SCENE1. ”犠牲”の必要
八上 ひかり、
シャロン・ナカミズ、
国頭 武尊、
シレーネ・アーカムハイト、それぞれ立場も目的も違う4人は、アルスター辺境伯領の下町の居酒屋で自分たちの集めた情報の突き合わせをしていた。
というのも、辺境伯領の<部外者>として、昨今辺境伯領で広まる噂の出処を探るため、流しの歌姫に扮し社交界に出入りしていたシャロンが、シレーネがかつての人集めの際に手伝ってくれた楽士や歌姫の伝手で、社交界に探りを入れていたため、顔を突き合わせることになり、さらには、フィオナが失脚しては自分のようやく手に入れた地位も水の泡になると懸念した国頭が、やはり社交界への探りを入れていたことをふたりに気づかれて、どうせならそれぞれ思い思いに調べるより情報交換したほうがいいとの判断で、こうなったのである。
「まず、あたし達が調べた噂について整理するね」
ひかりが羊皮紙のメモに、インクに浸した羽ペンで噂の種類を列挙しつつ読み上げていく。
「ひとつ。アルスター辺境伯
イーモン・アルスターが病の床についたのはラードナー伯爵
キリアン・ラードナーの陰謀である。
ふたつ。キリアンはイーモンの娘にしてアルスター辺境伯継嗣
フィオナ・アルスターの後見人としてアルスター辺境伯領の支配を狙っている。
みっつ。しかし武辺一筋のアルスター辺境伯よりラードナー伯爵の統治のほうが良い暮らしができると期待するものもいる。
よっつ。アルスター辺境伯は子を作れる体ではなく、フィオナはアルスター辺境伯夫人
ブリジットが不義をなしてできた子である」
「生活が良くなるってのを除けば、どれもこれもきな臭い噂だな。ひとつでも当たりだったらこっちのケツが吹っ飛びかねん」
国頭はムスッとした顔でそうつぶやき。
「フィオちんもアーシも、そーゆー胡散臭い噂の元になってるラードナー伯爵に振り回されるのはごめんだし。きっちり裏を取らせてもらおうじゃん」
シレーネは意気軒昂に宣言する。
それに対し、シャロンが告げた。
「わたくし達が調べたのはあくまで噂の出処だけですけれども、いろいろと成果はありましてよ」
そして羽ペンをひかりから取り上げ、羊皮紙のメモに注釈を入れていく。
「ひとつめ、イーモンが病の床についたのはラードナー伯爵の陰謀という話は、イーモンの侍臣団と、あと、ラードナー伯爵周辺の侍臣や貴族からも出ているの」
「身内からも信用されてないってことか。まあわからんでもないがな」
国頭が口を挟むのをよそに、シャロンは言葉を継ぐ。
「ふたつめ、キリアンはフィオナの後見人としてアルスター辺境伯領を支配しようとしている、この噂も出処は大して変わらないわ。みっつめは主に庶民から聞こえてくる噂ね。イーモンも決して悪い統治者ではなかったのだけれども、最近は軍役の過重で民はいい顔をしていなかったみたい」
そこでシャロンは一息つき。
「で、よっつめの噂、フィオナはアルスター辺境伯の娘でなくブリジットとどこの誰とも知れぬ者の間にできた不義の子という噂は、アルスター辺境伯領の貴族社交界だけでなく、よりにもよってブリジットの弟で、アルスター辺境伯領を支配しようとしているとされているはずのキリアン周辺、いいえキリアン自身からもほのめかされているのよ」
「それは意外だし。キリアンがフィオちんを良いように操ってアルスターを支配したいなら、わざわざほのめかす必要ないじゃん」
シレーネが首をひねる。国頭もまた同様だ。エールを呷りながら、疑問を口にする。
「わざわざ自分に都合の悪い噂を流して何がしたいんだ? フィオナがロミア王女の直臣というのをいいことに、フィオナの氏素性にケチを付けて相続を保護にしようとする反対派をまとめて蹴散らすとか、そういう策略でも考えているのか?」
「うーん、それについては情報の裏とりも必要だけど、多分悪手だと思うよ。領地で何らかのゴタゴタが起きるというのは王家にとっては貴族のお取り潰しのチャンスでもあるからね。それをキリアンが計算に入れてないとは考え難いよ。あたしは、この一連の不穏な噂は、キリアンが出世する際に恨みを持った誰かが故意に流していると思うんだけど」
