序章 愛すべき影たちの死
住宅街・エールデ
それが悪しき者たちの導きによるものとは知らず、国民たちは互いを睨み、拳を振るう。
新しい月質の乙女、
マーヤを凶星の使いだと決めつける者、ここ数ヶ月表に出ることのなかった
現月の聖女には救世主の資格はないと思い込んだ者、どちらも主張を譲ることはなかった。
二人の乙女が本当にそんな争いを望んでいるのかなど知ろうともせずに。
「やめないか! 我らは皆助け合わねばならん! 争っている場合か!」
「少し……落ち着け……」
狂気の徒と化した国民たちの争いの最中へ、
アインス・クラインと
ツヴァイ・クラインが果敢に飛び込んで止めようとした。
そんな二人の身につける鎧にある、流星軍の紋章を見た途端、怒号がさらに大きくなった。
「なんだお前らは! マーヤ様を認めたくないから止める振りをして俺たちを捕まえる気だな!!」
「違う! 何を馬鹿なことを言っているんだ貴様は! どういう理由であれ争うことこそが、この国の破滅に繋がるんだぞ!」
アインスにしては比較的落ち着いて正論を訴えたのだが、今までの生活苦、未来への不安などを爆発させ、それから逃れるように敵意を露わにした国民たちに通じることはない。
「みんな殺せ! もうすぐ武器がやってくる! それまでにこいつらを縛っておくんだ!」
どこからか、こんな物騒な声が聞こえた。
争いから一歩引いたところで、冥王星質とその部下たちが殺戮を促しているのだ。
「……話が、通じない……!」
ツヴァイが辛そうに眉を細める。
そんなツヴァイやアインスは、振り上げられた拳を払うために各々の武器に手を掛けたが……
「おいおい、そういう力技で国を変えるってぇのは元々俺たちの仕事なんだがな」
ジルヴェスター・アルニムは、そんなことを言うと、愛刀メルクールの鞘を収めたまま構え、彼らの間に立ちふさがった。
以前星屑の偽者が現れた時、特異者がそのすべてを懲らしめ、国民を守った経緯もある。
その星屑のリーダーであるジルヴェスターが自分たちに真っ向から立ち向かうので、ほんの一瞬、国民たちは戸惑い拳をおろした。
「月の聖女様も、新しく出てきたマーヤ様も、国を想う気持ちがあるのなら、俺はどっちにも従う気ではいる。そもそも、本当にお二人はお互いを認めてないのか? 本当は、お前たちが気に入らねえ方を早く殺しちまいたいだけだろう」
「けど……! ジルさん、月の聖女様が二人も同時期に存在するなんて今までなかった! ということは、どっちかが偽者か、その資格がないってことじゃないか!」
「確かに今までこんなこたぁなかった。けど、今がその史上初の時って可能性も無きにしもあらずなんだ。まずは話し合って、どうしても力を使う必要があるのか見極めねえとならねえ。……少なくとも、俺が星屑を結成する時はそうしてなんべんも考えたつもりだ」
ジルヴェスターはそんなことを言いながら、一歩後ずさってアインスたちに紙切れを渡した。
『今は素直に説得を聞き入れないだろう、手加減をして、戦う準備を整えておけ』
アインスとツヴァイはそれを見て、剣やブーメランの刃先に鞘を取り付けたまま手を掛けた。
「まずは先入観をなくして、聖女様やあの女の子から話を聞かねえとな」
「聞くな! ジルさんは騙されてるんだ! 辛いが、一発殴って目を醒ましてあげようじゃないか!」
冥王星質の男の声が、国民の頭を支配するように響き渡る。
声で言うことを聞かせるような能力は冥王星質には無いが、国民にとって都合のいい、欲望をそそのかすことを訴えるのがうまいと見える。
そしてジルヴェスターの予想通り、頭に血が上った彼らに説得は応じず、ジルヴェスターやアインスたちは武力を使って国民を止めなくてはならなかった。
もし今の国民に武器が渡ってしまえば、取り返しのつかないことになるのは必至。
国の存亡を揺るがすような恐ろしい武器どもが、国民が自らを手に取るその瞬間を、ある場所で今か今かと待っている。
殺戮武器が本来の役目を果たすことが無い様にするための、特異者たちの命がけの戦いが、同時刻、太陽の教会で始まろうとしていた――
〓〓
太陽の教会前
遠くから怒号や泣き声が聞こえる中、太陽の教会は異様に静まり返っていた。
