- 未知なる空を求めて -
「クレマティス特任教授! どうして検収が通らなかったのかと、委託先工場のひとつから抗議が届いておりますが!」
「理由は検収状にも添えたのですが……ここは公差を守っていただく意義から説明する必要がありますか」
学際次世代航空技術研究所、
ルキナ・クレマティス特任教授の一日は今日も忙しい。今後の彗星対策に必要になるだろう航続距離と防御力を誇る空の要塞の製造は、常に難航の只中にあった。浮力で飛行する飛空船とは異なり、揚力で飛行する『飛行機』の機体は、これまでよりも高精度での加工を要求される……しかもその加工は完成までの時間短縮のために、部品ごとに別々の工場で行なわれるのだ。最後に1つの機体に集約した際に不具合を起こさぬためには、これからの偉業のため職人たちに奮起してもらっただけでは事足りそうじゃない。
(とはいえ……)
拳を顎に当てて思索するルキナ。
(これが想定以上に短期間で仕上げてもらった結果だというのは不幸中の幸いか。多少の追加予算は必要になるかもしれないが、星導機械工学科の伝手で協力してもらえた手前、指定公差どおりに作れるまでタダ働きせよ、とまでは言えないだろう)
さて……その予算の捻出をどうするのがいいか? 各工場に出す報酬は、すでに色をつけられるだけつけてある。これ以上予算を費やして、
シェーラ・レーベルらに進めてもらっている新型マナ炉エンジン研究の予備予算まで削るわけにはいかないが……。
「すみませんが、作業をお願いしている各工場に、改めて技術指導をするためのアポを取ってください」
秘書代わりにあてがわれた学生に指示を出しながら、ルキナの脳細胞はフル回転している最中だった。
(今回限りは手戻りのぶんの実費を出すことにしておこう。最悪の場合、新技術の提供を見返りとしてノイエスアイゼン軍に資金提供を依頼することになるだろうが……侵略に使われないという確約さえもらえるのなら背に腹は変えられない)
ひとまずこれで、機体製造に関する問題は片付きそうだ。だがやはり最大の問題は、この新型航空機の動力に使いたい新型マナ炉をどう完成させるかだったろう。何か使い物になる品はないかとマナ物理学科の倉庫を漁ってみていたシェーラの顔が、険しく歪んだ。
「やっぱり、マナ反応部が彗星からどれだけの引力を受けるかが判らないと、反応部を緊急パージするための安全装置をつけるか小型にして反応規模を抑えるくらいしか対策はできそうにないわね」
「どうにもならんかね?」
そわそわと不安げに訊く
ピエール・ジョリオ教授は、フレンドリーに挨拶して研究内容を褒めてくれたシェーラに、すっかり気を許してしまっているらしい。壊れたマナ炉の設計図を見せてくれるばかりか実際に事故を起こしたマナ炉を調べさせてくれたのはありがたい限りではあったが……それでも、腕だけではどうにもできない問題はある。
「修理した炉に擬似的にマナを流しこんでみたら、マナ封印場発生用のギアバリア同士が隣り合っている隙間をこじ開けるように、マナが外に洩れだしていたみたいよ。よりバリアを密に配置すればこの問題は解決するけど……あくまでも“現状では”の域は越えられない、というのが現実ね」
が……悲観的に現状を説明したにもかかわらず、ピエールの瞳は好奇心に燃える。
「しかし……“暴走回避の目はできた”というわけだ。バリアを密にした小型の炉を複数搭載する形に変えて、緊急放出装置を用意しておけば、あとは滑空性能を生かして彗星をやり過ごした後、再び炉を再起動できるのではないかね?」
そんなピエールの展望は、確かに楽観にすぎないのかもしれない。
ただ……その楽観を必要とする者たちがいることも、
ルイーザ・キャロルは知っていた。避けがたき破滅を回避するため、危険を冒してでも彗星を観測したい天文学部。そして、たとえ紛いものの希望であるのだとしても、誰かに「世界は滅びぬのだ」と保証してほしい市民たち。次航研は手痛い失敗を喫したし、世間の非難の対象となることこそ免れたからといって厳しい目を向けられていないわけではないが、だからこそおろそかにしてはならない希望がそこにある。
