アンダーグラウンドの救命
数多彩 茉由良は市民の避難誘導を始めていた。
すなわち、人々が逃げるのを手伝っていたのだ。
すでにイーストキャピタル第3区――アンダーグラウンドとも呼ばれる旧市街地には、混乱が広がっている。人々は闇雲に市民を襲う魔人たちの恐怖から逃れようと、大聖堂へ向けて走り出していたのだった。
「こっち……! こっちです! みなさん急いでください! さあ、早く!」
その思いは十分に人々へと届いているのか、市民たちも急いで彼女が誘導する方へと逃げてゆく。
それを見ながら彼女は、悲痛な思いに胸を痛めていた。
(ヒドいです……平和に暮らす人たちを生け贄にしようなんて……)
それは今回の大騒動を引き起こしたモロク派の魔人たちに対する思いだった。
彼女にとっては、人々は守るべき存在だ。特に何の罪もない人々は、決して虐げられるべき者たちではない。
その為に、こうして騒動を聞きつけ、市民の避難誘導に駆け付けたのだった。
「アシュトリィさん、そっちはだいじょうぶですか?」
彼女が尋ねたのは、自身のパートナーである
アシュトリィ・エィラスシードだった。
「ええ、問題ないですわ」
そう頷いたアシュトリィは、自ら作った『バリケード構築』で市民の誘導を促していた。
「怪我をしてる人も何名かいらっしゃるようですけれど……『救急セット』があれば大丈夫ですわね」
そう言って、アシュトリィは避難中に怪我をした人々の応急手当へと動く。
それを見ながら
カラビンカ・ギーターも、自分に出来ることをしようと同じように『救急セット』で市民の怪我を手当することに動いた。
「わたくし……もしひどい怪我の方がいらっしゃいましたら、【癒やしの祝福】を使いますわ」
と、カラビンカは言う。
もちろん、無茶なことはしないつもりだった。
彼女たちとて限られた人員である。全ての者を【癒やしの祝福】で回復させようというのには無理があった。
その為、出来るだけ最低限の治療法で怪我人はまかなうつもりである。
と、そんな彼女らのすぐ横で――
「…………」
ナイア・スタイレスは周囲に警戒の目を向けていた。
彼女の役目は周りの危険を察知することである。
その為に、ワールドホライゾンに戻ったらご飯を奢ってもらう約束をしていた。
まあもちろんその為だけと言うと語弊はあるのだが――それでも、それが彼女の一つの原動力になっているのは確かだった。
ナイアの心の中には食への欲求がある。半吸血鬼でやたら喉ばかり渇くのが欠点だったが、それも少しずつ慣れてきたところだった。
と、そのナイアの近くで。
「何だか……似てる……」
チェーン・ヨグがバリケードの外に意識を移していた。
彼女の心の中にあったのは、彼女の故郷たるゴダムの光景だった。
無論、それは単なる錯覚のようなものに過ぎないと承知している。
しかしそれでも、彼女の目には、いまのこのアンダーグラウンドから逃げようとする人々と、それを襲う恐怖の影が、まるでゴダムの邪神群の脅威に怯える人々に重なって仕方なかったのだった。
まあ、とはいえ――
チェーンも、それでどうこうしようという気があるわけではなかった。
「…………」
彼女はただ、外の世界に意識を向けている。
ただそれだけだった。
「もう大丈夫。ここまで来れば安心だ」
そう言って人々を励ますのは、聖騎士たる立場に身を置いている
九曜 すばるだった。
とはいえ、彼は大聖堂から公認された騎士ではない。
人々の心は無論、聖騎士に対しては強い信頼を抱いているが、それだけでは彼の威光が届くわけではなかった。
まあ、だが……
(なに、気にすることはないさ)
すばるはそれよりも自分の足で、必死に人々に呼びかけて誘導を続けた。
彼は的確な土地勘とナビゲートを駆使して、人々を大聖堂への道へと促す。
それから子供相手には、特に目線を下げて応対した。
一方で
ヴェルデ・モンタグナはすばるを手伝うように市民を誘導している。
彼女は怪我をしている市民のもとに膝をつき、その怪我の治療に当たっていた。
「かの者の傷を癒やしたまえ……レフェクト……!」
治癒魔法が市民の傷を癒やす。
それに礼を言って、民はヴェルデのもとを去って行った。
「ふぅ……」
と、息をつくヴェルデ。
その時である。
「お疲れ様、ヴェルデさん」
彼女に声をかけたのは一人のアーライルだった。
雨夜 希月という名の特異者だ。
彼はこちらの世界とは異なる世界のアバターでいるためか、どこか動きがぎこちない。
それでも何とか金色のフルートを使って【愛の唄】を奏で、人々の心を癒やしていたところだった。
それを手伝うのは
第六級祓魔師である。
第六級祓魔師は希月のサポートで彼の持つ『療養のお香』の香りを広げ、それから子供たちに『スターキャンディ』を配って回っていた。まだ心に不安を抱えた人々であるが、それでも何とか、それで癒やしを届けている。
希月は痛む胸を押さえるような表情で人々を見つめていた。
「まさかこんな子供たちまで犠牲になるなんてね……。許せないよ」
と、希月は呟く。
「同感だな。俺も……せめて子供たちには……手を出さないでもらいたい」
すばるはそれに追随するように言った。
無論、ヴェルデも同じ気持ちである。
彼女もまた、困っている人を見過ごせるわけはなかった。
「とにかく、急いで街の人たちを大聖堂まで避難させましょう。それが、今のわたしたちに出来る一番の方法ですから」
彼女の言葉に、すばるも希月も頷く。
彼たちは人々の避難へ向けて、再び動き始めた。
●
アンダーグラウンドの混乱は広がりを見せ始めていた。
モロク派の魔人と、それが引き連れる魔獣の群れが、街の人々を襲い始めたのだ。
「このまま好き勝手にはさせません! 皆さん、早く逃げて下さい!」
そう言って街の人々を避難させているのは、教会所属の新米聖騎士である
小松智子(こまつともこ)だった。
彼女は聖騎士の受勲をついこの間に受けたばかりである。つまり、まだ聖騎士なりたてということだ。
だからかもしれないが、彼女はどこかぎこちない動きで人々を誘導している。
それを助けるのは
青樹 洋たちのような特異者であった。
「智子殿、敵の魔人は魔獣を引き連れています。早急に撃退が必要かと」
「わ、分かりました……! 時雨さん!」
「ああ、任せとけ。敵はこっちで引きつける」
そう言ったのは聖騎士の
時雨 樹夜だった。
彼は正式にセフィロト教会から聖騎士の公認を受けた特異者である。
その為――彼の指示には民も素直に従ってくれる。
樹夜は指揮官である智子の命令通りに、民を襲撃する魔人へと迎撃に向かった。
「貴様らは……この俺が塵に還してやろう!!」
そう言って樹夜は悪魔アバドンをその身に憑依。
【デモンブレス】はアバドンから放たれる闇の波動である。それが群がる魔獣――ドーベルマンのような大型犬に悪魔が憑依したものである――を弾くように吹き飛ばす。それから【ソリッドアーツ】を交え、敵の隙を見つけ出した。
「そこだッ!!」
放ったのは、黒鍵と称す投擲武器である。
主の意思に従うがごとく手に馴染むその短剣は、樹夜の意のままに動き魔獣を切り刻む。
ドスッ! ドスドスッ!