ジェノ・サリスは異性化でか弱い女性の姿に変わり、先程自らの体に少しずつ傷をつけた哀れな身なりを作り上げて、ふらふらと教会の扉の前に辿り着いた。
こんこん、と遠慮がちにノックをする。
「神父様、いらっしゃいますか? どうかお助けくださいっ」
細い声で訴えると、わずかに扉が開いた。
隙間からジェノを睨み下ろす男に、暴動に巻き込まれて怪我を負ったと告げる。
「どうか、ここで保護して頂けませんか?」
「ここは無理だ。神父様もお忙しいし、匿うだけのスペースもない」
「ほんのちょっとの間でいいんです。応急処置だけでも済んだら、どこか遠くに逃げるつもりです。お願いですから……」
それでも男は渋ったが、あまり拒否を続けるのも怪しまれると思ったのかもしれない。
女性化したジェノがやっと一人通れるだけ扉を広げて「入れ」と無遠慮に言った。
中に入ったジェノは、素早く教会内を見回しながら早口で、焦りを隠せないように外を指差した。
「そこの大通りで、友達も殴られて負傷しているんです! 助けてあげてくれませんか?」
「この上まだ何かしろというのか! 駄目だ駄目だ、それで死ぬようならそいつもそれまでの運命だ!」
「けど、私はあの子と一緒に逃げたいんです……! お願いしますっ」
悲しそうなジェノに、男は忌々しげに舌打ちをするが、側にいた仲間が何やら耳打ちをした。
大方、今ここで恩を売れば、万が一にも太陽の教会に国家転覆の罪は及ばないだろうと話しているのだろう。
話し終わると、それでもまだ無愛想な男たちがジェノを見下ろした。
「我らも太陽の教えを受けた者だ。困っているのなら助けてやらぬでもない、その友達とやらはまだ大通りにいるんだな?」
「はい、お願いします……っ!」
数名の男女が仕方なさげに太陽の教会を後にすると、この間突入した時とはまた違う内部が見ることが出来た。雑然と物が置かれ、ところどころには軍用の固形食などが落ちている。
表の喧騒から逃れたがるような足取りで奥へと向かううちに、無数の木箱が山積みになっている懺悔室に入った。
(おそらく、これだろうな)
近くを歩き回る彼らの目につかないように、身を縮こまらせて木箱の蓋を開ける。
その途端、飛び出すように銃剣の先が覗いたのでジェノはそっと蓋を戻した。
民間無線機を取り周波を合わせ、「こちら悪戯好きな天使」と小声で喋る。
――ん? 貴様は……、ジェノか!?
「アインスだな、手短に言う。太陽の教会に武器の存在を確認した」
――何ぃ!?
「至急、味方をこちらに寄越してくれ。一緒に突入したい」
――わかった、安全なところで待っていろ!
通信を切ると同時に、入り口の扉が大きな音を立てて乱暴に開いた。
「おい! お前の友達らしい怪我人なんて見つからんぞ!」
戻ってきたらしい男たちの声が近づいてくる。
さすがにここで見つかり、戦闘になるのは分が悪い。
ジェノはすぐさま霧散で姿を消し、太陽の教会を後にした。
教会近くの路地にある木材置き場に停めていた天のメルカバーまで帰ると、女性のジェノは異性化を解除し、すらりとした男の姿に戻る。
そして息を潜めて、味方の到着をじっと待ち続けた。
〓〓
住宅街エールデの片隅にて
不法占拠と言われるかも知れないが、この有事において、人々の治療をする場所はどうしても必要になる。
そう考えた
ウォークス・マーグヌムは比較的大きな商家の主人に頼み込み、そこを治療の場所に据えた。
(ここで簡易的な治療をして、落ち着いて考える場所にも出来たら良いんだがな。とにかくは治療が先決だ!)
ウォークスと
弥久 佳宵は白衣を羽織り、それらしい格好になる。
そして入り口近くでそれぞれ聖域――ウォークスは白色、佳宵は赤色――を張り、敢えてその存在を際立たせながら怪我人の来訪を待つことにした。
〓〓
一方、屋根の上では
蓬・マーグヌムが天狗の高下駄を履き、ウォークスたちがいる商家の屋根の上から暴動の様子を眺めていた。
どうやら蓬から見て右がマーヤ派、左が現聖女派であるらしいが、今はほんの僅かに現聖女派が優位なように見える。
じわじわとマーヤ派の人々を現聖女派が取り囲もうとしていることに、屋根の上から蓬は危機を感じた。
(このままだと本当に殺し合ってしまいます……! なんてくだらない!)
意を決して、蓬は暴動の中心に震える大地を発動した!
