三千界のアバター

ワンダーランド

Coin:古塔

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■ 光明 ■



 草木も枯れ果てる荒野。
 吹き荒ぶ風の自然さゆえに、地平に佇む塔までの、この一面が全て見えない壁で作られた迷路だと説明されても、瞬時に信じられはしないだろう。
 遠く見える″隔絶の塔″。
 その塔を中心に据えて取り巻く見えない迷路。
 侵入者を拒むというのならその仕組みはなんとも偏屈なものだった。そして、ねじけているが故に効果は絶大だった。目の良い者なら、迷い込み抜け出せず雨風に晒せて朽ちるに任す白い残骸と化したソレが所々で点在しているのが見つけられよう。
 小世界の崩壊の謎を解くべくこの地に赴いた特異者達は、ある者はその広大さに途方に暮れ、ある者はその難易度に俄然とやる気を起こす。
 手っ取り早く出口に到達しようと策を巡らすも、それが如何に難しいものであるかを知るだろう。
 見上げれば青空を泳ぐ空色の魚影。それが実体を伴う幻影というのなら、こんな事態でなければ、ゆっくりと鑑賞しそのままこの小さな世界の観光巡りと洒落込んでみたいものだ。
 そう。世界崩壊という、こんな事態でさえなかったら。
「こういうときじゃなかったら楽しめたのにー」
 黒山 羊が率直に言い放つ。
「ね。そう思わない? 見えない壁の迷路とかきっとおもしろいよ」
 目に見えないというのは、似て非なる素材の鏡や硝子を使ったそれよりも、ひと味もふた味も違っているはずだ。
 緊迫した空気に顔を強張らせる現世界の少女達に「大丈夫?」と羊は、彼女達の前に回り込んで、そんな気安さを装って気遣いを投げかける。意識は変えようだ。見方を変えれば物事はもっとシンプルなものとなる。
「みんなで協力して塔までがんばろーね☆」
 今の状況が身を竦ませる程恐ろしいものでも、絶望には程遠いと羊はその明るさで励まし、壁に阻まれない今はまだ平穏な風のその行き先を追うように視線を流すナハトリート・オールドローズを見遣った。信頼を向けられ、ナハトリートは一礼し返す。それがふたりの不変であった。
 フェアリーが持つ、特殊な眼。
 妖精の目で魔力や生命力といった普通の目で見えないものを視覚的に捉えることができるこの目で迷路攻略の難易度を下げようと試みるフェアリーアバターのルキナ・クレマティスは、吐息と共に仮説のひとつを潰した。アバターが仮初めの姿であるのを自覚してか彼女は少女達に自分がルキナ・クレマティスであることを名乗り告げていたのだ。それが功を奏したらしく取り敢えずはラビットラビット疑惑を向けられることは無くなった。
「魔法由来でも、生命由来でもないですね」
 特殊な視覚視野持ちだからと特別扱いはしてくれなさそうだとルキナはぼやく。
 額を強打したスキアーの様子から直に触れるのは問題なさそうでフェアリーのその小さな前脚でちょいちょいっと突っついてみた。
 硬い質感が返ってくる。
 物理的な刺激を受けても見た目の変化も無い。厚みも強度も未知数でこれを強引にどうこうするには情報が足りなすぎて返って危険そうであった。
「自然物にも見えないのですが」
 言うも、ワンダーランドの影響を受けている小世界だ。こういう″自然にできた(創造された)″建造物があっても不思議ではない。問題なのは時間が無いというその一点である。
 一旦妖精の目を閉じたルキナは静かに思案する。
 そんなルキナの隣りで、まじまじと周囲を見回す水野 愛須は腰に両手を当てた。
「ぶっちゃけ平和そうに見えなくもないんですが」
 心持ち緩く胸を張る。その動きに多分に肺に入った空気は、乾いた砂混じりで素っ気なかった。
 花色のパステルカラーが似合ってそうな光明の、砂色岩色が一面と続く荒涼と果てた部分を眺めても、それでも平穏そのものに感じる。
 地面の揺れと大地の崩壊という現実が無ければ、見えない壁の迷路も空色の浮遊する魚もメルヘンそのもので、実に楽しそうではないか。
「とりま警戒するに越したことは無いってやつですかね」
 聞けば化者という問答無用に襲い掛かってくるモンスター――そう定義付けていいのかは疑問だが――も居るという。警戒してし過ぎるということもないだろう。
 ――ただ、ぶっちゃけてしまえば。
「脳筋の私でもここで戦闘は意味がない感じがしますね」
 途中で横槍が入っても、目的が明確な分、手段と目的が入れ替わるわけにはいかないだろう。
 退けず留まれず、進むのみ。
 なれば、迷路攻略のその速さが鍵となるか。
 戦闘云々はこの際抜きにして、迷宮を進むという選択肢しかないというのは、一層と彼女を駆り立てるものがある。
 放って置けない可愛い女の子たちと面白そうな課題。それに釣られたわけではないが、ゲートを潜った先の世界状況世界事情に愛須は、創造すべく得物は銃が良いか剣が良いかと可能な限りの最善を吟味するのだ。



