■光を食らう闇■
Scene10.殿下の恋
国権の再統一、対ニブノス講和の承認、新憲法の発布といった国政の大決断に伴う典礼をこなす多忙な日々を送りつつも、マハルの周囲には、達成感とそれにふさわしい弛緩が漂い始めていた。大人がよってたかっても解決できなかった……というよりは進んで拗らせてきた問題を、幼い摂政マハルは一掃しつつあり、積年の課題をこなしたマハルは当面の課題を失っていた。一種の燃え尽き症候群とも言えた。
惑星なき医師団、ブレダ太陽系方面派遣副団長にして、摂政マハルのカウンセラーを自任する
成神月 鈴奈はマハルの危うげな状況を見て取った。
「マハル様、最近のお加減はいかがですか?」
「すべて順調よ。順調すぎるくらいに」
「それはようございました。臣下の皆さまとの関係はいかがでしょうか」
「それぞれが何をやろうとしているかは把握しているつもり、基本的には国政は彼らに任せて大きく道を誤るということはないと思っているわ」
「さようでございますか、しかし、その割に心が晴れやかでないようにお見受けしますが……何かほかにお悩みでも?」
「いま、私が何をすべきなのかがわからない……これまではやるべきことだけははっきりしていた。しかし、幼いころに描いてきた克服すべき問題をこなしたあとに、どう国を導けばいいのか、どこまで私が導くべきなのかわからない」
「政治のことはわかりかねますが、目の前の課題を一つ一つこなしていくのではだめなのでしょうか?」
「新憲政下においては、それは閣僚の仕事です。王家はいったい何をすればいいのでしょう?」
「そうですねぇ、私の故郷には『押してダメなら引いてみろ』という成句があります。物事がうまくいかないときは、別の方法を試してみるという手です。まずは引ける問題、たとえばプライベートなことから充実させていくのはどうでしょう?」
成神月の言葉に、小さく手を合わせて得心がいったとばかりにマハルは笑顔を浮かべた。
「そうね! 私が何をやりたいかよりも、まずは身近なところから私に望まれていることが何かを探るべきね。最高のアドバイスをいただいたわ!」
問題は王家のプライベートとは、しばしば政治そのものであることであり、政治の理屈は個人の情よりも優先されることが少なくない。そして摂政マハルの自意識はあまりにも公人として練り上げられてきていた。
★
ブレドム王国近衛キャバリアー中隊を率いて王室警護にあたる
黒山 望近衛中尉は、新しい警護体制の官僚をマハルに報告した。キャバリアーによる単騎機動にたいする防衛の切り札は、用意されたアンチフォールドフィールドでの精密フォールド阻止と、王宮近傍で警戒訓練にあたっている巡戦による面制圧投射射撃である。
そこまで説明をうけたマハルは眉間にシワを寄せて言った。
「最終手段であることは認めるけれど、これをやった場合は王宮近辺にも多大な被害が出ることはわかっているのでしょうね」
「勿論です。被害極小化のための避難訓練、関係者の逃走経路安全確保なども済ませてあります。詳細につきましては、秘匿キーつきのデータをご参照ください」
データに一通り目を通したマハルは、頷いて告げた。
「たいしたものね。あなたの想定計画に異存はないわ。それで、あなたが話したいことは、これだけではないのでしょう?」
「ええ、アンドエラ様のことについてお話したいことがございます」
黒山の言葉に、マハルは眉をひそめ、続きを促した。
「私はアンドエラ様に慕われており、その思いに答えたく思っております。家長代行者たるマハル摂政殿下におかれましては、ぜひとも王家の一員であるアンドエラ様と私との結婚にご承認をいただきたく存じます」
マハルは溜息をついた。
「”王家の一員として”ね、わざわざそういうということは、アンドエラの身の上がどうしてこうなっているか、ブレドム王家にまつわる逸話については知っているということですね」
