08.武装がないなら拳を使えばいいじゃない
一定に保たれていた倉庫の温度が冷却魔法の停止で徐々に上がっていく。
そして遂にヘヴンスライムの融点を超えてしまった。
幸いにも小箱に保管されていた粘液は、毛皮や小箱のお陰で低温を保たれていたので内側から溶け出すということはなかったが、信徒の放ったヘヴンスライムは活動を開始していた。
最悪の事態はそれに留まらない。
倉庫を調査した結果、粘液だけでなくヘヴンスライム本体も大量に冷凍保存されていた。まとめられて体積が大きくなったのが原因で、まだ溶け切らずに動き出していないが、それも時間の問題だった。
「私の前でルージュを辱めようとするなんて、許すわけないでしょう?」
優・コーデュロイは、足元から密かに
ルージュ・コーデュロイを襲おうとしたヘヴンスライムを、大剣を振るった衝撃波で吹き飛ばす。
「お触りは禁止よ」
ルージュは床を転がったヘヴンスライムを氷結魔法で凍結させた。
倒そうにも強力な消化能力によって触れた装備は使い物にならなくなるので、今のところ凍り付かせるのが最速の対処方法になっていた。
「決着を急がないと不味いわね」
優は棚の向こう側に隠れるイサムの姿を見付けて眉をひそめた。
完全に時間稼ぎを狙っている。引き延ばせば勝利できると確信しているようだった。あるいはヘヴンスライムで満たせば敵味方含めて全滅するので、ホームである向こうが有利であると考えているのかもしれない。
優の背を押すようにルージュの纏う空気が変化する。
天技【勇愛の舞】の発動で、背を向けた優にもルージュの舞が伝わってきた。
――優は私の人よ。何があっても心を独り占めするのは私以外ダメよ。
涼しい顔で舞い踊りながら、ルージュの心は独占欲に満ちた重い情念が渦巻いていた。今夜は眠れない夜になりそうだ。頑張れネコちゃん。
勇愛の愛が強過ぎる支援を受けて、優は【メガブレイク】で棚ごとイサムを吹っ飛ばした。
砕け散った棚の残骸からイサムの腕が突き出てくる。
イサムは埃を被った学ランを脱ぎ捨てると、シャツの袖を捲り上げて手甲を付け直す。
「俺はここを死地と定めたぞ」
気配が変わった。
長年の戦闘経験がすぐにでも倒すべきだと警鐘が鳴らす。
優は瞬時に距離を詰めて、大剣で全力の刺突を放った。
「頑丈ね」
額から流れ落ちた一筋の汗が頬を伝っていく。
天技【絶対貫通】を付与した刺突は手甲を砕き割って、イサムの肉体に届いた筈だった。しかしグレートソードに目を落とすと無惨にも刃が溶け落ちていた。
装備を失ってしまい、これ以上はルージュを守り切れない。
優は撤退するべきかどうか悩んだが、舞を通して伝わってくるルージュの想いに応えるべく、近付いてきた信徒から【プランダー】で装備を奪い取った。
「そうね、私はまだ足掻けるわ」
「そんな頑丈なら着込む必要はないだろ? 装備を溶かし尽くすのが価値観ならイサムも裸を晒したらどう――イタァッ!!」
「そういう問題じゃないでしょ!」
ズレた挑発をする
二階堂 壱星の頭に
エミーリア・ハイセルターの拳骨が落とされた。
「ってなんで脱いでるのよ!?」
「もう着ることはできないからな」
イサムはすべての服を脱ぎ捨てて鍛え上げた肉体を曝け出す。
LV2の天技で刺し貫けない肉体。その理由はもちろんイサムの天技【素裸為武】によるものだった。彼は自分自身の体に天技を付与したのだ。
もはや自らも装備を身に着けられなくなったが、その代わりに「身にまとうものを溶かす」効果が攻防一体の能力になっていた。
いや、彼にはまだ一つだけ使える武器が残されていた。
イサムは地面を這うヘヴンスライムを掴み取る。そしてグローブをはめるように両手に纏わせた。
「寄るんじゃないわよ、この変態!」
「レディの前で失礼した。これで許してほしい」
