■ 祭りのはじまり
その日、内海に面した小さな漁村には大勢の人が集まっていた。
祭りの本番は夜。日の高い今、神美根神社と海岸をつなぐ緩やかな坂道に集う者のほとんどは屋台を出す香具師たちである。そしてその中には招待を受けて参加を決めたコントラクターたちも混じっていて、それぞれ割当てられた場所での準備に精を出していた。
空音 見透が準備しているのは、タピオカドリンクの屋台だ。地球ではやったように、ここパラミタでもはやっていた。最近ちょっと下火で落ち着いてきた感はあるが、まだまだ人気は高い。
「えーと。白桃ミルクにジャスミン、ベリーベリー。あと、ご老人向けの抹茶に緑茶、っと」
業務用ボトルを1本ずつ取り出して、間違いのないよう名前を確認しながら後ろの台に設置する。飾り用の生クリーム、紅茶ゼリー、カットフルーツは氷の入った発泡スチロールに入れていた。
「今日は結構暖かいからどうかと思ったけど、これなら大丈夫そうだな。――って、あれ? 烏龍茶がないぞ?」
ふと気付いてダンボールを覗き込んだが、やはりまぎれていない。
「確かに入れたと思ったんだが……」
そのとき、横から袋が差し出された。
袋の表には『烏龍茶』と書かれた紙が貼られている。
「よかったら使ってください」
手を追って視線を上げると、波柄の作務衣をまとったかわいらしい少女が立っていた。
見覚えがある気がする。確か、同じ蒼空学園の生徒だ。
「いいんですか?」
「余分に数を持ってきましたから」
「ありがとうございます。助かります」
「いいえ。お役に立てたなら良かったです」
礼を言う見透に控えめな微笑を浮かべて会釈を返すと、
月見里 迦耶ははす向かいにある自分の屋台へ戻って行った。
竜と波の絵が描かれた立て看板があり、同じ絵が描かれたのれんが揺れている。屋台の後ろには、少女と同じ波柄の作務衣姿のゴーレムがおとなしく座っていた。
(何を出すのかな)
ふとそんなことが頭をよきる。けれどすぐに準備の途中だったことを思い出し、それどころじゃないと慌ただしく動き始めたのだった。
また、別の場所では。
「相変わらず、涼介さんは料理については凝り性だよね」
『唐揚げ』と書かれた屋台のれんを背に、酒、しょうゆ、ニンニクと生姜を配合した液に大量の鶏モモ肉をつけ込むといった仕込みを行っている
本郷 涼介を見て、
クレア・ワイズマンが言う。
「そんなことはいいから。紙コップや爪楊枝の準備をしておいてくれ」
「はーい」
いそいそとダンボールへ向かうクレアに視線を向けたまま立ち上がり、手を拭いていると、神社の方角から大勢の人が道を下ってきた。空の神輿を担いだ男衆だ。
わいわいと祭りについて話しながら海岸へ向かう彼らを見送る。
「まさか、パラミタに来て日本風のお祭りに出会うなんて思わなかったなぁ」
パラミタには大勢の地球人たちが上がっていて、特に最初期の冒険者である者たちが各地に与えた影響は大きい。
この村に日本風のあれやこれやを持ち込んだのは、
シラギ翁だろう。
招待してくれたとはいえ、よそ者である自分に屋台を出す許可をくれたのだ、礼を失してはならないと、見回りに来た彼にお礼のあいさつをした涼介は、シラギが日本人であることを見抜いていた。
わずかに残った頭髪は白髪だし、濃い色の肌の下、目の色もよくわからないほど深いしわが何本も入ったクシャクシャの顔は、一見何人とも区別がつきかねたのは事実だが、よく観察しているうち、同じ日本人だと結論した。
(それにしても、あのお歳で冒険者とは)
杖をついて歩くシラギを思い出し、感心しつつ、涼介はダンボールの中身を確認しているクレアへと近づいた。
とにかく今は、祭りの準備だ。
男衆の上げる威勢のいい声は、祭りのために海岸に作られた控え室――といっても四方を布の壁で覆っただけだが――内にいる、
ダークロイド・ラビリンスたちの元にも届いていた。
(……あれは)
何を言っているかまではわからないが、歌を歌っているようにも聞こえると、ダークロイドが声のするほうを向く。
その動きに気付いて、彼女に着付けを行っていた婦人が説明をしてくれた。
「あなた方が乗る神輿を、海の水で清めているのですよ」
そうする意味や彼らが口ずさんでいる歌について話しながら、婦人は襦袢姿のダークロイドに白長着を着せていく。