ひかりが推論を口にすると、情報の裏を取っていた国頭とシレーネが双方首を振った。
「いやー、アーシらの調べじゃキリアンが恨みを買う相手いないし。自作自演っぽい?」
「全く不可解だが、そうとしかいいようがないな」
「どういうこと?」
怪訝そうにひかりが首をひねる。国頭とシレーネは、それぞれ自分が手に入れた情報を口にした。
「イーモンが病の床についたのはブリジット様のせいで、ほぼ間違いない。ブリジット様の侍女から、ブリジット様が近年薬草系のガーデニングに凝っているという話を聞いて、調べてみたら侍女いわく、”アーク特産の毒草が中に潜んでた”らしい。まだ状況証拠だが、言い逃れは難しいだろう。それから、キリアンがフィオナ様をバルバロイの巣掃討に向かわせているのは、武勲を挙げさせるためのほか、現地に残られて万一のことが起こらないように人払いする目的だろうな」
「あと、イーモンは子供を作れない身体ってのは本当らしいし。イーモンの元主治医に聞いたら、子供が生まれないのは代々の奥方のせいじゃなくてイーモン自身の体に問題があるって見立てだったし――まあこれを聞き出すのは”辺境伯家の名誉に関わる”って当人言ってたから大変だったけど、大きな成果だと思います(キリッ)」
「だったら、フィオナはやっぱり不義の子で、それがバレるか、バレて廃嫡される前にイーモンを謀殺しようとブリジットが考えて、キリアンはそれに乗じてアルスター辺境伯領の支配を握ろうとしているってこと?」
ひかりは疑念を顔に表しながら問う。
「状況証拠的には、そうなるな」
「まー、なんで自分から陰謀をバラすようなことをしてるのか知らないけど、理屈上そうなるし」
「やっぱり、血筋の話を有耶無耶にするためあえて平地に乱を起こそうとしているのかな……」
ひかりがつぶやくと、シャロンがふと思いを口にした。
「もしかしたら、キリアンやブリジットはそれぞれ不合理な動機で動いているのかも知れないわ」
「不合理……」
「それがどんなものかはまだ判らないけど、権力志向とかの理詰めではなく、私達の及びもつかないような思いを胸に抱えているのかも知れないわね……」
「それじゃ何もわからんのと同じだ。不合理な動機で動いているやつの動線なんか追えるか」
国頭が不機嫌そうにつぶやくと、シレーネは首を振った。
「でもここまで判ってることは十分意味あるし。アーシはこの情報をフィオちんが振り回されないように使いたいと思います(キリッ)」
「そうか……それもそうだよね……」
ひかりはシャロンの言葉に頷いた。
そして彼ら彼女らは、それぞれ独自の行動を取った。
ひかりやシャロンはあくまで真実の探求に回る一方で、国頭は自分のクライアントに突き合わせた情報を報告し、そしてシレーネはフィオナにありのままを伝えた。
「まあ、こういう理由でラードナー伯爵は信用できないし。フィオちんも心弱ってるときにうまく動かされてる感があるし、やっぱここは軽率にバルバロイの巣に向かうのは止めようじゃん?」
「――それでも、行かなければならないと、私は思います」
「ホワイ?」
シレーネが思わず問い返す。フィオナは瞳を揺らし、その奥深くに複雑な感情を湛えつつも、はっきりとした言葉で応えた。
「それに、キリアン叔父様やお母様が良からぬ企みをしているとしても、私はアルスター辺境伯の継嗣です。この領地に迫る第一の脅威、バルバロイの巣を拱手傍観していることなんてできるはずがありません」
「でも、もし企みが本当だったらヤバいじゃん。返ってくる頃には立つ瀬がないかも」
「その時はその時です――あと、私は、私を支えてくれる皆を信頼しています」
「――そう言われると弱いし。やるっきゃないじゃん」