「はい。王家の記憶継承、そしてブレドム王家がブレダ太陽系に与える影響力のことも、恐れながら言上申し上げますが、もはやこれまでのように国内の監視を憚ることもありますまい。アンドエラ様の献身にこたえ、王家の一員として遇し、ご姉妹で新たなブレドム王家を築かれるのが必要だと思います」
黒山のとうとうたる説得に、マハルは静かに告げた。
「あなたの言っているのは、もし私が死んだ時に、記憶を継承した影武者で誤魔化すよりは正統な後継者を立てたほうが良いということね」
マハルの言葉の想像以上の厳しさに、黒山は慌てた。
「決して、そのような恐れ多いことは……」
「いいのよ、私はいつもそう考えていたのだから。あの子は私の記憶を継承し、何かあったときのスペアとして機能してくれればいい……でも違ったわ」
違う? その言葉に違和感を覚えつつも、黒山は告げる。
「アンドエラ様ならばそれもなし得ましょうが、影武者として死ぬことよりも、影として生かされることは辛い生となりましょう」
「そうかしら、私も自分が暗殺されたあとに、まかり間違って影武者に自分の名前で失敗をされるなんて御免だわ」
マハルはそう断じた。これまでは便利な、そして優秀な影武者であり、記憶継承を通じて自分のバックアップとしてキープしていたが、自分に表だった実績と立場を得た以上はその役割は無用の長物だ。
「もしも記憶継承で徳目が蓄積されるなら、さぞやブレドムの歴史には名君ばかりだったでしょう。しかしそうではなかった。私の記憶を全て引き継いでも、アンドエラは私にはなれない。だからいいのよ、あの子に生を返してあげる」
冷徹な君主とも、愛しい姉妹への情を殺したとも取れる態度で、マハルは言った。記憶は引き継げても人格は引き継げない。自分の記憶の継承は求めたが、もうマハルはアンドエラ側からの記憶の継承は求めていなかった。
「ただし、その代償はあるわ。なにしろあの子の存在は、ブレドム主星を破壊するかもしれない大量破壊兵器と同じ。それを、傍系になるであろう家が保持している意味がわかる?」
黒山は押し黙った。アンドエラの夫となるということは、自分も王家としての役割を果たさねばならないということだ。そして、アンドエラはブレドム・ブルーの継承者であるということは、王にとって最大の潜在的な挑戦者となりうるということだった。
「あなた達が末代に至るまで、ブレドム王家に絶対の忠誠を誓わない限り、ブレダの星と王室は安心して眠れないということよ。だから、まずそれを示すだけの手柄を立てなさい」
黒山は身を引き締めて返答した。
「はい、必ずや!摂政殿下には立派なブレドム臣下たる姿をお見せいたします!」
★
「統一功労者に対し、叙勲をなさるべきです……とりわけブレドム四天王と謳われるクラウス・和賀総理、烏丸 秀外相、エリア・スミス中将、アリアナ・アマースト中将、その上に今時の黒幕たるセルハバードを据えるべきです」
マハルの側近である
アイーシャ・ガウルは、マハルにそう進言した。マハルは小首を少し傾げて続きを促した。
「はい、セルハバード氏は今回の統一にフィクサーとして活躍されました。しかし、その功績は十分に報いられているでしょうか?信賞必罰は当地の基本です」
「でも彼は欲しいものは自分で手に入れられる人よ」
そのものいいに、アイーシャはまだ幼いマハルの人格形成にセルハバードが強い影響を与えているのを見て取った。
「いいえ、殿下。セルハバード氏でも名誉だけは王より与えられねば得られないのです。名誉は命よりも重く、そしてそれを与えることで王室は強い権勢を得られるのです」
「でも貴族の任免となれば列侯会議がうるさいわね?」
「であれば、伝統に乗っ取りつつ、新しい叙勲を作ればよいのです。年金付きとすれば、軍功労者のつなぎとめや保護すべき国民の福祉にもなります」
「……確か久しく出されていない爽碧賞というのがあったから、これを五段階くらいに分けて出しましょう。セルハバードは二等、その他は三等でいいわ」
