呪いあれと天使は囁く(1)
春虎によって弾きとばされた死霊たちを背に、冒険者たちは教会目指して駆け続けた。
攻撃の余波で外れかかった正門を力づくで開き、その内側へと踏み込んでいく。
「――さあ兄さん、頑張ろうねぇ」
新たな戦場を少しでも有利なものにすべく、
エレミヤ・エーケロートが輝神への祈りをささげた。
「おう、サンキュな。エレ」
その祈りは隻腕の青年
十朱 トオノが抜いた、薄いナイフへの加護を導く。
彼らは既に死霊や謀反を起こした騎士の姿を目の端に捕えていた。
敵陣に踏み込んでいるのだ、ゆっくり準備をしている間はない。トオノは加護の光を確認することもなく、誰よりも早く動き出した。
揺らめく影のように敵を欺きながら、その距離を詰めていく。
一方エレミヤは、新たな祈りから神裁術式を紡ぎ始めていた。
「おらっ!」
トオノの振るう刃が死霊騎士を刺し貫くと、そこに畳みかけるように裁きの光が降り注ぎ、それを浄化する。
息のあった二人の連携が、シグの築く牙城――その一端を崩し始めた。
いくつかのパーティが教会に乗り込むのに続いて、リアナたちもまたその敷地内に踏み込んでいた。
「リアナさん!」
そこに駆け付けたのは
ルキナ・クレマティスだ。
「私たちのパーティ【マレウス・マレフィカルム】はシグを狙う心算です。リアナさん、共に闘っていただけませんか?」
「ええ、もちろん。けど、私に構う必要はありませんよ」
そう告げるリアナの目は、既に死霊群がる赤いじゅうたんが伸びた先の祭壇へと向けられている。その手前に司祭のようにたたずむのは、黒翼の女性――シグだ。
「狙いを絞り、好機があれば躊躇なく、確実に彼女を殺してください」
「え……」
リアナの言葉に躊躇するのは、声をかけたルキナではなく、リアナと共に教会へと踏み込んだパーティ【ウェスタの乙女】の面々だ。ここまではっきりと言うとは。
「彼女は“時の魔王”の直弟子。ヴェイロン四魔将の中で最も危険な魔族です。ここで確実に仕留める必要があります」
シグはダークプリーストとしての高い魔法の実力に加え、死の魔王に由来する死霊術と、と時の魔王から教わった時空魔法を操る。リアナが一度追い詰めたとはいえ、脅威的なことに変わりはない。
ルキナはそれを当然のことと頷きを返す。
「了解です。ではリアナさん、これを」
言葉と共に差し出したのはクォーターエリクシル――生命活性化の霊薬だ。
「どうか無事で」
「……ありがとうございます。ルキナさんにも、輝神のご加護がありますように」
感謝を示し、リアナはルキナから霊薬を受け取った。
教会に立ち入ってからの【マレウス・マレフィカルム】の動きは迅速だった。
(せっかくここまで来たんだ。うまいチキンに仕上がってくれよ)
パーティの一員である
藤白 境弥の胸によぎるのは、翼をもつシグを揶揄した言葉だ。
有翼種である
シンシア・レイコットはじめ、仲間の手前口にはしないが、なんとしても食ってやるとの意気込みは銃を構える全身に満ちた。
「ふふっ、チキンたのしみですね~」
そんな一応の気遣いを無に帰すのが、境弥と共に歩む水の精霊、
アルメル・フローナだ。どこかでぽろりとこぼした境弥の言葉をしっかり聞きつけていたらしい。
もっとも、無邪気に笑う彼女に訂正を行う余裕は、今の境弥にはない。
的とすべき敵はすぐそこにいる。今は集中が必要だった。
「さあ、開幕の狼煙だ……!」
魔力充填器がうなり、銃に込められる魔力を強化する。その気配を感じたのか、ほぼ同時にシグの周囲にも魔力が集約し始めるのが分かった。
(させない!)