暴動が起きている箇所を部分的に地震が襲い、人々は驚き、敵意を一瞬だけでも手放さざるを得なくなった。
国民たちが再び前を睨み始めてしまう前に、蓬はそっと屋根から離れ、木星質の力を使って自らを巨大化させた。
そして
「ここに救護所を設営してあります! 応急手当しか出来ませんが怪我人は来て下さい!!」
人々がその大きな蓬の声を聞き、そちらに目を向けた瞬間、蓬は元の大きさに戻った。
興奮が収まらない人々の気は一時的に削がれたが、紛れ込んだ冥王星質が戸惑う国民を大きく殴りつけたりすると、闘争の火種はまたもめらめらと燃え始め、争いが巻き起こる。
しかし、そんな中でも負傷し、血を流したり瘤を作って意欲を失った者たちはそろそろと離脱を始めた。
怪我人たちは先程巨大化した蓬が立っていた辺りを目指して歩き始める。
やがて、佳宵と
日長 終日が簡易救護所入り口にてそれぞれ張り巡らした赤と白の聖域が彼らを出迎えた。
その側に立っている、皮のエプロンドレスを着た終日が負傷者たちへ手招きした。
「怪我人はこっち来てー! 治療するよー!」
極度の緊張状態に追い詰められているせいか、人々は怪我をしてなお終日たちに警戒心を持ってしまう。
傷ついてここまで来たは良いものの、あと一歩が躊躇われる。
「――――♪」
その時、屋根から蓬の清澄の唄声が人々の頭上に降ってきた。
同時に、終日が持ってきたフローラルアロマの安らぎの香りも鼻腔をくすぐる。
清澄の唄声から愛の唄までをじっくりと聞き入り、香りに毒気を抜かれ胸を撫で下ろした人々は、引き寄せられるように救護所に向かって再び歩き出した。
〓〓
「ううっ、いてぇ、いてぇよぉ」
「心配するな、見た目ほど重症じゃない。騒がず安静にするのが一番だ」
ウォークスが怪我人の傷口を抑え、救急セットを用いて治療術を施していく。
同じように佳宵も別の怪我人に救急セットを使った治療術で応急処置をする。
治療の終わりにはユニゾンヘルプで元気づけるのも忘れずに。
「くそ、あいつら……。新しく月の加護を受けたマーヤ様を凶星の使いだなんて言いやがって……許せねえ」
ふと、こんなことを漏らす男がいた。
同じマーヤ派らしい女性も殴られ、痣になった部分を庇いながら男に同意するように頷く。
憎しみを捨てきれない人々に、佳宵はドーウィン式交渉術虎の巻で説得を試みることにした。
「あの、私は異国人ですからよく分かりませんが、月の聖女が一人って明確に定められてるんですか?」
「何を言ってるんだ? 定められてるっていうんじゃない、本来月質は一人にしか宿らないものなんだ。人の手によって決められたんじゃなくて、星から与えられた運命や宿命と言った方がいい。運命を決める存在が二人以上いて良いはずがないんだ」
「もし国の運命を決めるお方が二人以上いて、その人たちの意見が割れたらどうなると思って? 国が二つになれない以上、聖女様もお一人であるべきなのよ」
「けど、話し合えば一つに意見がまとまるかもしれないじゃないですか。私の故郷では月は十六も名前があるんですよ、聖女様も十六人くらい居てもいいじゃないんですか?」
「なっ……! 何を言い出すんだお前は!」
「貴女の故郷とリヒト公国の月は違うわ! 一緒にしないで!」
佳宵の意見も、冷静に考えれば一理あると言えなくもない。
しかし彼らは傷つきながらもまだ冷静になったとは言い難く、ことに月の聖女というこの国でもっともデリケートな話題に関しては他者の斬新な意見を聞き入れるほどの余裕を持てなかった。
佳宵なりの「二人の聖女がいてもいい」という温和な説得を真面目に考えられるだけの優しさも、今の国民には欠けてしまっていたのだ。
こうなるともう治療もまともに受けてはくれず、佳宵は呆れ果てながらも終日を呼び、海王星質と天王星質の催眠の力を発揮して彼らを落ち着かせた。
救護所内に蔓延する痛みや怒り、苦しみの声を打ち消すように、
太郎・マーグヌムのパタパタと忙しない足音が聞こえてくる。
「これでも飲んで、落ち着いてください」
スキンボディで人間の姿を取った太郎が微笑みながら手に持った盆を差し出す。
部屋の隅で休んでいた四人の男女は盆の上のユーラメリカコーヒーや甘酒をそれぞれ手に取り、ふうふうと冷ましながら少しずつ口に運ぶ。
きりっとした苦味やほんのりした甘みが、彼らの体に染み入るように感じられた。
「包帯に膿が染みてしまっていますね、取り替えましょう」
家政婦知識(セフィロト)で、メイドのように細かな世話の行き届いた行動をする太郎が、そうして見ず知らずの負傷者たちの怪我を治療術で治してくれる。
男女は少し離れたところで治療に専念するウォークスたちもちらりと見て、ため息を吐いた。
「ごめんなさいね、貴方たちにこんなことをさせてしまって」
「このために来ましたから」
男たちがおとなしく太郎に世話をされていると、終日のキュアチャームを使うまじないの声が聞こえてきた。
「痛いの痛いの飛んでけー! 痛いの痛いの飛んでけー!」
「い、痛くなくなってる……! 本当にあんたは痛みのをどこかに飛ばしてるのか!?」
「んー、そういう解釈でいいのかなぁー。とにかく、小さな傷ならこれで大丈夫だよ。痛いの痛いの飛んでけー! 痛いの痛いの飛んでけー! ……連発すると疲れる……」
すると、先程からスロートワイヤレスで無線機を持つ星屑たちと連絡を取っていたウォークスから深刻な声が漏れる。
「何、意識のない重傷患者が!?」
すぐさま玄関に向かうウォークスが、振り返った。
佳宵が頷く。
「ここは任せてください。終日や太郎もいますし、しばらくは大丈夫です」
「そうか、では頼……む!?」
ドン!
