■2-1.朝陽と焔
まるで矢弾の如く降り続ける雨の中、燃え尽きることなくむしろその雨を蒸気へ変える巨大な炎。現実感を失うようなその光景の中、炎が撚り集まるようにして二振りの刃を形成されていた。
「見てくれは悪いが……こんなもんか」
刃を一度揮えば泥濘んでいたはずの地面が爆発めいた音とともに融解する。炎の塊――炎のマガカミたる焔はその手応えに納得するように首を回すように炎が揺らめかせた。
「さあやろうぜ。お互い楽しもうじゃねえか」
傷を負い本来の姿を晒し、そして修祓隊に取り囲まれてなお焔は“ごうごう”と笑う。そんな燃え盛る感情を受け止めながらも、
水瀬 茜は籠手をはめ直してから冷静に深呼吸を繰り返した。そうして抜き放った大太刀の切っ先がぴんと張り詰めた剣気を放てば、焔もまたそれに応えるように構えてみせる。かつての姿を失ってなお焔が拘るのは一織流――否、緋影流のそれ。彼は炎という無形の存在でありながらも血刀士としての戦いに拘っているようだった。
「三井流中伝、水瀬 茜……行くよ!」
だからこそ正面から挑む茜に対して焔も一気に大地を蹴った。激しい炎を吹き散らしながら加速する焔は一刀一足以上の距離を瞬きの間に詰めてみせる。
「! ……っぐう!」
反応仕切ることができなかった茜はそれでも、大太刀の刃先を突き出し炎刃と交錯させる。近づくだけで灼けるような熱さが茜を襲うが、それでも仲間のために返す刀で風と刃による一撃を滑らせる。
衝撃波を伴う一撃は焔そのものを揺るがしかねない。だが火の勢いも弱まっていない彼にとってはまだまだ涼しい風にも等しい。一方、たった一合の切り合いでその強さを実感した茜は大きく息を吐いた。
「杏樹ちゃんと麻衣ちゃん……ふたりの援護がなかったら、これだけで吹き飛んでたかも」
茜の遥か後方から援護に努めている
各務原 麻衣による支援は茜に加速の加護を与えている。だからこそ焔の一撃に反応できたのだ。
「次も来るわよ!」
「はッ! 当然だよなあ――!」
麻衣の声と同時に焔は更に身体を縮めて力を溜める。ぐるりと身体を捻れば次に放たれるのはニ刀の剣舞か。しかし焔の身体が伸び切るよりも先に彼の足元へと矢が突き立った。
「チッ!」
「悪いね。仲間をやらせるわけにはいかないんだ……!」
裾縫を構えた
壬生 杏樹の一矢は焔の影を縫い止める。あっという間にその矢ごと込められた霊力を引きちぎる焔であるが、その一瞬が茜の明暗を分ける結果となる。
「多少なりとも抵抗はさせてもらうわよ」
攻防の速度は焔の方が上回っている。だが杏樹と麻衣の二人が援護に徹することによってかろうじてこれに食らいつく。熱波に煽られながらも直撃を避ける茜を囮に麻衣はまわりの隊士たちへの支援を進めていく。
「ついでにあなたの仲間の術……利用させてもらうわ!」
「仲間? ハッ! くだらねえ……!」
加えて麻衣は流水の印で、あえて荒天の術を利用する形を取った。滝の如きその勢いを一気に集中されれば、いかに焔といえどもその動きは制限される。
「とはいっても九厄の霊力は翠玉水干じゃちょっと荷が重いか……!」
茜が一分一秒でも多くの時間を稼げれば、それだけ仲間の支援へと回すことができる。霊力を確保するために焔の周囲を漂う霊力を取り込もうとした麻衣だが、急速に体力を失っていくのを実感する。流水の印を維持するにせよ仲間を支援するにせよ、限界は思っていたよりも早く訪れそうであった。
一方で、
「焔はこれが囮であることを見抜いている、か?」
杏樹は注意深く焔を観察していた。杏樹の妨害、茜の粘り強さ。それらを勘案したとしても十分茜を突破しうるほどの勢いを焔は有している。しかし彼が後衛へ攻撃を仕掛けるのはあくまで“ついで”。茜を攻撃するほどの積極さをもって自分が狙われたことはない。
「舐められているわけではないだろうが……この程度なら私も捌ききれるというものだ」
剣閃の如く放たれる火柱を音の結界によってしのぎながら消耗を減らし、杏樹は絶えず位置取りを変えていく。麻衣を攻撃に巻き込まないことは重要であるし、位置によっては茜とともに攻撃されることもある。
いざとなれば茜や他の隊士たちを守るために前に出る必要もあるだろう。だが、それも不要だと言わんばかりに焔へと踏み出したものがいた。
「ありがと、茜ちゃん! 後は私たちが引き受けるからひとまず身体を癒やして!」
