~ 未知なる世界へ ~
長きに渡ってバアトルとともに旅した時間は、
飛鷹 シンにとって忘れられぬ体験になったに違いなかった。世界の敵対者であった国の大カーンだという人物に対しても、人々は可能な限り誠実に振る舞おうと努力する。
もちろん、それがバアトル自身の誠実な態度あってこそのものであったのは間違いがないが……たとえかつての不倶戴天の敵とでも、少なくとも国同士という間柄においては、相互利益さえ見つけられるのであれば手を取りあうことができる、それを目の前で見せつけられた。すげえ世界だ。もっともそれは300年前の大沈降の際に、自身の生存のためならばどれほど憎い敵とでも手を取らねばならなかったことの裏返しなのかもしれないが。
実際、シンがどの島を回っても、人々が宿敵と和解し、あるいは説得により改心させた物語が、美談として語りつがれていたことに気がついた。そのつもりで改めてバアトルからオルド・ハン国祖
チノの建国譚を聞けば、彼も武勲のみで諸氏族を纏めあげたわけでなく、敵対する人々に「ともに世界を手にしよう」と呼びかけたところに功績があったのだろう。
「だからこそ何の後ろ盾もない俺たちも、バアトルとの同行を許されたんだろうな。他の世界でも……誰もがそういう解決を選べるならいいんだが」
夜、旅の宿で休んでいる最中、ちらりと机のある角へと視線をずらす。そこではランプの明かりで手に入れたばかりの書物とにらめっこしていた
示翠 風が、気づいて読書の邪魔しないでとでも言いたげな不機嫌な表情を返す。
一応はバアトルの護衛役という名目で同行をしたはずが、風よりも護衛対象のほうがよっぽど強かった。そればかりかシン自身であっても、正面からバアトルに挑んだら分が悪いだろう。
「ま、護衛はあくまでも口実なんだから、それでも構いはしないんだけどな」
スカイドレイクという小世界を『識りたい』という風の願いを、シンとて抱かないわけじゃなかった。大沈降から逃れた後に最初の汽人が生まれてからの記録が、全て“生き字引”役の汽人にひき継がれていた新空島。建国王
スライマーンⅠ世の神のごときジン使役術が、今なお物語られるワハート・ジャディーダ。どの島の歴史にも建国の苦難があって、維持と発展のための尽力があった。まあ時が過ぎる間に真実が忘れられ、「地上王朝は神の怒りに触れて沈んだが、凄まじい仙力を持つ建国帝だけが空に国を興した」なんていう神話だけが残るようになってしまった新龍みたいな例もありはしたのが。
「……で、石龍島の名の由来になったドラゴンについて、その本には載ってたか?」
シンが訊けば風はうって変わって機嫌をよくし、こんな話が書かれていたと得意げに披露した。
「石龍島が生物みたいな見た目と内部構造を持っているせいで『石化したドラゴンだろう』って言われてたこと自体は世界じゅうで共通ですけれど、実際に地上時代にドラゴンや龍と呼ばれる怪物がいたらしいと伝わってるともこの本には書かれてありますねぇ」
「でも、龍と飛竜は別物なんだろ? なら、ドラゴンはどこへ行ったんだ? 全部が石龍島に変わったってことか?」
「この本の著者はそう考えてるみたいですよー? まあ、何が原因でそうなったかまでは、『大沈降による環境中のマナバランスの変化』なんていう曖昧な仮説を提示してるだけですけどねぇ」
仮説を証明するにしても反証するにしても、地上時代のドラゴンについての観測記録がなければ何とも言えそうにはなかった。せめてナヴァアーラヤの遺産の数々の中に、兵器とマニュアルだけでなく学術知識を収めたものもあってくれたならよかったのだが……。
……もしかしたら未知なる空域に、その答えを示す何かがあるかもしれない。
だが、それ以上にその空域が、未知の危険を人々にもたらすものであるのかもしれないことを
綾瀬 智也は危惧している。五島連合にとってオルド・ハン国がそうであったように。
偏西風の、あるいは貿易風の玄関口となる島々を、智也はひとつひとつ訪れてみた。もしもその風上に未知の島々があるのなら、何かの漂流物がやってきているかもしれぬから。
あるいは、サルタクタイ人
アサンのような、抜け目のない商人たち……商機に敏感な彼らであれば、新天地に繋がりうる情報は、決して逃さずにいるだろう。それほどの重要情報を、智也に教えてくれるかはともかくとして。
結果は……思わぬところからもたらされることになった。
ワハート・ジャディーダの遥か南方に、未知なる何かが存在することが明かされたのだ。
そこは北東貿易風の入口どころか出口に近い、ワハート・ジャディーダ西部の島だった。
そればかりか、商人たちすら寄りつけぬ紛争空域の、さらに彼方にあるものだった。
「そちは、未知なる空域にあるやもしれぬ危険について調べておったそうだな」
ワーハ宮殿に呼びつけられた智也は、シャー、ダーウードの問いに対してそのとおりだと答えてみせる。すると、重ねて訊ねるダーウード。
「では……儂の諮問機関、
星導技術研究会が導き出したこの調査結果に対し、そちはどのように考える?」
双子島の弟妹たるアダルより失われ、兄姉たるイファトとの紛争の原因となった星霊玉『アダルの王』由来と思しきマナ反応が、マナ・レーダーによれは双子島の遥か南方、暗黒の未踏空域に発見されたとその報告書は結論づけていた。
この未知なる空域に、調査隊を派遣する――それは古希を迎えた老シャーにとって最後の大仕事であって、平和になったこの世界において余剰となった軍事力の、格好の投入先であったと言えた。