と嫌な音が扉を軋ませた。
怪我人たちにトドメを刺そうとでもいうのか、救助をするウォークスたちが気に入らないのか、暴徒が詰めかけたのだ。
怯える負傷者たちを終日たちが勇気づける中、ウォークスが捕獲用バズーカを持って表に出ると、先に戦いを始めていた蓬の吹かせた天狗風がかすかにウォークスにも届いて、毛並みをふっと撫でた。
木星質の巨人たちを蓬が倶利伽羅の劔で一手に引き受けているのを確認して、ウォークスは水星質や火星質の暴徒たちに捕獲用バズーカの銃口を向けた。
「俺たちは、ただ全力を尽くすのみ!!」
ウォークスたちは、傷ついた人々を癒やすことで、この国の崩壊から救おうとしていた。
〓〓
「宰相様、争いは順調に進んでいますが、冒険者とかいう余所者どもが、邪魔をしているようです」
「もう私は宰相ではない」
「……そうでございましたね」
ヘルムート・メスナーが投げるような口調で返すと、元流星軍の男は片方の口角を上げて嫌らしく笑った。
そんな男の様子を気に留めること無く、ヘルムートはフォルモンド歴史館の最上階――展望室にて城下町やヒルフェ城の様子を眺めていた。
視界の端々に、争いを止めようと奔走する星屑や流星軍の姿が映り、彼はその必死さを嘲るように笑い飛ばしたが……どうしても、無視できない者たちを見とめた。
「あの冒険者たちは、またもこの国の運命に介入するのか……」
「も、申し訳ありません! うまく暴動に巻き込まれるよう、差し向けてはいるのですが……!」
兵士が恐縮したように言い訳をするのに、ヘルムートは返事をしなかった。
ただ、ヘルムートが幻と憎しみで作り上げたリヒト公国の破滅の運命を、霧散しようとしている忌々しい特異者たちを睨みつける。
彼にとって、ジルヴェスターやローレンツではなく、特異者たちの存在がもっともイレギュラーで、邪魔っけだったろう。
「ローザ……、ヴォルフさん……どうか、私を見守っていてくれ……」
今や恐ろしい悪鬼と化したヘルムートが、かつてただ一人愛した女性と敬愛した上司に祈る。
忌々しい余所者の敵を見下ろしながら、ふと懐かしき平穏の日々に思いを馳せた――
〓〓
それは今から七年前に遡る。
当時、ローレンツの姉、ラウラ・オーベルが月の聖女として使命を果たしていた頃、ヒルフェ城には星質を隠した冥王星質たちがそこここで月の聖女と太陽の神子の尊い使命を支えていた。
その中でも王に能力を認められた、
ヴォルフ・ハーゲンという男だけは、法務大臣の地位に付き、表からもリヒト公国の安寧のために日夜努力していた。
そんなヴォルフを尊敬し、彼の秘書になるべく勉強を重ね、とうとう夢を叶えて法務大臣付きの専属秘書になったのがヘルムートだったのだ。
「ヴォルフさん、ヴォルフさん! 聞いてください、太陽の神子様が俺の名前を覚えていてくれたんです! ヘルムートと言ったな? とお声を掛けてくださって!」
「それは光栄なことだが、あんまりはしゃぎすぎるのは良くないぞ? 我らは神子様と密接な関係があっても、寵愛を受けるべきではないのだからな。……それに何より、ヘルのところには今年小学校を卒業したお子さんがいるんだろう。一児の父親らしからぬ態度じゃないか」
「す、すみません」
七年前まで喜怒哀楽の激しかったと見えるヘルムートが顔を赤くして頭を下げると、ヴォルフは鷹揚に笑った。金色の髪と、赤い目を持つヴォルフ。
冥王星質だけは、髪色と目の色で能力の強弱が決まると言われているが、ヴォルフは髪も目の色も最強の能力者のそれと言って良かった。
事実、ヴォルフの幻覚の力は凄まじかった。
ヴォルフはそんな強さを秘めた赤い目を悲しそうに細める。
「聖女様は、またお痩せになったようだ」
「そう……ですね。神子様も心配しておられました、我らの幻覚で癒やして差し上げられないのでしょうか」
「最近は幻を作る機会も増やしているのだが、あまり効果が見られない。……どうやら、大きな破滅がやって来ようとしているらしいんだ」
「……っ」
冥王星質の強力な幻を持ってしても、破滅そのものを消し去ることは出来ない。
太陽の神子でさえ、目に見えぬ悪意を退けることは出来ないのだから、もしヴォルフの言うとおり破滅が来るのなら、それは月の聖女にしか消すことは出来ない。
ラウラは月の聖女になってから比較的長い間勤めを果たしているが、そろそろ寿命だと貴族の間で噂されていることも、ヘルムートは小耳に挟んでいた。
「……破滅を消すことが我らに出来ないのなら、せめてそのご負担を軽くして差し上げたい。だから、王に提案をしてみようと思う」
「何をです」
「月の聖女様の、ご退位について検討して頂きたい。もちろん、聖女様は今まで通り城にいてもらうし、その生活も保証して。ただ、一定期間勤め上げられたら、後は余生を過ごしてもらいたいんだ。聖女様のしたいように生きて欲しい。そして、その空白を埋めるためにもっと法律をきちんと作り、軍を拡大して自分たちで運命を変えていくんだ」
「それは……、素晴らしいお考えだとは思いますが、王様が納得されるでしょうか」
「されるかどうかはわからん、納得してもらうしかないんだ。……もう、聖女様や神子様だけに頼り切りという常識を、変革しなくてはならないのだから」
聖女や神子の痛みを理解する冥王星質だからこそ、ヴォルフは彼らも一人間であり、その人生を尊重しなくてはならないという思いを抱いていた。
そんな崇高な思想に、ヘルムートは強い感銘を抱く。
「俺も、俺にも手伝わせてください! 聖女様たちのため、出来ることがあるならなんでもします!」
