…※…※…※…
頭上をグリフォンが旋回している。
猛禽類特有のあの鋭い眼光で狙い定められているのが産毛が逆立つような感覚ではっきりとわかった。
「まったく、リスクを楽しんで周囲を巻き込む自爆ですか」
弱肉強食の上位に君臨する存在特有の優越感に晒されて
優・コーデュロイは不快感が溢れ出そうになる。
本来なら獲物に気取られる前に狩りを行うだけの知性を持っているだろう魔物は、その殺意を害意を、否、快意を臆面もなく優達へと向けている。
それは、人間を襲うという行為に、食を満たす以上の喜びを見出している証明でもあった。
「意思を捻じ曲げられて、利用目的に躾けられて、今度は支配されて暴走しているのね」
イグニス・ラヴァーを片手にした
ルージュ・コーデュロイは一時の別れを優の肩を叩くことで告げる。
「魔族……、魔物は本能に抗えぬ」
キィキィと鳥類特有の愛らしい鳴き声は正しく魔物の感情表現だ。人の都合で振り回された結果の、鳴き声だった。
その様子を見上げて
レジェヴァロニーエ・レクラムは「必然であろうな」と独語を零す。こうも成るのは当然のこととわかりきっているからこそ、主催者は優の言う“周りを巻き込んだ自爆”を選んだのだろう。まるで深層の企みを隠そうと足掻いているかのように。
瘴気対策に干しクラーケンがレジェヴァロニーエの手から優とルージュにそれぞれと渡る。
“狩り庭”の開催は魔物の暴走という事故に見舞われた。それは魔物を軽んじた人間の愚かさの結果であり、被害は周りを巻き込むものという全くもって迷惑極まりないものであった。教会に駆け込んだ依頼人の密告は、優はまだそちらのが理解ができる。
「後始末として魔物を排除しなくてはならないのは事実でしょうね」
空から地上へ届くほどの魔物の全身から滲み出る愉悦を見過ごせる理由はどこにあるだろう。
人間を獲物と見做し、狩られる側から狩る側へと転向した脅威は、優の目に不憫そのものと映った。
「そうだな。今は周囲に被害が出る前に潰しきるのみよ」
散開後、ルージュは森に飛び込み、優は火精のルインを開放。イグニスドレスの裾や月花のマントが活性化した魔力と生命力のあおりを受けて大きくなびいた。
レジェヴァロニーエが優の前に出るのは盾役をこなす為。加護の祭服が竜鱗のペンダントの結界を強化し、自身の魔法耐性を高める。オウスで仲間達を守り切る事を誓い自らの意思を明確に示し加護の享受に戦闘に臨むのだ。
キュルキュルとグリフォンが鳴く。そして、優を目指して急降下した。
垂直落下の猛突進はまっすぐと優との距離を詰める。獲物を掴む為に開かれた鷲の鉤爪を優は水平に掲げた刀身で受けて、巨体の落下荷重に押され弾き上げられずに力比べへと移行した。腐葉土に足が踝まで埋まる。優は眉間に皺を寄せる。こういう場合、大抵はすぐに間合いが開くものなのに、グリフォンは大翼を広げ更に力を加えてきた。優が足幅を広げ反撃の意図を示そうとすると翼を震わせ体を揺らし加重の重点を僅かずつに変えてきて、バランス感覚を崩し始める。
ただそれは瞬間的な均衡で、割り込むレジェヴァロニーエがそれを打破した。靭やかな体が生み出す発勁の瞬発力は疾風の蹴りとなってグリフォンの胴へと叩き込まれる。黄金の体毛の皮の厚さはこれに耐えた。グリフォンの視線を感じて、レジェヴァロニーエは更に体を捻ってもう一打蹴りを見舞った。
横に吹っ飛ぶグリフォンの圧力から開放された優は、空中で反転し地面に着地した魔物をレジェヴァロニーエとふたりで追いかける。
先に仕掛けたのはレジェヴァロニーエ。優を背中に隠す形で先行し、頭を地面ぎりぎりまで伏せて後ろ脚にバネを溜めるグリフォンへと肉薄する。振り被る拳にはスケイルスキンで部分竜化の発現が成されている。紛れもない竜属の前脚は、一番手前となる魔物の嘴へと打ち下ろされた。
レジェヴァロニーエの一撃は、魔物の跳躍の出鼻を挫く形となった。上から下へと流れる衝撃に地面へと顎から強かに叩きつけられる。
猛禽の眼が焦点を失う。この機を逃さず切っ先を斜め下に地面を走る優は地面を蹴って飛び上がる。伏せて急所が狙えないならより皮膚の薄い箇所を!