…※…




 急速ではないものの、しかし大地が揺れる度に、緩い場所から世界は崩れ落ちていく。そんなものを呆然としたまま見続け、いつまでも入り口でまごつくわけにはいかない。
 特異者達がそれぞれに急ぐ中、葉剣 リブレは大事に仕舞い込んだお弁当を真っ先に作っていてよかったとしみじみと思った。
 ゲートを潜ってからこっち僅かな時間の隙間を利用しての急ごしらえだったが出来には自信がある。リブレサイズで量が作れなかった分、食べやすさに工夫を凝らした。
 遠足気分とまでは楽観視してはいないが、事が終わればランチタイムが欲しい所だ。きっとへとへとになって疲れ切ってお腹がすいているだろうから。
「とりあえず塔に行ってみるしかないですよねー」
 重々わかりきった事を敢えて桜・アライラーは心情として吐露した。
 状況を整理するのは、自分の冷静さ加減を再確認しているような気分になって、気持ちが吐息に変わるのだ。
 溜息の後(のち)、スっと、桜は唇を閉ざす。
 しかし、と疑惑が思考の表面に浮かんだ。
「気になるのはディッルさんですかねぇ」と桜の独り言は誰の耳にも届く前に風に攫われる。
 前に暗影の存在を問う場面で割り込んできたタイミングがあまりにドンピシャだった。狙ったかのようなピンポイントさに都合が良すぎだと判じてしまう。
 これは、余裕があれば揺さぶってみる価値はありそうだ。
 黙す桜に、武装スキルの不備不具合のチェックをし終えたイリーゼ・ユークレースが、そんな彼女の横に並び立った。
「乗りかかった舟ですもの。 ……ねぇ、桜?」
 イリーゼの眼差しを受けて、桜は頭を切り替えた。引っかかって気になるような物事が目の前にあっても優先順位を間違えてはいけない。ともすれば生死の危険性があるのなら余計に、だ。
「迷宮攻略が第一ですねー」
 一番確実――誰もが思い浮かぶ――なのは右手を壁につけて辿っていく方法があるが、それは時間切れが怖い。誤った道とわかっていて虱潰しのやり方はタイムロスが半端ないのだ。
 どれが最良だろうか。悩む桜は地面に視線を落とす。僅かな可能性を見出すのならば、特異者達が立っているここが″入り口″ならば、先人の経験を借りることができるのかもしれない、と。
 光明に建てられた塔全ての管理者だというドネの父親が過去に訪れたのなら、その痕跡が残っている可能性はゼロではないと思うのだ。彼女の父は世界滅亡の混乱に各地に点在する塔の様子を見に自分達より先に見回りにと来ている話はゼロではない。
 人の通った痕跡――砂地に残る靴跡を探すように矯めつ眇めつ大地を観察する桜は「ま、世界が壊れてるので駄目元ですがねー」と両肩を落とした。
「ここを突破して塔に行くんだろ? もちろん今回も俺が手を貸してやるぜ」
 とドネに手を差し出したのは迅雷 敦也だ。
 躊躇いひとつなくまっすぐと伸べられた敦也の手をドネは両手に挟んで軽く握った。
「はい。よろしくお願いします」
「火夜ちゃんも一緒だよん。がんばろうね!」
 今回もお兄ちゃんの手伝いをするんだよと迅雷 火夜が敦也の背中の上から上体を起こし明るく元気に胸を張った。
 アニマルカフェ――熊猫亭の店員達が纏っている三千界の動物達を模したアニマルローブを着込む少女の格好は実に似合って愛らしい。兄の背にひっついてまるでマスコット。
 ピーターパンとティンカーベル。そんな至上の組み合わせの二人にドネは心強さに緩く両目を細めたのだった。
 ドネから手を離した敦也は改めて″隔絶の塔″へと体の正面を向けた。
「迷路か……」と呻く。
 敦也的にはすっかりとバトル一辺倒だと思っていたのだ。重要な地に敵がうようよしているものだと思っていたので「ここは遊園地か何かか?」と、肩透かしを食らった気分である。
 地面のあちこちが崩れ青空を覗かせているのは、浮遊する自分としては、その澄み渡る青空に魅了されたまま″世界の底″を飛んでみたいと思うものの、そこを泳ぐ飛魚の影を見つければそれも実現不可能かとしょんぼりするのだ。果てしない青空はとても綺麗で大好きだからこそ余計に。
「て、待てよ。それって帰り道が無いってことじゃねぇか?」
 疑問は、「ま、なるようになるだろ」と簡単に流れた。
「別に引き返すつもりなんて全然ないから大したことじゃないよな!」
 迷路の向こうにある塔。まずはそこに辿り着かなければ、お話は続かないのだし。
「サポート頼りにしてるぜ」と敦也は前を向いたまま己の背に声をかければ「おまかせあれ、だよ!」と火夜はどーんと自分の胸を叩いてみせた。
「見えない迷路だぁ?」と現状の不可解さに眉根を寄せた不死川 神楽は厳しい顔で、今まさに文字通り自分達を阻む障壁の真ん前に立って対峙し、苦く笑う。
「昔の人にはもう少し手心加えてほしかったな」
 侵入者を防ぐという意味ではその仕様は大成功の部類だろう。が、それ故に、速やかに踏破したい逼迫した現状と照らし合わせれば、デメリットがメリットを上回り、不可視という最大の特徴は致命的な欠陥としか思えなかった。
 ドネが説明する隔絶の塔の役割を類推すれば、世界の崩壊などという非常事態を想定しているわけがないか、と考え至る。
 至るが、理不尽極まりない。
「――まぁいいさ」
 ひゅおんと吹く風が神楽の髪を揺らした。
 遠く影とも等しいし輪郭すら怪しい建造物(ゴール)を見据えた神楽は、肩に引っ掛けた暗赤色の特攻羽織を掴むと慣れた所作で背に回す。
 羽織の袖に、ザッと音を立てて腕を通した神楽の立ち姿は、特攻服めいたデザインと相まって、皆の注目を存分と引き、第二幕と物語の始動を予感させた。
「――よし。行くとしようか」
 目指すのは″隔絶の塔″。
 向かうべく動機は、世界の始まりを知り得る為に。



