三千界のアバター

路地裏のコーヒーハウス

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路地裏のコーヒーハウス
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序章:愁いの日々に射す、光の兆し

「……それじゃあ私、買出しに行ってくるわね。何かついでに買うものはある?」

 調理場で洗い物を終えた妻が、エプロンを外しながら主人の方へと歩いていく。

「ああ、これと、それから――……これ、頼めるかい?」

 妻が分かりやすいようにと書き出したメモを手渡し、主人は微笑む。

「わかった、行ってくるわ」

 妻は受け取ったメモに目を通しながら、買い物用のバスケットを手に取る。
 音楽の流れる店内に、今は夫婦以外は誰もいない。
 昼を過ぎて客足が落ち着いたからと言えば聞こえは良いが……。
 マフィアの来訪があって以来、客足は目に見えて減っていた。
 妻は主人を、主人は妻を。
 互いが互いを気遣い努めて明るく振舞おうとしてきた結果、
それが逆にどこかギスギスとした空気を生んでしまっていた。
 あれから、マフィアは顔を出してはいない。
 だが、かえってそれが夫婦の気持ちに焦りと恐怖を広げていく。

 ――これから、2人で作り上げていこう――

 このコーヒーハウスを開店する際、夫婦はそう誓い合った。
 千客万来とは成らずとも、穏やかに年月を重ねていけたら……。
 ささやかな願いを胸に重ねてきた歳月が、ガラガラと音を立てて崩れてから数週間。
 提示された期限は間近に迫っていた。

「じゃあ行ってきますね」

「ん? あ、ああ、気をつけて……な」

 聞こえてきた妻の声に、主人は意識を過去から店内へと戻す。
 すると妻は、既に入り口のドアを開けて手を振っているところだった。
 それに軽く微笑みながら、主人は手を振りかえす。
 閉じられたドアのベルの音が段々と小さくなり、妻の足音も遠ざかる。
 それを見計らうと、主人は静かに溜息をついた。



「……はぁ……」

 一方、買出しに出かけた妻も浮かない表情で溜息をついていた。
 立ち寄る馴染みの店で人に会う度、作り笑いと他愛も無い会話を重ねる度、
比例して心が暗く沈んでいくのが自分でもはっきりと分かる。
 明るく、年相応ではあるがとても美しい妻の顔は見るからにやつれ、悲壮感が漂っている。
 そんな彼女を見る周囲の人々も、心の奥では心配を募らせていた。
 かといって相手はマフィアだ。一般市民がおいそれと立ち向かって簡単に勝てる相手ではない。
 返せと言われている金額も、皆が寄せ集めたとしても到底足りない。
 夫婦も周囲の人々も、無力さを噛み締めながら刻々と近付く期限を待つしかなかった。

 そんな路地裏のコーヒーハウスに光を射すべく、複数の人物が動き始めていることを、
夫婦も周囲の人々も、まだ知らない――。

**********

一章:各々、進軍を開始せよ

「ふんふん、なるほどね。ありがと!!」

 路地裏から一歩出て、人が行き交う通りの隅で白鳥沢 しぐね
通行人と何やら話をしている。
望む成果を引き出せたのか、しぐねは話を終えると、少し離れた場所で待機していた
ジャーナリストノラ・マタタビマスターのもとへと小走りに近付く。

「で、どうだったにゃ?」

 ノラが自慢のアフロを整えながら尋ねる。

「バッチリだよ。さー、さっさと行こう!!」

 グッと親指を立てながら、しぐねは頷く。
 そんな彼女が片手に下げている袋からは水風船が2つ、チラチラと覗いていた。
 それが気になるノラとジャーナリストだが、しぐねに『秘密だよ~』と
笑顔でかわされてしまい、それ以上の追求が出来ない。 
 あの水風船は一体何なのか……。その秘密は、この後明らかにされる事になる。



 煙草とアルコールの匂いが辺りに立ち込める、とある路地の奥の奥。
 錆びが浮かぶ鉄のドアの前には柄の悪い男達が数人、談笑しながら立っていた。
 所謂、アジトの見張り番なのだろう。彼等は時折周囲を警戒しながら、
仲間と品の無い笑い声を上げている。
 その見張りがいるドアから離れた建物の裏手付近に、クロウ・クルーナッハの姿があった。
 クロウはアジトに隣接している廃屋の中に身を潜め、突入の機会を窺っている。
 表よりは警戒が薄いものの、全くのゼロではない。
 時折出入りする関係者もおり、ドアからの進入は穏やかとはいきそうにない。

「……さて、どうしたものか」

 クロウは、思案に暮れる。
 ここへと向かう前に夫婦のコーヒーハウスでコーヒーを一杯飲んできたクロウは、
舌に残るその味を感じながら、裏口を再び注視する。

「ん……?」

 丁度、裏口からゴミ袋を持って1人の男が出て来るのが見えた。
 その男はアジトの角を曲がり、手に持ったゴミ袋を捨てている。
 何のこと無い光景に視線を戻そうとしたクロウだが、男がゴミを捨てた場所で視線が止まった。
 そこには蓋付きの大きな丸いゴミ箱があり、丁度その上には小窓が1つ。
 窓は引き戸になっているようで、大人1人が漸く通れそうな程の大きさだ。

「漂ってくる匂いからして厨房が何かか……? ふむ」

 クロウは何かを考え付いたのか、もたれていた柱から背中を離す。

「コーヒーライフの為にも、あまり手段を選んではいられんな」

 そう言いながらクロウは、男がアジト内へ戻っていったのを確認すると、
 慎重に廃屋を離れてその小窓へと近付いていった――。


「あー、腹減ったなぁ」
「うるせぇ。余計に腹が減るから黙ってろ」
「だってよぉ~」

 表の入り口には、退屈な見張りに辟易している様子の男達が数人。
 下っ端の彼らは食事も後回しなのだろうか、腹が減ったと愚痴をこぼしながら1人が座り込んでいる。

「何か今なら行けそうな気がするにゃ。そっちの準備はどうだにゃ?」
「んー……っと、もうちょっ……と」

 路肩に駐車した車の中からアジトのある路地を覗き込みつつ、
しぐね達は何やらコソコソと手を動かしていた。
 人通りに背を向けて胸元をしきりに気にするしぐねの横で、
持参したフィッシュバーガーの匂いに鼻をひくつかせながら、ノラが
『これは食べられないんだったにゃ』と首を横に振っている。

「よしっ、出来たよー」
「お。漸くかにゃ? さぁ突撃……にゃ?」

 フィッシュバーガーの入ったカゴを持つしぐねを見上げ、ノラの視線がある一点に注がれる。

「……な、何?」
「何って……しぐね……それ」
「何だよー」
「バ……バインバインにゃ」

 ノラの視線を追うと、そこには在るはずの無い豊満な胸。
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