――と。銃声が響き、優は跳躍の中、咄嗟の回避行動に無理やり体を曲げた。下げた頭の上を獣爪が掠っていく。
優が着地、入れ替わるように飛翔しようとした鉤爪のグリフォンは翼を広げ軽い助走に踏み出そうとしてそのまま前のめりに倒れ込んだ。
「そう簡単には飛ばさん」
魔物の鉤爪の前脚にはレジェヴァロニーエが手にしている聖浄の銀鎖がしかと巻かれていて、行動阻害に怒るグリフォンと竜族の彼女は互いに力比べを始めた。
気絶したフリをするとは!
攻撃を止めなければ優は鉤爪の反撃にあっていた。ルージュのイグニス・ラヴァーは高い消音性を持っており、彼女だけ森に紛れてのサポートとして戦略を組み立てていたが、そこはフォートレンジャーの機転だろう。味方が気づくようにわざと音を出した。全体を見通し観察し続けていたルージュは二匹目のグリフォンの乱入を妨害し、魔物の罠を優に伝えたのだ。
「ルージュ……!」
銃声が二度、三度と大気を穿つ。魔物の大きな影が旋回に地面に環の軌跡を描いて、空からは金色の羽毛が舞い落ちて、赤い飛沫の雨がちらつく。その後は、音もなく翼は爆ぜるように散り、赤い雫が飛んだ。魔力弾の連打の熾烈さが魔物に歪な空中ダンスへと誘う。
けれど、グリフォンは墜ちない。まだ優の剣が届くまでには至らない。
キィキィと魔物は鳴いた。
クルクルと魔物が鳴き返した。
辺りの地面は降り注ぐ魔物の血が点在し、その色が吸い込まれるように消失したが、二匹の巨体に三人の注意は向けられていた。
血を得た魔の森が一層と色を深め、ざわめき出し、内から外へと押し広げていく急成長がルージュの森人の視聴覚を刺激する。
さらなる血を、肉を、と沸き立つ狩り庭の森の活気に即時物事の優先順位を整理したルージュがイグニス・ラヴァーにナムバレットを装填し、遊底を引くと同時に魔力を注ぎ与える。
狙いは未だ飛び続けている獣爪のグリフォンに。深紅の大型拳銃を両手に構えて優の間合いまで確実に撃ち落とす為に照準を定めた。魔力が圧縮され一点へと集束されて、銃身から魔力鳴りが溢れる。あとはトリガーを引き絞るだけとなった時、ルージュの視界の端を人影が駆け抜けていった。
その人影が持つ銃を撃ち抜けたのはマークスマンズドクトリンの技術あってこそ、だろう。
死角から突如見知らぬ銃が弾き上がって転がり、次いで耳に刺さった人間の悲鳴に優は身を翻した。
地面には麻痺して動かない体を無理くり動かし起き上がろうとしている参加者(ゲスト)のひとりが転がっていた。
流れた人間の血の匂いに、ギャァギャァと魔物が喜びの二重奏を奏でた。グリフォンが次の獲物に誰を選んだのかは瞭然であった。
「こちらへ」
優は知らないが、“優(自分)に銃口を向けていた”相手へと彼女は駆け寄り、移動の為に男の腕を取る。
「何を考えての行動かは問いません。まずは安全の為に下りましょう」
痺れる指をベルトに提げたナイフのヒルトに掛けている男を冷静に諭す優は相手を支えた。
「あ、れは! 俺の獲物、だ……ッ」
縺れる舌の耳元での抗議に優は緩く首を横に振る。
「頼むよ……見逃して、くれ、よ……」
そして、次に放たれた懇願に男の考えがわかった。だから、ルージュは救出対象であるイベント参加者に銃口を向けたのだと得心する。
「そこに居てください」
麻痺が解けるには時間の経過が必要だ。すぐに動かれて自分達の邪魔をしないとわかっているだけ、優は男に勝手な行動は慎んでもらうよう念を押す。
血が欲しくて、肉を喰みたくて、つる植物が垂れ落ちてくる。それを火剣の一閃で焼き切ると、絡みつく灰を払って、優は背を正した。
一層と燃え上がった火精の圧迫に気圧されて怯えた森が動揺し、情景が歪む。それ以上に火を好む高木が自分を燃やせと優を煽った。耳のガーナーピアスが魔力の気配に輝くように煌めいている。
前に一歩を出て、二歩を進み、三歩目から駆け出した。下から斜め上に、精霊の色に閃く剣を振り上げて肩の高さに構えれば、レジェヴァロニーエと綱引きに根比べしているグリフォンへと突撃する。
優の剣の構えにレジェヴァロニーエは両足の竜化を膝上まで発展させた。肩まで膨れる両腕に鎖を一巻きさせて、踏ん張ると両足が腐葉土に埋まって隠れた。靴底が木の根か岩か硬い部分に触れて、レジェヴァロニーエは歯を食い縛る。次の瞬間、グリフォンの後方に向かって駆け出した。回り込んで鎖を巻いた脚の反対側へと移動しこれで仕上げだと鎖を引き、グリフォンの腕を上に挙げさせた。
