〈鳥湖山見聞(2)〉
「このくにが、いま、いろいろとひさんなのは……まのあたりにしてわかりました、が……」
数多彩 茉由良がおずおずと雅仁に話しかける。
「……わたしたちには、まだ、じょうほうがたりなくて……そもそも、この『でわ』というくには……どのようなくになのでしょうか?」
確かに、先程から雅仁の口からは次々とこの国にとって常識であろう単語や固有名詞が幾つも飛び出しているが、その意味を正しく理解するのは、ついさっき来たばかりの特異者たちには当然困難なことだ。
「そうか、其方らはお駒と同じく出羽に入ったばかりであったな。失礼した」
雅仁は謝ると、どこからどう話そうかと暫く整理しているような素振りを見せた後、一つ一つ確認するように話し出した。
「この出羽は、長らく『天鳥』という最高位に任ぜられし者が代々統治してきた国だ。これといった内乱もなく、他国に侵略されることもなく、皆日々を穏やかに暮らしてきた……と思う」
(……『思う』、とはどういうことだろうか? 自分の国のことじゃあないのかね?)
苦し紛れに付け足されたその一語が
ダヴィデ・ダウナーの中で小さく引っ掛かるが、今はもう少しこの国の事情を把握しておきたい。
(俺の故郷、扶桑国では、よく知りもせずただ敵を倒すことを良しとはしない。渡来人として、まずは出羽国事情を知らにゃあな)
ダヴィデは抱いた疑問を取り落とさぬよう胸の奥に据え、着慣れた着物の裾を歩みで揺らしながら雅仁の話に耳を傾ける。
「その、『てんちょう』さまが、かげつきに……。かげつき、とは、なんなのですか?」
茉由良は少ない情報から様々な憶測を巡らせてみた。
(やはり、すくなくとも、かこにいちどいじょうは……かげつきがしゅつげんしているのでしょう……。でも、かげつきとは、もともとこのくににそんざいしていたのでしょうか……?)
茉由良の質問にはアルフレッドも同意する。
「そうそう、そこなんだよ。『かの者』が『大悪の者』じゃねーのかってのは何となく分かったが、結局その『大悪の者』ってのは何者なのか、『影月』ってのは一体何なのか、『孔雀夜叉の伝承』ってのにそれらが出てくるなら、その辺詳しく聞きたいもんだな」
「それなのだが……」
雅仁は悩ましげに額を押さえた。
「某が聞いた限りでは……影月とは、大悪の者が封じられた『月の影』だと。伝承では、孔雀夜叉は大悪の者を連れて影月に飛び込み、その後影月は元の月に重なり消えたそうだ」
「『たいあくの、もの』……。では、かげつきからふってくる、まがまがしいれんちゅうも、たいあくのもの……なんですか?」
茉由良の問いに雅仁は眉間に皺を寄せ首を傾げながら答える。
「それが、何とも言えんのだ。某は大悪の者が如何な者であったかも分からん故」
(成程……天鳥さんとやらに聞いた内容しか知らないってのは本当みてーだな。こりゃ、巫女さんの話とやらを聞いた方が早そうだ)
雅仁の答えそのものに疑問を抱いたアルフレッドは、巫女の留の話に期待することにした。
「では、まさひとさんは、まがまがしいものたちには、どうたいしょしているのですか……?」
「武士団の武士たちには問答無用にぶった斬れと命じている。躊躇えば先手を取られ殺されるのは明白ゆえ。今のところは、それでどうにか互角にやり合ってはいる。もっとも、此方は生身、相手は化け物……持久戦に持ち込まれれば此方に分はないが」
「そういえば、孔雀夜叉という人はその後どうなったの?」
エレミヤに問われた雅仁は僅かに俯く。
「そのまま消えたらしい。影月の中で何が起こっていたかは分からんが、普通に考えれば出口を封じた以上地上には戻れまい。故に、孔雀夜叉はそのまま消えたと聞いている。天鳥様も、そのお覚悟だった……だが」
俯いていた顔を上げ、雅仁は頭上に浮かぶ昼間の月を睨んだ。
「此度は伝承のように影月が完全に元の月に重ならなかった。しかも、重なりきらずに残った三日月型の影から得体の知れん者どもが降ってきては民を襲う。天鳥様の身に何があったのか、よもや天鳥様ほどのお方でも『かの者』を抑えられなかったのか……某には分からん」
焦りとも悲しみともつかぬ気を纏いながら雅仁は山道を登る。