~ 新龍の歌 ~
そのような外力による安定は、為政者と虐げられし人々にとっては好ましいものであったのだろう。
一方で……今から新たに立身出世を望む者たちにとっては? それが自らを蓋する破るべき壁だとして理解されなかったなどと、はたして誰が言えただろうか。
かつて、
黄壁と呼ばれる新龍スラムの一角が反汗復龍の歌声で満ちていたことを、
松本 留五郎は忘れもしない。そして、その歌声は今も口ずさまれている……あたかも彼らにたち塞がる天井は、今も変わってなどいないと言わんばかりに。
「ちゅーと、オルド連邦も、大カーンも、大使も、帝も、ぜーんぶ気に食わへん。早い話がそーいう話やな」
あの日頼みそびれた(あるいは食べたが酔って食べたこと自体を忘れた)料理を片手にウザ絡みしにゆく留五郎の馴れ馴れしさもまた、
南柯 呉春と
クラウディオ・トスティにとっては今日も変わらないものだろう。
「はっはーん。政府の弱腰連中と、それを是とする大罪人の目を覚まさせるため、オルド人最強と名高い大カーンを仕留めて新龍人の強さを見せつけようっちゅーことかいな。やめときやめとき。折角戦争止んで命残ったんやから」
一つしかあらへん自分の命をそないな賭けに費やすよりも、今を酔うて楽しもうやとか、奥さん喜ばすのが一番やとか説教していたと思ったら、聞かれてもないのに「わしの操は一生あれのモン」とか惚気けはじめる留五郎。ほうれこん前みたいに歌えばいいやないかいと元の席へと水を向ければ、普段は頭痛が痛いクラウディオとしても、そうしたアモーレなら歓迎だった。
「歌おう! こんなちっぽけな国なんかのために命を賭さずとも、人はより広い世界を目指せることを示すための歌を!」
五島連合の空の英雄たちに憧れて、肉体労働者たちが口ずさむ歌を。
ミステリアスなワーハの夜を、詩人たちが礼賛するために綴る歌を。
ナヴァアーラヤの異形の神々に捧げて、神官たちが紡ぐ祈りの歌を。
大空を翔ける歓びに打たれ、オルド人の魂の奥からあふれ出る歌を。
以前はこの国の歌を教えてくれた人たちに、今度は自分が教えるクラウディオの姿を眺めつつ、呉春はこうも考えた。バアトルは覇王という生まれながらに課せられた重責を、その魂の歌に耳を傾けることでうち破ったというのだろうか?
父祖より連綿と続いた国を、自らの責任において終わらせる。それはいかなる英断であったのかと想いを馳せる。ただ――。
とめ。
はね。
はらい。
書道にて筆の運びがどのような終わりを迎えたとしても、その後から次の文字が始まるように。オルド連邦のこれからの歴史も、大カーン自身の人生も、ここから改めて始まらねばならないことだろう。その営みを否定することなんて、何人たりともできやしない――だから。
「……おや?」
呉春が思索に耽っていたその時、自身の歌に何かの“引っかかってくる感触”を向けてくる存在にクラウディオは気がついた。普通であれば留五郎の居酒屋演説に反感を持った誰かの可能性こそ考えるべきだったのかもしれないが……この感覚、酔っぱらい同士のいざこざというよりは、より冷静な敵意というほうが相応しい。
「ちょっと無粋ですねー、“素面”だとすれば」
それを聞いて呉春は理解したのだった。あれは“気に食わない”や“ボコボコにしてやる”を酒の肴で終わらせられる類の人物じゃない。おそらくは本気でオルドと政府とを憎み、実際に事を起こそうと考える性質の相手だ。
「ひとまず止めておくに越したことはなさそうですが、こちらも無粋を働くわけには……あ」
「スパナブーメラン!!!」
呉春が“素晴らしい解決策”に気づいた直後、スパナにしては図体の大きすぎる酔っぱらい=留五郎の体が、気配――いかにもチンピラ然とした風体の男へと飛んだ!
「なんでわしここでも投げられるん~~~!?」
まだ食べ途中のメインディッシュへと手を伸ばそうとした姿勢のままで、男を巻きこんでテーブルをなぎ倒す留五郎。
とばっちりで料理を台無しにされた者たちが反撃を開始する。首根っこを掴まれたのは留五郎だけでなく、この件に関しては全く無実のチンピラ男まで腹いせに蹴りとばされる!
「――よし。これで酔っぱらいの喧嘩になったので無粋ではないですね」
相当呑んだのでなければ出てこない理論で勝手に納得し、呉春は新たな盃へと手を伸ばそうとした。
彼もまたこの“喧嘩”に巻きこまれてテーブルごとふっ飛ばされるのは……それから僅か数秒後の出来事である。