■書斎を捜索せよ
――契約者たちはそれぞれ、アトラスの傷痕へ向かった者や図書館にて情報共有している者と別れ行動している。
そして、こちらは屋敷にある『先生』の書斎入り口前……こちらにも、何名かの契約者とそのパートナーたちの姿があった。
「『先生』との直接的な面識はないですけど――アリスたちからはそういう御仁がいた、という話は聞いてます。その方の行方を捜すためにも、この書斎を調べないといけないわけですわね」
「まぁそういうことになるな。一応、警察も来てはいたがその扉に負けちまってなぁ」
一行の先頭に立っている
松永 焔子と、一行の一番後ろでにへらとしている紫縞猫・チーシャがそう話し合う。
……アリスたちへ意味深な言葉を残し、失踪してしまった『先生』の行方を捜すべく、ナーサリィ警察ですら手が出せなかったという『先生』の書斎を調べよう……それが、この一行が行おうとしていることだった。
「確か、鍵が特別製でこの街の鍵師でも開錠ができなかったのでしたっけ」
「うむ。扉を壊しちまえばよかったろうに、さすがに警察も良心が働いちまったのかもなぁ」
目の前にある扉を
騎沙良 詩穂が確認するように観察しながら、いまだ開かずの扉となっている現状を再確認する。チーシャも警察の失態をまるで面白がるかのようにゴロゴロと猫のように転がっていた。
「うーん……開錠できる人がいなさそうですし――物理的破壊(マスターキー)で開けるしか?」
詩穂が意を決したように《レベル60ロングソード》を構える。一行に手先の器用なヴェローチェがいないため、良心に苛まれた警察の代わりに扉をやってしまおうと――その時であった。
「まぁまぁ、詩穂様。ここは私にお任せくださいな――うん、この扉ならわずかな隙間があるからいけますわね……!」
詩穂の構えを制するようにして、焔子が扉の前に立つ。そして目を閉じ少しばかり意識を集中させると――その身が【弱点【棺】/影潜】によって、自身の影へと溶け込むように入り込んでいく。ちょうど廊下も暗かったからか、焔子の影と扉の隙間の影が……繋がっていた。
――少しして、扉の内側……書斎からカチャリと音が鳴る。内側より開けられた扉が開放されると、そこには【弱点【棺】/影潜】を用いて影に入ったまま移動し、書斎に無事に入り込んだ焔子の姿があった。
「扉開放、無事に完了しましたわ」
「ほぉぉ……やるねぇ。こりゃ我の家の扉も隙間埋めるようにしなきゃだな、おおこわいこわい」
「チーシャの家、ここじゃなかったっけ……?」
一仕事終えて、優雅に立ち振る舞う焔子の仕事っぷりに思わず関心の意を伝えるチーシャ。そんなチーシャの言動に、これまた思わず
ロザンナ・神宮寺は反応を示してしまった。
――焔子の奇策により無事に書斎へと進入を果たした一行。部屋内の電気を付け、周囲を確認してみる。
「掃除、されていませんね……」
季節を巡るほどには人の出入りがなかったのだろう、詩穂を守護しようと詩穂の前に出ている
アーニャ・エルメルトがそう呟くほどには、書斎内には多くの埃が溜まっている惨状であった。
「いつもならラビィの奴が掃除しているはずなんだがな。あいつに鍵を渡して以来は書斎に入ることすらできなかったらしい」
チーシャもそう言いながら書斎内へ入っていく。……埃の溜まっていた床に、猫の足跡がちょこちょこと生まれ始めている。
「とりあえず……聞いた話の通りですね。今入ってきた扉の向かいに『先生』の私室の扉、左斜め向かいには書庫の入り口、と」
詩穂が部屋内の繫がりを確認していく。現在、一行は書斎の出入り口におり、その視線の先には『先生』が私室として使っている部屋への扉が。左の対角になっている扉は資料などを収めている書庫へと繋がっている。
『先生』の行方を調べるためにも、書斎・私室・書庫の全てを捜索する必要がありそうと判断した一行は、それぞれに分かれて調査を行うことにした。
「……この先は、ちょっと危険かもしれませんわね」
一番怪しいと踏んだ書斎奥の私室。焔子が【インサイト】の洞察力で扉をじっくりと観察することで……扉の奥からの危険な雰囲気を確かに感じ取っていた。
さらには、私室への扉には隙間という隙間が存在せず、先ほどと同じ手は使うのは難しいこともひしひしと感じ取れていた。一応、鍵穴から影で侵入……という手も使えなくもないが、罠があるかもしれないと考えるととても実行に移すことはできなさそうだ。
「そっちは後にしましょう……その時が来たら、物理的扉破壊(マスターキー)を行使するので」
危険がある以上、踏み込むなら全員で。そう判断した一行は、改めて書斎内と隣の書庫を先に調べることにした。
――もしかしたら私室の鍵があるかもしれない。そう考えた焔子は、ロザンナと共に書斎にある重厚な仕事机を調べることに。いくつかある引き出しを慎重に一つずつ調べていくと……引き出しの一つから、仕事に使われていたであろう書類の束を発見した。
「……え、なにこれ」
