思いは一葉、舞うほどの
百合園女学院の家庭科教師・
木津川 絢乃が生徒の付き添いとしてピクニックに参加したのは、自然なことだったかもしれない。
差し入れた食材は、晴とクロータの手によって、じゃがバターやステーキに変化していた。
直火の番をフェルナンから引き受けて、網の上のスキレットのひとつで焼けていく豚肉の香ばしさ。じゅうじゅうと音を立てる肉汁にキノコが煮られながらくたくたの茶色いソースに変わっていく。舞い上がった灰がふわふわ漂いながら中に入る。
鍋やスキレットが取り替えられたり、食材が灰に埋められたりするのを横目に、耐熱グローブを嵌めた手とトングで火加減を調整する。その間ずっと、折りたたみ椅子に座る足を綺麗に揃えたままだ。
晴が肉やベーコンエッグを取り分け、アルミホイルを引き出し始めてからもずっと。
絢乃も、楽しそうな生徒を見るのは微笑ましい。
(そう、思うのに……)
火は熾火(おきび)に変わっていた。炎は静まって、炭の断面が鮮やかな赤を見せる。
――火の番を申し出た彼女は、それが教師としての責任感からだけが動機ではないな、と感じていた。
燃えて爆ぜる火の揺らぎと音には癒やす効果があるという。確かにそうだと思う。無意識に求めていたのかもしれない。
赤を黒い外皮から覗かせて静かに燃える炭は日本でも馴染みのものだ。懐かしさも感じる。懐かしさを。
……いつか、こんなキャンプをしたことがあっただろうか。夫と娘が側にいた時。
いけないと思うのに、思い出してしまう。忘れられることなんてないのに、思い出せば弱くなってしまう。
(三千界にとばされてからもう何年過ぎたか、想像もしたくない。元の世界に帰り着いたら、二人は……私のことなんて忘れている?)
もしそうなったら。想像なんてしたくないのに、自分の姿が瞼の裏に浮かぶようだった。
(心はそれこそ千々に乱れて……というか、どういう風にふるまうかなんてわからない)
気が付いたときには、涙が目尻からこぼれてつうっと頬を伝っていた。
顎からしずくが落ちて膝に染み、焚き火の熱はすぐにそれを乾かした。
だというのに、また目尻からは何度も滴がこぼれては落ちる。
「どうかされましたか?」
琴理に声をかけられ、彼女は涙をぬぐって微笑む。
「煙が目に染みただけ」
「……ハンカチを濡らしてきましょうか?」
「大丈夫よ」
涙を拭いて、これでおしまい。何もなかったように振る舞おうと顔を上げると、タイミングが良いことに「お昼なのにゃー!」というクロータの声が響いた。
「“レッツパーティ!”だね!」
ノーン・スカイフラワーが、小豆色の鍋をかき混ぜながら声をあげる。正確には小豆色でなく小豆そのものだ。小豆と砂糖、ほんの少しの塩だけで作った、素材の味を生かした一品である。
この調子なら、皆がお昼をちょうど食べ終えた頃に提供できそうだった。
パートナーの
邑垣 舞花が、ノーンがよそったお汁粉のお椀に今度は金網で焼いたお餅をぽとんと入れるのを見ながら、大丈夫でしょうかと呟く。
「大丈夫、味見もバッチリ美味しくできたよ。外で作るとちょっと勝手が違うけど、面白いね」
「どちらかというと胃の容量ですね……ノーン様は?」
持ってきた・持ち寄った食材は集めてみれば意外に多くて、舞花が“「用意は整っております」”で用意した食材も含め、クロータがどんどん威勢良く焚き火に突っ込んでいるのを彼女は見ていた。
「甘いものは別腹だよ、舞花ちゃん」
湖畔から少し涼しい風が渡ってきて、葉を鳴らし、舞わせ、景色が黄色や赤に染まる。晴天を写し取った湖面に波紋が広がって、湖岸の落ち葉を揺らして消えた。
「気持ちの良い日ですね」
こんな日はお腹も空くのかもしれない。
そう思って舞花がこぼれた髪を耳にかける仕草には“気品”があった。静の佇まいとは逆に、ノーンは忙しくお汁粉を届けに行く。
「では私も、取りかかりましょう。ノーン様も別腹だそうですしね」
屋外スイーツの定番ということで舞花が選んだのはスモアだった。
大きなマシュマロを金属の串に刺し、表面をクルクル回して炙ると皺が寄って焦げ目がつく。へたをすると燃えてしまうから、中身がとろけ始めたら串を引き、用意しておいたビスケットで挟む。ビスケットには予めチョコレートが塗ってあるから、マシュマロの熱もあって良い感じにくっついた。
焚き火にかけたやかんのお湯で熱々のお茶を淹れ、高級ティーセットのカップに注いでいく。
皆に振る舞えるようテーブルに並べたり、運んだりしながら、
「こちらもどうぞ」
既に焼き芋、鯛のアクアパッツァやお汁粉を渡されている絢乃にも、舞花はお茶を渡した。焼き芋だけでは口がパサパサになるかもしれない。
