「扉を開けたら美しい自然……森の香り、川のせせらぎ、そして竜の咆哮――咆哮!? ちょいと待つのさ!? もっとこう最初はメルヘンチックとかそんなムード作りとかないんさ!?」
リズ・ロビィは扉を潜り抜けて早々、自らの置かれている状況に絶望した。
ファンタジーといえばファンタジーらしい展開ではあるが、まさか異なる世界に渡って早々、不穏な者達の雄叫びを聞く事になろうとは考えてもみなかった。
だがそれはオーバーチュア騎士団に属する面々も同じ思いであった。
「身分を隠すため、あえて外法の歌唄いとしてやってきたけど……まさかこんな事になるとは」
そう語るのは
今井 亜莉沙だ。勲爵士に叙された彼女は、コーデリア領に滞在するにあたり領主エルフィガや娘のオーフェデリアに気を回されぬよう本来の立場を隠していた。堅苦しい歓迎の儀式を避けるためでもあったのだが、まさかその途中、オーバーチュア騎士団の緊急招集が掛かるとは思ってもいなかったし、ましてや救助へ向かった先で扉に吸い込まれるなど誰が予想できただろうか。
そのせいで亜莉沙は今、歌唄い――この世界でいう所の吟遊詩人に与えられている加護を得ている。それが裏目に出たかどうかは今後の動き方次第で変わっていくだろうが、ただただ慣れぬ感覚に戸惑うばかりである。
困惑している亜莉沙をよそに、隣に立っていた
アニー・ミルミーンもまた深刻そうな顔をしている。
「…………」
リデザイアに覚醒した者は代償として自分の本来の声を失ってしまう。それを補うためにVボイスという人工音声を使用していたのだが、どうにも扉を潜る際にその機械が故障してしまったらしい。これでは喋る事も儘ならない。その上、彼女が授かった加護は竜騎兵に与えられるものだ。前線に立つ事があまりない彼女にとって、喋る事もできず、また不慣れな前衛として務めなければいけないというのは周囲が思っている以上に酷である。
「ミルミーン様、どうかお気を落とさずに……」
アニーを気遣ったのは
川上 一夫である。アークの世界で歌おじさんをしていた彼もまた、緊急招集を受けて集い、扉に吸い込まれた一人だ。
その表情は普段となんら変わりない。オーバーチュア騎士団が未知なる世界へ転移したこと、そしてこの地で起きている争い。いつも通りが通用しないであろう現状を鑑みれば、彼の表情が曇っても仕方はないのだが……彼はこの地に騎士団が召喚された事を好機と捉えているようだ。
「アークに居た時と同様、皆様と共にバルバロイならぬ邪竜の眷属と戦いましょう。ともに歩めば、邪竜に後れをとる事もないはずです」
「そうだね……困っている人を守るためにも、あたし達が力を合わせて乗り越えないといけいないのさー!! さあ、みんなで準備するのさ!!」
リズのかけ声を皮切りに、各々戦闘の準備に奔走し始めた。
リズは周囲の人間や竜に声を掛け、この地の事や眷属についてのあれこれを聞いていき、どのような作戦が有効であるかを考えているようだ。
亜莉沙は吟遊詩人達に声を掛けている。この地に纏わる歌や踊り、それらがどのように昇華していったかの歴史を学び、自分の歌や踊りに活かせないかどうかの確認をしていた。
一夫もまた、同じ加護を持つ者に声を掛けている。シャーマンとはどのような術を使うのか。そして掟とは何なのか、この世界に根付いた文化からその術を手ほどきしてもらっているようだ。
――そしてアニーは一人佇んでいる。
人工音声まで失ってしまった彼女には喋る手立てがない。尋ねようにも筆談となるのだが、邪竜の眷属達に抗う者らは全て忙しなく動いている。時間の掛かるコミュニケーションではきっと邪魔になってしまうだろう。
どうすべきだろうか。アニーが悩んでいると、一匹の竜が傍へ寄ってきた。
『お困りかな』
柔らかな声が耳朶に触れた。
「…………!!」