「一等は出しませんか」
「ええ、二等は私ももらうわよ。セルハバードとどちらが先に一等に上がるか楽しめるじゃない」
マハルにセルハバードとの精神的対等性を確保してもらおうとのアイーシャの試みが、マハルに火をつけたようだった。いまだマハルに自覚は無かったが、それは権力欲と呼ぶべき感情であった。
★
マハルは、ぐったりと親友である
アデリナ・アイスフェルトの膝枕に体を委ねていた。
いざというときのためにキャバリアーを操れるようにと訓練に参加をしたのはいいものの、成れない操作や三次元の加速重力に疲れ果て、共同訓練からは一足早くリタイアした。平衡感覚を失い、節々がきしみを上げているマハルの様子を見て、お供のアデリアはよろしければ私の膝でお休みくださいと声をかけたのだった。
「すまないわね……みっともないところをみせてしまったわ」
「キャバリアーは鍛えた大人が乗ることを前提とした戦闘機械ですから、子供がいきなり乗ったらこうなってもしかたありませんよ。普通です。私の前ではただの女の子でいてくれていいのですよ?」
年の近いアデリナはこれまでマハルとは肩肘のこらない関係を築いたと自負をしている。その自負で恐る恐るマハルの頭に手を当て、癖のない無垢な髪に、そっと指を差し入れて梳いた。指の中でなめらかに滑る金髪の鮮やかさに、アデリナは鼓動が高鳴るのを感じた。
「マハル様? もし子供がお生まれになったら、私の子供と結婚させていただけませんか? マハル様を支える子としてしっかり育てます。私とマハル様の孫ならば、きっと素晴らしい子が生まれるでしょう」
「……アデリナがそんなことをいいだすなんて、きたのね」
「……ええ」
「それはおめでとう。でもまだ早い話だわ。子供の男女もわからないうちではね」
マハルはそうはぐらかした。ブレドム王家の遺伝子情報というのは、ブレドムにおいては重要な意味合いがある。ブレダ星系のテラフォーミング以来、様々なものにその遺伝子キーが仕込まれている。ゆえに容易に他国に――たとえ友好国のライアー帝国であっても――わたすわけにはいかない。王室が憂国士官の大ブレドム主義に抗し得ず98戦役がはじまったのは、その恐怖ゆえとも言える。
「マハル様!申しわけありません!もう少し私が気を配っていれば」
キャバリアーの共同訓練に参加していた王立憲兵隊司令代行
アドラスティア・ヴァルトフォーゲル准将が、訓練を終えて駆け込んできた。
「ああ、もう落ち着いたわ。そっちは最後まで大丈夫だった?」
「ええ、どうにか」
その言葉はマハルを落ち込ませた。年端のかわらない少女でも出来たことが自分に出来ないということが深く突き刺さる。
「私に出来ないことがあると久々に思い知らされたわ」
「そのようなことは誰にでもあることです」
アドラスティアの慰めにも、マハルは首を振る。
「私は、自分が出来ないことで人が不幸になることが厭なの。もしこれが訓練じゃなく、実戦なら私は皆の足を引っ張ったでしょう?」
「それを言えば、死んではならないお方が、前線で実戦指揮をとろうとすることが、そもそも迷惑です。荒事を任せるために私達がいるのです。私としたことが! キャバリアーの共同訓練に誘うなどというほうが間違っていたのです」
アドラスティアはそうマハルを慰めるが。
「いいのよ、王族が出来ないなどと簡単に言うようでは、国が鈍ってしまいます。せめてその苦労を知った上でやりなさいと言うようになりたいの」
その言葉を聞いて、アドラスティアの中で気持ちが弾けた。
「私……ずっとマハル様が幸せになれたらって思って戦ってきました。けれど……具体的にどうなれば幸せって形なのか定まってなくて、出来たら貴女がいつか責務から解放され、自由な女の子の様に過ごせたらと……でもマハル様も投げ出すのは望まないですよね」
「私は自分の采配によって国がよくなっていく今が一番幸せよ。ええ、こんな楽しいことを誰にも譲りたくなくなるくらいに」