…※…




「はッ」
 短い呼気に疲労を滲ませるルキナは激化していく特異者と化者との攻防劇に安全地帯はどこかと視線を巡らした。
 フェアリーアバターを選択し得た小型犬程の大きさが幸か不幸か彼女を闘いの場を駆け巡る結果へと導く。
「何かが起きます、周囲に気をつけて!」と、断続的な地震が影響したのとは違う地割れを敏感な感覚で察知したルキナが、先の花咲く丘での襲来が脳裏に去来し注意するように叫んだ直後、お約束とばかりに化者達が地上へと出現したのだ。
 地中からの大胆な登場に「あー、やっぱりですかー」と不可視の迷路なので見通し良く四方も警戒しやすいからこそ足元からの襲来を予測していた桜が芸が無いものだと近くに居るイリーゼと目配せし合った。
 ルキナの警告と同時にバトルになりそうな雰囲気を感じ取り、心構えを持っていたナハトリートが抜き身にしていた剣――静寂のカツガを大きく上段に振り上げて、生え出ようとした化者の頭をかち割った。大抵の相手なら致命打に成りうる渾身の一撃は、この世界の捕食者たる化者を仕留めるには至らなかった。
 頭上から股間まで真っ二つと割られた真黒は、構わずナハトリートごと盛り上げて地中より這い出る!
「くッ」
 傾く姿勢のままナハトリートは手首を翻す。
 無理やりな角度に構え直された剣。
 発動を許されて静寂のカツガは解放の衝撃波を無声のままに叫んだ。
 割れて小柄になった二体の化者はこれに耐えられず後方へと吹っ飛んで不可視の障壁にぶち当たり地面に落ちる。
 致命傷を与えても二度三度の追い打ちが必要だというのは先の争いを経て特異者の皆が知っている。
 羊を始めとした数人の声掛けにより知れ渡っている。
 ナハトリートは羊の呼びかけに集まった少女達を少年ごと後方に下がらせ、飛ばされた距離を縮めるように伸び上がるように仕掛けてきた二つの化者の片割れに肉薄すると腹に一薙を入れ蹴り倒し、その反動を使ってもう片割れの胴に剣の柄を深く埋め込み離れ一閃に切り伏せる。
 迷路攻略に横槍が入ったのならと、特異者達のその後の対応は――予測していただけに、カウンターも決まるという――手慣れたものだった。
 だから、ルキナは安全を求めて駆ける。
 地震で揺らぎ強度を失いつつある大地は、そこかしこに化者の出現に抉じ開けられた穴によって、ますますと瓦解の兆しを見せていた。視覚から得る情報というのは恐ろしいもので、自然と最悪な未来を想像してしまい、頭を左右に振るって、避けねばならないとソレを払い退ける。
 特異者の何人かは冷静に状況を受け入れている。事実そうなったとしても取り乱しはしない。それが特異者の特異者と云われる所以だから。だから、だからこそ、失うわけにはいかない存在に、唯一しかない世界に全力を注ぐのだ。
 そんな特異者達を少女は見ている。眠たい目を必死に開いて、見続けている。
「集まって下さい。護りを固めます」
 不可視の壁よろしく不可視の化者なんているかもしれないと妖精の目を再び開き悪路を超えて合流したルキナを神楽は歓迎した。
 迷路(攻略)と化者(戦闘)は得意な面々に任せて、言ってしまえば足手まといを三人程保護する神楽達は脅威に対して行える手段が限られていた。
 真黒の接近を許すわけにはいかず時間稼ぎも兼ねて描いたクイックサンドの印は大地を揺らし化者の足を捕らえこそしたものの崩壊を早めて状況をただ悪化させた。ならばと行う羊や愛須の対応にて退かせるには分が悪く、人数が増えるのは単純に心強かった。
「想像以上に脆いぞ」
 知恵はあるかと神楽に問われて、ルキナも返答に窮する。聖域を展開して流れ弾のように弾く石つぶてを防ぎながら進む他ない。
 否。
 感覚が鋭い者、
 スキルによって能力を強化した者、
 観察眼と知略に重きを置いている者は、
 現れつつある答えに今後をどうするべきかを考えあぐねいていると言ったほうが正しいか。
 見えてきた答えとは即ち、化者達は少女達目指して群がっているという仮説の肯定、事実を体する真実。
 戦闘がこんなにも近いのがその証拠。引き離そうと距離を置けば、次がそちらに向かっていく。対応するには人数が足りない。だからと攻略組の手を借りてしまえば、そちらが疎かになる。無理無茶を通せない壁は誤ってしまえば途端に袋小路に追い詰められ、脱することも出来ず出口を見失い、その時がゲームオーバーだ。
 そして、何よりもどんな事情があっても、その場に留まる事は決して許されないという。
「今日はこの前以上にてめぇらと遊んでる暇はねぇんだよ!」
 それが痛いほど理解できているが為に、神楽は主張を通す。
 誰の耳にも彼女の声が届いただろう。
 目的を忘れることなかれ。
 無理無茶は通せないが、貫く意思はまっすぐと隔絶の塔を目指している。
「そうですねー。方法はたくさんありますから、どうせなので試してみましょー」
 と桜は提案する。
「イリーさん」と話題を振るように、桜に呼ばれたイリーゼは人差し指と中指だけを立てて握った右手で、術式を描き出した。
 空中に淡い光を帯びて書き出される人払いの術は対象者の側に寄り添うと滲むように溶けた。対象と術が馴染めば対象者は自然と関心を引きにくくなっているはずだ。確かに気配が薄くなっている。
 が。
「あれ、ダメですかー?」
