〈前川米騒動(8)〉
肌寒い空気から着物で己を守りつつ、詩穂はロザンナと共に田んぼの間の畦道を歩く。
前川集落の田畑を見渡せるような見晴らしのいい道のほとりに、五穀豊穣の神を祀る祠はあった。
現代の地球にあるもので例えるなら、その大きさは仏壇程度といったところだろうか。
「修復は去年って言ってたよね? 確かに新品同様っていう感じじゃなくなってるかも」
元は白く輝いていたであろう木材も風雨にさらされ陽に焼かれ多少くすんだ色をしている。
しかし、木材には丁寧に鉋がかけられているのか、ささくれ立ったところもなく柱の角も取れていた。
「仕事ぶりは丁寧みたいだね。屋根も瓦を使ってる。このサイズの瓦って、たぶん特注だよね?」
総じてこの祠、小さいなりにそこそこの金はかかっていそうだ。
「この祠の修繕費用って、幾つの集落が出し合ってるんだろう? 前川集落が一番多く出してるのかな?」
ロザンナが小首を傾げていると、疲れ切った様子の民が数人通り過ぎる。
「あの、すみませーん」
詩穂が民を呼び止めた。
「詩穂たち、小平の家に世話になってる渡来人なんだけど、この祠のこと訊いてもいい?」
「今更その祠に何の用で?」
民たちは訝しみながらも、やはり「小平の家に世話になっている」のが効いたのか、詩穂の頼みに応える。
「この祠の修繕費用って、前川集落が他の集落よりも多く費用を負担していたりするの?」
詩穂が問うと、民たちは顔を見合わせて揃ってかぶりを振る。
「多くも何も、お嬢さん、この祠は前川集落の物なんだから掛かりも職人も全部前川集落が持ってるだろうよ」
「全額負担!?」
「そりゃそうだろう。五穀豊穣の神様の祠なんざ、どこの集落にも一つくらいあるさ」
どうやら出羽では至る所にこうした祠があり、その管理は集落ごとの負担のようだ。
そうなると、また別の疑問が湧いてくる。
(帳簿の限りだと、蔵米は殆ど減ってないって春之進ちゃんは言ってたよね。でもこの祠の出来栄えだと、そこそこ費用がかかってるんじゃ……?)
「それじゃ結構な負担だったんじゃないの?」
「そこまでは知らんよ。こういうことは全部前川様が仕切ってるから、前川様に訊いた方が早いよ。すまんが、親戚一家が禍々しい者たちに家ごと潰されて死んじまってね、祠云々を気にしている余裕はないんだよ……そろそろ行ってもいいかね?」
「あ、うん……教えてくれてありがとね」
民たちは詩穂の礼に振り返り軽く頭を下げながら去っていった。
「せめてどれくらいかかったのか知りたいなぁ……前川家の給仕さんなら知ってるかな?」
「なら早く帰って訊いてみようよ! でもその前に……」
ロザンナは詩穂に霊符を貼り付けた。
「今日は歩き回ってるからね、これで少しは疲労も感じにくくなるよ!」
前川邸に戻った詩穂とロザンナは、応接間に戻る前に縁側を走る下女を捕まえる。
「お給仕さん、ちょっといいかな?」
相手は高貴な身分の春之進が連れ込んだ渡来人であり客人だ、下女は失礼のないように足を止め、
「何でございましょう?」
と問いかけた。
「二郎左衛門殿が蔵米をはたいて修繕した祠、小さいけど立派だったね! あれって、職人さんを雇ったの?」
下女は微笑みながら返す。
「ええ、今日もいらしてる材木商の阿部様が口利きされた腕のいい大工さんをねぇ」
「腕利きの大工さんなら、けっこうお金もかかったんじゃない?」
下女ははて、と首を傾げながら、
「さて、その辺りは私程度じゃ分かりませんけれども……」
と言いつつも、口元に手を添え詩穂に顔を寄せた。
「阿部様がお住まいの集落は米の収穫がほぼない所でございますゆえ、旦那様にそっぽを向かれると色々と厳しいんでございましょう。多少の無理も聞かざるを得ないのではないかと……」
そこまで言うと下女は顔を離し、お辞儀する。
「それでは、この辺で失礼いたします」
立ち去る下女を見送りながら、詩穂は考える。
(祠の修繕は確かにやっていたし、それなりの手間も掛かってたよね。お金はまぁ……話だと「お友達価格」みたいな感じだったから、安く上がったのも不自然じゃない。材木商が関わってるって言うくらいだから、材料費もその人が上手くやってくれたんだよね、きっと。そうなると……)
「祠の修繕にお金がかかったから農民に出せる蔵米はないなんて、どうしてそんな嘘を吐いたの?」
詩穂の口から洩れた問いに、ロザンナは「うーん」と小さく唸った。
「そこは単なる言い訳で、蔵米を出したくない理由が他にあるのかもしれないよ? ボクには理解出来ないけど、二郎左衛門君みたいな人には、簡単に首を縦に振りたくない変なプライドとか見栄とかがあってもおかしくないよね」
(だからこそ、ボクの思いついた策も多少なりとも効くと思うんだ。早速試してみなくっちゃ!)
無意識に拳を作っているロザンナを見て、詩穂はクスッと笑う。
「何かいい案を思いついたみたいだね。早く合流しようよ」