…※…※…※…
夜の闇。
聞こえるのは、人びとの声。
見えるのは、炎に照らされた城。
太陽の下、歌姫が鳴らす鐘。
それは目覚める者を正しく目覚めさせよう。
…※…※…※…
「ともかくここから脱出せにゃ話にならんな」
気づいたら地下牢スタートたぁ何処ぞのゲームかい。
なんて
柊 恭也は自分が置かれた状況を茶化してみてから「ふむ」と緩く息を吐いた。
「……こいつはハメられたかね」
その某ゲームで主人公が投獄された理由が明かさたかはさておき、恭也の場合は少々の想像力があれば大方の予想ができそうなものだった。
しかも、わざわざ声をかけてから昏倒させる一撃を繰り出しておきながらの地下牢への放置だ。
気を失う前に聞こえた“明日には城主に会える”という台詞。
そこここと聞こえてくる同じように投獄された冒険者達の相談内容を耳に入れて、よいしょ、と恭也は腰に両手を当てて背筋を伸ばした。
推理も推測も仮説も考えればいくつも浮かぶだろう。
が、それは「まぁ、その辺は他の連中が調べるだろ」と彼は結論を急ぎはしなかった。城に住むという娘に傍から聞けば身を潜め誰彼の目を盗んで夜這いをかけるような直接的なコンタクトを取ろうとした恭也としては、さして重要なものでもないのである。
ピンポイントでざっくりと掘り起こせれば儲けものと飛び込んでみたが、これでは殴られ損だ。
棒か拳か強かに打ち付けられた箇所をさすり、絶妙な手加減と手当をされていることに、このままで終わらないのは確かだと確信する。
自分達は“求められ”て、そして“生かされて”いる。
“連れて行く為”に。
「“謁見”かね?」
城だし。
それは果たして面白い事柄だろうか?
物事を天秤にかけつつ牢の中をぐるりと軽く一周した恭也は壁に触れていた手を離した。
牢の全体は石や岩を組み上げたもの。錠が掛かっている鉄格子の扉。割と標準的で頑丈な造りの地下牢なのが手触りで確認できる。壁と床と天井と、それ以外の特徴と言えば、扉と反対側の壁際の床に独房を貫く形で掘られた細い溝くらいだ。ご丁寧にも水が流れている。長期の勾留を視野に入れての工夫だろう、衛生観念はしっかりとしたものだ。見方によっては血を洗い流す為のものやもしれないけれど。
薄暗い事。窓が無い事。独特な湿り気を帯びた生ぬるい空気。密閉に近い閉塞した空間。城の牢屋と言えば屋外か地下というセオリー。
心当たりのない投獄に脱走を図ろうとするのは当然の心理である。
恭也は“恐らく過去にも同じように城を調査して捕まってた連中がいた筈だ”という予測のもと、鉄格子の一本を掴み上から下にゆっくりと撫で下ろすように手を動かす。浮かぶ錆が皮膚に引っかかるざらついた感触に期待するも、どこか一部が腐食で脆くなっているというご都合は発生してくれなかった。ヒンジなんて修繕された形跡まである。ガンガンと見回りがすっ飛んでくるのも構わず力任せに蹴ってもどこかしら折れる気配もない。
椅子や机という贅沢は言わずとも、寝台はおろか簡素な衝立も用意されず、組み上げる石や岩の境目には砕いた石灰岩と石灰を混ぜたものが塗り込められた跡が複数もあり、小物を隠せる箇所は悉(つぶさ)に埋められている。
徹底した対策に、そこはかとなく過去幾度もいたちごっこが繰り広げられていたのが容易に想像できた。房内が殺風景なのはそれだけの人数を投獄し、脱獄を図ろうとする実力者が少なからずいたという証だ。
先人達の実力と努力が今のこの苦労だとするのなら、彼らが隠していただろう道具を探そうする自分はなんという皮肉にさらされているのか。そうなると見張りも看守も立てないのは、怪我や病気を装って誘き寄せ油断した所で頭に一撃という手法を封じる為だろう。人が来なければ脱獄を偽装して牢の鍵を開けさせ確認させるということも叶わない。ならば、細やかな傷が刻まれた壁を腕一本なりでも通れる穴をくり抜く苦労を買ってまでするまでもない。
「やめだ、やめ。どうせお迎えが来るんだろ。待ってやるよ。あほくさい」