 ジャック・ヴァイオリンを取り出した桜は突進してくる化者と少女達の間に立ちはだかると、肩に乗せる楽器を弓をかき鳴らした。旋律にも即興にもただ弾けばいいという乱雑さは素直な不協和音となって化者を混乱へと導く。
 足音すらさせない真黒が苦痛に泣き叫ぶよう縦に伸び上がり、救いを求めるように桜の背後に居る人間を目指した。
 更に速度を増して振るわれた化者の凶悪な腕は、しかし、桜の頭上を空振る。
 攻撃に対応が遅れ一撃を覚悟した桜は化者の向こう側にイリーゼを見た。クイックフリーズに軸足を捕らわれた化者が攻撃の勢いそのままに重心が狂って空を仰ぐように背中から倒れ、強打にのた打ち回った。
「こちらへ!」
 衝撃か痛みにか転げる化者を後続の足止め代わりにできるよう回り道するようイリーゼの指差しに桜達は少女らを伴ってその場を離れた。
 大丈夫。目的は見失っていない。先の神楽の声を思い出し応えるようにひとり頷くリブレは、上と下と絶え間なく空色の魚影に注意を払っていた。
「魚のせいで高く飛べないのは不便ですね……」
 増して浮遊を可能としているアバターを選んでいる自分としては飛翔一回で魚に餌としてパクられるのがオチになりそうで恐ろしい。
 どれだけの接近で反応するのかサンプリングする気力も起こらず、仮にこちらに気づいてしまった場合の対応が悩みどころだった。
「今回一番怖いのは飛魚ですかね」
 と愛須がリブレに首を傾げる。
 リブレが横目で見遣ると愛須は、毎日を楽しみたいと願うゲーマー気分を発揮中なのか難敵をどう攻略するかで両腕を腹の前で組んだまま空を見上げていた。名案が浮かべばそれでは詰めが甘いと表情が思案の数だけ変わる。
「空色の幻で攻撃は当たりませんし……接触回避一択、ですかね」
 聞けば聞くほどおとぎ話のような空飛ぶ魚は、理不尽で不条理で愛須はあんなお魚さん達には正直お近づきになりたくない。
 ぶっちゃけと心情を吐露する愛須に、取れる手段は少ないのかなとリブレも考える。
 空飛ぶ魚と決して侮ってはいないのだが自然とリブレの目線は下る。
「お弁当……は、食べられる、もの」
 みんなで楽しく食べようと作った急ごしらえのお弁当。食べやすさを追求し、おかずのほとんどが片手で食せる工夫が凝らされている。
 つまり投げやすいものばかりで「最悪……」と対抗手段に成りえるかどうかとリブレは閉じた唇をきゅっと曲げた。最終手段としてこのお弁当の中身が飛魚達への囮になるのではと思いつく。勿論、これを使う機会が来ないのが一番ではあるけれど。
「危ないです!」
 リブレに向かって伸びてきた化者の腕をブラックスミスにて創造させた剣で受け止め、ずしりとした感触に真横一文字に口を閉じるとありったけの力で弾くように返す。よろめかない相手に一歩で間合いを詰めれば一閃を袈裟懸けに斜め上から下へと刃を振り下げた。
 手応えは十分、切れ味に化者は数歩下がり、前へと跳躍する。
「とわっ」
「わわっ」
 愛須とリブレは、ふたりしてその場から左右に分かれるように飛び退いた。
 元いた場所が化者の一撃を受けて、地割れを起こす。
「あっち!」
 不安定な地面に接しないだけリブレが余裕があるらしく、逃げるなら迂回するのがいいと愛須に助言した。
 地割れの少ない箇所を駆けて向かってくる化者と相対する愛須は、適当にとあしらえなかったことに小さく呻いた。
 一撃必殺で叩きのめせば楽な話なのだが、聞いていた事情よりも撃破に時間がかかりそうである。
 飛魚のことばかり考えるには相手方が許してくれそうにない。ミラーイメージを発動して認識をずらしながら等の思考は一旦横に置き、今は目の前の事に集中しよう。
 自分はアールスリーの効果で地震などの影響を受けての転倒の心配をしなくていい分、形振り構わず襲ってくる相手とは互角に渡り合えるはずだ。
迅雷 敦也
 お子様で考えるのが苦手と自覚している敦也は迷路は人に任せて、発生するトラブルに即座に対処できるよう聞き耳を立てていた。
「って、あいつらのせいで空は飛べないんだったか」
 ピーターパンとしては一番の特徴を削ぎ落とされたような相性の悪さに「厄介だな」と地面に転がる石を蹴ってぼやく。ピーターパンからみれば痛恨の極みだ。自由に飛び回ってこそのアバターである。
 蹴った石が化者に当たった。
「痛みなんてあんのかよ!」
 知能はあっても知性を感じさせない相手に敦也は不敵に笑う。
 石の接触箇所に気を取られた化者に向かって敦也は大剣を振るう。常ならば空を飛び舞っての大立ち回りばかりで両足を地面につけての状況は慣れないものだったが、踏みしめる大地が敦也の力を受けて支え、軸を得て速度の増した横薙ぎの一線が化者の胴を捉えた。
 飛魚に発見されない為の対策で不自由を強いられつつも、その鬱憤を晴らすような、綺麗に決まった一撃に敦也は無意識に声を吐く。
 眼前で燃え上がった炎には驚かない。例え必中の攻撃でも切り伏せられないのは先刻承知、化者の追撃にサポート役の火夜の炎の召喚が容赦なく絡みついたのだ。
「燃えちゃえ♪」
 火夜の愛らしい掛け声と共に一瞬にして燃え上がる化者を後方に蹴倒した敦也もバックステップでさがり、振り向きざまに背中を狙ってきた相手の迎撃に出る。静かにかつ素早く急所と思わしき場所を突いて仕留める。一撃で足りないというのなら、二度、三度と猛追さえ厭わない。
「ほら、お寝んねの時間だぜ!」
 勇猛果敢。背中のティンカーベル声援が何よりも勇気をくれる。