何気なく書類の文面に目を通していたロザンナが思わず声を上げる。焔子が何事かとその書類を覗くと……そこには、普段ではありえない状態が文面全体に広がっていた。
――おそらくは、重要な契約に関して書かれていたであろう書類。書士として、書類作成の代行をしていた『先生』の名前が……塗り潰されていた。否、塗り潰されていただけに留まらず、その塗り潰している黒いモノが……まるでモヤのように蠢いていたのだ。
どの書類も、書類作成代行者として明記されているはずの『先生』の名前の部分にだけ、同じ黒いモヤが蠢いている。おそらく、名前は実際に書かれているのだろう。だが、その黒いモヤがまるで名前を見せたくないが如き強い存在となって、契約者たちに立ちふさがっていた。
「――そちらも同じ状態でしたのね」
と、そこへ同じく書斎内を詩穂と一緒に調査していた詩穂と
佐伯 まおとアーニャ、そしてチーシャが合流する。まおたちは主に書庫出入口側の応接テーブルや棚を調べていたらしい。だが、詩穂の【野生の勘】をもってしても、あまりいい結果は得られていないようだ。
「こっちはあいつの名前があまり入ってない資料ばかりだな。こりゃ多分、前にあいつを手伝ってた奴の資料も意図的に自分の名前が入ってない奴を整理させてた可能性があるかもなぁ……いや、もしくはこんな状態になってなかったのか?」
チーシャがそんなことを思案しながらも、棚の方にあった資料を適当に流し見している。どうやら、こちらも焔子たちが見たのと同じような状態になっているようだ。
「そうなりますと……この事態を『先生』は知っていた、ということになりますが……?」
「かもな――あいつ、いつまで『先生』だったんだろうなぁ……」
「……?」
アーニャの推測を聞いて、チーシャは何か思うところがあったのか……そんなことを呟く。その呟きが詩穂の耳に入ると、どういうことだと首を傾げてしまった。
――一方。書庫にはただ一人、
リゼクシー・リエンダが書庫内の調査を請け負っていた。
……リゼクシーは人見知りであり、現在の書斎での人の集まり具合を苦手そうにしていた。そのため、詩穂たちへ書庫は自分一人でやることを伝えており、現在に至っている。
(何だ、この黒いモヤ……)
当然、こちらの書庫でも書斎で起こっている事態と同様のことが起こっていた。だが、こちらは一人だけのため自らの考えを逡巡させることしかできない。一応、書斎の声はこちらにも届いているため、同様のことが起こっているんだな、ということは把握できていた。
(……ん、これは……?)
そんな中、リゼクシーは一冊の本を発見する。表紙は相当に古く、だが何度も手入れされているかのような修繕の跡が所々に見受けられた。
また、表紙には“DIARY”と表記されており、どうやら日記帳であると確認できる。下手したらバラバラになってしまいそうなその本を、リゼクシーは慎重に読み解き始めていく……。
――これは一族の過ちだ
造り上げた願望器はあまりにも歪んでいた
あれの封印に一族総出と予言の民の力を借りてやっとであった
唯一の生き残りの私は、その罪を背負って地に降りよう
願わくば、子孫にはこの罪を背負わず生きてもらいたい――
――書庫から戻ってきたリゼクシーは、詩穂たちへ日記帳の書かれていたことを伝えていく。そして、伝え終わるとすぐに集まりから離れた位置へ移動してしまった。
「……なるほどな」
その話を聞いたチーシャは、珍しく真剣なにへら顔でそう呟いた。焔子たちもその様子には声をかけられそうにない。
……結果的に、日記帳の情報が得られた最後の情報となった。全員は意を決し、書斎奥の部屋――『先生』の私室へ踏み込むことにする。
「破壊後の掃除も問題なし――せいッ!!」
私室への扉の鍵は書斎入り口より複雑な様相を見せており、扉の隙間も全くなし。――こうなると、頼りになるのは物理的な扉破壊(マスターキー)の出番しかなかった。
詩穂が《レベル60ロングソード》を構えると、扉を一気に一刀両断! その一撃によって、扉は真っ二つに斬り捨てられ……無事に開錠(物理)に成功する。私室に入り込んでしまった扉だったものの残骸は、詩穂の【ハウスキーパー】でささっと片づけられていった。その際、【野生の勘】で行き先のメモでもないかと調査するが……あるのは埃だけであった。
「――む?」
だが、詩穂は同時にあるものを発見してしまう。……実際にそれそのものがあるわけではないのだが、【野生の勘】によって“それ”を感知する!
「全員離れて――罠ですッ!!!」
しっかりと、全員が入ったタイミングで発動する――罠。発動と発見が同時であり、契約者たちはそれぞれの方法で回避を試みる!
「くっ……範囲が広すぎる……!!」
焔子も【瘴流拳】による回避で罠を避けようとしていくが、罠の範囲があまりにも広すぎた。私室全体を包み込むようにして発動したその罠は、扉へ退避しようとする契約者たちすら飲み込み、捕らえていく。
その場にいた全員が何かしらの――“空間転移”の罠に飲まれ、私室には静寂が訪れたのであった……。