「! ……ごめん、ありがとう!」
茜と入れ違うようにして愛刀……蒼穹刀《雪柳》を構えたのは
美空 蒼。彼女はまっすぐに焔の顔にあたるだろう場所を見据えつつ対峙する。
「ねえ……焔! あなたは朝陽くんなんでしょ!?」
「……何?」
そして彼女に並び立つようにした
千波 焔村丸も、焔の所作を鋭く睨めつけながら言葉を投げかける。
「どうした、『焔』? 朝陽ごっこはやめたと言いながら、緋影流とやらは手放せないのか?」
そんな挑発めいた言葉も焔村丸なりに焔の正体を考え続けてきたから出たものだ。
「お前は只のマガカミにしては、朱音師範に執着しすぎているな。言動もやたらと人間臭い」
「そうだよ! わたしバカだから……マガカミのことはよくわかんないし、事情もよくわからないけど! ただのマガカミが……朱音ちゃんのことをあんなに気にするはずない!」
二人はそう声を上げながら焔と刃をぶつけ合わせる。そのまっすぐな想いはそのまま太刀筋へと反映され力強い一撃へと変わる。
「俺が朝陽だと? ……はんッ」
焔を打ち倒すのではなく焔を仮面と仮定しそれを討ち祓うという意志、それを感じ取ったのか焔は声を荒げて刃を払う。言葉で否定する焔ではあるが、二人はそれでも彼が朝陽であると信じていた。
だが、焔は鼻で笑う。
「このまま『焔』として朱音師範に滅ぼされるつもりか? 例えお前がそれで良くとも、あの人は一生悔やむだろうな」
一瞬視線を交錯させた二人はそのまま一歩飛び退り機を計る。
「ちゃんと、お姉ちゃんと向き合ってよ、『朝陽くん』!!」
「いい加減、”焔ごっこ”はやめるんだな、『朝陽』!!」
そのまま流れるように二人が放ったのは息を合わせた同時攻撃。渾身の霊力を込め繰り出されたそれは炎刃に食い込み切り裂いた。
「お、前ら……ッ!」
しかし、そこから絡め取るように二人を弾き飛ばした焔は追撃とばかりに炎を撒き散らす。熱波に巻かれた二人がたたらを踏み押し込まれそうになったところで、これを押し返すように
一・アサギリが立ちはだかった。
「我にも問わせてもらおうか」
「一くん!」
「チッ……次から次へと!」
二人を杏樹たちのもとへと送り出した一はそのまま離れた距離を維持しながら遠間からの攻撃を繰り返す。明らかに焔は苛立っている。そうして焦れた瞬間を狙い、一は一気にその距離を詰めた。
「考えたことなんてねぇな。だが、コイツ――朝陽の無念が俺に意思を与えたんだろう」
「無念?」
「ああ。俺に喰われて死ぬ。だが、緋影流は途絶えさせたくねぇ。せめて、誰かに……本当にそう思ってたかは知らん。だがよ」
焔の口――顔の炎が裂け、笑みのようなものが浮かぶ。
「俺の本能が叫ぶんだよ。この力で全てを焼き尽くせ……ってなァ!!」
焔による横一閃。一はこれを霊子時計による加速によって潜り込み全霊の一撃を叩き込む。
「ならばなぜ、“技”にこだわる?」
「簡単だ。面白くねぇんだよ。力だけでねじ伏せるのは“能無し”のすることだ。俺ァこれでもてめぇらのこと、買ってんだぜ。だから同じ土俵に立って、どこまでいけるか試したくなったんだ」
続く一の連撃を受け止めきれず、今度たたらを踏んだのは焔の方だ。激しい冷気が炎とぶつかりあうことで騒がしく音を立て、ひび割れた土が埃を巻き上げた。
「人は俺らに勝てねぇ。“技”を磨こうと、俺はその上をいく。自身に満ちた神通者が絶望の顔になって死ぬのを見るのは実にたまらねぇ」
――予想は外れたが、しかし焔はただ負の想念だけに支配された存在ではない、か。
「ならば……その邪な心を……斬る!」
「はッ! やってみろ!」
修祓隊士たちが焔と丁々発止とやり合う中で零号歩行砲から横槍が入ることがないのは、一重に
アイリス・シェフィールドらがそれらを食い止めているからだ。
「霊子兵装はアイリスたちが食い止めてみせマス、みんなは焔を倒してクダサイ。……朱音師範も、ヨロシクおねがいしマス!」
「うん、みんなのために……全力を尽くすよ!」
彼女の後を追うようにして駆ける朱音が炎を放ち零号歩行砲の視界を塞ぐ中、アイリスはそれを飛び越えるようにして上空から攻撃を仕掛けていく。
「くっ……今デス!」
「……朱音様とともに愛の道を往きましょう!」
零号歩行砲の対空砲火がアイリスを打ち据えるが、その隙に