…※…




「とりま左手を壁にあてながら進むんでしたっけ迷路って?」
 両手を腰に見えない壁を見上げる愛須に神楽は息を吐いた。化者をなんとか払って合流した愛須は迷路に頭を悩ますには時間が無いことを神楽に告げたのだ。
「方法は色んなのがあるんだろうけどさ、結局どんな困難も、虱潰しが一番手っ取り早ぇ解法なのさ」
 俯瞰で見下ろせない迷路を自らの足で進むのであれば″地道に全部の道を進め″に考えが帰結する。むしろこれくらいしか知らないと一番オーソドックスな迷路の攻略法を掲げる神楽は、鼻を鳴らした。
「そうは言ってもタイムリミットが後方から迫ってるみてぇだし……」
 神楽は不可視の壁を風を呼び、そっとこのメンバーの中で一番足に自信が無いだろう少女達へと、魔法の効果範囲に入るよう流した。
 ウェアゲイルがもたらす浮遊感に驚く少女達に向かって神楽は「すぐに慣れるぜ」とドネの肩を叩いて歩いてみろと促した。
「どうだ? 早く歩けるだろ」
 少しでも早い踏破の為に、魔法由来の浮遊感に馴染むよう歩け歩けと急き立てた。
 隣りで新感覚にはしゃぐ少女達の様子を伺う神楽の表情は曇る。
 ドネが値落ち寸前なのが妙に引っかかって、理由を探り続けていた。しかし聞くのも憚れてここまで来ても疑問を口にしていない。
 友達と一纏めにし、お互い声を掛けさせ合えば塔まで持つとは思いつつ、神楽は両肩を竦める。
「眠そうだけど行けるか?」
 その質問に羊も気になっていたのか「ねむそうなの?」と歩み寄り、神楽からドネへと視線を移す。
「やっぱりねむい?」
 ふたりの注視にドネは無闇に否定するのは失礼と学習したのか素直に頷いた。
「そうか。うん。歩ける? 無理そうなら、えと、抱っこ……はむずかしいから、おんぶくらいならぼくでもがんばれる」
 ……はず! と付け足して、戦闘こそ無ければナハトリートの手も借りられて一番安全で安心できそうだけどねと言い添えて手助けを勧める羊に、ドネは「ありがとうございます。でも、まだ歩けますから」と返した。
「本当にいいのか?」
 神楽に、袖が通された鮮やかな紅を眩しそうに見るドネは首肯する。
「お言葉に甘えて眠ってしまうと何かもったいない気がして」
「もったいない?」
「はい。あの、どうして助けてくださるんですか?」
 ドネの質問に、神楽は即答できなかった。
 俯瞰で眺めていた世界の住人に、同じ目線でまっすぐと見つめられて、言葉が喉元に留まる。
 助けたいから、助けたい。その単純な言葉が説明できなかった。
 それは、それが、特異者とその世界に住む者との違いなのだろうか。
「ちょっと来てくださいー」
 桜が手招きで少女達を呼び集めた。
 桜の隣にはリブレが地上数十センチの所を浮遊している。予想よりも多い化者の数に前ばかり気にして後ろの危険に脅かされるのを嫌って後方に移動し、殿を務めるように皆を見守っていたリブレは、翅の力で高く飛ばないように注意して飛翔してここまで来たらしい。
 化者との戦闘から逃れる時に後方をつぶさに見据えて「みんな急いで、後ろの地面がなくなるまで数メートルもないよ!」と崩壊の侵食の行く先から逃げ場所を誘導していたリブレは事が治まっているのに気づきしばらくは安全と見て取って追いついてきたのだ。
 桜とリブレはふたり並んで前方を見やり、腹の前で両腕を組む。翔ぶのを常としているリブレは桜に聞かれて二言三言返す。
 それを聞いて桜は頷いた。
 集まってきた面々に桜は正面を向ける。
「用心に越したことはないですからねー」
 桜が示す先には通路の幅いっぱいの大穴がぽっかりと口を開けて青空を覗かせている。
 こんなところを通るのかと互いに目を合わす娘達を、オズの魔法使いのドロシーが履いていたという銀の靴を模したホッパーブーツを履いた桜はこっちこっちと誘導し、これから何をするのかと緊張しているディッルをまずは一人目と抱っこした。
「きゃぁ」
 ディッルを包むように被せたマナミラージコートは特殊な迷彩効果を発揮し、少女の姿を背景に溶け込ませる。飛魚対策だったのだがその現象にドネとスキアーが目を剥いて驚くので、迷彩効果は内蔵されたギアの働きだったのだが魔法にでも見えたのだろうと桜はディッルを抱く腕に力を入れた。
「跳びますよー」
 銀の靴の跳躍力そのままでは飛魚の餌食まっしぐらになってしまうので、走り幅跳びの要領で高度を抑える工夫が必要だった。
 向こう側に着地して、桜は取って返した。最低でもあと二人、抱えて跳ばねばならない。
 まだ飛び越えられる大きさだったのがよかった。高度が取れないと飛距離も伸びないのでいずれは飛び越せない大穴があったとき、比較的安全に凌げる方法は壁蹴りあたりが妥当だろうか。
「んー」と羊は、別行動を控えた結果なかなかな近場で繰り広げられている化者との戦闘を横手に、見えないからこそどれだけの高さがあるのだろうかとそれを見上げていた。
「見えない壁って急いでるときはあぶないね?」
 疑問を投げかける相手はルキナ。聞かれてルキナの耳がちょんと動いた。
「壊したらほかのとこも壊れてっちゃう感じだし、どうにかしてわかるようにできないかなって考えているんだけど」
「幾つか試しました。不可視を可視にはできません。風は通過するというのに」
「あ、じゃぁ、魔法ならどうなんだろう自然の風は通過するんだよね?」
 首を傾げたルキナの横で羊はアクアの魔法印を結び、ルキナに蓋を蹴って開けてもらった硝子瓶を逆さにして重力にならい落ち行く星の砂をヴェンタの風でアクアを被って水浸しになった不可視の壁にそれを吹き付けるように飛ばせば、陽光を受けてキラキラと砂が光を反射する壁ができあがった。
「しばらくはこの手で行こう」
 魔法は遮断されるのかと自身の記憶に調査内容(サンプリング)を記す(増やす)ルキナの横で、持ち込んだ星の砂の残量を眺め、荒野一帯に形成されているらしいこの迷路では名案と思われたその方法も常用できないのは明白なもので、慎重な観察が必要かなと羊は思案に首を傾げる。
「それならー、断続的でいいのなら、試したいことがあります」
 熟考が必要な場面に水が乾くまで時間がある星の砂を使った方法を使用し、特に問題無さそうな道だけ知りたい場合ならイリーゼの瞬間記憶を利用できるかもしれないと桜が提案を申し出る。
「で、ゴールまでの道が分かれば良いですが、そうでなくとも確実に行き止まりになってる道は除外できますし、それならすぐにでも別の道を選んで進むことが可能かとー」
 不可視の壁に対しての自然風と風魔法の反応の違いがわかったからこれは確かな手だと桜は思うのだ。
 地面スレスレに流したスモーキーウィンドの広がりを一目で記憶するイリーゼはそのまま得た情報をメモ書きにアウトプットしていく。それを「そこの道を右に、次の別れ道を左に」のように指示へと変えていった。壁に手をつけて確認作業を手伝っていた愛須がイリーゼの声を催促し、袋小路に当たれば正解ルートはこっちだろうと修正していた。
 そうやって少しでも早く塔に辿り着くよう特異者達は三人の少女達を連れて行く。



