07.逃れられぬ者
柊 恭也は手の甲に触れた冷たい感触に、ヘヴンスライムの接近を許してしまったかと歯噛みするが、すぐに勘違いだったと気付く。
「……雨か」
重苦しい灰色の空を見上げると、雨がぽつぽつと降り始めていた。
ウーブレック村に集まった信者の行いに創世神が嘆いているのかもしれない。
「絵面は最悪だが、物は使いようだな」
恭也は広場に響き渡る嬌声に地面を見下ろす。
地面に転がされていた村人は骨を砕かれた痛みに呻くのではなく、今はヘヴンスライムの与える快楽によって喘いでいた。
多くの村人に囲まれて加減も難しかったので、便利な痛み止めが見付かって大助かりだ。ヘヴンスライムに敵味方を判別する高度な思考能力はないので、近くに転がしてやるだけで勝手に襲ってくれる。
「これだけやっても次から次へと、どこから湧いてきやがるんだ?」
恭也は大剣を構え直して、中央広場に集まってきた村人を見回した。
村の規模に対して人が多い。歴史を紐解けば色々と見えてくるのかもしれないが、今は理由なんてどうでもいい話だった。
「いいぜ、どんどん集まってもらおうじゃないか。まとめて相手してやるよ」
天技【ギガンティックアーム】によって、恭也の背後に巨大な機械の腕が具現化した。
どよめく村人の眼前に拳を握り締めた機械腕を叩き付けた。
地面は砕けて土煙が舞う。
村を守るために決死の覚悟を抱いた心を一撃で砕いた。多くの村人が蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。これで助けを求められた信徒が中央広場にやってくるかもしれない。そこまで高望みしなくても、逃げた村人に他の来訪者を妨害するような気力は残ってはいないだろう。
まだ広場に残っていた村人には、機械腕で樹木を抜き取って目の前で圧し折ってみせる。自分の体と重ね合わせた村人は抵抗の意志をぽきりと折られた。
* * *
逃げ惑う村人を必死に落ち着かせようとする老齢の男が居た。
威厳のある声音と振る舞いは、村の中で立場のある人間だと分かる。声を掛けられた村人に村長と呼ばれているのが聞こえてきた。
「村長さんに付いていれば何か手掛かりが掴めるかも」
パレード ロェは民家の陰から村長の姿を目で追った。
パレードの目的は捕らわれた調査隊の救出だ。
紹介状を使って潜入した
川上 一夫の救難信号で早急に救出できたかに思えたが、地下室には調査隊に参加していた
アレクの姿は見当たらなかった。
必死の捜索も虚しく未だに手掛かりは掴めていない。
パレードは救出された調査隊の体液に塗れた悲惨な姿――本人は実に幸せそうではあったが――を思い出して胸を痛める。
早く見付け出さなくては、と覚悟を新たに村長の追跡を続ける。
陽動のお陰で目立たないように動いてる限りは、雨の影響もあって非戦闘員である村人達に気付かれることはなかった。
「何を話しているのかな?」
村長は村人と擦れ違う度に声を掛けている。
倉庫や研究所のある方角を指差しているので、向かうように指示を出しているのかもしれない。残念ながら雨音のせいでほとんど聞き取れず、切迫した様子だけが伝わってくる。
怪しいとされていた二つの建造物には他の来訪者が向かっているので、パレードは村長の追跡を継続する。
村長の足は民家の前で止まった。
パレードの隠れる物陰を振り返ったのでドキリとする――しかし村長は辺りをきょろきょろと見回すと民家に入っていった。どうやらパレードに気付いたわけではないようだ
重要な場所だからこそ誰かに見られていないか確認してしまったのだろう。素人故の失敗だった。
「こんなところに罠が……」
パレードは雑草に隠れるように設置されたワイヤーを見付ける。
気付かずに足を引っ掛けていれば大きな音を立てて侵入に気付かれていただろう。単純な作りでレベルの低い罠だったので【コントロールトラップ】ですぐに解除できた。
隠れて村の中を移動する中で、ヘヴンスライムとは何度か遭遇したが罠を見掛けることはなかったので、やはりただの民家の周りに罠を仕掛けられるとは思えない。
「――っ!?」
近くの茂みからがさがさと物陰が聞こえてきて息を潜めた。
同じく茂みの中からパレードの気配を感じ取った
弥久 ウォークスと
弥久 佳宵は、依頼を受けた仲間だと気付いてお互いに安堵した。
二人は地下室で救出した者達を安全な場所まで連れ出すと、残された調査隊を見付けるべくこうして村の中に戻ってきていた。
「なるほど、この民家が怪しいと」
「もしも調査隊の方が捕らわれているようであれば、すぐにでも踏み込みたいですね」
ウォークスと佳宵はパレードからの情報共有を真剣な顔で聞いていた。
地下室の惨状を思えば、あの時から更に時間の経過した調査隊の尊厳が無事であるか気掛かりだった。
「温存できた切り札を使うとしよう!」
ウォークスは天技【俺召喚!】を発動した。
鏡写しのようにそっくりなウォークスの分身が出現する。
創世神に授けられたチートスキルとはいえ、流石に望んだアバターの姿で指定したスキルと武装を持った分身を生み出すことはできなかった。ただ生み出された分身は現在のウォークス自身と同等の能力と装備を身に着けているので強力な戦力になるのは間違いない。