「言われなくても、ヘルにも大事な役目を任せようと思っていたところさ。……だが、その前に雑務を片付けて欲しい。星屑の平原で、珍しい鉱物が発掘されたんだそうだ。もしその鉱物が本当に新発見のものならば、神子様たちにお見せする必要もある。難儀だとは思うが、早速明日、行ってくれるか」
「はい、すべてはこの国の未来のために!」
この時のヘルムートは、こんなことを本気で言えるほどに、この国を愛していたのだ。
〓〓
「と、言う訳で明日からしばらく帰れない。その間、この家はローザに任せきりになってしまう」
「あらあら、大変ねぇ。でもお国のために頑張る貴方はかっこいいわ、頑張ってね」
ふっくらとした体型の、肝っ玉母ちゃんよろしくな見た目をした
ローザ・メスナーは夫の肩を揉みながらからからと笑った。
仕事で疲れたヘルムートを癒やしてくれる妻と子供がいるこの家は、まるで幸せの象徴のよう。
ふと、ヘルムートは辺りを見回した。
「レオはどうした?」
「あの子ったら、部屋に閉じこもっちゃって。帰りが遅かったからキツめに叱ったんだけど、それで拗ねてるのよ」
「まったく、しょうがないやんちゃ坊主だな。誰に似たんだか」
「貴方にでしょ」
こんな温かい日常を守っている政府の仕事の一端に、自分が関われていることにヘルムートは誇りを持っていた。
温かい日々がいつまでも続くと、後々の自分が反吐を吐きそうになる甘ったれた思惑がこの時のヘルムートを支配していたのだ。
〓〓
そして、星屑の平原での調査が終わり、いよいよ明日帰るはこびとなった。
ヘルムートが報告書をまとめているところへ、同行の流星軍の一人がどたばたと慌ててやってくる。
「た、たたた、大変だ!」
「どうしたんです? ほら、お水を飲んで」
「んぐ、んぐ……、ぷはっ、法務大臣のヴォルフ様は、冥王星質だったんだ! ……それ自体は、今となっては瑣末なことだが……彼がクーデターを画策した罪で、先程シュバツェスロッホにて処刑と相成った!」
「何っ!!?」
「それだけじゃない、どうやら計画は冥王星質全体の企みだったとかで、これから国中の冥王星質を捕まえて、一斉処刑にするそうだ!」
「馬鹿な! そのようなことはデタラメだ! 処刑なんて、馬鹿げてる!!」
「しかし、王様がそう仰るのだ! ヴォルフ様が聖女様を無理やり隠居させて、自分の地位を高めようとしたとかで……!」
ヘルムートが出張に行っている間に、ヴォルフの発言がどこかから王に漏れ、何より地位に固執する王はヴォルフの考えを恐怖から曲解した。
現月の聖女、ラウラを隠居させ、ヴォルフが新しく人員を構成し新政府を作り上げる、と。
そう思っても無理はないのかもしれない。
月の聖女が代替わりをすれば、王政府も総入れ替え――当代の王たちも必然、隠居を強いられるのだから。
そんな頼みの綱でもあるラウラが今日明日にでも寿命を全うしてしまうのでは、という噂に何より怯えたのが王その人だった。
自らを陥れんとするヴォルフを怒りに任せて処刑、仇討ちを恐れヴォルフの家族やその他冥王星質を全員処刑しようなどという狂気的発想を実行に移しているというのだ。
しかし幸か不幸か、ヘルムートが冥王星質であることはバレていないらしい。
彼は自分の能力を隠したまま、家族や仲間を守るために急いで馬を走らせた――
〓〓
「嘘だ……嘘だ……」
ヒルフェ城に帰ると、処刑はすべて執行し終えたという。
しかし、存在そのものを抹消してしまうシュバツェスロッホでの処刑は、いいのか悪いのか残された者に遺族であるという実感を与えにくい。
執務室にヴォルフや冥王星質の同僚がいないことを確認しても、王が興奮冷めやらぬ様子で捻じ曲げたヴォルフの企みを暴露し、口角泡を飛ばしながら罵っても、なんとなくヘルムートには信じられなかった。
ヴォルフはもしかしたら、自身の身に迫る危機を感じてうまく逃げおおせたのではないか、家に帰れば、ローザやレオが笑顔で出迎えてくれるのではないか。
そうでなくても、ローザたちだってちゃんと避難しているかもしれない。
ふわふわとした不安に導かれるまま、ヘルムートは幸せの象徴へ帰った。
「……レオ……?」
「…………」
「母さんは、どうした? また怒られたのか? 今度は母さんが部屋に閉じこもってしまったのか?」
「俺、母さんに……酷いこと言っちゃった……。あんまり怒るから、お前なんか嫌いだって……でも、そんなの嘘だし、言い過ぎたって思ったから……母さんの大好きな林檎を買って帰ろうって、思って……しばらく出かけてて……そしたら」
レオだけが明かりのつかない家に取り残されている時点で、ヘルムートには真実がわかってしまった。
そして、レオが持っていたローザの衣服を見て、それが確信に変わる。
「帰ったら、母さん……っ、いなくて! したら、冥王星質は全員処刑するって、連れてかれたって! 俺、慌てて城に、母さんを助けに行ったんだけど……城の裏口に、他のと混じって、母さんの今日着てた服が捨ててあったんだ。体は、吸い込まれちゃって、服だけっ……残ったって、兵士が言ってて……!」
「ローザ……!」
ぼろぼろと涙を零し、鼻水を拭くことすら忘れて泣きじゃくる哀れな愛息子を、ヘルムートは抱きしめた。
反抗期にはありがちな、母へ悪口を叩きつけたことを謝る機会を永遠に奪われてしまったレオ。
息子と自分から、この国は愛するローザを奪った……、尊敬するヴォルフも、汚名を着せられたまま殺されて……ヘルムートの心は、この時真っ暗闇に落ちてしまったのだ。
「レオ、来るのが遅れてすまなかった。俺がもっと早く帰ってきたら、なんとしてでも母さんを助けたのに……! その償いに、一緒にこの国を壊そう……。奴らを皆殺しにして、可哀想な仲間たちの霊の慰みにしようじゃないか!」