シレーネはフィオナが、弱くなった心に付け込まれてキリアンの思うままに動くのではなく、自らの意思で闘う決意をしていると見て取った。ただ、その決意はまだ脆く、か弱いもののようにも見えた。だから、共に行くことができなくとも、その間留守を守る決意をしたのである。
だが、彼ら彼女らの行動の間にも、事態は大きく動いていた。
★
病の床に倒れたイーモンの看病は、主にブリジットとその侍女団が行っていた。ブリジットはイーモンを懸命に看病し、ときにそれは過保護に見えるほど他者を排除したものであった。
にも関わらず、イーモンの体調は日に日に悪化していった。この状況と、世間に流れる疑惑――すなわちイーモンを病の床につかせたのはブリジットの弟キリアンであるとの噂を鑑みて、心ある外法の者たちが動き出していた。
「イーモン様のご病気を治して差し上げたいのですが、いかがでしょうか」
川上 一夫はイーモンの直臣に対しそのように直言した。
一夫の思惑はこうである。イーモンもキリアンもフィオナも皆が仲良く手を取り合って、領民のことだけをまっすぐに考えられるようにすべきだ。そのためにはイーモンが黒い噂がかかった状況で亡くすのはなんとしても避けたい。もしそうなれば、イーモンを亡き者にしたのはキリアンということになって、アルスター辺境伯家を次ぐフィオナとラードナー伯爵家のキリアンとの間に修復不可能な亀裂が入るだけではなく、王室からの査問を受けて最悪両家ともお取り潰しということになりかねないからだ。
「ふむ、フィオナ様お抱えの貴様なら案ずることもなかろう。ただ、ブリジット様は随分と”よそ者”に対し気を立てている。何しろ噂が噂だからな。奥方様の勘気に触れぬよう、注意し、謹んで行動してほしい」
「当然でございますとも」
一夫は頷き、イーモンの直臣の許しを得てイーモンを見舞った。広い部屋の、窓際に置かれた天蓋付きベッドに横たわるイーモンは、偉丈夫の影を残しながらも以前に比べ大変窶れた印象を一夫に与えた。
そして、その周りを囲んで半身不随のイーモンの世話をしている侍女たちと、憂いを秘めた表情でイーモンを見つめ、手を取って話しかけている、金髪碧眼のフィオナによく似た妙齢の女性――アルスター辺境伯夫人ブリジットの姿を見て、一夫は、彼女が噂通りの簒奪を企む悪女かどうか疑念を抱かざるを得なかった。そこにいるのは、病に伏した夫を心底から看病する良妻の鏡のような姿だったからである。
「ブリジット様、川上様がおいでです」
侍女の言葉に、ブリジットは憔悴した表情を取り繕い、人を迎えるための装いをしてみせる。その装いがぎこちないからこそ、一夫は、ブリジットにイーモンへの害意を感じることができないでいるのだ。
「あなたがフィオナのよこした歌姫ですか。我が夫のこと、よろしく頼みます」
ブリジットはそう告げ、ベットの横を開けて一夫を通した。イーモンの横たわるベッドの脇まで近づいた一夫は、自らの持てる限りの技量を尽くし、祈還の舞や栄転の舞を舞いながら治癒の星素を用いてイーモンを渾身の力で癒そうとした。
しかし――
「治癒の星素では如何ともし難いほど、我が夫の体は衰えているのです。もしかしたら、寿命なのかも知れません」
「そんなはずがありますか。先日まで頑健だったイーモン様が突然ここまで衰えるとは思えません。何かまだ策はあるはずです」
ブリジットの答えに異議を唱えながら、一夫は、キリアンが「治癒の星素が効かない」と宣言していたことに思いを馳せていた。果たしてあれは、その時の状況だけを見てのことか、それともこうなることが判っていてのことか――後者なら由々しいことであると思いつつ、一夫は一旦その場を去った。
続いて現れたのは
世良 潤也だった。彼もまた、外方の者としてこの世界の理から外れた技術を用い。イーモンの看病に訪れたひとりだった。病床で苦しんでいるアルスター辺境伯を救けたい、病から回復して民のために働いてほしい、そういった純真な思いをもって現れたのだ。
「この病には外法による根気良い療養が必要だ」
潤也はそうブリジットの侍女たちに告げ、定期的に<癒しの祝福>を施すことでアルスター辺境伯の回復を図った。
