イデオロギーの剣(2)
――彼らの剣には、明らかに殺意がなかった。
ゆえに
シレーネ・アーカムハイトが駆けこんで大剣を構えて接敵しても、ヴェイロンは剣を向けず、素通りして済ませてしまう。
彼女の後方、わずか下がった位置から
グレイ・リベルタスが雷芯剣を振るい雷を撃ちこんでも、
ファラ・エルケンスが奏でる音楽の合間に低く強く音を響かせ衝撃波を起こしても、そちらに気を向ける様子すら見せなかった。
「……っ」
その事実にグレイは思わず歯噛みし、しかし湧き出るこの感情をなんと呼ぶべきか迷う。
ただ唯一、
ウサリンド・ロップイヤーのトラッカーガンから放たれる追尾式のナムバレットだけは、全て剣でもって叩き落とした。さらにその存在を邪魔と見て、ヴェイロンはウサリンドに対し一気に距離を詰めていく。
「だ、駄目だしっ!」
あわててシレーネがウサリンドをかばった。その直後、息つまるほどの重い衝撃が、彼女の全身を貫く。
「ぐ、う……」
「シレーネ様っ!」
即座に
遊木月 紅羽が強力な治癒の神聖術式を施したロザリオの力を開放させ、その傷を癒そうとする。けれどすぐそれでは追い付かない傷と気付き、癒しを導く祈りへと意識を切り替えた。
「やめてやめてやめて!」
さらに攻撃を加えようとするヴェイロンから仲間をかばおうと考えたのか、風の精霊
トゥール・アングルスが紅羽の身体を離れて彼の前をぐるぐると回る。
ヴェイロンはそれを一瞥するが、しかしそれだけで何も反応せず、やはり隣をすり抜けてしまった。
「ちがうの! シレーネは違うの!」
さらにトゥールは叫ぶ。
違うのに。あなたを守るために、彼女はここにいるのに。
けれど適切な言葉が出てこなくて、結局その声もヴェイロンの心には届かないまま風の中に消えてしまう。
シレーネは……彼女が所属するパーティ【バレットレインソードダンス】は、魔王を討つためにここに来たわけではない。むしろ「ヴェイロンに勝利したうえで殺さない」未来のためにここにいる。
ゆえに、彼らはまずヴェイロンを攻撃した。人族の勝利のため、殺意のない、やわらかな方法で。
――もしも、彼らがその意思をまた違う形で示したなら、違う未来もあったかもしれない。
けれど彼らが選択した道の先にあるのは、敵対者としてヴェイロンに認識され、圧倒的な力を前に屈する瞬間だった。
「その程度の半端な意志で、戦場に立つべきではない。去るがいい」
ヴェイロンに剣を向けようとしながらも、殺意を持てずにいるものは少なからず存在する。
アルティレ・ハイゼンベルクもその一人だ。
(……話し合いで和解できればと、考えていたのですが)
それが叶わない状況であることは理解しているつもりだ。だから剣を持ってここに立っている。
(それでも、彼の命を奪いたくはありません……)
彼女の想いは仲間たちも理解し、共感してもいた。
ボレロ・リヴィエールも祈りをもって輝神の加護の力をアルティレの剣に導きながら、どこか浮かない顔をしていた。
この力がなければおそらく魔王に攻撃してもまともに傷つけることはかなわないだろう。けれど、互いに傷つけてはほしくない――。そうした優しいがゆえの揺らぎに心が苛まれているようだった。
「でもさ、ほんとにいいの?」
玉座の間に踏み入るアルティレに付き従いながら口にするのは水の精霊
シャンス・ルミエールだ。
「魔族が蔓延る世界って混沌だよ。それでも和解したいって思ってる?」
「…………」
アルティレはただ頷く。けれど何も言葉にはしなかった。それが彼女の揺らぎを現している。
「……アルティレが本当にそう思ってるなら、手伝うつもりはあるけどさ」
「今は、できることをしようよ」
レインズ・ラファールが弦をつま弾く。力強い音色が仲間たちを勇気づけると信じて。
「……ええ」
アルティレが再びうなずく。けれど躊躇いは拭えず、今の彼女では本来の実力を出すこともできそうになかった。
一方、
クロノス・リシリアも迷いの目でヴェイロンを見ていた。
もっとも彼女の場合、彼の思想に影響を受けたというよりは、そこまでの明確な理想をもっていて何故今までそれを達成しえなかったのか……そこにまだ見えぬ魔族たちの事情があるのではないかといういぶかしみが勝っている。
さらに、ヴェイロンが存在することで、魔王同士の力関係が人族にとって都合よく働いているのではないか。そんな考えも脳裏をよぎっていた。
殺すことは、どうしても躊躇われる。
ゆえに彼女は防御と回避に徹する。彼女の剣は、この玉座の間において人族を守るためにのみ存在した。
迷い多き者たちをかばうように斬りかかったのが
風間 瑛心だ。
彼の力強い斬撃を、ヴェイロンはやはり大剣でもって受け止めた。
瑛心の手にする剣の重みと、剣に見合った体さばきゆえか、そのまま二人はぎりぎりと刀身を押し付け合うことになる。
けれどすぐ、瑛心の脚が床の上を、ずる、と滑った。やはり、どうしようもなくヴェイロンの力の方が強い。
「瑛心さん!」
その姿に、後方に控えていた
タイガ・ヤカゲが焦った様子で声を挙げた。彼に不安を与えていることを申し訳なく思うものの、振り返る余裕は作れない。
(……ならこの力の差……利用させてもらう)
あえて半歩後方に身を退く。とたんヴェイロンの剣が振り下ろされ、焼けつくような激しい痛みに苛まれた。
けれどそれは覚悟の上だ。瑛心は歯を食いしばりながら、一瞬の間も置かず刀身を滑らせ、思い切り力をこめて突き上げる。
漆黒の鎧に阻まれはしたが、それでも一瞬、ヴェイロンの動きを止めることには成功した。
「――なるほど、よい思い切りだ」
ヴェイロンの赤いまなざしが楽し気に細められる。
けれどそこまでだ。深い傷の痛みに瑛心はその場に頽れざるを得なかった。