~ 新龍の今(1) ~
そう。新龍は実にごちゃごちゃしていた。
オルド・ハン国に奪われた植民島を全てとり戻し、そればかりか近隣の、元から反オルド感情は強かったが独立できるほどの規模はなかった小植民島群までちゃっかり併合して
大新龍帝国と名乗り、にもかかわらず大戦前はあれほど激しく抵抗したオルド・ハン国総督
(ダルガチ)クドゥンと今度は手を取って、かつては彼に屈辱的な立場を舐めさせられていた
李宗帝自ら、両国は今後は永遠の友好関係を結ぶと確かめたなどと口にする。
いずれも大局的な立場から見れば決して間違っているとは言えない和平への道筋ではあったのだが、人口の大半を占める
新龍スラムの無学な人々からすれば、李宗もクドゥンも――ひいてはオルド連邦も――二枚舌でペテン師の、信用ならない抑圧者たちだった。だから彼らは、政府なんて気にせず好き放題やる……もっとも、スラムの連中が自分たちの政府を顧みたことなんて過去一度たりともなかったのだから、いつも通りの話ではあるのだが。
ゆえに新龍スラムの真の統治者はいまだに、縦横に広いスラム内を複雑に立体分割する、個々の“自警団
(はんざいけっしゃ)”たちだった。大新龍帝国になって変わったことと言えば……彼らが政府の定める一定のルールを守りさえすれば、その活動に皇帝からのお墨付きという大義名分が与えられるようになったことだ。
そういう意味では新龍スラムは、実のところこれでも、過去で最も政府の意向が最下層まで伝わりやすい構造になっているのだと言えた。人さらいと人買いはそれぞれスカウトマンと口入れ屋と名を変えて、みかじめ料の取り立てを人は徴税と呼ぶようになっただけではあるのだとしても。
人々が意に反して極度の不自由に置かれることは、以前よりはずっと少なくなっていたように
ユファラス・ディア・ラナフィーネには感じられた。まだまだ彼が立ちあげた新龍人のための居場所
ディ・コロンバの人々を、安心して生まれ故郷に帰せるようになったとは言いがたい。けれども、彼らがそうしたいと強く願うのならば……そろそろ、それを後押ししてもいい時期にはなっていたかもしれない。今では五島連合からの特使艦隊から独立し、新龍人ドラゴンシーカー企業として各国の空を飛びまわるディ・コロンバに、今更スラムに戻りたいと思う者がどれだけいたかを別とするならば。
スラムがマシになった理由は簡単で、この“皇帝からのお墨付き”というやつが、随分と便利に使われたからだ。
どこかで、自分のところを支配する自警団の非人道的行為を隣の自警団に訴える。すると訴えを受けた側がそれを喧伝し、近隣の自警団とともに訴えられた自警団をあの手この手で攻撃する。かくして邪悪な犯罪結社は滅亡し、近隣自警団は仲良くその支配地域を分割して傘下に入れるという寸法だ――ユファラス自身も逃げてきた無辜の市民を保護しようと追っ手と交戦したことで、期せずしてその一部始終の当事者となったりもした。
残酷な弱肉強食の世界ではあったが、それゆえに保たれている秩序もあるのだろう。
だから、いつか、その中でこそ生まれる活力もあるに違いない――その未来を、ユファラスは切に願っている。
その秩序が保たれているのは、大新龍帝国政府の実力部門が、犯罪結社の最大連合であるとも言える朱門そのものであったからに他ならなかっただろう。親組織に反旗をひるがえす組織は潰される。他の組織も、モグリの組織も潰される。新龍の現状を端的に表すのなら、裏社会では当然とも言えるそのルールの賜物だ。
もちろんそれが可能になるためには、朱門≒大新龍帝国政府が、立場に相応しい武力を有している必要があった。そして大戦当時から、ひそかに新龍政府にはそれが致命的に欠けていることを見抜いていた国があった……五島連合一の軍事大国、
“鉄壁の島”ノイエスアイゼンである。
大戦の終結後、特使艦隊の大半が五島連合に帰還する中で、ただ一人、本国から直々に新龍駐在の辞令を受けた者がいた。
