第1章 狂気の深淵
「みちゅー!! 未宙は先行して探索するのです!!」
鬱そのものと化した神殿の、さらにどす黒い狂気に塗り固められた地下へと続く階段を、嬌声をあげながら駆け降りてゆく、探索という名の妄執にとりつかれた少女がいた。
半月 未宙であった。
未宙は、何が楽しいのか、唇の端にうっすらと笑みを浮かべてさえいる。
お宝をみつけるにせよ、何にせよ、先行して成し遂げられるのでなければ、意味はない。
そんなひたむきさが、未宙の様子からはうかがえた。
「わー、未宙ちゃん、ちょっと待って欲しいです!! 私を置いてかないで欲しいです!!」
叫びながら未宙を追って夢中で階段を駆け降りていくのは、
空燕 みあだった。
みあの存在になどお構いなしに、ひたすら先行していく未宙である。
「未宙ちゃん、気をつけて欲しいです!! 何が出るかわからないですよ?」
多少の理性を期待して必死に呼びかけるみあの想いが通じたのか、未宙は一瞬だけ、背後の随伴者を振り返った。
「みちゅ?」
首を傾げて、みあを不思議そうにみつめる未宙だが、次の瞬間には、再び先へ先へと走り始めていた。
「はあはあ。ま、待って下さい!!」
みあは、慌てて未宙の追跡を再開した。
「ずいぶん深い闇だな。慎重にいかないと、この地獄行の終点に待ち受けているかもしれない悪意そのものみたいなものに、食い殺されちまうかもしれないぜ。なあ、お前たち?」
未宙たちの少し後から地下を探索している
柊 恭也は、そうフェローたちに呼びかけた。
無言のままうなずく、
“ネクロノミコン”、
カリギュラ、
スマッシャーの3体。
そのとき。
「地下の探索ですか。それなら、僕もともに行きましょう。何しろ、こんなに深い闇は、用心しないとろくなことがありませんから」
エンジュ・レーヴェンハイムが現れ、凛とした声でいった。
ろくなことがありませんから、ろくなことがありませんから。
エンジュの高い響きを持つ声が、地下の暗がりの中に反響する。
「何だ、歌手か? こんなところでコンサートを頼んだつもりはないぜ。俺たちが危なっかしいから、手伝うと?」
「はい。この地下の探索が、一番危険を伴うと思ったので、その危険を減らすことができればと。それに、この地下には、神殿の正体を知る手がかりもあると助言されました」
そういって、エンジュは、背後に控える
ライブラリアンを指して、いった。
無言のまま、一礼するライブラリアン。
「ところで、その右腕はどうしましたか?」
エンジュは尋ねた。
「なに、たいしたことじゃない。俺は戦場にいたんだ。いっとくけど、これはハンデにならないぜ」
恭也は、機械仕掛けの義手を後ろに向かって振りながら、いった。
「みちゅ? うごめく音が聞こえるのです」
どのくらい深くまで降りていったのか、自分自身でもわからないところで、未宙は足を止めた。
「あれれ? 未宙ちゃん、どうしたんですか?」
未宙の後から必死で駆けてきたみあは、立ち止まった未宙の背中に顔をぶつけて、目をぱちくりさせた。
みしっ、みしっ
ぶよぶよ、ぶよぶよぶよ
かすかではあるが、重量のあるものがゆっくりと移動してくる気配が、確かに伝わってきていた。
「未宙ちゃん、相手の動きは鈍いようです。光学迷彩や隠れ身で、身を隠しながら行きましょう」
みあの言葉に、未宙はうなずいた。
だが。
「ああ、ダメですね。先へ進めば進むほど、異様な敵が大量にひしめいているのを感じます。どうやら、闘いながら突っ切っていくしかなさそうです」
みあは、巨大な壁のように立ち塞がってきている敵の塊のようなものを前方に感じ、嘆息していった。
「ですです! のろい相手ですから、スピードで出し抜けでしょう」
未宙はうなずいて、みあとともに疾走した。
すると。
ぐしゃ。
ねばねばしたものを踏んづけてしまった。
「わ、わあ!! 何ですかこれ? 気持ち悪いですー!!」
暗闇の中に、みあの悲鳴が不気味にとどろいた。
「うーん、これは、スライムのようなものでしょうか。粘液質で、不定形の、うごめくものですね。銃弾を浴びても平気なんだとわかりましたよ」
未宙は、みあを促して走った。
「きゃあああああああ」
みあは足首を粘液に絡みとられ、そのうごめく意志を持つものがふいに示した力強い動きによって、転倒させられてしまった。
ぐしゃぐしゃ。
頭から粘液に覆われてしまうみあ。
「わ、わあ、き、気持ち悪すぎる!!」
粘液質の敵の身体に飲み込まれそうになる恐怖から、みあは必死でもがいて、攻撃を繰り出したが、放った拳は、かえって粘液に絡めとられてしまった。
「みあちゃん!! よーし、みちゅーーーーーーー!!」
気合とともに、未宙は、すさまじいねこぱんちを、みあを襲う敵に向けて放った。
ぱーん
破裂音のような音とともに、みあを覆う粘液が砕けて、飛び散っていった。
ねこぱんちの衝撃というより、未宙の気合に敵が恐れをなしたようにも思える瞬間であった。
「す、すごいです、未宙ちゃん!!」
未宙の手を借りて何とか起き上がったみあが、荒い息をつきながらいった。
「何か、出てきたようだな」
未宙たちの後を慎重に進んでいた恭也も、不気味な敵の襲来に気づいたようだった。
「粘液質で、不定形の、スライムのような魔物がくるみたいですね。触手のついた、ローパーのようなものも混ざっているようです。だいぶ数が多いので、ちょっと面倒ですね。やれやれ」
エンジュがいった。
「蹴散らして、突っ切るか」
恭也の言葉に、エンジュはうなずくと、スナイパーライフルの銃口を、うごめく敵どもに向けた。
ドゴーン
ライフルの弾丸が、ぶよぶよとした敵が合体して形成されている、巨大なこんにゃくのような汚れた塊に撃ち込まれた。
ぶるぶるぶる
どかーん
弾丸を撃ち込まれたその塊は、いっとき不気味な震動を示したかと思うと、次の瞬間にはバラバラに砕け
散っていた。
「さあ、この隙に行きましょう。困ったことに、このような相手は、砕け散ってもすぐに合体してもとに戻ってしまうんですよね」
エンジュは落ち着いた口調でそういうと、小走りで進み始めた。
「お、おう。いまの、ただの銃撃だけではああならないよな? 何か術も使っただろ?」
促された恭也は、慌ててエンジュの後を追いながら、尋ねた。
「さあ。どうでしょうか。企業秘密みたいなものですから」
エンジュは、不敵な笑いを浮かべて、そういった。
「うわっ」
恭也は、悲鳴をあげた。
通路の両側に壁のように盛り上がっていた粘液の塊が、触手を伸ばして、恭也たちに襲いかかってきたのである。
ダダダダダ
恭也は重火器を乱射したが、弾丸は、ぶよぶよとした相手の肉体に飲み込まれるだけだった。
壁のように盛り上がった塊であるその相手は、攻撃にひるむ様子もなく、恭也に襲いかかってくる。
「ほら、応援頼むぜ」
恭也の指示で、カリギュラとスマッシャーが粘液質の敵にタックルをくらわせ、勢いを鈍らせた。
「すごい数、いや、量の敵だ。無事に地上に戻れるか怪しくなってきたぜ」
恭也の額に、汗がにじんでいた。