03.一級フラグ建築士
全裸全力疾走と慈悲無き足砕きによる陽動は成功を収めていた。
その結果、中央広場は激しい戦場に成り果てた。
戦闘能力を持たない村人達も農具や狩猟用の武器を持ち出して参戦してくる。彼らは本能的に村の運命を決める日が訪れたのだと察したようで抵抗の意思を露わにした。
中央広場から少し外れて、茂みの間に続く細道を進むと、農村には不釣り合いな巨大建造物がある。民家の屋根より高く、村人全員が入れるように建てられた集会場――現在は天楽快の祈りの場になっている――よりも広い。周囲を木々に囲われていなければ遠目にも目立っていただろう。
戦場の喧騒に紛れて中央広場を抜けた
エリカ・クラウンハートは木の幹に身を隠して、建物の出入口をこっそりと覗き見る。
「全員が持ち場を離れるほど不用心じゃないわね」
次々と上がる悲鳴に建物を警備していた信徒も何人かは中央広場の方へと向かっていたが、扉の前に二人の見張りが残っている。
一人は桃色の法衣を纏っていることから天楽快の信徒だと分かる。
もう一人は腰に下げた剣以外は簡素な装備なので村人だと推測できた。
二人を同時に相手取って勝利を収める自信はないが、それは正面突破を考えた場合であり、エリカにはエリカなりの戦い方があった。
(あの見張りの人、なんだかいやらしい目付きをしてるわね)
メイドカフェ店員として鍛えた客を見る目が、マグメルの概念により【観察眼】としてスキル化したことで、村人の中に抑え込まれた情欲を見抜く。
警戒態勢に入ったウーブレック村には、あちこちにヘヴンスライムが配置されている。直接の接触はなくても、その催淫効果をよく知る村人は視界に映るだけで性欲を掻き立てられていた。
エリカは意を決して、見張りの前に姿を現した。
神経を尖らせていた信徒はすぐにエリカの存在に気付いた。
「何者だ?」
エリカの作戦は見られることにこそ意味がある。鋭い視線に浴びせられながらも一歩ずつ近付いていった。
二人の視線を受け止めると、全身をすっぽりと覆っていた『奉仕者の外套』を脱ぎ捨てた。
「踊り子、だと……?」
薄暗い木陰に妖艶なシルエットが浮かび上がる。
胸部と腰回りを薄布で覆うだけで、エリカの健康的で魅惑に溢れた肢体を存分に見せ付けていた。
色っぽく身体をくねらせ、お尻を向けて腰を振る――数々の世界で鍛え上げた踊りの技術を誘惑の一点に集約させて披露した。
世界共通の理。
目合ひを表現する舞。
それは空腹を前にご馳走を見せ付けるようなものだった。
「俺が行って、捕らえてくるぞ!」
「待て、勝手に持ち場を離れるな!」
村人は信徒の制止を無視して、エリカに向かって駆け出した。
必死で追い縋る村人を嘲笑うように、木々の間を軽やかに舞い踊りながら逃げていく。
「へへっ、もう逃げられないぜ!」
進路は柵に囲まれて逃げ場はなくなった。乗り越えられない高さではないが、よじ登っている内に捕まってしまうだろう。
背後から村人の手が伸びて肩を掴まれそうになった瞬間、エリカは振り向き様に【フラッシュ】を放った。
「ああっ……目がぁぁ! 目がぁぁぁぁっ!」
護身用の基礎的な光魔法とはいえ、欲望に見開いた目で至近距離から直視すれば、ただでは済まない。
両目を押さえながら踊り狂う村人を、エリカは『奉仕者の杖』で殴打した。
気絶した村人をそのまま転がしておき、緊張感の解放から吹き出した額の汗を拭い取る。
「囮に使えそうね。この人が戻ってくるのが遅ければ、あの信徒の人も追い掛けてくるか、別の人を送ってくるわよね」
エリカは茂みに身を隠して次の追手が現れるのを待った。
優位な立場にあり自分こそが狩る側である――無意識の油断はエリカから警戒心を奪い取った。
「ひゃっ! 冷たい……!?」
