■神は天にあり……?■
SCENE1.
ケセルリア太陽系、第3惑星サラスヴァティー。その主都であるシールズシティの中央にあるケセルリア大公宮殿の一角では、ラスドア派首領
ヘルムート・ラスドア候の候子にして、和平派急先鋒の
候子コンラートと、宮廷画家となった
鴨 柚子が密談を交わしていた。
「この度のブレダでの政変、候子様は賭けにお勝ちになられたということでよろしいですわね?」
柚子の問いかけに、コンラートは頷く。
「そうですね。臨時軍事評議会を名乗る彼らは、窮乏する我々に対して寛大すぎるほどの条件で、和平を提案してきました。私は父上に、この和平提案を呑んで頂くつもりです」
「芸術祭は平和の祭典と化して大成功、臣民が平和を希求する今こそたしかに好機ですわね。しかし、それでお父上はともかく、ライドナー候が納得してくださいますでしょうか?」
柚子は首を傾げてみせる。コンラートは眉をひそめた。
「確かに、その懸念はないとは言えませんね。しかし彼は副盟主であり、自らの立場の重さも理解しています」
「それならばよろしいのですが、候子様の考えとは別の、暴力的和平希求運動も起こっているとか」
「ええ、臣民の不満も限界ということでしょう。いつ火がついてもおかしくない。和平までの間、用心しなければなりませんね」
意味深な言葉と視線の交錯。柚子はニッコリと笑った。
「何もかもうまくいきますとも」
その言葉に、コンラートは深く頷いた。
「ええ、何もかも、うまくいくでしょう」
柚子は笑みを深くし、コンラートに一礼した。
「それでは、御機嫌よう、候子様」
そのまま振り向いて立ち去る柚子の背中に視線をやって、コンラートは硬い表情になった。さりげない会話のうちに、彼女はライドナー候と暴力的和平運動煽動者の排除を暗に告げてきた。黙認はしたものの、果たして彼女の動きがいかなる波乱を巻き起こすのか、予測不可能な部分が残っている。真なる和平までは、一時たりとも気が抜けない――彼はそのように感じた。
★
コンラートの思惑――あるいは懸念通り、柚子はライドナー候と暴力的和平運動煽動者について、侍女時代や芸術家としてのコネを用いて探りを入れていた。
ライドナー候については、一見軍の支持が強いと見えた。しかし、軍に息子を出征させている貴族たちは「終わりの見えている戦争で惣領息子を死なせてたまるか」と反感をつのらせつつも、その総領息子を事実上の人質とされておりやむなくライドナー候を支持しているのが現状だった。また、その他の貴族は上がり続ける軍税に著しく強い不満をいだいており、反ライドナーの機運はすでに着火寸前だった。
「これに火を付けるかどうかは、候子様次第ですね……」
柚子は状況を整理して、ふとひとりつぶやいた。
一方の暴力的和平運動煽動者についてだが、これについては限られた時間で探るには階層が重なりすぎていた。めくり続ける労力が徒労に終わる可能性を考えると、彼女としては深入りは見合わないと判断せざるを得なかった。
こうして、彼女の調査は一段落した。このように、柚子が候子の意を先取りし、あるいは意を汲んで行動しうる人材であることは、候子にとって有益だった。
★
テレサ・ファルシエはラスドア候の侍医として、診察がてら、彼女が先にブレダで行った冒険とその顛末の話をしていた。
「臨時軍事評議会は公爵閣下の帰順と引き換えに、貴族の諸権利を旧に復し、その簒奪者であるラジェンドラを列公会議裁判で裁くこと、その裁判長に侯爵閣下を立てることを提案してきました」
「ふむ……」
わずかに喜色を見せるラスドア候に対し、テレサは自身の懸念を告げる。
「しかし、このまま和平してよろしいのでしょうか? 私には腑に落ちない点が多すぎるのです。まず列公会議ですが、ラジェンドラの残党が残っていれば、裁判長たる侯爵閣下が、仇のひとつに数えられる可能性があります」
「――それは判らんではない」
重々しく答えるラスドア候に対し、テレサは更に持論を開陳する。