ダークロイドは不明にして、これがどういう物か知らなかった。そもそもが竜神役という役柄自体、あまり興味を持っていない。パートナーの
スノウダスト・ラビリンスが、どうしてもと言い張って、ほぼ強制的にすることが決定したのだ。ダークロイド本人としては、神輿を担ぐほうこそしてみたかったのだが。
シュッと布の擦れる音がして、白帯が巻かれた。胸の下に圧迫感が生まれて少し息苦しくなったが、すぐ慣れた。
「さあこちらへどうぞ。お足元に気をつけてくださいね」
持ち上げられた布をくぐって外へ出ると、同じ格好をしたスノウダストがいた。
「ああ、ダークロ――」
彼女が出てくる気配に振り返ったスノウダストの表情がみるみるうちに曇る。
ダークロイド自身は何とも思わなかったけれども、スノウダストは完全にこの衣装が期待外れだったようだ。なにしろ、柄は刺繍一つ刺されていないのだ。生地に真珠のような光沢はあるが、それでも……。
「地味ですよね」
祭りの主役の竜神役だから期待していたのに。
同じ姿の自分よりも、ダークロイドの格好にがっかりした様子で失望のため息をつく。着付けてくれた村民たちには気付かれないように配慮したつもりだったが、しっかり聞こえていたらしい。
くすくすと笑って、
「それは禊ぎ用の装束です」
との声が後ろからかかった。
「なるほど! ではこれとは別に衣装があるのだな!」
得心がいった、という様子で大きく頷いたのはもう一人の竜神役、
鈴乃宮 燕馬である。
「やはり俺の考えは正しかった! まさかこんな白装束が竜神の衣装か? と少々案じる気もなくはなかったが、おそらくそうではなかろうと読んでいたのだ!」
さすが俺!!
顎に手を添え、してやったりの悪顔でクククと笑っている。
着替える前にも、
「ククク、この三千世界を統べる【十王】が一人、魔王エンマー!
こたびは御神楽環菜の代理として、伝統ある神事にて竜神の役を務めるべく参上仕った!」
と発言していたし、着替える間中、
「竜神、つまり神! 実にいい響きではないか、神!
この身は一介の魔王に過ぎぬが、崇めてくれるというなら神と呼ばれる事もやぶさかではない!」
と高笑っていたので、同部屋で着替えていたスノウダストやその着替えを手伝っていた男性は今さら驚くことはなかったが、尊敬する環菜校長のためにと祭りの様子――特に彼女が務めるはずだった竜神について、その一切を記録に残して持ち帰ろうとカメラで撮影していた
影野 陽太は少し違っていた。
彼女の代理名目で来ている以上、村民をとまどわせかねない高飛車な振る舞いは控えてほしい。
「そっ、それで、禊ぎというのはどこでどのように行うのだ?」
背後、カメラを構えた陽太から無言の圧を感じ取って、びくっと肩を震わせた燕馬は、こほっと空咳をして話題を変える。
「ああ、はい。
向こうの岩陰にご用意してありますので、そちらで海水に浸かって、全身を清めていただきます」
「海水に浸かるですって!?」
途端、スノウダストが驚声を発した。
「どうした。今日の気温はそんなに低くはない。水温も大丈夫そうだぞ」
海に入り、バシャバシャ神輿に海水をかけている男衆を視線で指しながら言うダークロイドに、スノウダストは「そうじゃなくて」と言うように首を振った。
ダークロイドはスノウダストと同じ白長着姿だ。つまりは下に付けているのは肌襦袢だけというのも同じ。
(濡れたら肌が透けるかもしれないじゃないですか……!)
いや、透けなくてもこんな薄衣、肌にぴたりと貼りついて、体の線が露わになってしまう!
想像するだけでとても扇情的なのがわかる。
そんなダークロイドの姿を人目にさらしてしまうのは危険すぎるというもの。
(そんなことは絶対に駄目です。僕が守らないと……)
とりあえず。
「カメラは止めてください! もしくは、ここから先に進まないこと!」
まだそのことに気付いていない様子の陽太にビシッと指を突きつけて指示を飛ばす。
「そうだ、神輿のほうを撮ってください!」
「? 先に行くぞ、スノウ」
やる気に満ちあふれた燕馬を先頭に世話役たちが動いたのを見て、ダークロイドも岩陰に向かって歩き出す。
「あ、待ってください、ダークロ」
スノウダストは少しあたふたしつつ、彼女の後を追って行った。