理性と本能の狭間2
「拙いかもね……」
狐の尾を揺らし、巫女装束の少女
八上 ひかりが呟く。
ひかりは今、禍断霊壁でパートナーの
川原 亜衣と
八上 麻衣、そして亜衣が治療している隊士たちを匿う結界を張ったところだ。その懐には二体の身代藁人形を預かっている。
後方支援なら任せて頂戴! とばかりにバックアップに励む彼女たちのいるところまでは、宿儺の瘴気は及んでいない。
宿儺の巨体を取り囲み、果敢に戦う隊士たちの姿もあって、被害が及ぶとしても弓矢によるものくらいだ。
お陰でひかりと亜衣を護衛する役回りの麻衣も、薙刀を手に固唾を呑んで戦いの行方を見守る形になっている。
油断せぬ心構えの許に、いつこちらに余波が及んでも、すぐ動けるように。
その側には、亜衣が大神の護符で呼び出した狼も控えていた。
「助かったぜ! あの瘴気ばかりはどうにもできねぇな」
治癒を受けた隊士のうちのひとり、豪の礼に頷くも、ひかりは真顔のまま。
今しがたの彼女の呟きは、戦況を見てのことだった。
宿儺自身はただ純粋に武芸に優れたマガカミのようで、それでも回避を重視した隊士たちによって直接受けるダメージは一撃が重いとはいえまだ予想を超えてはいない。
しかし、やはり厄介なのはその身が纏う不浄の霊力だった。
誰もが自分たちのように備えをしておける訳でもないだろうが、そうでなければ近寄っただけで猛毒に蝕まれる。
戦い続けていくうちに本能に飲まれつつある宿儺は、その分思考能力や判断力も落ちていくだろうと見られるが、裏腹に奮われる力は増大していく。
危うい均衡の上に立たされているのだと感じて、ひかりと亜衣は視線を交わす。
「それでも、今やるべきことをしていくしかないわね」
亜衣は小転輪蔵を掲げ、毒気にしばらく侵されて後退してきた隊士たちに気吹を吹き込み、癒していく。
「咲きなさい、紅蓮一片。鏡月剣・曼殊沙華!」
双乃身で主に脚力と斬撃の力を強化した
焔生 たまは、赤い刀身を持つ霊刀の刃を炎に変えて宿儺に斬り掛かる。
彼女の霊力は、獅子の姿を取っていた。
炎によって傷つけられた宿儺の皮膚はしかし、纏う瘴気によってじわりと癒えていく。
嘆息したたまは、共に戦っている
鹿島 佐士の隣に並び立った。
「鹿島君、大丈夫ですか?」
「ああ、俺は問題ない」
たまに目を向け答えながらも、佐士の視線は自ら手にした刀に落ちる。
それは、子ノ三班が立花邸に赴く前に楓から託された天下六霊槍、火明。
楓曰く佐士なら使いこなせるという話だったのだが――
「俺はまだ、こいつの力を引き出しきれていない」
と言いながらも、佐士の雰囲気はやはり以前とは違う。
「私もまだまだ極めたとは言い切れませんが……鹿島君も審神者としての力を掴み掛けているのでしょうか」
火明は一織の妖刀。
ならば、その効果を存分に発揮するには神通者の起源たる審神者の力が必要なのかも知れない。
そして未だ明かされないその力とは。
宿儺へと駆ける佐士と共に、たまは紅蓮の刃を複製して空中に投射し、彼の攻撃に合わせて放つ。
佐士の一撃は滑るように動いた宿儺の足には浅く当たっただけだったが、そこに漂う気の流れが変わったようだった。
火明の刃に、瘴気が吸い寄せられたような。
それを見た
詩穂の脳裏にピンとくるものがあった。
宿儺の纏う不浄の霊力を削ぐことに尽力していた彼女だったからこそ、思い当たったのだろう。
「詩穂も審神者なの。佐士ちゃんが火明を使いこなせるように、手伝わせて!」
【帝都華撃団】の面々は、【金蓮花】と協力体制で宿儺の足元を崩そうと奮戦していた。
しかし、隊士たちの術によりある程度緩慢になっているとはいえ、宿儺の四つ足の足捌きは思ったほど死角を生まず、纏う瘴気によって傷も癒えていってしまうためになかなか転倒させることが出来ずにいる。
戦いは大方の予想通り長引き、猛毒が隊士たちを苦しめていく。