境弥は即座に引鉄をひく。
ほぼ同時、シグをかばうべく多くの死霊たちが動き出したが、そちらにはわずか後方に控えていたシンシアの祈りが光――ホーリーブラストが降り注いだ。
風を力をまとった銃弾がシグの懐めがけて飛んでいく。
「――沈みなさい」
対するシグは、背丈ほどもある杖を軽く振るった。とたん、彼女を覆うように魔力の輝きが広がる。
一体どんな力を働かせたのか――いぶかしむ境弥が見守る中、銃弾の軌道が、彼の意思とは無関係にゆがみ、シグに届く前に床を貫いた。
「な……」
一応、それでも風の術式は展開する。不規則にはじける電撃が床を這って、シグの足元でばちりと弾けた。
(へぇ)
銃弾の軌道とその行方に
リウ ツォンの眉が跳ね上がる。
(妙な曲がり方しやがったな)
奇妙に思いながらも、彼は前に出るべく駆け出した。
当然のように死霊たちが迎え撃とうと距離を詰めてくるが、そのほとんどは知性のない連中だ。偏光する鎧の効果を利用すれば、すいすいとすり抜けることができた。
だが。
「……っ」
敵の群れを抜けた瞬間、状況が変わる。
まるで空気そのものが質量をもったかのように、ずしりとリウの全身を包んだのだ。
(これか……!)
あの銃弾は、この重力の枷に阻まれたのだ。
リウは全身にのしかかる重しを振り切るように、シグに向かってナイフを振るう。彼女の四肢に痛みを与えてその集中を途切れさせるか、その意識を攻撃へと転じさせたかったのだ。
ナイフを振り下ろす動作の途中、ふっと全身を包む錘が外れたように軽くなった。突然のことに加減が効かず、リウはその場でバランスを崩す。
なんとかたたらを踏んで耐え、何事かと顔をあげた。
――そうして、リウは目撃する。
シグの周囲をめぐるすさまじい魔力の奔流が青い色を帯びるのを。本当にすぐ、目の前で。
――シグに魔法をうたせる。それは最初から
ミシェル・キサラギの計画のうちにあったことだ。
(来る……!)
ミシェルはカオスイーターと呼ばれる銃を構え、その銃口をシグへ――いや、彼女が打ち出そうとする魔力の中心へと向けた。インドラの矢で自身の魔力を高めながら引鉄をひき、さらにディヴィジョンショットを発動する。
「さあ、魔を穿つのじゃ!」
そうして打ち出されるのは螺旋角の矢だ。ミシェルにできるあらゆる強化を一身に受けた一角獣が、一直線に魔力が収束する場――すなわちシグの杖へと向かって飛び込んでいんでいった。
けれど、詠唱を終えるのはシグの方が先だ。彼女の魔力が水へと変化し、激流となってリウを飲み込む。
一角獣が狙い通り、魔法そのものを食い破ることに成功したのは、その直後だった。
「リウ!」
リリック・レインハルトが慌ててリウの元へと駆け寄る。
至近距離から激流を叩き込まれたせいだろう。水流が消えてなお、リウは気を失って床に倒れていた。
幸い呼吸は感じられる。死にはしていないようだ。
(あのリウがこうまで追い込まれるとはな)
リリックは、ミシェルからホーリープロテクションによる結界をうけている。リウも当然、同じように受けたはずだ。
だというのに、直撃には耐えきれないものなのか。
(これでもし、結界術の準備がなかったら……)
死の文字が脳裏をよぎり、リリックの背が恐怖に震える。
残念ながらミシェルが放った一角獣にできたのはシグの魔法を打ち消すところまでのようで、シグ自身は今も祭壇の前に立ちふさがり、次の魔法を唱え始めている。
(……なんて奴だ)
本来ならミシェルに合わせ攻撃を叩き込むつもりだったが、この状況下では仲間を救う方に重きを置くしかないだろう。
せめて次の魔法には巻き込まれないよう、リリックはリウを抱えて教会の隅へと移動した。