ぞわりとする感覚がアドラスティアを駆け巡った。このままマハルが遠い所へと駆け抜けていきそうなのが恐ろしくなった。
だから、ほとばしる気持ちが声となる。
「私は……マハル様を完全に自由な女の子にはできなくても、自由な女の子の様に恋して幸せを感じて貰う事はできるって思っています。あのっ、私、実はずっとマハル様が好きでした! ラブ、愛の方で……! 生涯をかけ貴女の心に寄り添い支えていきたいです」
「ちょっと! 私の子はマハル様の子と結婚するのよ! 女の子同士では王家が途絶えてしまうわ!」
アデリアが横槍を入れて膝上のマハルを離すまいと抱え込んだ。アデリアとアドラスティアの間に緊張が走りそうになったところにマハルは言った。
「ありがとう、ふたりとも。皇太女になった以上、そのあたりは考えないといけないわね」
これが女系継承の難しいところだとマハルは思った。王家の胎は限られた戦略資源なのだ。これが雄ならば、臣下や妾を相手に盛大に振る舞っても英雄好色で済むが、雌はそうはいかない。限られた資源の投入は厳選しなければならない。頼りない王配を持てば、国そのものが傾くレベルになることは彼女の祖母がよく示していた。
立場は人を作るという。国内統一を果たし、摂政皇太女となったマハルは、今までのような周囲の人々への親愛を保持しつつも、いまや自分の身体も資源のひとつと割り切れるほどに、権力に恋をしていた。
Scene11.<インドラの矢>
「私は正統なブレドム政権保有者である。この裁判は革命勢力と結託した裏切り者たちによる政治的判決に他ならない。本件の裁判を進行しているのが司法機関でなく、列公会議議長であるのが何よりの証拠ではないか。裁判そのものが不当である」
圧倒的劣勢にありながら、憂国士官会総帥としてブレドムを支配していた
アラディヴ・ラジェンドラの陳述は苛烈だった。
その主張を聞き流して、検察側は言った。
「検察側の立証をはじめます。証人尋問を許可してください」
「どのような人物ですか?」
裁判長をつとめるケセルリア大公
ヘルムート・ラスドアが尋ねた。
「現在、軍情報部参事官を務める
センディル・アデファラシン大佐です。工作員の統括をしており、ラジェンドラ時代の工作についての現場統括責任者です」
「許可します」
アデファラシンの証言はラジェンドラの工作の核心部分であった。
「ラジェンドラ政権時代、情報部はもっぱらラジェンドラ大将の個人的な権力保持のために使われていました。私が関わった中で、最大のものはアリシーバ副総帥の暗殺です。ラジェンドラによる国家予算の私的蕩尽、ならびに外国送金をつきとめ、政治的ライバルになりつつあったアリシーバ副統帥の暗殺を工作部は命じられました。あらゆる意味で違法なものです」
「命令は文章に残っていますか?」
「いいえ、口頭によるものでした」
次々に暴かれていく悪行を前に、ラジェンドラは喚く。
「作り話だ! こんなやつは知らん!」
「被告人、静粛にしなければ、音声拘束具の取り付けを命じますよ!」
ラスドア公が苛立った声で言った。
アデファラシンの証言は続く。
「ラジェンドラが私のことを知らないはずがありません。毎日のように報告を上げた記録が残っています。それに私の家族に、私兵集団の溜まり場の近くに素敵な邸宅まで用意してくれていたではありませんか。工作の合法性について問いただした時になんと言ったか覚えていますよ。『誰のおかげであの家に家族が住めているかわかっているだろうな』と。不動産の居住記録は軍のデータベースにも残っています。素直に罪をお認めなさい」
「被告人は何かこの証言について述べるべきことは」
「全くの嘘八百です。それよりこんなつまらない裁判を続けていてよいのか? 国難は迫りつつあるぞ? 私をしかるべく扱わなければ対応できないと思うがな?」
「被告人、不規則発言をやめてください」
ラスドア大公の制止にも関わらず、ラジェンドラは朗々と語る。
