議会王の悩み、総統の悩み
アデリナ・アイスフェルトは、議会王エカチェリーナの安らぎの時間をサポートするメイドとして、この日もアフタヌーンティーを用意していた。
「有難うイーニャ。貴方の心づくしにはとても感謝しています」
エカチェリーナがその様に告げると、アデリナは微笑む。
「友達として当然のことをしているだけですわ。水臭いですわね」
するとエカチェリーナは苦笑した。
「そうでしたね。私も疲れているのかも知れません」
そこで、アデリナは告げる。
「世界崩壊の危機を前にして、戦争中の国家指導者として国民の命を少しでも多く守りたいと願い、働いているのですもの。お疲れになるのは当然ですわ。新鮮な茶葉から入れた紅茶と、マカロンでも頂きましょう。糖分は頭の疲れを癒やしてくれますわ」
エカチェリーナは微笑んで応える。
「貴方といる時間が、今はいちばん安らぎ、疲れを癒せる時間です」
「そう言ってもらえると、とても嬉しいですわ」
アデリナの応えに、ふ、とエカチェリーナは笑う。
「それこそ水臭いですね。友達なのだから、もっと打ち解けあってお話しましょう」
「これは1本取られましたわね」
クスクスと笑うふたり。明るい雰囲気となったところで、お茶会が始まった。
「そういえば、最近少し政務とは別の悩みができました」
エカチェリーナが紅茶を啜った後で、ポツリと告げる。
「もしかして、和賀さんから恋の告白をされた件ですかしら?」
「そうなんです。”全てを捧げる覚悟がある”とまで言われては、私としても邪険には出来ません。むしろ好感すら抱いています。でも、何故彼が私を見初めたのか、何故そこまでしてくれるのか、当惑もしています」
エカチェリーナの応えに、アデリナは想う。宮廷政治で美辞麗句に飾った言葉を用いエカチェリーナを翻弄してきた貴族達への不信感が、和賀に対する警戒心を生み、当惑を生んでいるのではないかと。
そして、それはアデリナも共有する警戒心だった。
だから、彼女はエカチェリーナに向けて告げる。
「結論から言うと――今すぐに心を決めなくても宜しいと私は思いますわ。私はカチューシャには心から好きになった人と結ばれて欲しいと想いますし、それにカチューシャはまだ17歳なんですもの。急いで特定の人を作る必要なんてないと思いますわ。恋人ではなく友人達と楽しく時を過ごすのも、悪い事ではありませんし、今の内しか出来ない事でしょう?」
するとエカチェリーナはアデリナの言葉を真摯に受け止め、頷いた。
「――そうですね。今はまだ、決める必要はないですね。私は少し焦っていたのかも知れません」
「問題の大半は時間が解決してくれますし、”若者よ、若い内に楽しめ”と言う言葉も御座いますわ。その言葉通りに致しましょう」
「――そう致しましょう」
アデリナの言葉にエカチェリーナは頷き、紅茶を啜った後、マカロンを口にした。
そしてしばしの間少女らしい他愛も無い会話が続いた後、ふと、といった体で、アデリナは告げた。
「さっきの話ですけど……友達として、カチューシャの未来の伴侶として隣に立っていて欲しいのは、外見や地位や身分ではなく、カチューシャの内面を見て、知って、それから好きになってくれる方、国や世界よりもカチューシャを優先し、大切にしてくれる方、何があってもずっとカチューシャを支えてくれる方、カチューシャただひとりだけを愛してくれる誠実な方、だと嬉しいですわ。そういう方にでしたら、安心して大切なカチューシャを託す事ができますもの。浮気性の殿方だけは絶対ダメですわよ? ……と言う事で、私のおススメはサーシャですわ」
その言葉を紅茶をすすりながら聞いていたエカチェリーナだったが、最後の一節で紅茶を吹き出しそうになり、むせこんでハンカチで口を覆った。
「――サーシャは私に取ってとても大事なヒトですけれど、そう言う関係では……」