アニーは大きく頷き、それに応えようとする。しかし声は出ないまま沈黙だけが辺りを支配している。そんな様子を悟った竜は頭を下げ、鼻先をアニーの手元に近づけた。
『我が翼と、そう希(こいねが)うといい』
アニーには首を傾げる。翼と願う事に何か意味があるのだろうか。アニーは不安を抱きながらもそっと鼻先に触れ、その言葉を脳裏に浮かべる。
『……これで良いんですか?』
『よい』
『わたしの言葉が分かるんですか!?』
『触れている間ならば。必要であれば貴殿の声となろう』
『えっと、それでしたら……背に乗せて頂けませんか。ここにいる皆さんをお守りしたいのです』
この地に生きる者達、そしてオーバーチュア騎士団の面々。眷属達に嬲られることなく活路を開きたい。アニーが強く願えば、竜は大きく頷いた。
『我が名はヴァルター、今より貴殿の翼と声になろう』
『私はアニー、よろしくお願いします』
ヴァルターによって声を得たアニーは迷うことなくその背に乗った。
◇◆◇
「よし、それじゃあ眷属を退けに行くのさー!!」
粗方準備を終えたリズ達は集い、ざっくりとした作戦を共有した。
ひとまず行うのはリズによる戦況分析、その為の時間稼ぎである。
この世界にどのような魔法があり、またどのような生物がいるのか。邪竜の眷属の動き方やその生態を探り、立ち向かっていこうというものである。
「それじゃあアリサとアニーちゃん、川上のとっつぁんで暫く持ち堪えといてねー、その間にあたしが周囲の様子を窺っておくのさー」
リズは元気よく神殿を飛び出した。物陰や草の合間を縫い、身を隠す場所を探り始めた。
後に続いたのはアニーだ。ヴァルターの背は思ったよりも揺れが激しく、後方支援をこなしていた彼女にとって、目の前が開けているというのは不安ばかりが募っていく。
それに前方には邪竜の眷属達が暴れ回っている。それらと対峙する事を考えれば、否応なしにも感情が揺れるというものだ。
「――アニーちゃん、フォローはあたし達がするから、まずは目の前の敵に集中して!!」
亜莉沙はアニーに活を入れ、歌を紡いでいく。いつも使用しているエルケーニッヒはアニー人工音声と同じように壊れて使い物にならなかった。
だが、そんな状況でも亜莉沙の表情は明るく力強い。己には歌声がある、音を奏でられなくとも歌声で彼女をサポートすると決めたのだ。
「私も支援致します、お任せ下さい!! それから……どうか深追いはなさらぬように、私達はまだこの世界について何も知らない身ですからね」
後方に待機していた一夫は聖書を片手に、前線へと赴くアニーを鼓舞するような声色で叫んだ。
『亜莉沙ちゃん、一夫さん……。ヴァルター、わたしに力を貸して下さい!!』
アニーは宝剣ディグニファイアを手に、立ちはだかる眷属と向き合う。彼女の力強い声が具現化し、周囲には目映い光が広がっていった。光は徐々に形を整え、アニーを守る鎧へと変化する。
ヴァルターもそれに応えるようにして雄々しい咆哮をあげた。眷属の注意を引き、その攻撃を弾かんと長い尾を振るい応戦する。アニーはヴァルターの奮闘を横目に生み出した幻影を差し向け、隙をついて宝剣ディグニファイアを眷属へと突き立てていく。
「……うん、アニーちゃんたち頑張ってるのさ。それじゃあたしも調査してみるのさー」
リズは眷属の視界に入らぬよう、物陰を利用して周囲の状況を確認していく。邪竜の眷属が持つ狂気、それを敵意とみなし敵について探っていく。木々の合間に眷属はいないか、神殿を襲おうとしている個体はいないか。一つ一つチェックを重ね、周囲の安全を確認していった。
「んーと……伏兵はいないのさ。今は翼竜しかいないから空にだけ注意しておけば良さそう。神殿の方には他の渡り人もいる……うん、そろそろ本腰入れて戦闘に参加するかなー」
安全が確保できれば問題無い。リズは界霊獣をアゲンストを召喚し、護衛に任命した。コウテイペンギンにタテガミが生えたような愛らしい獣はとてとてとリズの周りを警戒している。
