ためらい街の人々 2
そんなようにして、各々手を尽くして、目的が一致しているかどうかはともかくとして、ためらい街の人々と共に猫探しに奔走していたが、勿論全てが順調に行っているわけではなかった。
半信半疑だろうと、やる気がなかろうと、または煽られるにしても、人の話に耳を傾けるのなら、まだ良い。
ためらい街の住人達の中には、人の話を聞こうとしない者……耳を塞ぎ、引き篭もっている者や、人の話を聞く気力すら失っている者もいる。中でも最もたちの悪い者は、相手の言葉を聞くこともせず、ただ他者への敵意だけで暴力と言う手段に出ようとする者達だ。
ノナメ・ノバデは、そんな住人達に立ち塞がられ、困ったように眉根を下げた。
「急いでいるので、そこを通していただきたいのですが」
猫について聞いてみれば、知らないと笑われ、できるだけ丁寧に話しかけてはみたが、聞く耳持たずと言った様子の住人達は、へらへらとしたまま動く気配がない。囲まれているわけではないので、下がれば逃げられなくはないだろうが、そうすると別の分岐まで相当戻らなければならず、かなりの遠回りとなってしまうのだ。時間が惜しい今、そんな無駄な事はしていられない。
「私とキミ達では、実力が違います」
ノナメは事実を淡々と口にした。
「無理矢理押し通るようなまねは、したくありません。道を空けてくれるだけで、結構ですから」
お願いできませんか? とあくまで口調は丁寧だが、はた見にはかわいらしい少女の姿でそんな風に言われても、男達には冗談にしか聞こえなかったのだろう。へらへら笑いを更に強くして、一歩を踏み込んでくるのに、ノナメは更に困ったように眉を寄せた。
「お願いします。怪我をさせてしまうのは、本意ではありません」
半ば懇願するように、丁寧に実力差について説明を続けてみても、男達の様子は変わらない。その力に差があると、相手の実力を見極める、ということも難しいのだ。ノナメは仕方がありませんね、とため息をついて九字を切った。とたんに眩しい光が男達の目をくらませる間に、ノナメはその隙間をくぐり抜けたのだった。
「戦いに無縁な人たちに退いてもらう、というのも……案外難しいですね」
ランチア・ストラトスもまた、同じように街の特異者達に難儀している内の一人だった。
ドリームクレヨンで作り出した幻獣に乗り、カツオブシコークを竿に吊らして街を探し歩いていたのだが、何しろ地図も無く土地勘もなく、闇雲に探し回っているのだ。現在地も把握していないランチアだが、それを気にした風もなく、路地裏やらをきょろきょろと歩き回っている所だ。
「ねこさんどこー?」
さんぜんねこを呼びながら、うろうろと迷子の子猫を探していると、女の子一人でとぼとぼと歩いているように見えたのだろうか。怪しげな男が近付いてきたのに、ランチアは「もう」とうんざりしたようなため息をついた。
実はもう既に何度も、この手の輩に行く手を阻まれているのだ。親切そうに近寄ってきたり、あるいはひったくりであったり、もっと悪いと、徒党を組んだチンピラに囲まれそうになったのだが、相手がどういう手合いであれ、ワールドホライゾンに召還された特異者に違いない。まさか殺してしまうわけにもいかない。
「急いでるのに邪魔だなぁ」
ぼやきは思わず口から漏れていた。とたんに態度が不穏なものに変わった男に、ランチアのアカシックスピアの一撃が鮮やかに振る舞われる。一閃。それだけでぱったりと倒れてしまった男にふう、と息をついた。
「もう、何なのよこの人達は……」
一人一人は大したことはないし、後れをとるランチアではないが、邪魔ではあっても敵ではないのだ。手加減をすると言うのもなかなかに面倒なものであるし、何より近付いてくる人たちの態度がまた、気持ちがよいものではないからなおさら疲れてしまう。
「こんなところで、ねこさん……迷子になってなければ良いけど」
呟いて、とぼとぼと猫探しを再開したランチアが、自分の方が迷子になっている、と気づくのは更に後になってからのこと。その間に、出会う不審者、出会うチンピラをのして歩いていったため、ためらい街の治安向上に一役買ったのは、本人の預かり知らぬことであった。
同じ絡まれるのでも、