「宜しければスモアも」
「ありがとう。いただくわ」
舞花は礼儀正しく離れると、ノーンの後を追った。
ノーンが同じ蒼空学園の生徒に向かって歩いて行ったとき、丁度林から同じ方向を目指して戻ってきた守護天使の姿を見付けて、手を振った。
コハク・ソーロッドだ。彼は髪に付けた落ち葉を取りながらそのまま手を振り返す。逆の腕にはキノコを入れた袋が下がっていた。
「キノコ採りどうだった? ……あ、沢山だね!」
ノーンの向かう先にいた
小鳥遊 美羽が振り返って、マシュマロを焼くのに使っていた串を取り分けた。
コハクは目を瞬かせると――ずっと木の根元や倒木を中心に落ち葉の上に視線を滑らせていたので――キノコを種類ごとに分けていく。採集していたときは食べられるか否か考えていたが、今度はどんな風に食べようかと考えながら。
「直火焼きだけじゃ食べきれないね。それともホイルで焼こうかな、ベーコン入れちゃう?」
「僕が焼くよ」
下ごしらえをしたキノコを串で炙り、ホイルを皿にして網の上で焼く。林から妖精や守護天使がひょっこり、などはなかったけれど、森の恵みは見付けることができた。
キノコ特有の良い香りがふわっと漂って胃袋を刺激する。
網のそのすぐ隣では、蓋をしたフライパンからポンポン弾ける音が鳴り続けている。
「……まずフライパンにオリーブオイルを敷いて、豆に塩を振ってから蓋をして……」
美羽のもう一人のパートナー・
ベアトリーチェ・アイブリンガーが調理しているのはポップコーンだ。出来上がったそばから紙カップに小分けにしていく。
「置いておくから、良かったら食べてね」
ノーンと舞花は三人にスイーツを差し入れしてから、大きな切り株を見付けてそこでお昼をとることに決めた。
「わたしたちも食べないとね! ……舞花ちゃんの隣に座ろっと」
さっきのキノコの香りもあって、お腹はぺこぺこになっていた。
二人は並んで腰掛けて、湖を眺めながら過ごした。穏やかな天気。外で食べるキャンプ料理とスイーツは、普段とは違った美味しさを感じるから不思議だ。
宣言通り、ノーンは焼き芋や肉や魚、野菜のグリルを食べてしまってから、別腹デザートのスモアを口に運んだ。ビスケットとチョコ、マシュマロが混じり合うとそれぞれの美味しさが何倍にも感じる。
「美味しいね、舞花ちゃん」
「そうですね。お料理も勿論、ノーン様のお汁粉もとても美味しいです」
肉も魚も香ばしくて、濃い旨みが口の中に広がる。見た目にもこんがり焼けて美味しそうだし、ちょっと焦げてしまったところもなかなかのものだ。
紅茶で口の中をさっぱりさせてお汁粉に口を付けると、優しく上品で、どこか懐かしい味がした。
「ちょっといいかな? こっちも食べて欲しいな!」
二人の元に美羽がお返しのお皿を持ってきて、差し出した。ひとつはマシュマロ串で、白やピンク、黄色に水色。パステルカラーのそれに焼き目を付けて、網の上でとろけるチョコレートに潜らせたもの。もうひとつは焼いたバナナの串。こちらも同じくチョコがけにしてある。チョコはとろりとしたたるのもいいし、少し冷ましてパリッと固まったのもいい。
「まだまだあるから遠慮しないでね! あっちにポップコーンもあるよ」
テーブルに各色並んだカップに入ったポップコーンを示すと、美羽はパートナーたちのところへ戻っていった。
香ばしい白は塩味。甘い香りの明るい茶色は砂糖を煮詰めたキャラメル味。もうひとつの濃いめの茶色はバター醤油。基本の材料となるトウモロコシ一つで色々な味付けを手軽に作れるのが屋外料理向きだ。
ベアトリーチェは最後のポップコーンをカップに注ぐと、
「たくさん出来たので、よろしければクロータさんもいかがですか?」
焚き火の周囲でずっと調理に熱中していたクロータが、やっと座ったのを見て、ポップコーンのカップをトレイに乗せて持っていった。
「ありがとうなのにゃ! それじゃあ……うーん……どれにしようか迷うのにゃ」
「全部でもいいですよ」
ベアトリーチェは優しく微笑んだ。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。食事をして、散策して、絵を描いて、工作して、おしゃべりして……。
傾き始めた太陽が林をオレンジに染め上げた頃には、風は冷たく、肌寒さを感じるようになっていた。
かなり黒くなった炭に名残惜しさを感じながら、最後には消火して後始末をきっちり終えて。
「ピクニック楽しかったのにゃ!」
「そうね、また機会があったらやりましょう」
手と尻尾をピンと伸ばすクロータに、晴が答える。
しっかり片付けられたその地面に暖かさの名残を感じながら、全員は揃って家に戻っていった。