体力消費するのも馬鹿らしい。のんびり寝ながら城主様との謁見を待つとするさ。
本当に何人がこの牢に送り込まれたのか。
自分には安否こそ関係しない話だが、そうやって逃げおおせた人間はその後どうなったのだろうと疑問はわく。なにせ晴れて牢屋から出られたにしても、村から逃げなくてはならないのだから。
静かにプランを立てる恭也の元に錠がひしゃげる音が響いた。
何事だと目を向けた暗闇の先で人影が動く。
そして、扉が開いた。
…※…
牢から抜け出せても、武器がなければ話にならない。
地下牢へと下る階段を駆け上がった恭也が真っ先に選んだのは近くの詰め所……とおぼしき控えの部屋。構造的に部屋の前を通らないといけないのだろうし、ここがそうなのだとあたりをつけた。
扉を薄くひらき、部屋の中に誰も居ないことを確認してから身を滑り込ませる。扉を閉めて、棚を開け、蓋を開き、ドアノブが回された音に、箱の中の物を鷲掴む。
「おまえ! そこでな――ぐッ」
村びとが叫ぶのと同時に恭也は床を蹴って飛び込むかの如く急接近し、虚を突かれた相手の顔面にそれを叩き込んだ。花瓶の割れた感触の他、罅入る頭蓋の硬さが手応えとして返ってくる。
一撃のもと黙らせるに成功した恭也は近場の引き出しの中からフォークかナイフでフォークを選び取り、扉横の壁に張り付いた。
「おい、どうした。誰か居たのか?」
割れ物の音に驚き部屋に踏み込んできた男が相棒が床に伸しているのを発見し慌てて起き上がらせようとする。その背後に恭也は近づき、そのまま口を塞いで弱い喉の皮膚をフォークで貫いた。
脱走の報せだと走らせるのを防いで予測通りの村びとの行動パターンに恭也は小さく唸る。
「二人一組か……厄介だな」
モブだからといって、恭也に気配を悟らせず接近し昏倒までさせたのもあるが、外界から隔絶し侵入者を警戒する必要性が低い城の中で成人男性が二人一組で行動している。冒険者が逃げないようにするためと思われるが、しかし、それは冒険者の投獄前からだと恭也は知っていた。つまり、冒険者以外に、そうせざるを得ない対象がいるということだ。
だが、どちらにしろどうでもいい。
ひとでも魔物でも出くわせば有無も言わせずぶっ殺してやるだけ。
一層と、口角が陰惨に吊り上がる気分だ。
「手厚い歓迎にはお礼をせにゃならんからなぁ……」
…※…※…※…
「……ああ、やっぱりそうなんだね」
投獄されたのが自分ひとりだけではないのを、それも一網打尽とばかりに捕まえられたのを、聞き覚えのある冒険者達の声で気づかされて、
猫宮 織羽は冒険者としての経験から危機が迫っていると鳴り響く警鐘音に目を伏せる。深呼吸を二度繰り返し、瞼を持ち上げ現状を見据えるとすんなりと音は止んだ。
魔障壁の影響を受けないはずはなかったのだ。
風景を楽しむよう眺めただけの動物は奇形ばかりで、
それなのに村びと達は不自然なほどにも五体満足で。
どうしてその差異に気づかなかったのだろう。
気づかぬほどにもひとびとが健全で、朗らかで、幸せそうだったせいかもしれない。
完璧な人間に、そう見えるような大掛かりな術に掛かってしまったのだろうか。
でなければ捕まった理由が他に思い浮かばない。城門が開かれ招かれて、ひとまたたき後にはこの地下牢なのだから。
城には、強い魔力を持った存在がいる。
……きっと。それが城主様と呼ばれるひとなのだろう。
「そしてわたしたちは、城主という名の魔物への生贄かな」
教会に貼られていた依頼書は誰が出したのか。
調査が名目は、実質、一月の長旅を道なき道を越えてやってきた強い冒険者達を村へと迎える形となった。
それを力持つ城主に捧げて、村の繁栄を継続させるという筋書きだろうか。
「牢屋かぁ……どうしよう」
……もしくは、この狂った風習に縋り付くだけの村を終わらせて欲しいと願う誰かからの救いを求めるものだったのかもしれない。
今となっては調べる術もないが。