ライオネル・バンダービルトの方は、もう少し対応が違ったものだった。積極的な邪魔、と言うよりは殆ど、街の外の特異者への嫌がらせ、と言った様子で近付いて来た住人達に対して、ライオネルは口を開いた。いつからここに、そして何故こんな場所で燻っているのか。その問いに顔を見合わせる男達に向けて、ライオネルは眉を寄せた。
「自らの意思で、ここに来たのではないのか」
軽い憤りの篭った言葉だったが、気付いているのかいないのか、住人達は鬱陶しそうに肩を竦めて見せた。
「そりゃあ、最初はそうだったさ。けど実際にはどうだ? 戦い戦い、戦いばっかりで飽き飽きしてんだよ」
一人が言えば、もう一人も同意するように肩を竦める。
「大体、おかしいじゃねえか。特異者ったって、俺たちはただの一般人だったんだぜ」
世界を救うだのなんだの、出来るはずがない。異世界なんてわけのわからない場所で死ぬのは阿呆らしい、と半ば馬鹿にしたような物言いをしだしたのに、ライオネルは眉間に皺を寄せながら、辛うじて怒鳴るのを堪えた、といった口調で問いを重ねた。
「一般人だろうが何だろうが、己を磨けば強くなれる。戦わずとも、力を合わせることも出来よう」
何故そうしようとしないのか。こんな場所で誰かの邪魔をしながら、生きているのか。訴えるようなその言葉も、彼らには届かないようだった。
「そんなもん、あんたらみたいな“強い奴”がやってろよ」
その一言は、ライオネルの逆鱗に触れた。
「自分の無力を恥じようとも、別な事で補いもせず、引き篭もり……あまつさえ指摘されれば終いには開き直り……醜い事この上ないな」
こめかみに青筋を浮かばせながら、独り言のように漏らす、怒気の篭った言葉は、それだけで男達を怯ませたが、ぎらり、と気迫が篭った目は敵意ではなく、殺意だった。
「……そんな性根では、生きていても辛いだけだろう。殺してやる」
言うが早いか、辛うじて危険を感じられる程度には聡かったのか、逃げ腰になった男達に向けて、ライオネルはためらいなく剣を振り下ろした。一撃目は辛うじて避けられた。だが、そのまま横なぎに払われた柄が深々と一人目の鳩尾に食い込み、吹き飛ばされた体に巻き込まれて、他の男も床に転がった。
それを無様と、ライオネルは剣を振り下ろそうとして――
「はい、そこまでよ」
割り込んできた声に剣先を止めた。
「それ以上は、弱いものいじめだわ。覚悟の無い人を斬っても、誰のためにもならないわ」
そうでしょう、と諭すように言って、
陰元 苑香は両者の間に滑り込むようにして割って入ったので、流石に剣先は下ろせず、苑香のほうにも引く気配がないと見るや、ライオネルは忌々しげにではあったが、剣を引いた。
「くだらない奴等に構って、時間を無駄にした」
侮蔑に満ちた言葉を残し、ライオネルは踵を返すと、まだ怒りの冷めやらぬ様子で足音高く、さんぜんねこ探しへと戻って行ったのだった。
その背中を見送って苑香はふう、と息を吐き出して、叩きのめされた男達のそばにしゃがみ込んだ。
「立てる?」
そう言うと、他の住人達より、比較的軽傷だったらしい一人がのそりと起きあがった。どうやら受け身をうまく取ったらしい。それを不思議に思って苑香は口を開いた。
「あなた、本当はそれなりに戦えるんじゃないの?」
その言葉に、男は苦く笑った。聞けば、地球にいる頃も格闘技をかじっていたらしく、最初の頃は前線で戦ってもいたらしい。だが、それも長くは続かなかったのだという。
「敵を倒せなくなっちまったんだよ。倒して、殺すのが……怖くて」
強くなるたび、敵も強くなってくる。手加減もできなくなって、命を奪わなければならないこともあって、そこで、ためらってしまったのだ、と男は頭をかいた。地球では、家畜一匹殺すことなく生活していたのだ。一度迷いが生まれると、後はなし崩しで戦いの場に立てなくなっていったのだという。だが、一度手に入れてしまった強さを手放す勇気もなく、くすぶったあげく、周りに流されるようにして至ったのが、この状況らしい。この街には、戦うことを恐れたのではなく、男のように傷つけることを恐れた者や、戦いへの徒労感にくじけた者など、様々な理由の者がいるのだ。