「それに、マハル内親王殿下はあの野心家の政商、ボーンベニン・セルハバードに操られているのではないかという危惧もあります。今は表に出てきていませんが、それは彼が裏から全てを動かせる可能性の表れでもあり得ます。彼が裏から全てを動かせるのであれば、それはラジェンドラと同じ独裁政治であり、政商という彼の立場からして国家経済に不公正な状態を作り、既得権益による腐敗構造を生み出す可能性が強いです」
可能性の上に可能性を重ねてはいるが、そのひとつひとつは蓋然性が高いものであった。ゆえに、ラスドア候も頷く。
「そなたの懸念、もっともであろうな」
我が意を得たり、とばかりにテレサは踏み込む。
「ですので、和平会談には侯爵閣下自ら出ることなく、誰か代理をよこすのがよろしいかと存じ上げます――そうですね、他派との交渉に積極的なものなどはいかがでしょうか?」
これは、ひとつ間違えれば、臨時軍事評議会に対してラスドア派が誠意を見せていないと判断されかねない反面、臨時軍事評議会が信じきれない今、ラスドア派の求心力であるラスドア侯の身命を確実に守ることでラスドア派の瓦解を防ぐという、現状維持に近い防御的な提案であった。
だが、ラスドア候は首を横に振った。
「せっかくの進言だが、ワシは和平会談に赴く」
テレサは彼の言葉の重々しさに畏怖を感じつつも、あえて問うた。
「侯爵閣下御自らでなくとも、ライドナー候や候子様など、重鎮はいくらでもいらっしゃるではありませんか」
「この長い内戦のすべての時期において、元凶たるラジェンドラと応戦者たるワシは奇妙な運命の糸で結ばれていたのだ。それを断ち切るのは、やはり当事者であるワシでなければならぬ。それに、ライドナーは未だ血気盛んで交渉を断ち切りかねんし、コンラートは我が世子故にワシ亡き後のケセルリアを守ってもらわねばならぬ」
ラスドア候の強い決意を秘めた言葉に、テレサはそれ以上の箴言が無意味であることを悟った。
「であれば、くれぐれも御身にお気をつけください」
「分かっておる。次の定期検診までには、物事は片付いているであろう。安心しておれ、きっと良い方向に全ては進む」
深々と会釈し、テレサはラスドア侯の居室を去った。廊下には、柔らかい夕暮れの日差しが心安らげるようにテレサを照らしていた。
★
そのころ、
佐門 伽傳はライドナー候を説得すべく、ブレダ太陽系のラスドア派艦隊旗艦「リップシュタット」に乗り込んでいた。
「どうされましたかな、御坊?」
「リップシュタット」の司令官席で、膠着した状況を見つめながら紅茶をすするライドナー候は、意外に柔和な態度で佐門に応じた。
「いえ、戦もやむを得ぬが、より良き道があるのではないかと思い、ここに参上した次第。ライドナー殿におかれては、耳の痛い話かもしれぬがな」
「さて、それは聞いてみなければわからぬこと……」
佐門の挑発的な言葉に、ライドナー侯はあくまで冷静に耳を傾ける。
「さて、ここにひとつの国がある。ひとりの悪逆非道なものの手によってみっつに引き裂かれ、仲違いを続けているが、皆疲れ果てておる。そんな中で、ひとつの勢力が悪逆非道なものを捕らえ、彼の者を皆で裁くが故に仲違いを一旦やめよう、と申し出てきた」
「まさに今のような状態ですな、御坊。して、その話はどのように進むのですかな?」
ライドナー侯は佐門の喩え話をも鷹揚に聞いている。佐門はここぞとばかりに言葉に力を入れた。
「今、彼らの声に耳をふさぐは愚策。彼らの声に耳を傾け、言い分を呑むのが上策であろう」
「――何故ですかな」
ライドナー侯の問いは佐門を試すようだった。
「正直に申そう。彼らの提案は、ラスドア派にとって、貴族の権威と利権を取り返す最後の契機であると私は信じておる。ブレダにある内親王と政商殿は、言葉通り諸悪の元凶ラジェンドラを討って、新政権を作り上げ、その暁に和平に応ずるという態度を示してきた。これすなわち誠実。もし聞く耳持たずんば、否は我らにありとブレドム中の臣民から謗られるは必定。そうなってしまえば、いかなる手立てをもってしても内戦の継続など不可能。ラスドア派は崩れ落ちますぞ」