エミーリアの放った鋭い刃と化した草葉は、両腕の粘液に絡め取られて威力を失ってしまう。そして股間を覆い隠すように貼り付けられた。葉っぱ一枚あればいい。古くはアダムとイヴも用いた裸体隠しの方法である。
「……セーフ?」
「アウトよ」
壱星とエミーリアは気が抜けそうな言葉を交わしているが、内心では焦っていた。
相手は筋肉モリモリマッチョマンの変態とはいえ間違いなく強い。
これまで以上に気を引き締めて戦わなければ、こちらも全裸にさせられる。なんという過酷な戦場か。
「まずはその厄介な手を対処させてもらうわ!」
エミーリアはこれまでの戦闘で明らかになったヘヴンスライムの弱点を攻める――即ち火属性魔法だ。ヘヴンスライムが動き出してしまった現状、もう多少の温度の上昇を気にしている余裕は残されていない。
アダマンロッドの先端から火炎放射が迸る。
手元に広がる熱の余波だけで、ヘヴンスライムの接近を阻んだ。
「逃がしはしないぞ!」
イサムが回避する方向に、壱星が先回りしていた。
ミスリルランスの穂先とイサムの拳が正面からぶつかり合う。恐るべきはレベル文化――素手にランスが弾かれるという来訪者には理解し難い光景が広がった。
「やられたっ!?」
イサムの右手に纏わり付いていたヘヴンスライムが壱星の槍に乗り移っていた。丁寧に整備していたお陰で侵食を耐えてくれているが、いつまで持つかは分からない。もしも体に触れられてしまえば、床で喘いでいる犠牲者の仲間入りだ。
「壱星っ……!」
苦しそうに呼び掛けてくる声に振り返れば、エミーリアが自分の体を抱き締めて震えていた。
すぐに全身を確かめるがヘヴンスライムに襲われた痕跡は見付からなかった。頬を赤く染めて、艶めかしい吐息を漏らすエミーリアを見ていることしかできなかった。
「これは、吸い込んで、しまったのね」
原因はやはりヘヴンスライムだった。
火属性魔法の発動が止まるのと同時に、気化した粘液が周囲に立ち込めて呼吸と共に取り込んでしまったのだ。
エミーリアは自分の意思を無視して体の芯が疼く感覚に振り回される。なんとか快楽に堪らえようとその場に蹲った。へへっ、私は「息切れIC」を見逃しちゃいねーぜ! アドリブ歓迎の洗礼を受けるがいいさ!
危機的に状況にあっても壱星の視線が引き寄せられてしまうのは仕方のない話だろう。純然たる好奇心だ。……許せ、彼も男である。
なんて不名誉な誤解はすぐに正そう。
エミーリアの悶える姿にイサム攻略の手掛かりを得たのだ。
壱星はエミーリアに這い寄るヘヴンスライムを素手で掴み上げて、更にその場で深呼吸を繰り返した。
「くっ……これはきついな! だからこそ、存分に味わいやがれ!」
すべてがドロドロに溶け落ちていく中で伴侶への想いで理性を繋ぎ止めて――天技【ペインシフト】を発動した。
「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおっ!!!!」
イサムの野太い絶叫が倉庫に響き渡った。
何らかの方法でヘヴンスライムの影響を防いでいたようだが、今この瞬間に壱星が一身に受けている錯乱の状態異常――快楽の塊を移し替えられては防ぎようがなかったようだ。
まるで図ったように倉庫を照らしていた光が潰える。
擬似的賢者モードになった壱星は今の内にエミーリアを背負って暗闇に紛れて倉庫を脱出した。
* * *
次々と活動開始するヘヴンスライムによって、もはや倉庫内に逃げ場は失われた。
「少しでも長く戦って……皆様の力に……!」
人見 三美は踏み留まって戦い続ける一人だった。
光を灯す余力は残されていなかった。
必死の抵抗で振り回していたスターフレイルは既に失われており、つい先程、ミスリルシールドがヘヴンスライムの餌食になった。ところどころに穴が空いてしまったアダマンクロークが身を守る唯一の装備だった。
