺しの業を背負う者として、他者を殺すという事がどういう事かお前に自らの死を以って分からせてやる!!」
振り切れた望は、【無心無想】で他の思考を一切捨て、それぞれの手に悪魔兵装である【Ketzer】と天使兵装である【Fanatiker】を構え、脆苦へと狙いを定めた。
「……神は、私を……見ていらっしゃらなかったのですね……」
クイン・ブロウハートの脳裏に懐かしい面影が浮かび、続いて弱々しくも悲痛な声が何度もその言葉を繰り返す。
クインの目の前で息絶えた恋人――彼女の言葉は、クインの心に深い傷を刻み、クインが神への信仰を捨てたきっかけともなった、その記憶が脆苦によって、いとも簡単に抉り出されて行く。
「彼女は……オレを信じて不幸になったのかもしれない……オレと関わりさえしなければ、彼女は――」
今までも、何度も自身に問いかけ続けてきた疑問が膨れ上がり、クインは自責の念に押し潰されそうになる。
クインが力無くその場に膝を折ろうとしたその時――屈んだはずみで、首にかけていた【天使散華】が視界に煌めいた。
導かれるようにそれに手を伸ばし、ロケットを爪で弾いて中身を覗き込む。
そこには、クインの横で幸せそうに微笑む恋人の姿があった。
(そうだ……何を信じなくても彼女だけは――オレと共に過ごした彼女が幸せであったことだけは、信じないといけない)
自分が信じなくて、誰が彼女を信じるのか。そしてその思い出を守るのは、自分自身だ。
「お前の低俗な悪魔で、彼女を汚すな……!」
脆苦によって、無遠慮に掘り起こされた記憶に激怒したクインは、脆苦との間に群れなす魔獣たちを【シャイターンハンド】による【サウザンドレイヴ】で叩き潰し、脆苦へと一直線に突き進んで行った。
白森 涼姫には、時折夢に見る悪夢がある。
まだ地球に居た頃からずっと、涼姫を苛んで来た夢だ。
手術によってもたらされた、身体の内部で起きる拒絶反応や幻覚の症状、そして痛み。
その元凶を滅ぼすのと引き換えに多くの仲間を失った、あの日の事。
それは、涼姫にとって忘れられることの出来ない、過去の惨劇だ。
けれど、今では涼姫を取り巻く環境も変わり、特異者として様々な世界を巡っている内に、時は少しずつゆっくりと、涼姫の心を落ち着かせてくれた。
そして何より、その夢には、悪夢だけで終わらない、涼姫にとって大事な思い出も含まれている。
――例え最後の戦いで死のうと心は何時も共に有る、だから生き残った奴はそいつの分まで前を向いて歩んでくれ。
仲間と交わした約束があるから、何度悪夢にうなされても、涼姫は今でも前を向いて歩いて行けるのだ。
「だからこそ……こんな所で、立ち止まる訳には行かないんですよ!」
涼姫は悪夢を振り払うように、大きく頭を振って、周囲を見回す。
「いけない……これは回復が先ね」
思った以上に脆苦の精神攻撃による被害が大きい惨状を見て、涼姫は【救急セット】を手に一番近くに倒れている者の傍へと行き、【ホーリーキュア】を発動した。