05.丘の上の秘密
倉庫内で戦いが始まる前に時を戻して――中央広場で全裸騒ぎが起きていた頃、
春夏秋冬 日向は民家の陰に身を潜めて村外れの丘に建てられた謎の施設を見上げていた。
「煙が止まったな」
これまで煙突から上がり続けていた白い煙が不意に途絶える。
それから少し様子を見ていると、建物から出てきた信徒が何人か集まって慌ただしい様子で丘を下っていった。
「背後を取れますが、仕掛けますか?」
「他の者に任せよう」
同行する
七々扇 静音の確認に日向は首を横に振る。
「予定通り丘の上にある施設の調査を優先するぞ」
信徒の向かった先は方角から中央広場だ。何らかの手段で襲撃を知って応援に駆け付けるつもりなのだろう。陽動のお陰で誰にも見付からずにここまで来れたので、仲間を信頼して対処を任せることにした。
「……ここから先は身を隠せる場所がないな」
丘を上がる道は視界を遮る物がないので、『薄影の外套』で存在感を希薄にしていても警戒状態にある村人や信徒に目視されてしまえば、流石に見逃してはくれなさそうだ。
「崖側に回り込んでみるのはどうだ……?」
「あの高さなら、日向の支援があれば私も登り切れそうですね。ただ信徒の慌てた様子は演技には見えなかったので、手薄になっている可能性が高いです」
「戦力の減っている今が好機か」
日向の呟きに静音はこくりと頷いた。
冷静な状況分析の結果、日向は拙速を選んだ。
「このまま真っ直ぐに丘を上がるぞ」
二人は目立たないように身を屈めながら素早く駆け抜けていく。その身に染み付いた隠密の動きだった。
運良く誰の目にも留まらずに施設の近くまで辿り着いた。
村の中心部にあった倉庫に比べれば小さいが民家の中で最大の村長宅よりも大きい。頑丈な石造りで窓から覗き込むと作業場のようなものが見える。屋根には煙突以外にも風見鶏が取り付けられていた。
「覗き込むのはこれが限界ですね」
建物の陰に身を隠した静音は【風の声】に耳を傾けた。内部から複数人の話し声と足音が聞こえてくる。魔力の流れから村人ではなく全員が信徒であると分かる。その中の一人はエルフの鋭敏な感覚が高いレベルを感じ取っていた。
――いかに攻めるべきか。
慎重に事を進めようとする日向と静音の視界に、『メイド服』姿の
松永 焔子が飛び込んできた。
焔子は二人の隠密を尻目に、メイジともメイドとも思えぬ乱暴な足技で正面の扉を蹴破った。
「いかがわしい邪教の儀式もそこまでですわ!」
おいおい、マジかよ、こいつ――という物陰からの視線に気付かないまま焔子はずんずんと建物に入っていく。
特に鍵は閉められていなかったので、破壊のための破壊にぶっ壊された扉に合掌。来世はきっと現代日本のセキュリティ万全の扉に転生できるといいね。
正面広間には複数の扉が並んでいた。静音が外から見た作業場らしき部屋に続く扉以外に二つある。
「こういうのは勘に任せるのに限るわ」
一番厳重な正面の扉に特に理由のない暴力が襲う。
今度は頑丈な作りの扉だったので壊れはしなかったが、開いた勢いで蝶番が少しだけ歪んでしまった。
扉が開いた瞬間、熱気に襲われる。
「まるでサウナね」
焔子は室内の蒸し暑さに顔を手で扇いだ。
メイド服に『フレイムレジスト』を重ね着して、更に『冒険者のマント』まで羽織っているので暑苦しくて仕方ない。それぞれの装備が異なる耐性を備えているので脱ぎたくても脱げなかった。
部屋内には竈が幾つも並んでおり、その上には蓋をした大釜が置かれていた。外から見えた煙突はこの部屋の排煙のために備え付けられていたようだ。
「これはこれは、やんちゃな侵入者ですね」
ラメーダは飛び込んできた焔子に動じた様子を見せず、むしろ歓迎するように両腕を広げた。
周囲に立つ信徒は油断なく武器を構えていた。
「何を企んでいるのか分からないけれど、依頼を受けたからには阻止させて頂きますわ!」
全員の動きを封じるべく屋内で初手から【クエイク】を放つ。
棚に並べられていた空っぽの小瓶が床に落ちて粉々に砕け散る。日本のように耐震構造に優れた建築ではないので、今度は扉どころではなく建物全体が悲鳴を漏らすように軋みを上げた。
――このままでは建物ごと崩壊してしまう。
信徒は数の利を活かして三人同時に飛び掛かった――筈だったが、一人は背後から伸びてきた鎖に足を絡め取られて地面に倒れ伏す。更にもう一人は扉の方から放たれる火炎放射に襲われて回避に転じた。残った一人は焔子の【フリーズブリーズ】によって凍結させられた。
「悪いが上から入らせてもらったぞ」
鎖の先には日向の姿があった。地震によって全員の注意が逸れたタイミングで煙突から侵入したのだ。
扉の前には静音が【ブレイズソード】を火炎放射から炎の剣に切り替えて、隙なく構えていた。
静音と日向の視線が交わされる一瞬、静音は役割を理解して【ブレイズソード】の出力を高めると、目立つように炎を迸らせた。
激しく燃え上がる炎に注目が集まった瞬間、日向は気配を断って物陰に隠れ潜んだ。
静と動。
名前とは真逆の役割を担い、静音は炎の刃で大立ち回りを演じる。
「私がお相手しましょう」
機械のように正確に、水の如く流麗に――燃え盛る炎は発露せぬ感情を乗せて振るわれる。
焔子と静音が目立つように戦いを繰り広げる中で、日向は密かに有利な戦場の構築を進めていた。
張り巡らせたチェーンウィップ。
あちこちに仕込まれたバードライムトラップ。
必勝への道を狡猾に築いていく。
準備を終えて攻撃に転じようと考えた時だった。ずっと沈黙を保っていたラメーダが動き出す。
(こちらに気付いている!?)