「……ひぐっ、う、うんっ……!」
そして、ラウラが死に、月の聖女が代替わりをして王政府の人事入れ替えの時まで、ヘルムートは身を隠し爪を研いでいた。
入れ替えになったら、自分が法務大臣の秘書だったことを覚えている人間がいなくなる。
それまで、自分が政府の要職に推薦されるだけの実力を、ただ復讐のためだけに身につけるべく、ひたすらに勉学に取り組んでいたのだ。
〓〓
「私は、あの日から、この時のためだけに生きてきた。それを、気まぐれに国を救おうなどという余所者なんぞに邪魔されてたまるか……!」
力を入れすぎて、ヘルムートの拳は真っ白になってしまっていた。
そんな手の痛みを省みる暇もないほどに怒りを露わにするヘルムートを、言われた通り黙っているマーヤだけが悲しそうに眺めているのだった。
〓〓
プラネートの大通りにて
アインスとツヴァイは流星軍という立場であることが、このたびは裏目に出てしまった。
現月の聖女派だとみなされ、マーヤ派からは攻撃を受ける。
それでも、二人は鎧を脱ごうとはしなかった。
流星軍の証である鎧を脱ぐことは、自らがしてきた選択、生き方すべてを偽ると同じだと思ったから。
そんな決意をしていても、国民の憎悪を向けられると胸が苦しい。
自分たちのしていることが正しいのかわからなくなりそうになって、悪意に飲み込まれそうになるツヴァイ、その肩を、ぽんと叩く人がいた。
「大丈夫? 眉間に皺寄ってるよ」
「偲……」
信頼を寄せる
古城 偲が思いがけず側にいたことで、ツヴァイの顔の筋肉が少し緩んだ。
しかし、するべきことが山積みな彼らにしばしの語らいも許されそうになく、遠くからの「殺せ! 殴れ!」という教唆に二人の声がかき消されそうになる。
偲は太陽の教会付近で待っているジェノや他の特異者と合流するため、手短に告げた。
「二極星は国民の為に輝いていると信じています。言葉が届かなくても、行いできっと伝わる」
それは、偲が口下手なツヴァイが敵意に負けないよう、心を込めた言葉だった。
イクリマ・オーが押し寄せる国民の波を眺めて言った。
「偲、そろそろ行くさー」
「そうだね、じゃあツヴァイ、また後で」
「……ああ、二人も……生き延びてくれ……」
そしてそのまま走っていくかと思われたが、イクリマは振り返って小声で囁く。
「アンタさー。俺が悪魔の力を使っても騒がないのなー。……ありがとさー」
刹那、イクリマがぱっと明るく笑うのが、とても場違いで、ツヴァイには可笑しかった。
ツヴァイの言葉を待たずに去っていく偲とイクリマに、彼は心の中で礼を告げる。
(ありがとう、は俺の台詞だ。……邪教とか、そういうのはどうでもいいって思えるくらい、いい友達に俺は出会えたんだから)
偲とイクリマがそう願うように、ツヴァイもまた二人の無事を祈った。
〓〓
弱点【炎】で速度を上げ、偲はイクリマの手を掴んでぐんぐんと道を走りゆく。
敢えて道中では戦闘をせず、アナライズで国民と敵を素早く見分けて悪意ある存在を避け、教会近くへと急ぐ。
「ほらイクリマ早く!」
「もう腕が千切れそうさー」
太陽の教会までは、あと少し。
〓〓
地上で国民たちと向き合い、時に昏倒させることで強制的に暴力を減らしていくジルヴェスターと
ユリウス。
そんな彼らの側で、“Illusion”と火星質の力で自在な浮遊を可能とし、地上の民のほんの僅か上空を飛び回る
柊 エセルが地球の唄を歌い、彼らの緊張を解きほぐしていた。
「落ち着くんだみんな! もうすでに怪我人も多く出ている! とにかく一度深呼吸をして拳を下ろせ!」
「そんなこと……言ったって……」
「おい? どうした……? 寝ている……」
「どうやら、エセルの唄が子守唄になってるらしいな」
ジルヴェスターが親指でエセルを指し、ユリウスも歌う彼女を見た。
火星質のスキル威力が増す力が発揮されて、エセルの歌声が聞こえる範囲にいる国民の十分の一程度があっさりと眠ってしまった。
意識を手放した国民たちをユリウスが安全な場所で寝かせ、心持ちリラックスした様子の人々をジルヴェスターが宥めていく。
争いのための駒として役立たなくなった前方の国民たちに苛立ち、地球の唄が聞こえない後方から、冥王星質たちが次の暴徒たちを送り込もうとし始める。
「行け! 行け! あの火星質の女に惑わされるな! 俺たちは今、この国でもっとも崇高な存在のために戦っているんだ! おい、やめろっ、痛いじゃないか!」
「死ねぇ! 凶星の使いめ!」
彼らは時に争いを煽り、時にさらなる争いのために自らを襲わせて血が流れるように仕向けた。
ジルヴェスターは舌打ちをして人並みをかき分け、後方へと走る。
「ジルヴェスターさん、彼らは私に任せてください」
「エセル。あいつらは手強いぞ、一人で平気か?」
「手強い幻覚を使われる前に、手を打ちますから」
そう言うと、エセルは怒号が大きくなる後列へすーっと滑るように飛び、移動した。
〓〓
「この不孝者たちめ!」
「何を言うかっ、不信心者どもが!!」
口汚く罵りあうのは何も冥王星質だけではない。
エセルはクールアシストで冷静に、彼らを眺め、守るべき存在か否かを見極める。
その目に、不審な動きをする者たちがちらりと確認できた。
自らは安全な後方をあちこち移動しながら、時折物騒な言葉を大声で吐いて戦いを煽っていく、刻印のある左手を隠した奴らの姿だ。
それを冥王星質だと判断したエセルは、すぐさまラキアの鎖を手に取った。
「見つけました」
腕を振り、ラキアの鎖を冥王星質の女に投げた!