そして、あえなく痛撃を食らった者が一人、また一人と倒れ、前線から助け出される。
後方に運ばれる隊士と入れ替わりに、袖に入った金糸がさながら血脈のような模様が浮かぶ羽織を纏った
ロウレス・ストレガが紅く輝く妖刀を複製し、中空に投射し放つ。
天女の羽衣の如き布を身に着けて浮遊し、ロウレスの得物の強化や、舞で清浄な霊力を周囲に広めたり輝麗錫杖を振るって癒しを撒いたりと支援に務める
ヨビ・オットーネの姿は、一見誰の目にも映らない。
隠蓑笠で身を隠しているからだ。
「こちらの手数を奪われるより先に決着をつける……!」
ロウレスの霊子噴進靴が霊力を噴出すると共に、ヨビは霊力による卒塔婆状の棒を作り出した。
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ♪ ……なぁんてな?」
空中に八方から突き立てられる卒塔婆を、宿儺の足が踏み砕く。
八条打ちで閉じ込めることは出来なかったが、八乙女舞でやや動きの鈍くなっている宿儺へと距離を詰め、雷を纏わせたロウレスの篝火が叩き込まれた。
雷光閃の反動がくるまでにどれほどの手数を与えることが出来るか――ロウレスは得物の柄を握り直し、構えを取る。
「この大一番、なんとか乗り切らないとね」
天戸の祭矛を手に、【豆柴班】の
紫月 幸人はいつでも溌呼を発動できるように宿儺の動きを見ていた。
一応、五星流の胡蝶の型で霊力に干渉しようとしてはみたものの、まだ理性の残っている宿儺は惑わされなかった。
幸人の支援を受け、戦闘を続ける
朝霧 垂は装備と羅刹の技を駆使して宿儺に立ち向かっていく。
さながら、彼女自身が暴走を前提とした修羅の如く。
(宿儺に理性があるから皆の攻撃を上手く対処されちまうんだ、なら闘争本能を刺激しまくって理性のないマガカミにしてやるぜ!)
体力が癒えていく童子酒を呷り、攻撃と共に回復も兼ねた技を持つとはいえ、それはもはや捨て身の作戦とも言えた。
「おおおおおっ!」
咆哮にも似た叫びに、宿儺が目を留める。その赤い眼には抑えきれない凶暴性が滲み出ているようだった。
本能に引きずられまいと彼自身は抗っているのだろうが、まるで最後の一線は近いと示しているかのように。
「ぐっ、おおおああぁ!」
「おっと、垂ちゃん!」
先に見境がなくなり始めた垂に気付き、幸人は祭矛で彼女をつつく。
「ッ……うぅっ……」
はっと目を見開いた後、漲っていた気力が抜けたようになった垂を背負う幸人。
「……でも、宿儺君ももう余裕がないんじゃないかな」
ちらりと巨体を見遣りながら、彼は退避した。
狙っていた者たちにとっては、ようやくと言うべきか。
宿儺に残った理性は、もはや風前の灯火のようだった。
『グル、グルオオオオォ!』
獣のような咆哮が空気を、地を轟かせる。
いくら頭二つ分の思考が出来たとしても、優れた武芸を持っていても、理性を失えばただ暴れ回るだけ。
その分一撃の威力はより強大となる諸刃の剣ではあったが、考える頭のある相手よりは対処し易くなるだろう。
「……! こういうことか!」
その時、たまたちの手助けによって『もう一歩』のところを踏み出した佐士が火明を大きく振るった。
すると、宿儺の纏っていた不浄の霊力がみるみるうちに妖刀に吸い込まれ、その刃に眩いばかりの炎が灯る。
「穢れを喰らい、浄化の炎を灯したのじゃな」
「これが、坂上の奮った力……!」
顎を撫でる楓の言葉に、たまは火明を見詰め呟く。
火明は瘴気を喰らい続ける。
「これなら宿儺の纏う霊力を奪い続けられる!」
笑みを浮かべた詩穂が、ほっと胸を撫で下ろした。
「あの霊力、姿は……」
楓が目を見開いた。たまと詩穂の目にも、佐士に霊力が重なり、その姿が変化していくのが見えた。
「佐士よ、お主に受け継がれておったのじゃな。坂上の血が」