ようやく落ち着いたエカチェリーナがそう繕う言葉を発すると、アデリナは悪戯っぽく応える。
「”サーシャとはそう言う関係ではない”のでしたら、サーシャの代わりに私がカチューシャを恋人にしてしまいますわよ?」
「そ、それは……その……決して悪い気はしませんけれど、私達は友達ってイーニャは……」
戸惑うエカチェリーナに、アデリナはカップに紅茶を注ぐ為に近付いて、紅茶を注いだ後、茶道具をテーブルの上において、そっとエカチェリーナの頬にキスをした。
「!」
「友達ですもの、頬にキスくらいしても問題ありませんよね?」
真っ赤に上気した顔で、エカチェリーナはしどろもどろに問う。
「と、友達ですから、これは親愛のキスということですよね? それとも、もしかして……」
――ちょっとからかいすぎたかしら。
アデリナはそう想い、エカチェリーナに告げる。
「勿論ですわ。でも、少しは恋人気分になれたかもですよ?」
後半は悪戯っぽく告げるアデリナに、エカチェリーナは恥じらいの表情を見せた。
★
「近況はどうでしょうか?」
成神月 鈴奈は寝椅子に半ば横たわるエカチェリーナに声を掛けた。
「セイムでフリートラントへの完全優勢講和が可決されました。私もまた、それに賛同しました。ポラニアの民人が抱くフリートラントへの怒りと憎しみを慮れば、そうする他なかったのです」
エカチェリーナの応えに対し、鈴奈は問いかけた。
「しかし心中は異なるのではありませんか?」
するとエカチェリーナは憂い顔になって答える。
「私はフリートラントの人々もフリードマン総統も憎んでいません。ただ、悲しく思っています。憎しみの連鎖により、ポラニアの民人だけでなくフリートラントの人々もフリードマン総統も、これから先ますます傷つき、苦しみ、場合によっては命を失うことを。私の力が及ばないばかりに、その様な事態が回避出来なかったのは残念ですが、議会王として、決定された条件内で出来るだけ少ない犠牲で講和を目指す事に努力します」
――なるほど、”赦す覚悟”は備わった様ですね。
鈴奈はエカチェリーナの答えから、その様に判断する。エカチェリーナが自分を赦す事ができたからこそ、自身の意とはそぐわない決定も受け入れ、なおかつその上で自身の理想に結果を近づけようと努力すると言うのは、彼女の精神に強靭な柔軟性の萌芽が見られるとも想える。
しかし、この世界の情況は大きく動いている。それも悪い方に。世界崩壊の危機は目前へと迫り、僅かなミスも致命的な事態に発展しかねない。
――だからこそ、大胆な方策が必要ではないか。
鈴奈はエカチェリーナが自らの理想を叶える方策を考えた。”力及ばぬ”との劣等感を払拭する為にも、ポラニアやフリートラントの人々の被害を最小限に抑えるた為にも、エカチェリーナの理想に従った形が望ましい。
――なら。
鈴奈は意を決して提案した。
「ポラニア連合王国議会王としてではなく、ひとりのヒトとして、先王スタニスワフの娘として、フリードマン総統と会談し、言うべき事をはっきり伝えるべきではないでしょうか? 互いに本音で話し合う事が出来れば、和平に近づくことも可能なのではないかと想います」
エカチェリーナは少し逡巡した。変わり果てたフリードマンの姿を見る事になるのではないかと恐れているのだろう。だが、ややあって彼女は頷いた。
「――はい。そうして見ます。私が目をそらし続けた物を直視し、理解し、受け入れる為に」
その眼には強い意志があった。
★
――この国は疲弊している。
フリートラント総統府の客人として首都イエナで見聞を広めていた
カルティカ・エリノスは、その様に想わざるを得なかった。
街には人気がなく、しかし裏路地に入れば闇市の喧騒があり、それを物欲しげに見る戦災孤児たちの姿がある。夜になればスカイラインが明るく灯るが、無人のビルを発光させているだけの計画点灯だと聞いている。夜の街に少しでも活気があると見せかける為のそれは、軍事的に窮地に追いやられつつあるフリートラントの虚勢であるかにも見えた。