「指揮に集中するから頼むのさ、大丈夫……指揮さえ執れればあたしの勝ちだから」
リズは大きく息を吸い込み、森に向かって声を張り上げる。
「さあ、皆で住み処を取り戻すのさー!!」
荒れ狂う眷属達によって焼かれた森の一部、そしてそこに住まう者達の不安や怒り。それらの感情を操り、森に住まう生き物たちの本能を呼び起こしていく。
森の中から獣たちが姿を現した。どの瞳にも憤怒の色が見てとれる。
「あたしがボスだ、みんな行くのさ。……剣を、砲を、歌を……全ての音色を響かせ、このハイラハンにオーバーチュアはここに在ると奏でるのさー!!」
リズは鞭をしならせ大地を打つ。風を切る音、小石を弾く音。それらを合図とし、翼あるものたちは空へと飛び立った。飛べぬ者は下からの援護だ。石を投げたり、空より落とされた眷属に追撃を試み、その顎で食らい付いていった。
◇◆◇
戦闘が落ち着いた頃、一夫は仲間の傷を癒やしてから一足先に神殿へ戻っていた。
どうして彼が戦線離脱を決めたかといえば、それは尋ねてみたい事があったからだ。
「メルゲン様、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
一夫は神殿内で民間人のケアを行っていたメルゲンに声を掛けた。
「構いませんよ、何かご用でしょうか」
「この世界と邪竜について……詳細を伺いたいのです」
問えば、メルゲンは考えるような素振りを見せた。どこから話したら良いものか、そのような呟きを残し、暫し沈黙する。
「それならばダイル・ウスンに問うのがよいでしょう。私はあくまで言い伝え程度しか知りません。しかし彼ならば……竜としての視点で話してくれるでしょうから」
メルゲンはそう言うとダイル・ウスンに声を掛け、再び民間人の元へ戻っていった。
「ダイル・ウスン様、お話を聞いてもよろしいでしょうか」
『語れる事であれば』
「この世界や邪竜について。そしてあの眷属が残していった光についても」
それは戦場の最中、一夫が目にした輝きだった。眷属達が消え失せる直前、瘴気とは違った輝きを残している。どれも小さな輝きではあったが、温かな光に悪しき気配は感じられない。そのような事を言えば、ダイル・ウスンは静かに語り出した。
『……あれは竜の命、その残滓だ』
絞り出した声は昏く、哀しみに満ちている。ともなれば、打ち払った眷属達は本を正せばただの竜であったという事なのだろうか。
「命の残滓ですか……」
『そうとも、比喩ではなく……まさに食い尽くされた残りなのだ。しかし貴殿らが杞憂に思うことはない。あの光が見えたということは、その者の命が空へ還ろうとしている証左だ』
竜は死後、空へ還るのだという。
それも人が視認できる範囲ではない。数多の星々を追い抜き、宇宙の果て――星々が途絶える深淵を目指すのだ。宇宙の果てに辿り着いたものは輝きを暗闇に置いて眠りにつき、彼らもまた星の一部となるらしい。そうして宇宙は広がっていくのだと、ダイル・ウスンは語ってくれた。
『我らの言う空は遠く、果てない場所。青空の下ではなく、暗闇こそ終わりの世界……しかしそれは哀しみに塗れたものではない。我ら竜は空に浮かぶ数多の星々、その一つとなりて、この地に生きるものを見守っているのだ』
ダイル・ウスンはそっと瞳を閉じ、再び口を開く。
『そして邪竜はその輝き……竜の命を食らう者。彼の者に食らわれ、完全に取り込まれたものは輝きを失い、永久に空へと還る事ができなくなる。眷属を屠った貴殿らには感謝してもしきれぬものだ』
「……その邪竜はどこから生まれたものなのでしょうか」
問えば、ダイル・ウスンはフッと笑った。
『それを語らう時間は無いだろう。ほれみよ、貴殿らの仲間が戻ってきたぞ』
振り向けば、そこには戦闘を終えた仲間の姿があった。