浮き上がる胴は優へと急所を晒さらす。
巨体に潜り込む形で突っ込んだ優は躊躇いなくシェルブレイクを突き入れる。やすやすと皮膚を切り裂いて心臓へと剣は到達した。剣を引き抜くよりも速く、痛みと怒りで後ろ脚二本で立ち上がったグリフォンに優は腰を落とし両膝に力を溜める。踏み切りは力強く、魔物の返り血を浴びた彼女は振り下ろされた鉤爪を二つとも剣で弾き、残る三撃を喉の一箇所を裂いた。そうして、熟達したマーセナリーによる高速の五連斬りを受けた魔物は後方へと倒れ込んだ。
先程からずっと飛翔の魔物は鳴いている。全身に銃弾を浴びて痛みを抱えながら、上空で喜びに鳴いている。
明らかに、愉しんでいた。墜ちぬ魔物は真っ赤な嘴で鳴いて、悦びを全身で体現している。
「そう……。あなたなの」
人間の味を覚えたのは。
抑えられないのだとルージュは悟る。
初めての感情を抱いて、持て余しているのが自明であり、制御できていない、苦痛が快感だと勘違いを起こしている醜態が在った。魔物は狂った飛び方で、自身の身を守る術を失っている。
致命傷を負いながらも、死ぬに死ねない状況なのだ。
ゴメンね、とルージュは素直に思う。
「私達に今できるのはその苦しみから解放してあげることくらい」
ただの魔物と侮りはしない。過去も現在も未来も、彼女達は常にそうしてきたし、そうやっていくだろう。
「全力で止めさせてもらうわ」
宣言は厳かに。チャージモードにイグニス・ラヴァーは満ちる魔力に唸り声をあげるかのようだ。
グリフォン本来の傲慢な魔獣が生まれようとするのを阻止する為に、ルージュは引き金を絞った。
相手の防御を破る、一撃目は楔に、二撃目はそれを打ち込むため。二重奏の銃声。心臓を貫通し、空を抜けて長引く残響となる。
終ぞ、グリフォンを撃ち落とした。
「優!」
そのグリフォンだけは生かしてはおけないとルージュは叫ぶ。
干しクラーケンを食んで胃に押し込み、剣の柄を握り優は疾走る。時間もなく拭えないままの魔物の血の下で竜血の契が刻み上がる。トロールレベルの強力な生命力と耐久力を持った相手を前にしたときの手段を、優は哀れな魔物に確実なトドメを与える為に選んだ。
邪竜の胴さえ輪切りにした剣を、今度はグリフォンの首へと振り下ろす。
体に伸し掛かる反動など考えるまでもない。
終わらせる。ただそれだけに、優は、一閃を世界に引き下ろす。
…※…
「頼む。爪を……せめて羽根を持ち帰らせてくれ!」
金になるのだと男は優に嘆願する。
仕留めた獲物は自分の物にできるのが狩り庭でのルールであり、参加者へと贈られる報酬であった。さて、グリフォンという魔物の特性はどの様な内容が書かれていただろうか。
「爪を……薬を……妻に、薬を……」
うわ言のように男が呟きを繰り返す。大金を積んで、得るものとはなんだろう。
明確な理由(動機)は安易に人を走らせた。
そして連鎖となる。正されない悪習の末に、人が堕ちる。
救いたいと願う相手が愛しい者なら尚更、感情は割り切れず、理性はただ冴えていくだろう。
“わかっていて”行動を起こすのだ。
「まずは貴方の保護です。お話は教会で伺いましょう」
「しかし!」
優を狙ったのはグリフォンの爪や羽根を欲したからだ。後ろめたさに同行を拒絶する男に優は「他に何も触らないでください」と繰り返した。
「全ては終わってからです」
魔族絡みであり、魔界の植物が蔓延っているこの場所は確実に教会の調査対象になる。
「まずは安全の確認が要ります」
そしたら。
「口添えくらいは私でもできると思いますので」
時間がかかるが交渉くらいは、依頼を受けた冒険者の立場としてできるだろう。確約できずとも、行動は起こせる。
人には想いがある。
連鎖を断ち切るには、手段はひとつだけとは限らないと選択肢を与えねば。そして、出来得る限り、人として正しい道を示さねば。
教会は人族の為に手を差し伸べよう。
ゲストが落ち着いた頃、そのひとに先に気づいたのはルージュだった。目配せを受けた優も同じくそちらへと視線を向けた。
軽装を赤く染めた黒髪の青年が歩いているのが見える。周囲へ気を配る余裕がないのか警戒している様子もなく、紫色の眼の色さえ判別がつく近い距離の優にも気づいていているのかいないのか。まっすぐと森の向こうへと消えた。
周囲に危害を加えないと判断し、追いかけず、三人はグリフォンの鳴き声に爪先をそちらへと向ける。