虚勢――それはフリードマン総統にも通じるものではないか。このまま戦争を――ある意味では内戦とさえ言えるそれを続けていても、誰も救えないと言う事に、彼は気づいていると想う。ただ、譲る事が出来ないだけなのではないか。
しかしそれは滅びへの道だ。ポラニア主導にせよフリートラント主導にせよ、”ピラー”とそこに座する人工神格レーゲルが完成しない限り、世界の崩壊を救う手立てはなく、双方の国民が、全てのテスタメントの生物が死に至らしめられる事は確実だ。
ならば――フリートラントとポラニア、両国の架け橋を何らかの形で作らなければならない。カルティカがそう思っていた時に飛び込んできたのが、”グロム”離反の報だった。
カルティカは総統府の総統執務室に向かい、
カール・フリードマン総統と会見した。
「お客人、一体何用かね。私は今忙しい。手短に頼む」
フリードマンの問いにカルティカは端的に答えた。
「”グロム”の件について、ポラニアと共同で対処する事を提案します」
するとフリードマンは眉をひそめた。
「その件については、既に特殊作戦部隊を動かし対処している。今更ポラニアと協力する理由は?」
「来るべきポラニアとの講和において、どのような形にしろ、ポラニアに”貸し”を作る事が出来ます。ポラニアも”グロム”を撃沈もしくは拿捕しようとしている様ですから」
カルティカの答えに対し、そっけない態度でフリードマンは答える。
「その必要はない」
だが、カルティカの次の言葉で、態度を変えた。
「憎しみを忘れろとか、別の感情で上書きしろとは言いません。そんなの無理ですもの。ただ……為政者は時として、自分の心とは別の決断をしなくてはならない事も、あると思います。でもそれは大切な人への裏切りではありません。大切な人が愛した物を、守る為の決断だったのですから。たとえ後でどれほど心が痛んだとしても」
フリードマンは複雑な表情を浮かべ、やがて言った。
「我が盟友、先のポラニア議会王スタニスワフも、それを望んでいると言うのか」
「私がこの世界で見聞を広めた限りにおいては、その通りです。そして彼と彼の娘エカチェリーナ議会王は、戦争に付いても和睦を志していると想います」
「だが、ポラニア連合王国のセイムにおいては強硬な完全優勢講和案が議決された。我がフリートラントはこれを呑めん。いずれ決戦の日が来るまで闘い続け、そして決戦に敗北するまで戦争は続く」
カルティカの説得に反論するフリードマンだが。
「その他の道も、あり得るのではありませんか?」
その様に問われて、沈思黙考する。
彼の有り様を見て、カルティカは想う。
――かつて自分は、家族を害し祖国を踏みにじり、自分を含め誰もが死を望んだ男に、国家の存亡を左右する可能性のある情報と引き換えに恩赦する決断をした。家族も賛成してくれた。誰よりもその男に怒り憎んでいるのはあの子だったのに。
その時の想いを鑑みるだに、フリードマンが極めて難しい二律背反に置かれているであろう事は容易に想像が付いた。それでも、カルティカはひとりで暗闇の中にいる様な彼の足元を、”貴方はひとりじゃない”と指し示すことで、少しでも明るくしてやりたいと想っていた。
だから、カルティカは沈黙しているフリードマンに言葉を掛ける。
「ポラニアのエカチェリーナ議会王とホットラインを通じて会談してみてはいかがですか? ダメで元々です。もしかしたら”他の道”を、エカチェリーナ議会王が指し示してくれるかも知れません」
すると、フリードマンは口を開いた。
「――負うた子に教えられる事もあろうか。よろしい。君の提案を受け入れよう」
「有難うございます」
カルティカは優雅に礼をした。