日向が身を隠す竈に向けて真っ直ぐに近付いてきていた。
ほとんど足音の聞こえない歩法は聖職者のものではない。法衣で足元が隠れているせいで気付くのが遅れたが、まぎれもなく日向と同じ忍の類――シーフだ。
「この試練、乗り越えてみせましょう」
ラメーダの祈りを捧げる手が懐に伸びて装飾の施された短刀を取り出した。
軽い身の熟しで竈を飛び越えると、躊躇無く日向に刃を振り下ろしてくる。日向はチェーンウィップの先端の刃で弾き返した。
* * *
青井 竜一と
リリムローズ・サファイアブレスは丘の上の建物にやってくると、人の気配がなかった部屋に足を踏み入れた。
別室で繰り広げられる戦いの激しさが壁越しにも音で伝わってくる。
結果的に建物内の信徒が一箇所に集まったので、他の部屋を自由に調査することができた。
「ただの農村ではないのは分かっていたけど、こんなものを見せられるとより実感が湧いてくるな」
その部屋は一言で表せば、錬金術師の工房だった。
机の上には様々な怪しい実験器具が並べられ、本棚には本や紙束がぎっしりと詰め込まれていた。
丘の上に辿り着くまでに色々とアレな光景を目にしてきたので、竜一の心はすっかり萎えていたが、それでも依頼には手を抜かない。
実験器具は何が起こるか分からないので不用意に触れないように注意して、部屋を見回していく。
リリムローズも部屋を見回しているが、その顔に気迫を感じられなかった。
依頼を受けた当初は「神官騎士としては、異端が広まるのは放ってはおけぬからのう!」とやる気に満ちていたのだが、村の中で目の当たりにした光景に精神的なダメージを負ってしまったのだ。
「肌を見せさえすればいい。それは持てる者の傲慢じゃ!」
なんとなく胸の辺りをペタペタしているが関連性は不明である。性欲旺盛でお盛んなウーブレック村の女性に発育の良い者達が多かったのも無関係の可能性が高い。
頑張れ、リリムローズ。
負けるな、リリムローズ。
きみの未来は無限大だ(大きくなるとは言ってない)
閑話休題。
竜一は本棚から何気なく紙束を引っ張り出した。
ぺらぺらと捲っていると徐々にその表情が険しくなっていく。
「こ、ここまでとは……」
「どうしたのじゃ?」
「この施設の正体が分かった」
リリムローズにも見えるように紙束を机の上に広げる。
そこにはこの施設でヘヴンスライムに行ってきた数々の実験について記されていた。専門的で細かい内容は理解できないが、人の業を煮詰めたようなものであることは素人にも伝わってくる。
「――ここは研究所だ」
より効率的に、より広範囲に、より大多数に快楽をもたらすための福音。
悍ましくも真摯なる願いの果てに紡がれた大罪だった。
「他にも重要な情報があるかもしれんのう」
リリムローズは逸る気持ちに竜一と並んで本棚を調べ出す。
「なんじゃこれは?」
シーフとしての勘で本棚に施された仕掛けを見付け出す。解き方は分からないが、壁をノックすると空洞を見付けられたので、正式な手順を踏めばどうやら壁の一部が開くようだった。
「いつまで調査をしていられるか分からないからな、強引な手を使おうか」
「任せるのじゃ!」
リリムローズは壁にアダマンダガーを突き立てる。
竜一の鍛冶でLV6になった斬撃は容易く石の壁をくり抜いた。
隠し棚に入っていたのは数枚の紙切れだった。竜一が手に取ると、天井が開いて何かが降ってくる。
「宝を見付けた後を狙うとは小癪な真似を!」
リリムローズの投擲したアダマンダガーが頭上に迫っていた小瓶を砕く。詰め込まれていたヘヴンスライムは傷付きながらもまだ生きている。
「燃え尽きろ!」
二人の身体に降り注ぐ直前、竜一の【フレイムウォール】が間に合った。
ヘヴンスライムは炎に巻かれて蒸発していく。特化した能力以外は最弱といってもいい魔物なので簡単に倒せるのだ。しかしLV2の火力では瞬時に燃やし尽くすことはできなかった。
催淫効果のある蒸気が部屋に満たされて、竜一とリリムローズは気付かぬ内に吸い込んでしまい――――