自らを争いの扇動者だと気づかれているとも知らずにやれ殺せだなんだと喚き続けていた女の体に、じゃらじゃらとラキアの鎖が巻きついていく。
「きゃ! 何よこれ!」
「捕まえました、おとなしくしてもらいますよっ」
よもや、自分たちがこんなに早く目をつけられ、捕らえられようとは冥王星質たちも想定していなかったらしい。
最初の女が捕らえられたことを悟ると、他の冥王星質たちはその場を離れようとし、もしくは素早く変装を試みた。
エセルは引き続きクールアシストでその姿を見極めようとするが、その頭上のエセルを、この国においてはかなり目立つ“Illusion”を目印に狙う者たちもいた。
彼らが近くにある拳大の石を握りしめ、エセルの体に狙いを付けて――勢い良く投げつけた!
「!!」
その瞬間、“Illusion”に与えられた天王星質が危機を察知し、エセルに知らせた。
星質が与える、本能的な危険察知と冷静な判断力がこの時に一度発揮され、エセルはふわりと後ろに飛び退いて避ける。
危機を知らせてすぐ、役目を終えた天王星質は消え去った。
しかし、今の一度でどこから石が投げられたのかを知ることが出来たエセルは、素早くそちらを睨み、ラキアの鎖を投げる!
「ぐあ! 畜生! 離せっ! 離せぇ!!」
「あまり抵抗すると……こちらも手荒くするしかありませんね……!」
暴れのたうつ男に、スタンガンの要領で“H.A.L”の電撃を食らわせる。
男は一瞬激しい抵抗をしたが、すぐさま意識を奪われた。
ふう、と息を吐いてエセルが顔を上げると、ジルヴェスターの周囲に人が押し寄せている。
エセルは、今回国民を納得させる話が出来るのはジルヴェスターだと考えているが、まだ彼らはそんなジルヴェスターの話を聞く耳を持とうとしない。
早くジルヴェスターの話が彼らの耳と心に響くよう、エセルはこの場を鎮圧を目指し、再び地球の唄を口ずさみ始めた――。
〓〓
とある細路地にて
「こっちだ、古城」
「ジェノ君」
武器流出阻止のため、偲とイクリマ、ジェノは作戦を練った。
細路地と大通りを繋ぐ角から顔を出せば、太陽の教会はすぐそこに見える。
会議が一通り終わると、偲たちは大通りに出る道とは反対の方角へ走り、ジェノは天のメルカバーに跨った。その際、土星質の結界をメルカバーに張ることも忘れずに。
偲とイクリマが教会の裏まで回り込むと、裏庭に通じる扉から人が多く出入りしていた。
――この扉は狭いなぁ、背の高いものや幅広の武器は出すのにコツがいる。
――しかし表から出す訳にも行かんだろ、文句を言わずにさっさとやるんだ。今が、この国を潰す唯一にして最大のチャンスなんだ。
――わかってるけどさぁ、もっとやりやすく出来ないもんかね。
「古城」
「うん、いよいよ運び出しみたいだ」
二人は、息を潜めてその時を待った。
裏口から徐々に大きな木箱が運び出され――それから数秒後に、表の方から大きな銃声がした。
木箱を抱えるのに必死な男たちは、思わず手を滑らしながらも首だけを表の方角に向けた。
「なんだ!?」
「まさか、流星軍か!?」
「イクリマ、行くよ!」
偲が掛け声と共に栄光の小瓶を投げた!