ヴェリーヌス・マキュラが朱音とともに焔へ向かって飛び込んでいく。当然、朱音たちが焔へと飛び込んでいくならばその名に恥じぬ巨大な主砲を向けるだろう。
しかし、
「あいにくとお前の相手はアイリスだけではない!」
一瞬周囲の景色が暗くなるや、零号歩行砲の感覚素子を焼くように閃光が走った。大猿を駆る
ミカファール・アルモニー、彼女が結んだ天道の印は零号歩行砲の照準を確実に遅らせたのだ。
「ルー! 今だ!」
大猿を操り他の零号歩行砲を牽制しながら、ミカファールは仲間へと号令を飛ばす。
「了ー解っ♪」
直後、歩行砲が攻撃を行なうよりも早く轟音とともにその目の前の大地が隆起した。砲撃は岩壁によって防がれ、大地を割った
ルーテンシア・ウォンはその勢いのまま脚の下部から霊子を噴出して飛び上がる。
「さあ、この一撃にひれ伏せ……!」
それに合わせてミカファールの放った霊力は巨大な半球となり零号歩行砲を捉えてみせる。強力な重力場となったそれはその動きを大きく鈍らせるとともに、
「霊子噴進……金砕拳っ!」
上空から落下するルーテンシアは烈閃籠手による霊子噴進と超重力による二重の加速を得ながら零号歩行砲を直上から殴打する。アイリスからすでに傷を負わせられていた零号歩行砲は、度重なる重打撃にたまらず脚を折る。擱座とまではいかないが、その動きを大きく止めることに成功したのであった。
明後日の方向へと放たれた砲撃などどこ吹く風と、ヴェリーヌスたちは焔のもとへと駆け抜ける。
「さあ……参りますわよ!」
「小賢しい……っ!」
ただでさえ一らの攻撃を捌き続けている焔のことだ。彼女と朱音による同時攻撃はいくらマガカミの焔といえども捌き切ることはできない。攻撃も精彩に欠け、ヴェリーヌスに攻撃を捌かれる。
「なら……こいつで!」
焔は状況を打破するためか、一気にその腕を引く。一織流伍ノ型・緋灼――恐らくその変形、
――待っていましたわ、その一撃を!
一織流を知るヴェリーヌスであるからこそその攻防の組み立ても理解している。焔の放つ一撃を彼女はその刺突を全力の霊力で相殺しつつ一挙に攻めへと転じる。
「我がすべての力……我が絶技……我が愛! 今、見せますわ!」
「愛だとぉ……ッ!」
「朝陽の身体を解放してもらうよッ!」
身体を捩り炎を集中させてそれを防ごうとする焔だが、ヴェリーヌスの引力、朱音の牽制の二つによって直撃を免れることはできなかった。
「ちッ! この俺が一撃をもらっちまっただと!?」
己が身体を構成する炎を揺らがせた焔は、人型を一瞬辞めることで炎嵐と変わり隊士たちから距離を取る。舌打ちの如き火の爆ぜる音とともに、焔は態勢を立て直す。
同時に焔や修祓隊は一つのことに気づいた。あれだけ自分たちを打ち据えていた雨がぱたりとやんでいたのだ。豪雨降りしきる空は陽の光すら射し始めていた。雨によって泥濘んだ地面は焔という激しい熱に晒され、濛々と籠もった蒸気を放出しつづけていた。
「はッ、湊のヤツは倒れたかよ。お陰で鬱陶しい雨は無くなったがな」
荒天の術が消え去ったという事実は焔が状況を理解するには十分なもの。いずれ別働隊によって枢もまた倒されるのではないか――そんな懸念すら彼は抱いていた。
「まあいいさ……どの道俺ぁあんなオモチャになんざ期待してねぇ。正面からの殴り合いの方が性に合ってる。だろ?」
焔が態勢を整える中で、修祓隊の面々もまたひとまず大きく休息を入れていた。これを機に修祓隊士に霊力を分け与えていた三野 美那子は、焔の問いに大きく肩をすくませた。
「そんなのミナに聞かれてもわかんないけどー。でも、みんなは負けないって信じてるから!」
ミナの力強い言葉。お互い態勢を整え終わり、焔は一帯を薙ぎ払うように炎を散らす。
「お前らを甘く見てたぜ……俺の拘りだけで宿儺の旦那に土をつけるわけにゃあいかねえよなぁ……」
大地を舐めるように踊る炎は、まるで焔のため息のようだった。焔はその両手を伸ばすようにして幾つもの鬼火を生み出すと、改めて炎刃を構え直した。
「ここから本気ってわけ!」
「ああ。おもちゃだろうがなんだろうが……全部使ってぶっ潰してやらァ……!」
損傷した零号歩行砲が再起動し、それを守るように鬼火がぐるぐると燃え盛る。大きな打撃を与えたはずとはいえまだまだ余裕を残す焔を相手に、隊士たちは一層気を引き締めるのであった。