…※…




 隔絶の塔が見仰ぐまでに近づいた頃、化者の姿はいつしか少なくなって、やがては静かに消えていた。
 撃破数も相当だが、ほとんどは足止めや袋小路に誘ったりして引き剥がしの努力の賜物である。
 無限湧きを警戒していたが、これ以上増える様子はなく、沈静化していったのだ。
 隔絶の塔付近では出現しないのだろうか?
 そんな素朴な疑問が湧くが答えはなく、出発から久方ぶりに訪れた平穏に誰ともなく休憩しようと出された提案は極々自然と全員に受け入れられた。
 途中不可視の壁がうっすらと色づいた時はすわトラップかと身構えたりもしたが、それが検討の結果正規ルートへと導く色だと確信し、素直に従ったりしている内に塔までの距離はたっぷりと稼げていた。
 ただ完全に足を止めて休むには不安が残るのか、腰を下ろして小憩ではなく、代わりに歩きながらの雑談が始まった。
 また、途中で分かれることもせず一団となって移動を続ける面々はリブレから提供されたお弁当をつまんだり、
「味は保証する。 ――目ぼしい具材が何も無ぇのはこの際勘弁しろ」
 神楽が持ち込んだ魔女のスープを勧める。
 追加の戦闘も発生しなければ、地震も治まっていてなんとも長閑(のどか)な雰囲気を醸し出し、青空も眩しい天気の良さもあってか、歩いて交流を深める違和感が無ければまるでピクニックのようだった。
 見仰げるまで近づいた塔は今や全貌を表しつつあった。
 ここまでくればと、ゴールは迷路攻略組に後は任せておこうという、空気が一行の中に漂い始める。
 後方で相も変わらず眠そうになドネとそれを案じるスキアーから、ディッルが離れた。その機を逃すまいと桜は少女に近づいた。近づいて、進む方向を誘導しそれとなくディッルだけを人の少ない場へと引き剥がし連れ出した。
 小声で尋ねる。
「ね、ディッルさん。この世界で『もう一つの世界』を語るのは禁忌、なんです?」
 疑問の発端は花咲く丘での出来事。事が終わって逃げ込んだ小屋の中での出来事。
「この前私の質問を遮ったタイミング。
 ――不自然でしたよ」
 会話に割り込んだあの時の違和感を
 言って、そろりとディッルを見遣る桜は、少女の表情に「あ」と自分の唇から息が抜けるのを自覚した。
 これは明らかに″聞く相手を間違えた″と聡る。
 桜に背を向け脱兎と逃げ出した
「イリーさん!」
 ディッルが逃げていく方向に大穴があることを桜が叫べば、最低でも人一人の重さに耐えられず千切れないように強化した薔薇の盾の茨をイリーゼは自ら大穴へと飛び込もうとした少女に向けて放った。
 地面を蹴った少女の足首に茨が巻き付く。
「なにやってるの!」
 後方から見守り隊をしていて、結果一部始終を目撃したリブレも急行に、ディッルの腕を掴む。
 フェアリーアバターの小柄な外見に見合わずほどほどの怪力を自負するリブレは翅を動かしてディッルの体をイリーゼとふたり引き上げる。飛魚に気づかれないように祈りつつ、襲われたらお弁当! とイメージトレーニングしつつ、ディッルが想像より軽くて助かったと安堵した。流石に見捨てるのは気が引けるのだ。
「傷ならで治せますわ」
 茨の棘が原因の擦過傷や裂傷くらいならトルマリンワンドの効力で治せると申し出るものの、ディッルはイリーゼの視界から逃げるようにスキアーの背後に隠れた。
 スキアーはディッルを宥めつつ桜に震える声を絞り出す。
「助けられたから言わないけど……言わないけど!」
 避難の声も大きくスキアーに背を向けられた桜に、視線を送るドネ。少女は桜に向かって進行方向へと手を前に伸ばしていた。
 友人を唆したとも取れる桜の行動よりもドネは先に進もうと主張している。
「三度目は無いの」