誰もが装備を失いつつある戦場で、目覚ましい活躍する一人が実のところ三美である。ヘヴンスライムの対処が戦闘の中で確立され始めており、その方法を誰よりも上手に実践できたのが彼女だった。
「やぁっ――!」
裂帛の気合と共に放たれる拳は、粘液を一瞬で突き抜けてヘヴンスライムの核を打ち砕いた。
LV6の拳ともなれば、この世界では先程まで振るっていたスターフレイルよりも強力だった。
三美の強さは同時にイサムの強大さも表していた。彼もまた職能は格闘家であり肉体こそが最大の武器だった。
「ここまでしてやられるとはな。完全に潰させはしない。ヘヴンスライムがあれば我々は再起できる!」
信徒の一人が捨て身で襲い掛かってきた。
三美は接近を許してしまうが、密接した状態でも【ワンインチアタック】によって的確に反撃した。
内臓に響く一撃に、信徒は崩れ落ちるが口端を吊り上げていた。
「ああっ、スライムが!」
接触することが目的だった。自分の身を犠牲にヘヴンスライムを付着させてきたのだ。元気に這いずり回る粘体によって外套を溶かされていき肌が露わになっていく。
「はぁ、はぁはぁ……」
なんとか核を破壊できた時には、三美はあられもない姿になっていた。溶けた隙間から胸元が覗いており慌てて腕で覆い隠した。
脂汗を流しながらも不敵に笑う信徒に目を向ける。
三美と目が合った瞬間、信徒の顔から余裕の色が消えた。
慈悲無き拳が振るわれる。それは信徒が女体に恐怖を抱くようになるまで続けられた。実は視界の暗さでまともに見えていなかったのだが、乙女の純情は高いのである。
信徒がぼこぼこに殴られるている間も戦いは続く。
水元 遥もまた満身創痍の様相を呈していた。倉庫の外で既に盾を失っており、今はもう剣も失われていた。
身に付けた防具はもはや無事なところの方が少なく、水玉コラを作ったら良い感じに仕上がりそうな状態だった。
倉庫の暗さに目が順応して近くであれば問題なく見通せるが、それは彼女の艶やかな姿が周りにも見えているということでもあった。
「とりあえずガン見してる悪い目からお仕置きね」
遥は胸元と局部を腕で隠して、復活を果たしたイサムを睨み付ける。
イサムの頭は押し付けられた快楽によって学生服に相応しい思春期まっしぐらの状態に陥っていた。そんなおサルさんの前にぼろぼろの女騎士というクッコロ界で殿堂入りを果たすオカズを差し出されては、食い付かない方が無作法というもの。
「天技【聖剣抜刀】!」
剣はこの心に在り。
自らの記憶から具現化された聖剣を大きく掲げる。
聖なる光が迸り、不届き者共の目を焼いた。
「最後に言い残すことはあるかしら?」
それは笑顔と言うには余りにも殺意が込められていた。
本能が剥き出しになっているからこそイサムは理解する。
――今すぐにこの場を離れなければっ!
しかし、遥が指をバキバキ鳴らしながら問い掛けたタイミングで、イサムの背後を取るように
ジェノ・サリスが現れた。
「知らなかったのか? 冥土様からは逃げられない」
LV7を誇る冥土服によって防具は無事だったが、その手に掴む武器はなく拳を握り締めるのみ。
「イサム、君を捕まえるまで、冥土様は殴るのを、やめない!」
背後からは武闘家のLV6の拳が叩き込まれて、
「これは盾の分! これは剣の分! これは外套の分! そしてこれは乙女の肌を見た罰よ!」
正面からは遥の拳が【メガブレイク】を打ち込まれる。
もう誰も彼も少なからず理性を失っていた。
最後に勝つのは暴力――イサムは殴られ続けて正気を取り戻しく中で、自分の選んだ天技【素裸為武】にこれまで気付いていなかった自分自身の本質を見付けたような気がした。