苑香は男や、ようやく目を覚ました住人達からの話をただ黙って聞きながら目を細めた。勿論、臆病さで戦いから逃げた者もいるだろうし、憧れと違ったという理由で縮こまっている者や、先ほど彼らの一人も言ったように、自身の命を余所の世界の為に使えない、といった理由の者も多いのだろう。結果的に、足を鈍らせた彼らは確かに弱いのかもしれない。だが、ヴォーパルの呼び声に応え、自らの意志でここへ来ることを選んだその決意は、皆同じはずだ。
「戦えないから……ここで燻っているのは、勿体無いじゃない」
そう言って、ちらりと向けられた苑香の視線に
シャドウキャビネットが頷いてみせ、苑香は困惑した様子の男達一人一人の目を覗き込むようにして「あなたたちには、あなたたちのやり方があるはずよ」と諭すように言った。力がなくとも、あるいは傷つけたりしなくても済む方法。それでなくても、きちんと組織立てた集団を作ることが出来れば、少なくともためらい街に対する評価は違ったものになるはずだ。
「わたし達も協力するわ」
それに勇気付けられるように、その目が違う光を宿したのを見て、苑香はにこりと笑った。
「まずは――さんぜんねこさがし、手伝ってもらえるかしら?」
丁度、時を同じく。
縞田 瑪瑙たちは、奇しくも苑香と良く似た動機を持って、ためらい街を歩いていた。
最初は、住人を動かすために、市長たちに賞金なりの報酬を提案したのだが、それでは自発的にさんぜんねこを探そうとしてくれている特異者たちの気概に水を差しかねない、ということで、検討するとは告げられたものの、首が縦に振られることはなかった。
「まぁ、情報を得られただけマシ、というところですか」
呟き、瑪瑙が訪れたのは、ためらい街の顔役となっているらしい人物の住むという場所だった。彼らに、市長達にはためらい街への排斥の意思は無く、その安全を守ろうとしていることを伝えるためだ。
「しかし……一体どんな人物なのでしょう」
特異者としての行動にためらいを持っている者達の中でも、その理由が少し変わっているらしいが、詳しいことは判っていないようだ。軽い緊張と共に、その場所を訪れた瑪瑙だったが、その足を止めさせたのは道を通せんぼするように立ちはだかった男達だった。身構えた瑪瑙だったが、暴漢の類ではなかったらしく「街の住人以外には会わないそうだ」と、顔役の伝言を伝えてきた。
「伝言があれば聞く」
その言葉に、瑪瑙は界霊のこと、さんぜんねこの状況などを説明したが、それについては男達は「知っている」と首を振った。彼らの中にも、独自の情報網があるのかもしれない。街中で錯綜している情報のうち、どれが正しい状況なのかも、彼らはある程度把握しているのだろう。それでもあえて動かないでいるのだ、とは判ったが、それについて批判するでもなく口を噤んでいると、通りすがって合流した
影護 刃が「美味い話だとは思わないか?」と口を開いた。
「この街の人間を総動員すれば、足りない人の手が足りる。さんぜんねこを見つけられる可能性が高い」
刃の言葉に、男の一人は懐疑的な表情で「それの何が美味しい?」と首を傾げ、例え交渉した所で市長達から賞金等は出ないことを知っている瑪瑙もどきりとしながら聞いていると「恩を売ることができる」と刃は言った。
「さんぜんねこの保護は、ワールドホライゾンを守ることに直結しているからだ」
それを実績にできれば、三千界への調査と言う任務の代わりに、ワールドホライゾンを守るという仕事を獲得する名目になる。今の所はためらい街と言う存在を黙認されているが、それが犯罪に結びつくようなら、放っておく訳にも行かなくなる。目を付けられるようなことはするべきじゃない、と刃は目を細めた。
「それよりは、恩を売ってお互いの利益につなげた方が、建設的じゃないか」
その言葉に、顔を見合わせる男達に、瑪瑙が続けた。
「戦う事をためらうのが、悪いことだと考える特異者は多くないでしょう。私は、私の利己的な欲求を満たすために戦っていますが、誰しもそんなわけにはいかないのは、理解しています」
男達は、自分たちの躊躇う理由を思い出してか、苦い顔をしたのに、瑪瑙は逆ににこりと軽く笑いかけた。
「でも、小さな子猫を助けることを、ためらう理由はないでしょう?」