「諸君は、インドラの矢についてご存知かな? 知らんか。知らん危機には対処できんだろう? このままだと君たちは破滅が待ち受けているぞ。まぁ国を担ったこともない間抜けには、その軽重もわかるまいが」
「被告人に退廷を命じる! 本日は証言聴取にて閉会。次回期日は追って連絡する!」
裁判長であるラスドア公がついに煽りに耐えかねたかのように強く怒鳴った。
★
「で、調子は?」
アデファラシンの上司にあたる軍情報部長
ミレンダ・ファティオー准将は、証言の首尾を尋ねた。
「まぁ、どのみちラジェンドラの極刑はラスドア裁判長である以上は決まってますよ。今日ので少なくともアリシーバ殺しについての故意認定は不可避でしょう。それに、内部に対してまで人質をとるような奴に、今更ついていこうなんて莫迦が将校をやっていいわけがない」
「大丈夫よ、そんな莫迦は根こそぎ軍法会議送りにして、しばらく娑婆に出られないようにしておくから」
ミランダの苛烈な言葉にアデファラシンが口笛を吹いた。
「猛烈な上司を持てて感動しました」
眉をひそめ、ミレンダが問う。
「そんなことより、このインドラの矢ってのは何?」
「知らないんですか?」
アデファラシンの疑問に、ミレンダは頷く。
「知らないわよ。こっちはラジェンドラ体制では非主流派だったんだから」
「とはいえ、こちらもエージェント管理が主でそれほど詳しいわけではないんですがね……」
その答えを聞いて、不機嫌さをあらわにミレンダは難詰する。
「関係部局会議で私だけ素人質問ですが……と言わせる気?」
「本日中に関係部局への聞き取りを終えて簡潔なレポートを提出します」
アデファラシンは見事な敬礼をし、軍情報部長室を去った。
★
鴨 柚子は
ケセルリア大公子コンラートの元を訪れて裁判の進捗を尋ねていた。
「大丈夫なんですかね?」
「父の健康さえもてば大丈夫だろう」
鷹揚に答えるコンラートに、柚子は首を傾げてみせる。
「そうでしょうか? 公子はラジェンドラが持ち出した<インドラの矢>についてなにかご存知なのですか?」
「昔、それらしい遺跡があると兄上から聞いたことがある」
「兄上?」
柚子の疑問に、コンラートはさらりと重大事を告げた。
「アルナーチャラム王は私の異父兄だ」
異父兄とは、すなわちアフィーナ女王の腹を痛めた子となる。それが外に出され、秘密にされたのは、おそらく正式な婚約者が決まる前に事前に自由恋愛の結果できた子供だからだろう。それでも王室の血を引く立場ともなれば、発言は重みを増してくる。そんな柚子の思いをよそに、コンラートは言葉を継ぐ。
「王族の遺伝子によって起動する惑星防御システムがあったそうだ。はるか昔のことだから、いまどこにあるか、まともに動くかはわからないけどもね。王族の遺伝情報はしっかり管理されているから、ラジェンドラが調査してその遺跡を見つけていたとしても何も出来ないさ。だいたい、使えるならあいつは先のクーデターの時や小惑星<プリティヴィー>迎撃で交渉材料として使っているに違いない。これまで使っていなかったということは、使えないということだ。ロステクとは思いつきで都合よく出てきてくれるものではあるまい」
柚子はその話を聞いて、半ば安堵し半ば不安を覚えた。確かにそのようなものであれば、実害はなさそうだ。だがこの公子は、周囲の評判の通り判断に甘い所がある。
果たして、ただ法廷を混乱させるためだけにラジェンドラはそれを持ち出したのだろうか、はるか以前の遺伝子認証ならば、現代技術を用いれば、模造媒体で突破できる可能性がある。王家の血はこのような能天気な貴族にも流れているのだから。間抜けにも遺伝情報を抜かれた王族がいないとも限らないではないか。
★
ラスドア大公の侍医である
藤白 境弥は焦りを覚えていた。<インドラの矢>の正体はわからないが、おそらくは惑星規模の災厄、たとえば天気の改変や、テラフォーミング機能を無為にするようなロステクであると想定していた。
