~ キリム討伐 ~
「今ですよ!」
アニー・アプリコットの放った瘴気の塊が、マナ流という味方を失ったンクバを包みこんだ。人間たち相手に激しくのたうち回っていた明るい電光はしばし、暗い色の煙を灼きつくすための格闘に費やされる羽目になる。
ゆえに
リア・アトランティカの『トルメンタ・ブリーナ』は、誰にも妨げられることなくキリムへと放ちえた。とはいえアニーが小さくなって食べるところが減ったと嘆くキリムの体とて、人間大のリアの四肢にすぎないギアから生みだされる氷で覆えるほど小さくはない。
「だから……こうしてあげるのよ」
実際に放たれた“液体の氷”が狙うのは、キリム自身ではなく彼の進む先の床だった。キリムは踏み、足が貼りついたのを知り、このままでは進むも戻るもできずに背を攻撃されるばかりだと気づく。無理やり再び前を向く。そのために辺りを踏みあらせばますます足が凍りつくことは承知していたが、幾らかでも敵を正面に捉えられるなら、背中から好き放題に攻撃されつづけるよりマシだ。ただ……。
(でも、まるで“あの虫”でも捕まえてるみたいな見た目なのが少し嫌よね)
そんなことはちょっとは思う。それを理由に手を抜いたりはしないけど。何故なら、すぐに気づいたからだ……そんなことで手を抜いて、漫然と氷を広げるだけでは、巨体に対して強度が足りないようだから。
(厚みを常にコントロールしないとね。大和が敵の動きを鈍らせていてなおこのパワー……こっちも粘性は高めてるはずなのにね!)
だから必死に調整をしつづけたのは、決して無駄にはならなかった。キリムが90度と少し姿勢を変えたころには、リアはキリムの足を捉えつづけるコツを掴みかけている。
「大和! こっちはそろそろ限界なのですよ!」
アニーが叫ぶ。ようやく瘴気を灼きつくしたンクバはそれまでの明るさをとり戻し、今にもアニーへと逆襲せんと目論んでいる。では……その前に、ンクバから戦う理由を奪ってやれば?
「行ってくれアニー!」
そう返すや否やキリムが氷からひき剥がさんと持ちあげた脚を足場に、大和はすっかり真横を向いてさらけ出された首筋へと跳躍。
同時……アニーもまた同じ首を目指す。浮遊する十字架に突風を当て、ほとんど射出に近い突撃を企てる。その両腕には巨大な剣が抱えられており……。
「今度こそ蒲焼にしてやるですよ!」
飛行を慣性任せにしてしまうなら、飛行魔法に魔力を割く必要なんてない。であれば、敵の元にたどり着くまでの間、アニーは新たな魔法に集中することができる。
剣とは別の、刃が生まれた。魔法の刃を剣と合わせれば、まるで巨大な鋏のごとく。
鋏が、キリムの首を大きく抉る。
「このまま、ちょん切ってやるのですよ!」
もっとも、啖呵を切ったのとは裏腹に、刃は肉の途中で止まる。
だが……そこが大和の放物線の終了地点だ。大和がふり下ろした剣は『エクレール』、強烈な回転プラズマを纏ったギアだ。
「ここに住んでただけのお前には悪いが……」
回転はアニーだけでは開ききれなかった肉をこじ開けて、首をひき千切ると同時に傷口を胴の深さまで焼く!
……その時、サンゴ内を満たしたフルートの澄んだ音色は、まるでキリムへの鎮魂曲を思わせるものだった。
決して、悲痛さを感じさせるわけではない。そればかりか本来は、もの悲しさすら含まぬはずの旋律。鎮魂曲と錯覚しうる要素があったとすれば……せいぜい、激しい戦いの光景とは裏腹の、穏やかなリズムくらいだっただろうか?
自分の首はいまだ残り5つ。だというのにすでに戦いが終わったつもりでいるような調べは、キリムにとって憤慨の種でしかない。なるほど、確かに戦闘は終わってはいない。が……その曲が本当の鎮魂曲になってしまうまで、そう長い時間はかからないだろう。何故なら
優・コーデュロイはこの曲が何を意味するものか、よく知っていたからだ。
(優しい音色で戦いながらにして身と心を癒やして、ギアにさえしばしの休息を与える――ルージュのフルートがあれば、私たちはどれほど疲弊しても戦いつづけることができるのですから)
もちろん、それが無限に戦いつづけられることを意味してはいない。ずっとフルートを吹きつづけた
ルージュ・コーデュロイの喉はからからで、いつ演奏が止まるともかぎらない。
だとしても、巨木の森から流れこむマナが失われ、傷つく一方になったキリムもンクバとのせり合いを、優の、マナを乱しかき消す2つのギアの勝利に導いてくれた。いいや、まだ勝利を手にしたわけではないのかもしれない……だとしても少し前から散発的になってきたンクバの攻撃と、じりじりとサンゴの出口に向けて後退しているキリムの動きを見れば、今こそとどめを刺して決着をつけてみせることこそが優をずっと支えてきてくれたルージュに対する恩返しと直感にて理解しうるであろう。
これまでもキリムの内包マナをおおいに削ってきたギア銃『空・百花繚乱』は、ここへきてマナの銃弾の代わりに大きな刃を具現した。優の全霊によって限界を超えるマナ破壊の力をひき出されたギアは――今や極度の疲弊の中にあったキリムの心臓を違わず破壊する。
キリムは、どうと倒れる――ことはなかった。
あたかも
ワハート・ジャディーダ国の超巨大ジンが機能を停止する瞬間のように、煙のように肉体をマナへと還元させただけだ。
「アニーの蒲焼が!?」
絶望に満ちた声。せめてもの救いがあったとすれば……キリムが消えた後の足元を、7つの頭を持った鼠のような小動物が残っていたことだっただろうか?
アニーの食欲の犠牲になるわけにもゆかず、一目散に出口に向けて駆けだしてゆくキリム。その姿を目ざとく見つけ、つまみ上げた
邑垣 舞花は……怯えるキリムに顔を近づけて、こう言って聞かせてみせた。
「二度とサンゴに近づかず、人類に危害を加えないと約束するのなら、命ばかりは取らずにおいてさしあげましょう」
キリムに、人の言葉が通じたわけもない。けれども畏れいったように7本の頭全てを舞花に向かって下げ、キイキイと何事かンクバに訴えかけて戦いを止めさせた彼の様子を見るに……気品ある舞花の言葉をサンゴを支配する女王とでも理解して、金輪際その縄張りを侵したりはすまいと心に誓ったに違いなかった。