「なるほど。しかし一方で、話に乗ったところで、貴族の権威と利権が旧に復すか、甚だ危ぶまれるところ。うかうかと交渉すれば、政変の黒幕にしてその道に長けたるあの政商に引きずり回されかねん。これについてはいかがお考えか?」
佐門の熱弁に、ライドナー候も心中をさらけ出す。そこで佐門は諭すように告げた。
「かの政商がそのような邪智暴虐を胸に秘めておるなら、ラジェンドラの二の舞となって高転びに転ぶのみでしょうな。そうならぬためにも、権力と威信の再配分は怠らぬはず。ライドナー殿がかの政商の立場にあっても、そうなされるであろうに」
ライドナー候は頷きつつも、なおも疑問を発する。
「――確かにそうでありましょうな、御坊。しかし今回の政変で台頭したのは王族と政商。我ら貴族は手柄を立てられなかった。これについて咎められては、我らの立つ瀬はない」
「ふむ――国が代わり行く今、貴族という家柄の維持は臣民の支持が得にくい。だがその人脈や財産を活用し経済界に打って出れば、異なる形で力を維持できるというもの」
「それも踏まえての、かの政商の動きとも思えるが……」
不審がるライドナー候に、佐門は先日の芸能祭の奉納帳を差し出し、力強く告げた。
「かもしれぬが、まずは平和を希求する者がこれだけの数いるということを理解されよ。貴族の権威と利権も、臣民あってのこと。臣民はすでに内戦を望んでおらぬ。そして平和のためにこれだけの奉納をしてくれておる。貴族であるなら、臣民の意思を汲み、いや臣民に率先して平和へと奉仕すべきであろう。さすれば、利権も支持も自ずと付いてこよう。かの政商が邪智暴虐をもってしても取り上げられぬ、真の財産としてな」
「――」
ライドナー候は沈黙し、ややあって大きく頷いた。
「決心が付きましたぞ、御坊。我らは交渉に参加しようではないか」
「では」
はっと驚く佐門を前に、ライドナー候は呵呵と笑った。
「相手が邪智暴虐ならその時はその時! ここで何もせずにいること、和平のための方策を練らぬことこそ、貴族の本分、高貴なるものの義務に反する! 御坊、よくぞこの私の蒙を啓いてくださった。感謝しますぞ!」
「これもまた、創造神(クリエイター)の思し召し……」
佐門は跪き、宇宙教の聖具のひとつである数珠を握ってクリエイターに対し感謝の言葉を捧げた。
★
このようにしてラスドア派内部で和平の機運が急速に高まりつつある中、
ミディシア・レーディシスは首都騒擾によりインフラ系統が混乱しているブレダへの人道的援助を行おうとしていた。彼女が収めるガーヤトリー州は決して豊かとは言えないし、連年の出兵による軍勢の徴発により貧困がはびこりつつあった。
しかし、ミディシアは、首都ジャヴァーリ騒擾に揺れるブレダ太陽系に対し、医療支援や食糧支援、社会インフラ再建支援などを行おうとしていた。
さらには、彼女はその動きをラスドア派内部に広げようともしていた。
「このような時にこそ、貴族たる者の真価が問われるというもの。誇りあるブレドム貴族としての高貴なる義務を果たしその気概を示す、またとない機会ではありませんか?」
彼女はラスドア派貴族たちにそのように問いて回った。
経済の縮退に苦しむ経済界に対しては、「将来ブレダの市場へと食い込むための先行投資」という形で援助を引き出し、困窮する臣民たちには、「情けは人の為ならず。私達が蒔いた種はいずれは豊かな実りとなって帰ってくるでしょう」と説いた。
結果、足並みは今ひとつ揃わなかったものの、ブレダ援助船団が編成され、発進することとなった。その艦影を空に見ながら、ミディシアは亡き夫を見送ったときとは異なる表情――ガーヤトリーの女領主としての凛とした表情を浮かべ、胸中に新たなるブレダとケセルリアの関係構築という夢を秘めながら、艦影が消えるまで見守っていた。