■プロローグ『蟲の知らせ』■
三つの顔が、虚空を見上げる。
いる場所も考えていることも違い、見上げた理由も異なる。けれども、タイミングは全く同じだった。コンマの誤差もない、鏡像のような動き。それはシンクロニシティ、昨日までと違う何かの訪れを告げる、虫の知らせだった。
一人は、どこかの地下室にいるようだ。空の酒樽をテーブル代わりに、グラスの酒をあおっている。髪はタバコの燃え殻のような灰色で、その隙間から覗く瞳はアルコールで淀んでいた。
男は、誰かに語りかけるように独り言つ。
「お前がテルリカなら、俺は誰だ? ……それとも『お前も』なのか?」
言い終わると彼は再びグラスをあおり、意識をアルコールに浸して目をつむった。
別の場所では、立襟の服をまとう青年が空を見上げ、目を細めている。
「……ひとつに戻る日は近い、か。急がねばなりませんね」
彼はそう言うと、後ろで組んでいた手を解き、建物の中へと入っていく。教会だった。青年は、そこで働いているらしい。髪は短く切り揃えられ、清潔感がある。地下室の男とは対照的だ。しかし、その瞳に宿る色は同じだった。
「余計なお世話だよ。テルリカ」
骨組みの木が露出した家の立ち並ぶ通りを歩きながら、少年が迷惑そうに呟く。彼は、通りを抜け駅まで行くと、路面電車に乗り込んだ。その瞳は、移ろう景色を見てはいない。彼が見ているのは、訪れるであろう未来。今日、自分の所へやってくる者たちの姿だ。
「面倒だが、まぁ良いさ。良い暇つぶしにはなりそうだしな。お前たちが遺産を渡すに相応しいって証明してみせてくれ。さあ、お手並みを拝見しようか、エージェント」
少年――街の人々からテルリカと呼ばれている――は嘲るような笑みを浮かべた。
彼の言葉に応じるかのように、一陣の風が吹く。
それは在りし日の帰還を告げる声。忘却の彼方へ消え去った真実を呼び戻す鐘の音。
――そうして、彼らの『テルリカ』という水鏡を見つめる日々が、終わろうとしていた。
■目次■
序章『蟲の知らせ』&目次
【1】東トリスの酒場にいるテルリカを保護する
第1章『現身の空蝉』
【2】西トリスの教会で働くテルリカを保護する
第2章『虚しき虫養い』
【3】東トリスで放浪生活を送るテルリカを保護する
第3章『鳴けぬ蛍の』
終章『いつか来た道』