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02.飛び込め、因習の村

 川上 一夫は薄汚れた地下室の床を這いつくばっていた。
 油断をしたつもりはなかったが、気付いた時には媚薬の効果を受けて思考が快楽に染まり始めていたのだ。
 ウーブレック村は調査隊の潜入で警戒態勢にあったが、セオロの用意した紹介状のお陰で正面から堂々と入り込むことができた。媚薬の効果を確かめたいと『天楽快』の信徒に伝えて調査隊を捕らえた地下室に案内されるまでは計画通りだった。
「使用量を間違うとああなるから気を付けるように」
 信徒の指差す先には、調査隊の一人だった年老いた冒険者が、アヘ顔ダブルピースをキメながらアグレッシブな上下運動を披露していた。
 確かにあそこまでぶっ飛ぶのは危険ではあるが、媚薬の絶大な効果を目の当たりにすると、妻との熱い夜が近付くのを実感できた。
「こ、これは!?」
 妄想の世界に取り込まれている内にヘヴンスライムが身体に纏わり付いていた。
 ミスリルクロースはレベルのお陰か溶ける速度は遅かったが、ローブの中に着込んでいた紺色のスーツや下着は見る見る内に溶かされていく。
「薬が合うかどうかは、自分の身体に試すに限るでしょう? もちろんお試し分は無料ですよ」
 信徒の微笑みは善意に満ち溢れていた。
 一夫はローブの内側に隠していたアダマンロッドを取り出す。既に先端のアダマントが溶け始めていた。
「このままでは私も……!」
 中学生の頃よりも旺盛な性欲が脳まで支配しようとしている。
 一夫は妻の顔を思い浮かべて、愛すべき伴侶を持つ夫であり家族を背負う父として悪魔的な誘惑を一時的に退けた。
 本来であれば穏便に事を進めて、個人的な目的である媚薬の入手と依頼目的である調査隊の救出を同時に果たすつもりだったが、もはやそんな余裕はない。
「なんとか居場所を伝えなくては……!」
 最後の理性を振り絞り、魔法を発動する。
 地下室に熱波が吹き荒れた。
 動揺する信徒を尻目に、LV7の強力な火属性魔法で形作られた剣が天井目掛けて放たれる。
 地下室の天井を溶断して、そのままの勢いで屋根すらも貫いて天高く打ち上がった。曇天空を照らす炎の剣は、村中からはもちろん、村の外で待機する来訪者達の目にも入った。
 一夫の決死の抵抗を合図に、来訪者と因習村の戦いが幕を開けた。

* * *
 

 ウーブレック村の中心部に向けて、紫月 幸人は全速力で駆けていく。身の丈に迫る大剣を力任せに振り回しながら絶叫を上げる姿は誰よりも目立っていた。
 村の重要施設に踏み込む仲間のために注意を引くのは予定通りなのだが、それにしては幸人の形相は必死だった。
「うぁぁぁぁっ! 見る見る内に溶けていくぅぅ!」
 それもその筈である。
 幸人の装備は既にヘヴンスライムの餌食になっていた。
 目立とうと行動していたために、背後から近付いてきた桃色の影に気付けなかったのだ。
 厚みのある鋼鉄の胸当ては一見して頑丈に見える。
 しかし、この世界ではあらゆる概念を覆す『レベル』が存在するのだ。
 どれだけ物理的な強度を誇っていても、それを上回るレベルの消化能力と相対すれば――容赦なき食物連鎖によって憐れな獲物となる。
「丸裸にされるぅぅぅぅ! 」
 幸人の身を守る装備が一つ、また一つ、溶け落ちていく。
 開始早々に幸人の冒険は終わりを迎えようとしていた。
「すべてを曝け出しちゃうぅぅぅぅぅぅっ!」

 いや、余裕そうだぞ?
 なんで装備を溶かされて笑顔になっていやがりますの?
 露出趣味とかお持ちでいらっしゃいます?
 ええと、アルバム、アルバムっと……え、なに、この、えっ、えぇぇ……?

 徐々に露わになる裸体。
 眩い筋肉が、淀んだ村に輝きを放つ。
 鍛え抜かれたファイターの身体は芸術的だった。
 中央広場に足を踏み入れた時には、すべての装備が失われていた。
 しかし、その顔に一点の曇りなし。眩いばかりの満面の笑みだ。
 過剰供給される快楽物質に幸人の理性は蒸発していた。元から足りてなかった疑惑はあるが、ヘヴンスライムの影響があったのは間違いないので情状酌量の余地はあるだろう。たぶん。きっと。おそらく。