「先日の事故の際に知り合った……
アンリ・ティボー氏にお願いすれば……きっと上手く広報していただけるはずです……」
機械仕掛けのルイーザの指が、新聞社からとり寄せたティボー氏のプロフィールを机に並べてみせた。
プロフィールによれば彼は、シテのSFの大家アルフォンス・リューに師事するSF作家であって、科学記者としても知られている。作風は師譲りの科学礼賛と、師より科学的事実に忠実な背景設定が特徴。ただし後者は大衆の敬遠を招き、新聞社の仕事を手放せぬ原因でもあるようだ……だが、今回のようなノンフィクションであれば、彼ほどの適任はそうおらぬとも言えた。
……そして半月も経った頃には、ティボー氏はすっかりと次航研の広報役だった。
「お蔭様で、ルポタージュの人気は上々ですよ。次なる次航研の新発明を期待して、新聞社には毎日のように読者の投書が届くのだとか」
「期待どおりにゃ!」
今となっては
リデル・ダイナも猫をかぶらなければならない間柄でなく、揃ってルイーザのお茶を嗜みながら普段の彼女の姿で接している。この次航研の仕掛け人という立場に立って、真の発起人だが汽人ゆえ表に出られぬルイーザに代わって社交を行ない、さまざまな関係者と折衝するのも面白くはあるが……やはり本性を出せる相手には出して、普段どおりでいられるほうが神経を使わない。
だが……それでもリデルは次航研のフィクサーなのだ。訊いてみるリデル。
「で、正直な話……この仕事は気にいってくれてるにゃ?」
するとティボー氏は手をわななかせ、適切な言葉を思いつけない、とでも言うように、所どころ言葉を区切りながら語ってくれた。
「いちSF作家としちゃそりゃあ、ルポなんかいくら売れたって、って気持ちはありますよ。ただ……そんなのは今更の話だし、マダムの会合に同行して、物理学・工学・天文学・史学・生物学……今まで思いもよらなかった分野の大家たちがひとつの目的のために意見を交わすさまを目の当たりにできるのは……悲しいかな、“SFなんか”を書いているよりもよほど興奮するんだ」
件の事故から得た教訓と、
リリアン・プロモートがうち出した実験時の安全強化策。
事故を起こしたマナ炉の課題と、改良型マナ炉の安全装置。
新型航空機が今後世界に与える影響を語って、まだ見ぬ雲の向こう側に期待をかける。
次なるティボー氏のルポの対象は……これから次々にやってくるであろう地上教団の資料の分析に関してだった。すでにルイーザが教団内にありそうな資料を予測して、リリアンが各方面に受け入れ準備要請を検討していることは彼も知っている。ただ、中にはティボー氏が次航研にべったりの記事を書いていると思っている上に、安全強化策も自分たちの不始末を大学全体に押しつけると感じている大学関係者らも、決して少ないとは言いがたい。
「これは……上手くやらないと反発の出る記事になるかもしれませんよ。次航研が他の研究者に対して、『お前たちが積みあげてきた今までの研究は、地上教団にも劣る遅れたものだ』と揶揄してるように取られるかもしれない」
指先で自分の頭を叩きながら悩みこんでくれさえするティボー氏のために、リリアンも手を考えてやらなくてはいけなかった。
(そうなると……これ以上の次航研外の大学関係者との交渉は最低限にして、その人たちのスポンサーに向けた折衝をしておくのがいいのかしらねー?)
元より彼女は次航研用の資金を集めるつもりで、ルイーザに大学のスポンサーたち――もちろんシテ政府を含む――を調査してもらっていたところだ。おそらく学内の確執にはそう詳しくはないだろう彼らに好印象を与えておくことで、次航研への出資も……とまでは言わないものの、間をとりなしてもらうこともできるかもしれない。
それが“楽しい実験環境”を維持することに繋がるのなら、研究者肌のリリアンにとって、折衝のためのあれこれもやはり“楽しい研究”だ。