 すれ違い様に言われ桜は目を瞬く。前回のディッルの横やりを良しとしたのはドネだ。桜の発言は疑問を投げかける者として十分に声は大きく、ドネの注意を引いていた。あの場で聞き直すこともできたのにそれをしなかった。見過ごしも見逃しもせず問う桜にうやむやになあなあでは避けられないと悟っての小声である。
「時に真実は彼等を殺すわ」
 桜にだけ聞こえる小声で囁いたドネは忠告はしたとばかりに口を閉ざした。
 無言で進む少女を追いかけて特異者達は荒野を進む。
 ディッルの落下未遂から一転、大げさな話だがピクニック気分の陽気さえ失って、風すら停止したかのように寂たるものだ。
 佇む塔の頂きが、近すぎて見えなくなった。雨風に晒された外壁は色褪せや色斑が目立つもののどっしりとしたものでまるで廃墟感が無い。試しに窓を探してみるが見当たらず、地面スレスレの所に扉らしいものが確認できた。
 あともう一息か。誰もがそう独りごちる中、神楽は「なぁ、聞いてもいいか?」とドネに水を向けた。
「単純なことなんだけどさ、ドネが鍵も無いのに塔の扉を解錠できたのは何故だ?」
 疑問はごもっとも。
 それに関しての特異者達の推測や仮定の枚挙に暇はない。
 例えば、
 たまたま中に居合わせた誰か――その誰かもまた気になるものの――が内部から開けたのかもしれない。
 あるいは――。
「お前がそうとは知らずに鍵を持ってたからじゃねーかな――たとえばドネ、お前自身が鍵であるとか」
 特異者の誰もが、であり、一番気になっていた事柄を口にする神楽の質問には力が込められていた。
 見えない答えを探り当てようとする神楽の視線を真っ向から受けるドネは彼女を見上げた。
 隔絶の塔に鍵は無い。
 出発前に特異者達はドネからそう聞かされている。
 世界中の塔を統括管理する者ですら、所有してないと言う。
 それなのに、ドネは、こうして向き合っている少女だけはその扉を開けることができると言う。
「鍵、そのものなんじゃねぇのか?」
 神楽の念を押すように重ねられた質問に、ドネは緩く首を横に振った。そして、波打つ金の髪を弄ぶ風は逃げるように消え失せた。
「塔に鍵は無いの」
「鍵が無い?」
 その話はたくさんしただろうと眉間に皺を寄せる神楽に、言葉遊びをするつもりはないとドネは口を開く。
「″隔絶の塔″は初めから鍵は無いの。″足る者″だけが入れるの」
「足る、者?」
 神楽達皆の頭上を泳ぐ魚影が消えていた。
「または、″引き裂けられない者″」
 頭上の青空も、足元の陥没から垣間見えていた青空も、無い。
「″創造する者″しかりてそれは″与える者″となる」
 背景から色(荒野)が消え失せ、緩やかに別の色(通路)が浮かび上がってきた。外壁とは違って太陽の光に曝されず褪せない内壁は鼠色のくすんだ色合いをしていた。
 薄暗さを感じさせる通路だというのに、どこに光源があるのか知れないが特異者達は互いをはっきりと認識できていて、それ故にこの場に居ない姿があることにも気づいた。
 スキアーとディッルの二人の姿が見当たらない。
 気づけば全員がドネを見ていた。
 ドネは睡魔に負けそうになっては目をこする。
「資格が無い者は入れないの。塔に踏み入れるあなた達は″足る者″で″引き裂けられない者″で″与える者″だから、この塔に入れるの」
「与える、者?」
「天秤のバランスを崩したのはあなた達」
 それは非難の言葉だった。
「あなた達は″二つと分けられない存在″ね?
 全てを二分し等しく分けられた世界に投入された存在ね?」
 特異者であることを悟られたわけではない。
 ただ、異質、だと認識されただけだ。
 ――″彼女″に。
「投入されて波紋のように広がった刺激に……もうすぐ目覚めるわ」
 ドネの追求の声音にはこの先に起こることを懸念する響きが滲んでいる。
 そして、ドネはノブを回して扉を開けた。

