夕焼けの空を、見る。
シルノ・アルフェリエは、
エーリオ・ブランシェットに連れられて入った街中の宿を甚く気に入った。
南向きの部屋は空を広く見上げるコトが出来、夏の名残の暑さが日が落ちると秋の気配を感じさせた。
秋の日は釣瓶落とし。
本当によく言ったものだと感慨深く、日毎に夜に落ちていくのが早まっている空の色の移ろいを眺めた。
「素敵なお部屋ですね」
エーリオの選んだ宿は、こぢんまりとしていながら設えには質の良いものが使われており、心地良い空間となっている。
「気に入ってくれたようで、嬉しい」
エーリオは微笑んで続けた。
「シルノに任せていては、またびっくりするようなところへ連れていかれそうだったからな」
そもそも無事に宿に辿り着けたかもわからない。
以前に「勘!」といいながら京の街を連れ回されたのコトを思い出す。
「……なんだ、迷った方がよかったか?」
不満げな様子を見せるシルノに、微かに首を傾げる。
「でも、あれはあれで楽しかったでしょう?」
ちゃんと最後には料理屋に辿り着いたし、シルノの勘も決して悪いものではなかった。
ぷうっとふくれっ面で見あげてくるシルノに、エーリオは頷いた。
「確かに。だが、今年はゆっくりとしたかったからな。この宿は料理も美味いそうだ。用意も出来たようだし、少し早いかもしれないが、食事にしようか」
膳が運ばれてきた気配に、エーリオはシルノを促す。
夕餉の膳は、大和の旬の食材をふんだんに取り入れたものであった。
「このお魚とかとっても美味しいです!」
焼魚はシンプルに塩焼きなのだが、香ばしく焼けた皮がふっくらとした身の良いアクセントとなっており、実に美味である。
頬を押さえてうっとりとシルノは笑みを浮かべながら、料理に舌鼓を打つ。
「これは家でも作れるだろうか?」
きちんとした形で大和の料理を食べるのは初めてのエーリオも、興味深げに箸をすすめている。
「リオも気に入ったなら今度一緒に作ってみましょうか」
シルノと料理するのは楽しい。
エーリオはシルノもそう思ってくれているのが嬉しく、首肯した。
外からは、お月見泥棒の子供たちの楽しげな声が聞こえてくる。
ゆっくりと食事を終えると、「今夜はお月見なので」と下げられた膳の代わりにお茶と月見団子が運ばれてきた。季節の心尽くしなのだろうそれは、里芋を模した餡を被いだものだ。
シルノは、空の様子を知ろうと、視線を外に向けた。
「リオ、見てください。月が綺麗ですよ」
青い月の光が。
シルノの輪郭を浮かび上がらせる。
月を、見る。
まだ仄かに明るさの残る藍色の空に、昇り始めたばかりの丸い月。
澄んだ空気は、その光を真っ直ぐに届けてくれる。
シルノに示されてそんな時間かと、エーリオは月を見上げる。
——ああ。
月……が、綺麗……だ……。——
(この空のように、あの日のあなたの憂いは晴れたのでしょうか?)
シルノはエーリオに微笑みかける。
(私もまた色々なことがあったけれどこうして幸せを感じている)
月が、綺麗。
その意味は知っている。
知っていて、なお、そう言ったのだ。
だから、応えを——。
「そうだな。ずっと一緒に見てくれるか? ルル」
ふたりならんで、月を眺める。
(去年の今頃は悩んでいたがお前は僕と一緒に生きてくれるのだろう?)
たとえ答えが分かっていても、言葉で聞きたいと願う。
(何があったとしてもそれなら強くなれる)
「はい、ずっと……」
迷っても、傷ついても。
夫婦として寄り添って生きていこう。
これからも続いていく、長い長い時間の果ても、きっと、幸せなのだと思いを馳せて。
エーリオは胸に込み上げる愛しさにその腕を伸ばすと、シルノの肩を抱き寄せた。