肩に触れた湿った感触に、木の葉から水滴でも落ちてきたのかと樹冠を仰ぎ見る。
「えっ……?」
木の枝から滴り落ちる桃色の粘体を発見した。
肩に手を伸ばせば、頭上に見えた粘体と同じ色の粘液が付着していた。
ぐねぐねと動く姿を目にして、ようやくそれがスライムであることに気付いた。残念ながら駆け出し冒険者の【モンスター知識】では、存在を秘匿されていたヘヴンスライムは未知の魔物だった。
調査隊の報告を思い出してヘヴンスライムだと気付く。
慌てふためくがもう遅い。
激しく身体を動かしてみるが、肌に吸い付くように密着しており振り払えなかった。
「やめっ――」
エリカが悲鳴を上げようとするが、木の枝から降ってきたスライムにその口を塞がれた。
首元の繋ぎ目を溶かされて、胸元を覆っていた薄布がぺらりと剥がれ落ちる。
剥き出しになった胸が抵抗に合わせて激しく揺れ動いた。
吹き出す冷や汗や恐怖の余り失禁してもヘヴンスライムにはご馳走だ。胸の谷間や股下を舌舐めずりするように這い回っていく。
誰にも助けを求めることもできない絶望的な状況の中で、エリカの思考は麻痺していき少しずつ快楽に染まっていった。
* * *
二階堂 壱星はグリーンベストを身に纏い、木々の間を這って進む。巨大建造物は草木に囲まれており、森林用の迷彩が壱星を風景の中に溶け込ませていた。
外周の情報収集を終えて、正面出入り口の見張りを任せていた
エミーリア・ハイセルターのもとに戻った。
「向こうに何かあったのか?」
エミーリアの視線は見張りではなく薄暗い木陰に向けられていた。
「……悲鳴が聞こえたような気がしたのだけれど、きっと気のせいね」
木々の間を縫って届いた【風の声】に耳を傾けていたが、聞こえてくるのは葉擦れの音や虫の鳴き声だけだった。少なくとも高レベルの何かが潜んでいることはなさそうだ。
監視についたのが入れ違いだったため、エミーリアはエリカの存在に気付いていなかった。
「それよりもこの建物について何か分かったかしら?」
「残念ながら事前情報以上のことは何も。窓は見当たらないし、壁を叩いて確認してみたけど、秘密の通路とかもなさそうだ。やっぱり正面から入るしかない」
見張りは法衣を纏った信徒が一人だけだが、油断なく周囲を警戒している。
このまま待っていても隙を見せることはなさそうだ。そう判断を下した壱星は、視線でエミーリアに合図を送ると茂みの中から飛び出した。
見張りは壱星の奇襲に気付くと、仲間に知らせるために大声を上げようとする。大きく息を吸い込んだ直後、彼の視界は暗闇に覆われた。
「――!? ――――! ――!!」
何かを必死に叫ぶがその音は決して外界には届かない。
「この闇に打ち勝つ力をあなたは持っているかしら?」
エミーリアの天技【無間の闇】は空間を暗闇で包み込むことで音や視界を遮り、匂いや魔力まで狂わせる。しかしエミーリア本人とその仲間は闇の影響を受けずに行動できるので、敵にとっては一方的に不利な戦場に捕らわれたも同然だった。
見張りが状況を理解するよりも早く、壱星は加速スキルによる猛スピードで間合いに踏み込んだ。
「大人しく寝ていてくれ」
自ら鍛え上げたミスリルランスを勢い良く叩き付ける。見張りの纏う防具をレベル差で打ち砕き一撃のもとに倒した。
気絶を確認した壱星は巨大建造物の扉に手を掛けた。
「鬼が出るか蛇が出るか」
開かれた扉の隙間から冷え切った空気が流れてくる。
内部は暗闇に包まれていた。扉から入り込む光と、魔法で灯された照明が足元を僅かに照らしているだけでほとんど何も見えない。
「火を灯すのはやめた方が良さそうね」
エミーリアの吐き出す息は白く染まっていた。
「そうだな、冷やしているのには理由があるだろうから」