 隔絶の塔は、世界の歴史を識っている。
 隔絶の塔は、世界の真実が収められている。
 隔絶の塔は、世界の真相を隠している。
 それ故に、隔絶の塔の正体を誰も知らない。
 たった一振の所有者不在の剣を納める鞘であることを。

 その剣は今は、狡猾な顔をした小人の老人の手の中だった。
 扉を開けた先での、その光景に、ドネは言葉を失ってしまった。
 紳士を模す出で立ちの小人の老人が、ふいに天井を見上げる。
 つられて天井を見やれば、そこには青空が広がっていて、ここが塔の最上階だと知れた。
「だめ」と我に返ったドネが緩く首を左右に振る。
 老人がにやりと笑って後ろに下がった。
 そのまま逃走する老人を追いかけて部屋の縁までドネは走った。縁に手をかけて外へと身を乗り出す。
「それはメラノの剣よ!」
 返してと叫ぶが、遅く、彼女の残響が青空に飲まれて消えただけだった。
 塔の周りは崩落に青空が広がっていて、遠く一本の道だけが帰途の為に残されている。



…※…




 叫ぶドネの後姿から目を逸らした神楽は床しか残っていない最上階にゆっくりと視線を巡らせる。
 何もない場所だと一目でわかる。
 しゃがんで床に触れた。
 見えたのは後ろ姿。
 誰だろうとビジョンに眉根を寄せて、去っていく姿を見送る。
 残されたのは一冊の絵本。
 スキルが映すビジョンではない。
 紙製の古い古い絵本だ。
「おいおい」
 だだのサイコメトリーだろ。と突っ込まずにはいられない神楽は、背を屈めて絵本を拾い上げた。

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