 ――これは酷い。

 柊 恭也は全裸で暴れ回る悪友の姿に左目も眼帯で覆いたくなった。因習に染まった村人からも遠巻きにされているので、これはもうどっちがまともか分からない。
「陽動って意味なら成功してるし、まあいいか。俺も働くとしよう」
 恭也はグレートソードを油断なく構えた。
 鍛冶師の職能で強化された大剣は、本来よりも二つ高いLV7の性能を発揮する。念入りに錆防止も施されていた。
 ハイテンション全裸男に度肝を抜かれた村人達も落ち着きを取り戻すと、間合いの外から恭也達を取り囲んだ。
「理性をぶっ飛ばすのが好きな割には冷静な対応するんだな」
 恭也の投げ掛ける言葉に村人は反応を示さない。
 全員が紙袋を被っているので表情も読み取れなかった。
 果たして紙袋にどんな意味があるのだろうか、と疑問にも思ったが、カルトに理由を求めるのも無意味かと思考を打ち切る。
「だんまりか……はっ、それとも喋り方を忘れちまったかな」
 じりじりと包囲網を縮める村人の中に、一人だけ離れていこうとする者を見付けた。
 目が合う――実際に目は見えないが視線が交わるのを感じ取ったのか、すぐさま背を向けて逃げ出した。それと同時に残された村人が一斉に襲い掛かってくる。
 無手だ。それに動きも遅い。脅威にはなり得なかった。
 だが容赦はしない。
 恭也は力強い踏み込みから大剣を地面に叩き付ける。
 凄まじい衝撃波が地面を伝播して、周囲の村人をまとめて吹き飛ばした。
 恭也はグレートソードを肩に担いで、地面に倒れてもがく村人から紙袋を剥ぎ取っていく。
「私の聖頭巾を返すのだ!」
「なんだよ、喋れるじゃねぇか」
 普通のヒトだ。種族は様々だが魔族ではない。
 歪んだ信仰には辟易とさせられる。
「暴力を行使する者よ、我らが救済を恐れたか!」
 村人の一人が立ち上がったので、平手打ちをするように幅広の剣身を打ち付ける。これで大人しくなるだろうと思ったが、再び立ち上がろうとする姿を見て目を見開いた。
「我々はこの程度で屈しはしないぞ!」
「LV5の麻痺毒だが、ほとんど効いてねぇみたいだな」
 グレートソードの剣身には【パラリティックポイズ】によって麻痺毒を付与していた。
 しかし村人にはほとんど効果を発揮していない。
 彼らは天楽快の信者である前に農民。毒物に対する高い耐性と丈夫な肉体を持っていた。
「まあ少しばかり手順が増えるだけだ」
 恭也は村人の足を狙って大剣を叩き付けた。
 防御にも使える頑丈さと人間の背丈ほどある大きさが合わされば鈍器として使っても優秀だ。
 骨を砕かれた村人の悲鳴が周囲に響き渡る。
「誘き寄せるには丁度良いな。大丈夫、殺しはしねぇよ。死ぬほど痛いだけだ」
 被害者を出しているカルトに慈悲は無用。
 もしも信者を村の外に逃がしてしまえば、天楽快に続く天楽失や天楽獣――ワニの絵画をシンボルマークに掲げる新たな教団を作り出す恐れもあるのだから。
 恭也は身動きを封じるために、他の村人にも大剣を叩き付けて回った。

* * *
 

 容赦のない派手な陽動は功を奏していた。
 調査隊の救出を担当する弥久 ウォークス弥久 佳宵は、慎重に行動していたこともあり、一夫の捕らわれた地下室まで誰にも見付からずに辿り着けた。
 陽動に使おうと考えていた天技も温存できたため、ここまでは順調そのものだった。
「これは酷い」
 ウォークスは鋭敏過ぎる【獣の嗅覚】に鼻を押さえ込んだ。
 地下室には惨憺たる光景が広がっていた。
 霞がかった視界に映るのは、息も絶え絶えに腰を振り続ける老爺、涎を垂らしながら過酷な自家発電に励む女性、打ち上げられた魚のようにビクンビクンと震える少年――勇敢なる調査隊の成れの果てだった。
 床には新たな獲物を求めてヘヴンスライムが這いずり回っている。
「あれは……? 無事な方が居ますよ!」
「待て、妙な気配がするぞ!」
「ひゃん! あ、あの、ウォークスさん、尻尾をいきなり握られると……!」
 佳宵が反射的に踏み込もうとするのを、ウォークスの腕が掴んで止めた。
 妙に上擦った声に訝しむ。
 振り返った佳宵の顔を確認すれば頬を赤く染めて呼吸が荒くなっていた。まるで発情しているような――いや、発情しているのだ。
 ウォークスが佳宵を引き寄せて地下室から遠ざけると、徐々に落ち着きを取り戻した。
 見張りを立てず、地下室の扉には鍵を閉めず、調査隊は無造作に転がされている。まるで無警戒に見える状態こそが罠だった。
 地下室の視界が悪かったのは埃のせいだと思っていたが、どうやら無味無臭の煙が広がっていたようだ。
「煙に催淫効果があるのでしょうか?」
「分からん。だが入口に近付いただけで影響を受けるのであれば、迂闊には踏み込めない」
「……ですが、まだ無事の方が居ました」
「効果には個人差があるのかもしれない」
 ウォークスと佳宵は呼吸を止めて扉の隙間から地下室を覗き込む。
 部屋の隅に膝を抱え込んで蹲る一夫の姿を見付ける。彼の手には杖が握られており、先端に炎が揺れていた。
「見てください、スライムが近付いていません」
 佳宵の【観察眼】はヘヴンスライムの奇妙な動きを見逃さなかった。
 部屋中を動き回っているのに、一夫の周囲だけは避けているのだ。
「炎……いや、熱か? 試してみよう」
 佳宵は一夫が使っていたのと同じ火属性魔法の【ブレイズソード】によって、杖の先端に炎の刃を生み出した。
 松明のように杖を掲げながら地下室に踏み入れる。
 ウォークスと佳宵は視線を交わして、お互いの無事を確認して頷き合う。
「すぐに皆さんを地下室から連れ出しましょう」
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