二人はすぐさましゃがんで隠れ、耳を塞ぐ。大きな音とまばゆい光が冥王星質たちの視覚と聴覚を一瞬にして狂わせた後、イクリマのデモンソパイトの霧がもうもうと立ち込め、教会の方へと流れていった。
「敵襲だ! 各々武器を取れ!」
「しかし……! 前がっ……見、え……」
「おいどうした!!」
デモンソパイトの霧に包まれた者のうち、数名が夢殿へと旅立ってしまった。
この混乱の隙に偲は霧化でデモンソパイトのそれと紛れて進み、イクリマは完全憑依Ⅱで堕天使を憑依、怪しい魅力を湛えた姿に変わると偲と同じ速度で前に歩み出る。
「くそ、一旦中に戻れ!」
「教会の中も、今頃大変だと思うけどね」
霧で視界が効かないため、偲は聞き耳で敵の声を聞き取り、それを元に位置を割り出して素早く移動し、ブラッディケインで彼らの手足を叩いた!
硬い鞭で叩かれ、その鋭い痛みに彼らは持っていた木箱を手放してしまう。
木箱に構わず教会に戻ろうとした敵どもの目は、イクリマの美しい姿が惹きつけ、そのまま両目を合わせた状態でイービルフレイを発動し腰を抜けさせて戦闘の意思を奪った。
表からジェノ、裏から古城とイクリマに挟み撃ちにされた敵たちは混乱のまま多数倒されたが、まだ諦めず幻覚の強力な力で一気逆転を試みた。
「神の力にひれ伏せ!」
「神対悪魔、どっちが勝つか勝負さー」
掲げられた男の左手から、ずずず、と現実の景色が吸い込まれるように幻覚と入れ替わり始める。
その時、イクリマが放ったウインドキャットが近くにあった木箱へと駆け出し、無造作に攻撃した。
その際に巻き起こる風が、男の幻覚にわずかな切れ目を与えた。
「「今から一週間、僕達(俺達)の邪魔をやめてすべての武器に近づくな」」
ほんの些細な幻覚の切れ目がすなわち男の隙となり、手を繋いだ偲とイクリマが天王星質、海王星質の力を発揮する絶好の機会となった。
催眠の力に思考を操作された男や、そのすぐ隣にいた男女数名はぱたりと手を下ろし、木箱の群れから足を引いた。
「よし、武器を壊そう」
「了解さー」
二人の邪魔を禁じられた男たちがぼんやり眺めている中、イクリマが工具箱で木箱をこじ開けた。
中から現れるギラギラした銃剣の類を、めちゃめちゃに壊してく。
おしまいにはイクリマが野菜ジュースを掛けて、錆びやすく、刃や持ち手をべたつかせて使いにくくなるように仕向ける。
裏口界隈の敵は、ひとたび偲たちの手によって打ち凝らされたのであった。
〓〓
ちょうど偲やイクリマが突撃を開始する少し前、太陽の教会には、ジェノが天のメルカバーでぐんぐんと迫っていた。
(このままメルカバーでぶち破るのは無理として……、とりあえず大きな音を立てて扉を破壊するか)
装備し忘れたメルカバーアタックの代わりに、デモンハウリングを握る。
すると、デモンハウリングに宿った海王星質の力が効果を表し、ジェノに思い切った決断を促した。
メルカバーを勢い良く玄関扉に横付けすると、ジェノはデモンハウリングで激しい銃撃を開始した!
ダダダダダッ!!
バリン! バキッ、ガシャン!
大きな木製の扉は、鈍い音を立てて破壊され尽くす。
その音を合図に偲たちが裏口で戦闘を開始し、ジェノもそのまま壊れた扉を飛び越えて侵入した。
左手にデモンハウリング、右手にエンジェリックソードを握ったジェノを見ると、中にいた男女が目口をいっぱいに開けて驚いた後、抗戦の構えを取った。
その中に、先程異性化したジェノの応対をした男の姿もあった。
「貴様、所属を名乗れ! 流星軍か、星屑か!!」
ジェノを先程の女子と同一人物だと気づかない男は叫んだが、ジェノはそれに構うことなく大きく間合いを詰めた!
男が剣を振り上げても、海王星質の好戦的な勇気を持って前に進み、エンジェリックソードで打ち合いを始めた。
その一度の応酬でデモンハウリングに付けた海王星質自体は消え失せ、防御は無視した星質ゆえ頬に一筋の切り傷を付けられたが、ジェノは男と同等以上の斬り合いをし、やがて斬り伏せた。
デモンハウリングでの遠距離の敵に対する銃撃と、近距離相手にエンジェリックソードでの剣戟を披露し、多数との戦いに善戦を見せる。
しかし、ジェノが踏み込んだ聖堂には武器入りの木箱は数個しか置いていない。
先程懺悔室で見つけた木箱の山のうちから数個がここに移動し、後は裏口から出ていったのだろう。
それだけでなく、地下など、他にもまだまだ武器は隠してある様子だったが、とにかくジェノは目の前にある人殺しの道具を壊し尽くすことにした。
「てめ、何しようとしてやがる!」
「これが、俺のやり方だ!」
直後、ヘブンアンドヘルによって木箱がめためたに薙ぎ払われてしまった。
秘技と言えるほど強力な技の前に、木箱は中身ごと千千に粉砕された。
「……さて、他にもあるなら、今すぐここに持ってきてもいいんだがな」
ジェノはデモンハウリングの銃口を、遠くから睨みつけてくる敵に向けながら言った。
武器流出の第一波は、偲やジェノたちの手で未然に防がれたのだ。