ベルンハルト――特使艦隊には一介の兵士として参加しながら、今では新龍政府軍の軍事顧問として装備や部隊編成の近代化を推し進めている男だ。国に帰ったところで為すべきことのない、国家に忠実な死人のような彼は、本国からすれば貴重な、後腐れなく極東地域に置いて影響力を行使できる人物として白羽の矢が立ったに違いない。
「まったく、顧問の教練の日はやってらんねーぜ! あの仏頂面で『できるかどうかじゃない。やるんだ』だぜ? 文句言った奴は個別格闘訓練と称してその場で手も足も出ずにやり込められた。
セコリョ島攻略戦でも敵をばったばったとなぎ倒したって聞いたし、あいつ無敵なんじゃねーの!?」
新龍軍の教練所にほど近い飯店にて。そんな新龍軍人のぼやきが、少し離れたテーブルの
リア・アトランティカの耳に入った。
「信じられないわ……! 私、軍人として新龍を負って立つ身なら、常に国民に誇りある姿を見せろって、あれほど叩きこんだはずよね?」
摘まんだ点心を箸で千切りそうなほどに憤慨する彼女。本当に千切れて床まで転がっていってしまうんじゃないか……
アニー・アプリコットが豆沙包子を摘まんだままで、心配そうにリアの箸の先を凝視している。
そんなに時リアを宥めてやるのは、
水谷 大和の仕事だった。
「別にグレて何かしでかそうとしてるわけでもないし、ベルンハルトも上手く手綱を握ってるってことさ。見てみろ、あそこにいるのはオレたちの知った顔じゃない。
陳経もオレたちが期待したとおりに、上手く軍を回してくれているって証拠なんだろう」
「陳、ね……あのタヌキジジィも案外素直じゃないの」
朱門の一員だった陳を政府軍の重要ポストにとり立てるだなんて、今思えば国家を犯罪結社に売りわたすかのような采配だったと今更大和は背筋を凍らせた。実際、陳は(といっても彼に限らず、李宗帝自身が多数のスラム組織から恩を買いあつめて朱門という形に纏めあげたので、恩賞としてポストを得た多くの者たちが)国家権力を自身の影響力を増すために利用しようとはしている……もっとも、誰もが『帝の威光を利用したい』という一点で結びついたことが今の新国家体制を作っていることを考えたならそれは誇るべき成果であって、後悔すべきことだったとは決して思わないのだが。
「でもやっぱり、もう少し確かめてみることにするわ」
不意にリアは席を立ち、大和やアニーでさえ別人かと思うほどの淑女然とした声を作って、兵士たちのほうへと向かっていった。どうやら、軍人なら信頼置けるだろうと思って声をかけた、観光に訪れたお嬢様という設定らしい。
「……うん。アレはリアを五島連合人だって思ってるせいで、ヘマしたらベルンハルトに伝わって後でドヤされるって怯えてる態度だな」
それではリアがどれだけ新龍軍人たちが誇り高い紳士として振る舞えるかを確かめようとしても、ベルンハルトというバイアスのせいで正しい評価はできそうになかった。まあ、それはそれで大和にとっては、軍人たちがベルンハルトのことを恐れつつも敬意を表していることの証明になってくれてはいるのだが。
「無理矢理ベルンハルトを英雄にしてしまったのをどう思われてるのか心配だったけど……アイツはアイツでそれすら上手く利用して部下を育ててるってことなんだろうな」
「二人とも真面目すぎなのですよ」
いつの間にか芝麻球に変わっていた箸の先のものを口の中へと放りこんだ後、アニーはこんな言葉を続けた。
「何も問題が起こってないのなら、それでいいと思うのですよ……悩みがないのに無理矢理悩みを聞きだそうとするのは、シスター的にも無理があるですし」
言って、今度は杏仁豆腐に手を出すアニーからすれば、今後もずっと彼らと関わりつづけられるとも限らないのだから、第一に観光、次にグルメ、ベルンハルトたちのその後についてはその次くらいに考えればいいんじゃないか、といったところだ。
「そうでないと……今後もリアちゃんのギアのあんまり美味しくない餅ばかり食べる羽目になるですよ?」
満足げに腹をさすっているアニーには悪いのだけれど……今食べた点心も、実は原料の半分以上はその“餅”――食属性の星霊石
太歳なんだよね。調理技術がすごいってだけで。