「武器もないし、自力で脱出は無理そう」
扉でもある鉄格子に指を滑らせて絡め、握りしめる。
と。錠が砕ける音に顔を上げた。
自由のチャンスが訪れれば誰だって逃したくはない。
通路を挟んだ反対側に投獄されているが不運だったのか、破壊活動の恩恵に預かれず、逃げ出す様子を見送ることになりそうだった織羽の牢の前で冒険者のひとりが立ち止まるのが靴音で知れる。それは駆ける仲間のふたりを呼び止めて、織羽を閉じ込めている牢の錠を開けるよう囁いた。
「あの、ありがとう」
「早く逃げてください」
扉を開けてくれた彼女達に織羽は感謝に笑顔を向ける。
…※…
「城主様!」
階段を駆け上がり廊下を曲がった織羽の視線と村びとの叫びとが交差した。
「あれが、城主様?」
視界に飛び込んできた巨大な食人植物に織羽は大きく瞳を開き、その魔物が「お待ち下さい、城主様」と呼ばわれるのを耳にして、織羽は悲しげに目を伏せた。
「ああ、やっぱり……」と無意識に右手が胸元を掻き寄せる。
知識と経験と直感が的中して、予想が本当になって、どうして喜べるだろう。
城主と呼ばれているこの魔物が“ひとりだけ城に住む娘”なのだろうか?
聞いたら誰かが答えてくれるだろうか。
もし、娘と会えるのなら。
“こんにちは”と挨拶を交わしてみたかった。
“よろしくね”と握手を交わしてみたかった。
嫌な予感はしていたけれど、一緒に歌えば全ては杞憂だったと、気持ちは晴れると思ったのに。
振り上げられた二本の毒手は、ただただ織羽の表情を曇らせるだけだった。
動かない的目掛けて魔物毒手が振り下ろされ、織羽は胸元を掴んでいた手を離す。
「……でもね」
リーンの鐘が、鳴らされた。
音(ね)は衝撃波となって毒手を弾き、三度鳴らされた音(おと)は魔物を宥めていたふたりの男を転倒させた。
「ここで簡単にやられちゃうわけにはいかないんだ……!」
織羽はハンドベルを持つ右手首をスナップをきかせ残響に音を被せていく。
前奏は既に開始されて、空間は音で満たされよう。
織羽と対しているのは、目覚める日に“眠りから起こした鐘の音”の重なりを浴びて、後退を余儀なくされながら、それでも花開かんばかりに感情に打ち震えている魔物。
彼(か)の種の特徴のひとつは種族間で会話が可能だという点。それは距離にして、遮蔽物の有無にして、どれほどの正確さをもって伝わるのか詳細を測る術はない。そして城という温室に育てられたそれらは手が加えられている改良種である。実態は正しく不明な種。
ただ例えそんな事情など知らなくとも。根をばたつかせ、茎を撓らせ、幾枚の大判の葉を揺らすほど踊るように大げさな動きをされてしまえば、ただならぬことが起こっているくらいは察っすることができた。
逃げろと急かす本能に、織羽は一歩後ろにさがる。
「うん」
そんなことはわかっている。この場にいつまでも留まるわけにはいかないと、自分がそう伝えたがっているのは痛いほど理解している。
「大丈夫」
だから、
「逃げるよ。逃げ切ってみせる」
わたしは自分を信じて。
魔物の異様な取り乱し方に異変を察知したのは織羽だけではなく、身を起こした男ふたりも倒れた時に落とした長い棒を拾い上げて振り回され唸る毒手を捌いていなし始めていた。その合間合間にも「落ち着いてください」など声をかけている。健気で、いじらしく見える風景だ。
織羽はぐっとハンドベルの持ち手を握り、
「一度しか言わないわッ」
男達に向かって叫んだ。
「そんなものに構わずに逃げるのッ!」
遠くまで通る声が現実を告げる。
今一度鳴らされる鐘。
衝撃波に押されて魔物の動きが鈍る。その一瞬のタイミングに向かって織羽は床を蹴って駆け出した。
振り返らず、前を向いたままで。
声は掛けた。考える時間が無かったのが残念だが、選ぶのは本人達だ。
蠢く魔物を宥め続けるか、逃げ出した自分を捕まえようと追っ手と化すか、共に逃げ出すかは任せて、織羽は外へと続く道を目指し駆けていく。