なればこそ、八方に手を尽くし、速やかに裁判でラジェンドラを始末して、一味を壊滅させて、後顧の憂いを断とうと考えていたが、既にラジェンドラはカードを切りこちらの動きは緩慢としていた。
ラスドア大公の体調は今の所落ち着いているが、心労が重なり、裁判が何年も長期化すれば持つかどうか難しい。新政府において老いたラスドア大公に期待されている役割は既に少ない。もしもラスドア大公になにかあっても新しいブレドムはきっと円滑に回り続けるだろう。しかし、だからこそ、過去との結着くらいはこの世でつけさせてあげたいと、藤代は一人の患者を見る医師としてそう思っていた。
Scene12.発見
「まったく、妻も危ない橋を渡りに行くものだね」
そうぼやきながら目の前に積み上げられたテラフォーミング期の資料と格闘しているのは
鴨 希一であった。この星に致命傷を与えられるのは、この星を作ったものに聞けと当時の資料を漁っている。現在の権限で手に入れられる王室禁制の資料まで掘り返した。
「『王族の遺伝子によって起動する惑星防御システム』ねぇ……」
妻から聞いた条件に見合いそうな装置で、テラフォーミング期にそれらしい工事を探す。自分がそういったものを作るならどこか、なるべく安価に全周をカバーするには、回転軸から遠いところすなわち赤道付近だろうか。そして、のちに首都をおくことになる土地を無理なくカバーできるところ……首都から東に経度を40度ばかり行った赤道近くに工事を行った跡が見つけられた。現在はジャングルとなっている。
残された書類によれば、<インドラの矢>とは、テラフォーミング期における大敵である大質量隕石を迎撃するための反射衛星レーザーシステムであった。運用次第では地表攻撃に転用できるかもしれないところまで突き止めて、鴨 希一は関係部署に連絡を回し、各役所は現地に直行できるものの戦力見積もりをはじめた。未開のその地にもっとも近い信頼性のおける集団は戦後復興公団が資金援助した、大規模なロステク探索チームだった。
★
「なんだこれ! なんだこれ! ロステクに違いないぞ! とりあえず調査だ!」
鴨が調査チームへと連絡をつけようと悪戦していたころ、現地では調査チームを率いる
アキラ・セイルーンが謎の大掛かりな装置に盛り上がっていた。
「なにか見つかったのはいいが、これはつかえるのかの?」
草木に埋めつけられたような状態の金属製の長大な筐体を前に、アキラの補佐を努めている
ルシェイメア・フローズンは首を傾げた。何事にも楽観的にすぎるアキラの性根はロステク探索という面には向いているが、組織運営には向いていない。大規模調査団である以上はチームの運営でルシェイメアの担う部分は大きくなっている。
「何を言っているんだ! テラフォーミング期の遺産なら、今よりはるかに過酷な環境で動くように作られているはずだから、動くに決まっている!」
アキラは既に、木に筐体の上に降りたたんと登り口になる木を見つけてよじ登り始めていた。
「ああもう! 危ないよ!」
「ルーシェも来なよ! 凄いよ!」
無邪気に相棒を愛称で呼びつけるアキラは既に高く登り、枝にロープをくくりつけていた。
「アーアアーッ!」
アキラは奇声を上げながら、ロープを振って筐体の上へと飛び移り、筐体の突起物に新たなロープをくくりつけて下に降ろす。
いかにもトレジャーハンターかくあるべしというような情景は、一本の入電で根底から覆された。
「こちらは、軍情報部ミレンダ・ファティオー准将だ。貴発掘隊は、放棄されたロステク兵器にもっとも近接している組織である。軍の派遣まで現地を調査、確保してほしい。当該座標は……」
その電信をルシェイメアは最後まで聞き取ることはできなかった。ザリザリという雑音が混じって途絶えた電信は、ジャミングによる電波途絶の発生を意味していた。それは、この近辺で電子戦を行いうる部隊が軍事作戦を開始したという合図だった。