「イーモン様、あなたも領民のために働ける立場の人なんだ。領民のためにも……このまま倒れたりしないでほしい」
そう語りかけ<癒しの祝福>を施すと、イーモンの手がピクリと動き、潤也の手を捉えた。
「ワシは……良い統治者ではなかった。アーケイディア王国の名門貴族として、武の道をひたすらに追求することにこだわり続け、民をないがしろにすること甚だしかった。アークが発進してからはなおさらだ。シャングリラ探索の功を手にすることばかり考え、民に苛政を強いてきた。そんなワシを、今更領民は必要としておるだろうか。キリアンこそより良い指導者を見なしておらんだろうか……」
「もしあなたが亡くなられたら、フィオナはどうなるんです。彼女はまだ若い。あなたの支えが必要だ」
潤也がそのように答えると、イーモンはわずかに苦笑し頷いた。
「たしかにそうだ。まだフィオナは若い。正当な後継者として立てるためには、経験と功績を積ませねばならん」
「だから、弱気にならず、次の世代のため、養生を第一に考えてください」
潤也の言葉に、イーモンは微笑んだ。
彼の定期的な治療もあって、病状は一進一退を繰り返していた。その間に、潤也のパートナーである
アリーチェ・ビブリオテカリオは、イーモンが倒れた日のことを詳しく調査していた。まずは、現場百遍。イーモンが倒れた宴会場に探りを入れる。
「どう考えてもイーモン様は誰かに狙われたわけでしょ。それを明らかにしないと、何だかすっきりしないのよね」
彼女はイーモンが何者か刺客の手によって狙われたと確信していた。それはキリアンの口ぶりに誘導されたものかも知れなかったが、彼女の中に確信としてあった。できれば潤也がイーモンを癒やしている間に、自分がイーモンを狙った犯人を探せれば――と感じ、そのように行動に出たのだ。
「あの時、外部や宴が開かれていた広間に怪しい星素の動きはなかった――だとすれば、一度に致死量に近い毒を持って、それを<治癒>の星素で半ば癒やし、その後も毒を盛り続けていると考えるのが自然だわ」
だとすれば――イーモンに毒を持ったのは給仕、そしてイーモンのそばにいる侍女たちあるいはブリジット自身ということになる。アリーチェは給仕の行方を追ったが、そのまま行方をくらまし、どこにいるか皆目見当がつかない。だが、それこそがまさに彼女の疑念を確固たるものにした。
「ブリジット様がこの一件に関わっているとすれば、潤也の身にも危険が降りかかるかも……」
そう案ずるアリーチェだった。
そして、
納屋 タヱ子はフィオナの侍臣として、父の容態を心配する彼女がバルバロイの巣掃討戦に出立する前に手紙を書いてもらい、それを口実にしてイーモンと面会することに成功した。フィオナには、自分も外法ながら治癒の力が使えもするので、一助となることもできると伝え、承諾を取っている。
このような行動をタヱ子が取ったのは、キリアンの祝勝会での振る舞いが、まるでイーモンに対し星素による攻撃が行われたかのように示すための演出に見えたからだ。自分がキリアンならそうするだろう、と、タヱ子は感じていた。そして、自分ならば、そう見せかけつつ、毒を盛ってゆっくりとイーモンを衰弱死させるとも考えたからである。
しかし、今の自分はそうした悪辣な殺人者ではなく、フィオナの侍臣。イーモンを思いを寄せるフィオナを思いやる気持ちをもって、フィオナに手を貸そうと感じていた。
タヱ子は、城門の前でおろおろしていたフルール騎士団の歌姫、
アイ・フローラを連れてイーモンの居室を訪れた。
「フィオナからの使者か。ワシを心配せずとも、まず自分自身を心配せねばならぬだろうに」
イーモンは苦笑しつつも、フィオナからの手紙を開いて読んだ。そこに書かれている若い情熱と、父を心配する心根に胸を熱くするイーモンをよそに、タヱ子はイーモンの心を慰めるためギターを爪弾きながら、<淨眼>でイーモンに呪術的な干渉がなされていないかどうか探りを入れるが、呪術的な干渉が行われている様子はない。