壁に手を突いて少しずつ進んでいく内に目が慣れて内部構造が見えてきた。
入って正面から狭い通路が続いていると思ったが、それは勘違いだった。左右に大きな棚が並べられているせいで圧迫感を感じるが、内部は壁一つ無い開けた空間だった。
「どうやら倉庫のようね」
「何を保管しているんだか」
「ええ、嫌な予感しかしないわ」
エミーリアは棚に並べられた小箱に手を伸ばそうとするが、壱星の張り詰めた空気を察知して杖を構えた。
「……誰か居るな」
獣の嗅覚が暗がりに潜む気配を感じ取った。
エミーリアは規則的に聞こえていた蒸気の音に異音が混ざるのを【風の声】で拾い、反射的にリーフカッターを発動した。
暗闇の中に甲高い擦過音が鳴り響く。床を確認すれば投擲されたナイフが転がっていた。
「畳み掛けるぞ!」
「援護するわ」
壱星は駆け出した。
ナイフの飛んできた方向から敵の位置を推測する。
しかし、別方向から飛来するナイフに壱星は足を止めた。どうやら潜んでいる敵は一人だけではないようだった。
――内部で戦闘を繰り広げられている頃、外部でも戦闘が始まっていた。
壱星とエミーリアに続いて茂みの細道を抜けてきた
水元 遥と
メリアドネは巨大建造物――倉庫の扉を背にして、信徒の一人と対峙していた。
「広場の目立つような動きはやはり陽動だったか」
信徒は開かれた扉を目にして眉根を寄せた。
中央広場からやってきた信徒は桃色の法衣を羽織っているが、剣と盾の構えを見れば本職がファイターであるのは一目に分かった。
「ここは通行止めよ」
遥はミスリルカトラスとミスリルシールドを構えて立ち塞がる。
身体強化魔法によって一時的に格闘戦を行える今の状態ならば、前衛職のファイターと正面から渡り合える。持続時間は短いが、それなら短期決戦に持ち込めば良いだけの話だ。
それにメリアドネの援護があるので不意打ちの恐れもない。ましてやパステルピンクの目立ったスライムを見落とす可能性は皆無だ。勝ったな。風呂入ってくる。
「押し通る!」
信徒は法衣の内側に隠していた小瓶を放り投げてくる。
毒を警戒するのも一瞬、村の中で非道な手段に出るとは思えなかった。異端と呼ばれているとはいえ仮にも神職者だ。そのぐらいは信用できた。
ぶちまけられた中身が身体に掛からないように、ミスリルシールドで小瓶を弾いた。小瓶は砕けても爆発したり、何かが撒き散らされることはなかった。
ただのハッタリだろうか、と訝しむ遥だったが次の瞬間、戦慄に襲われる。
桃色の粘体が盾に付着していた。
「くっ……!」
遥は力任せに盾を振り回すが、ヘヴンスライムの粘着質な体は、べったりと貼り付いて引き剥がせない。
「ハルカ、前っ!」
メリアドネの警告に遥は盾を構え直す。
既のところで信徒の振り下ろす熱気を纏った刃を受け止めた。
「余所見をするとは余裕だな!」
「お陰様でね!」
素早く体勢を立て直して反撃に出る。
予想以上の速さに後退しようとしていた信徒は大きく目を見開く。隙だらけの土手っ腹にメガブレイクを叩き込んだ。驚愕から痛苦に顔を歪めながら、衝撃波に吹き飛ばされて巨木の幹に背を打ち付けられて、そのまま意識を失った。
「勝ったのに浮かない顔ね」
「盾を失ったわ」
「なるほど、あいつにやられたから、ボクもその気持ちは分かるよ」
ヘヴンスライムの餌食になったミスリルシールドを最後の嫌がらせに気絶した信徒の近くに置いた。
遥は徐々に溶けていく盾を目にして、剣を握る手に力がこもる。
スライムの付着した面と接触した筈の相手の剣は無事のままだ。何か対策を施しているのかもしれないが、見た目には分からなかった。
「
もう決して油断はしないわ」
覚悟を新たに遥とメリアドネは倉庫に足を踏み入れた。