短剣の突き立った魔獣は致命傷を負い、【ソルトブレイク】によって塩の柱と化してしまった。
「ふぅ……」
息を吐く、樹夜。
そのすぐ後ろでトラックに連れて行かれそうになっている民を、
金剛 誠が救っているところだった。
「さすがに生け贄とかは引くわー……。つーわけで俺も錬金術師の端くれだし、好き勝手にはさせないぜ?」
そう言って、彼は錬成による【泥の手】を放つ。
それは地面にある土を変化させて操るもので、巨腕と化した泥の手がトラックの進行を邪魔した。手が掴んだのは、トラックのタイヤである。おかげでトラックがキィィィッと音を立ててスリップした。
そのまま、けたたましい音を立てて横転する。
「今だ! 風花!」
「…………」
頷いて、
雪月 風花が横転したトラックに駆け寄る。
医療の錬金術師と共に彼女は、横転したトラックに乗せられていた人々を救い出した。
医療の錬金術師は怪我をしてる者を優先的にトラックから降ろす。そして風花は生け贄になりかけた人々を全て救い終えると、誠へと視線をやった。
「…………」
「よし、じゃあ行くぞ!」
誠はトラックから降ろした人々を連れて、避難ルートへと彼らを導く。
その間に、駆け付けてきた青樹洋や小松智子らが魔人の相手をすることになった。
「誠君! ここは私達に任せて、さあ早く!」
「わ、悪い……! 恩に着るぜ!」
そう言って去って行った誠たち。
洋は状況を的確に判断し、智子に
マルコキアスや
蘇枋 鶸達へと指示を出すように促した。
「智子殿、まずは市民の避難が最優先です。魔人の相手は私達に任せて、早く民の避難を」
「は、はい……! 分かりました……!」
智子は頷く。それからマルコキアスや鶸達に指示を出した。
「市民の避難を最優先! それから、魔人の各情報をこちらへ伝達して下さい! 余裕のある者は、魔人たちの迎撃を!」
そう叫んだ智子の指示に従って、マルコキアスと鶸が動き出す。
マルコキアスは魔人の動きを彼女に伝え、鶸は人々が避難する道を確保して、そちらに民を誘導した。
「魔人、来ますっ――!!」
「!?」
と、誰かが叫んだその瞬間、魔人の攻撃の手が智子へと迫った。
だが――
「させませんッ!!」
ガィンッ!
それを振り抜いた『ホライゾンブレード』で受け止めたのは、
ルーシェリア・クレセントだった。彼女はそのままブレードの刃を押し込み、魔人の鋭く伸びた爪を思い切り弾き返す。
鋭い打撃音と共に吹っ飛んだ魔人は、しかしひゅっと空中で一回転。
スタッと地面に降り立ち、ルーシェリアを見てにやっと笑った。
「ルーシェリアさん……」
「無事で良かったですぅ、小松さん」
ルーシェリアは魔人に視線を向けながらも、小松を見やるようににこっと微笑んだ。
「アンダーグラウンドのみんなを守るだけじゃなく、小松さんも自分の身を守らないといけないんですぅ。そういうわけで、私は自分が出来ることを――」
その瞬間、魔人が隙を見て襲いかかってくる。
が、ルーシェリアは鋭く剣撃を放った。
「――させてもらいますぅッ!」
ガィンッ! と、今度は容赦ない一撃で魔人を吹き飛ばすルーシェリア。
「お話の途中で邪魔するのはメッですよぉ。そういう悪い子はおしおきが必要なんですぅ!」
そう言って彼女は、再び魔人と一対一の戦いに持ち込んだ。
バシィッ、ガィンッ、と、刃と刃のぶつかり合う音が聞こえる。
それはルーシェリアの戦いであって、その間に智子たちは人々の救助へと動くことが出来た。
「洋さんっ! あれはっ……!」
「あれは、新しいトラックかっ……!?」
と、洋は智子と共に、新たなモロク派のトラック部隊が到着するのを目にする。
その脅威を止める為に、彼らはトラックの足止めへと動き出した。