――やはり毒かしら。
そう考えたタヱ子は水差しに<ピュアウォーター>を施し、中身を毒に侵された人間を解毒できる聖水に変じておいた。この水を飲んでイーモンが回復するようなことがあれば、疑惑は決定的なものになるだろう。
そしてイーモンは、所在なさげにしているアイに向かって告げる。
「――して、そちらのお嬢さんは歌姫のようだな」
「初めましてです。領主さん。フルール歌劇団に所属してるアイって言います。病気って聞いたんで私の詩が効くかどうか……試しませんか?」
おずおずと機嫌を伺うように尋ねるアイに対し、イーモンは不器用に微笑んでみせた。
「ワシの病は膏肓に及び星素では回復せんのではないかとも思うが、ワシのために詠ってくれるのは嬉しいことだ。ぜひ、聞かせてもらいたいものだ」
そこでアイは、全身全霊を込め、歌姫の呼吸法で声量を上げ、祈還の舞を踊りながら、病に蝕まれ苦しむ人々を救い、病の源となる気を溌溂とした風によって散ずる星詩を詠った。
すると。
「おお。体に満ちていた穢れが払われるような爽快な心持ちじゃ。もう諦めていたところを、よくぞ癒やしてくださった。そなたはワシの恩人じゃ」
みるみる内にイーモンの血色は回復し、弾んだ声を出せるほど元気が回復した。アイはその姿を見て純粋に喜び、ほっと平坦な胸をなでおろした。
「良かったです……」
「アイ、といったかの。娘よ。褒美を取らそうぞ。何でも言うが良い」
名前を呼ばれ、ドギマギしつつも、アイは胸の奥にある思いを打ち明けた。
「イーモンさんとキリアンさんがふたりして手を取れれば、きっとこのアルスター辺境伯領はもっといい領地になると思うんです。もしそれが駄目でも、お互いを利用するだけだとしても、互いに反感を持つよりはいい結果が生まれると思うんです。どうか、考えてはくださいませんか……?」
その言葉に、イーモンは胸を突かれたようだった。
「うむ……ワシも病が重いときにこれまでのあり方について考え直して追った……キリアンが良しとするなら、ワシはあやつとの関係を考え直そう。そうでなくとも、ワシからの歩み寄りはしてみよう」
「ありがとうございます!」
アイは心の底から喜んだ。この領地が良くなれば、自分のような見捨てられた子の数も減り、それだけ悲しみも減ると感じたからだ。
――そして。
タヱ子は一連の流れを客観視して、「やはり」と思った。アイの星詩が抜群の効果を発揮したのは、イーモンが水差しから聖水を呑んだ後のことであったからだ。
――今の回復を糊塗できない以上、毒殺未遂犯――おそらくはブリジットは、別の手段に出るはず。それを阻止しなければ、イーモンを巡る状況は改善されない。
タヱ子はそう考えていた。
それはさておき、イーモンの快癒は周囲に歓喜をもって受け入れられた。そこで潤也は、イーモンに「これからは武辺一辺倒でなく、領民のために働いてほしい、フィオナの力にもなってあげて欲しい」と頼んだ。
イーモンは頷いた。
「これからは心を入れ替え、領民を思いやる領主となろう。バルバロイの脅威にさらされているアークを護るだけでなく、アークに住む人々の営みを護ると誓おう。そして、これまであえて突き放してきたフィオナにも、武家の惣領としてのあり方を正しく教え導こうぞ」
その言葉を聞いて、潤也は、自分の思いが伝わったことに満足を感じた。
一方で、一夫はイーモンに信用できる医者による精密検査を受けるよう勧めていた。この結果、イーモンの病がキリアンやブリジットの企んだものであると判明した場合、証拠を隠滅し、別の手段で彼らをおとなしくさせることを、一夫は考えに入れていた。
「それはさておき、ともかくお茶です」
皆さん、イーモン様の看病でお疲れになりましたでしょう、と、一夫から差し入れられるオファレルハーブティーは、イーモンに関わった人々の癒しの一服となった。
しかし、様々な思いが交錯する中で、事態は人々の手を離れて急速に進展していったのである。