ウォークスは佳宵とパレードと共に身を隠して、分身体を民家に向かわせる。
本体の動きをトレースするように分身体は動いて――玄関の扉にスターフレイルを叩き込んだ。騒ぎに気付いた信徒が二人、民家から飛び出してきた。
「貴様、何をしている!?」
「待て! どこに行くつもりだ!?」
背を向けて駆け出した分身体を信徒が慌てて追い掛けていく。
「今の内に民家の中へ入るぞ――いや、待て!」
ウォークスは立ち上がろうとしてすぐに屈み込んだ。
信徒の一人が引き返してきたのである。
地下室に捕らえていた調査隊の救出は伝わっていて、陽動を警戒しているようだった。
「相手が一人だけなら、これが使えるかも」
パレードは『体力ポーション』を取り出した。
本来であれば回復薬が入っている瓶にはヘヴンスライムが閉じ込められていた
。村の中で襲われそうになった時、信徒が小瓶に入れていたのを聞いていたので真似をしてみたのだ。
パレードは民家の中に戻ろうとする信徒に向けて瓶を投げ付けようとして――独りでに瓶が砕け散った。信徒は小瓶を冷やすことで活動を抑制していたのだが、対策を施されていないポーション瓶ではヘヴンスライムを封じ込めることはできなかったのだ。
音に気付いた信徒が三人の隠れた茂みに向かって近付いてくる。
ヘヴンスライムを引き剥がそうしてくれるウォークスと佳宵に向けて、パレードは首を横に振った。羞恥心に震えながら無言で民家を指差した。
覚悟を受け取った二人は、パレードの立てる音にまぎれて民家に忍び込んだ。
「はぁ、はぁぁ」
それを見届けたパレードは口元を押さえていた両手を離して熱い吐息を漏らした。ほとんど水着のような格好だったため、ヘヴンスライムが肌に直接接触するのが早く――皮膚を通して催淫効果がすぐにパレードを襲った。
ただでさえトロンと眠そうな目が、快楽に染め上げられて虚ろになる。
近付いてくる信徒の姿がぼやけて見えた。ヘヴンスライムに襲われているのを目にして、信徒は手出しする必要がないと判断したのか民家に戻ろうとする――その背中に最後の力を振り絞って『魔力ポーション』を投擲した。
そちらの中身もやはりヘヴンスライムである。
信徒は慌てて法衣を脱ぎ捨てるが手遅れだった。飛び散ったヘヴンスライムは首元から入り込んでいたのだ。どうにか振り払おうと半狂乱になってどこかへ走り去っていった。
取り残されたパレードは理性が溶けていくのを感じ取る。
記憶喪失の少女にどこまでも性知識が残されているのだろうか。色物揃いの異世界とはいえ、中々にファンキーな格好で出歩いているようなので、もしや自分のワガママボディの魅力に気付いておられない? ほーん、閃いた! これは無知シチュですね。外見特徴と自由設定での主張から私には分かります。記憶を消して無知シチュを味わいたいのは全人類の望みだってばっちゃが言ってた。それじゃあ無垢なる少女にヘヴンスライム仕込みの調教を施していきま――【※この先は女神様によって検閲されましたパート2】
パレードという尊い犠牲を払いつつも、民家に忍び込んだウォークスと佳宵は室内に集まっていた村人達と対峙していた。
信徒の姿は見当たらないが、全員が農具や包丁など間に合わせの装備を手にとって抵抗してきたので、狭い室内では命を奪わずに制圧するのは難しい状況だった。
「こちらから手出しをするつもりはありませんでしたが、立ち向かってくるのであれば容赦はしません」
佳宵は窓に向けて手の平をかざす。
遠くに見える丘が原型を残さず吹き飛ばされてキノコ雲が立ち上がった。
遅れてガタガタと家屋が震え出す。村人が恐怖に慄きながら窓の外を見詰めていると、巨大に膨れ上がった粉塵が村に押し寄せてきていた。
今すぐに逃げなければならない。しかしどこに逃げればいいというのだろうか。ヒトの足では逃げ切れるものではない。思考はまとまらず呆然と立ち尽くすままで、村と共に自分自身も呑み込まれた。
「悔い改めなさい、と言っても聞こえていませんね」
天技【狐日和】の真に迫った幻覚によって村人は泡を吹いて気絶していた。
一人だけ胆力で正気を保っていた村長は腰が抜けており、這いつくばって逃げようとして、地下室に続く階段を転がり落ちていった。
「どこの民家も地下室があるのか?」
ウォークスは村の歴史に闇深さを感じながら村長を追って階段を下りていく。
村長は頭を打ち付けて気絶していたので放っておき、地下室を覗き窓から確認すると、拘束されたアレクの姿を発見した。
呼び掛けても返事はなく気絶しているようだった。
元から傷だらけの荒々しい見た目だったが、冒険者ギルドで会った時にはなかった生傷がたくさんできており、四肢を鎖で繋がられて身動きを封じられていることから相当に暴れ回っていたようだ。
「治療に取り掛かりますね」
佳宵は炎の刃で床に這い回るヘヴンスライムを退けてアレクの近くまでやってきた。拘束を解いて傷を確認するが、幸いにも命に関わるような大怪我は負っていないようだ。
「これで全員だな」
ウォークスは調査隊を見付け出したが、まだ気を抜けなかった。
天楽快との戦いは終わっていない。それにアレクを連れて脱出するまでは決して油断はできなかった。