芦谷導満3
真也の一声の後。
空気が一気に重たい殺気と闘気で満ちた中、真正面から飛び込んできたのは
姫神 美桜だ。
「出家したんでしょ! なのにまだそんな邪念に囚われてるなんて、修行が足りないよっ!」
一声と共に、得意のとび蹴り一蹴。丈の短い尼僧の裾がひらりと舞った。角度的に、完全にパンチラどころでなくパンモロではなかろうかと思うが、視力のない導満相手では、どちらにとっても羞恥の生まれる余地は無かった。
さておき、そうして飛び込んだ一撃は、正面が過ぎたこともあって導満はかすりもしなかったが、それはフェイントだ。空振りした足は回転し、地へ付くとそれを軸に、もう一方の足が踵落しをその肩めがけて繰り出した。瞬間。同時に放った喝砕の法力が、弾ける様に空気を揺らした。美桜が放った法力に、導満が自身のそれをぶつけて相殺させたのだ。いや、単純な法力は道満の方が上なのだ。殆ど弾き飛ばされるようにして、美桜の体が宙を舞った。
「……っ、やるじゃん」
何とか空中でバランスを取って美桜が着地を決めた中、その激突を隠れ蓑に、導満へと接近を試みていたのは
レイナ・シュテインローゼだ。背後から回り込むと、囁くように声を潜めた。
「ふふ…目が見えないんなら、女の子の艶姿も随分目にしてないんでしょ?」
吐息交じりの甘い囁き。漂う女の子の汗や髪の香り。そんなものをこれでもかと発散させながら動揺を誘ったが、健全な若者達の範疇に入らない導満は、仏の道で修行していたこともあるだろうが、特に心動かされる様子も無く、集中力を欠くでもなく、法力でレイナを弾き飛ばした。吹き飛ばされる程度で済んだのは、一応は導満なりに気を使ったのかもしれない。
「やっていることは兎も角、真面目にお坊さんではあるってことかしら」
レイナが呟くが「関係ないね!」と美桜は地面を蹴って、再び導満に挑みにかかった。――が。
「……ッ、え……!?」
放たれた蹴りを、強烈な一撃でもって弾き返したのは、式神でも導満でもなかった。
まるで庇うようにして、導満の前に出た
影護 刃は、驚きを隠せないでいる特異者達の視線を受けながら、怯む風もなく「悪いが」と口を開いた。
「ここで失わせるわけには、いかないんだ」
そう口にする刃が、導満に抱いていたのは、敬意だ。鬼に与することの是非は兎も角、身体的なハンデを負いながらも一流の術師としての実力を維持するその姿勢に、感銘を受けたためだ。本来なら仲間であるところの特異者達と相対する形となるのは本意ではないが、導満を失えない、という思いと覚悟は変わらない。
そんな刃の後ろで、導満へと頭を下げたのはパートナーの
ステラ・ワイズだ。
「貴方の知識を、私達に分け与えて頂けませんか?」
飾り無い率直な言葉に、導満は僅かに目を細めるような仕草をした。それを、話を聞く素振りだと判断して、ステラは続ける。
「お願いします。私も……刃様も、貴方の教えを頂きたいのです」
導満の優れた陰陽師としての力、そして何よりその精神力。学びたいものは幾らもある。そう訴えるステラだったが、導満は緩く首を振った。刃の言葉も、そして千尋や真也の言葉も、満更でもない様子の導満であったが、何しろ時間が無いのだ。
「後十年は若ければのう……」
ほんの僅かに惜しむような、けれども深い諦念の篭った言葉に「そう簡単に、諦めないでもらいたいな」と刃は背を向けたままに口を挟んだ。
「本当の終わりまで、まだ時間はある筈だ。俺はそれを……諦めない」
刃の参戦で、状況はこう着状態へと陥った。
シフォン・オルソスや多くの仲間達の力で山道を越え、山寺まで送りだされた特異者の前に立ち塞がった式神達は何れも手強く、何よりも、かつて清明と相対し、鵺を使役するほどの導満自身の力は、少数の特異者で相対するには、圧倒的だったのだ。
「……このままでは、埒があきませんね」
後方にて、
ヴェルデ・モンタグナが焦りを帯びた声で呟いた。戦況や、導満の動きを見極めようと目を凝らしていたが、
水無月 希やシア達が、導満の感覚の補助を行っている式神達を、じわり、じわりとではあるが何とか一体一体の押さえ込みに成功しているものの、こちらの攻撃はあまり決定打となっていないのが判る。「……何か、決定的な隙が、必要だわ」
因幡 那美も、余り良い未来の見えてこない自身の神託に、軽く眉を寄せた。仲間達への応援の声に力を込めてはみるが、纏わり付くような暗い気配が拭えないのだ。
「でも、これは……導満だけのものでは、無いような……?」
「それはどう言う……?」
ヴェルデが僅かに首を傾げたが、那美にもはっきりとは見えてはいないようだ。だが、背筋を冷たくさせるような何かが、先ほどから那美の心を不安で満たす。
「考えてても仕方ない」
そんな那美に、
白鳥 凪が励ますように声をかけた。
「今は兎に角、力押しででもこの場を何とかしないとな」
長期戦にはしない方がいい。那美の神託の影響ではないが、漠然とそんな思いと共に凪が得物を構え直した。それと同時。
「ぶちかますよーっ」
ウィニティー・グラジオラスが、ヴェルデにパリエスをかけてもらい、天井近くに飛び上がって導満への体当たりを敢行するも、小柄さが仇となって、一撃に重さが足りない。放たれた起爆符によって体が吹き飛ばされかかったが、それにもめげずに何とか着地を決めた足で、そのまま導満へと向かった。そこへ、助太刀とばかり飛び込んだのは
水無月 望、そして凪だ。神懸りの力で、本来の威力まで引き上げられた
アノニメ・イズィスタのフォトンライフルの援護を受ける形で、虎走りの俊足で、ウィニティーとほぼ同時のタイミングで凪の抜き付けが放たれた。……だが。
「させない!」
その前へと立ち塞がる刃の総留が、ウィニティー達の攻撃を相殺した。時間にして僅か数秒の間で、複数の金属音が閃いたかと思うと、凪のパリエスによってダメージだけは何とか受けずに済んだ望たちは、数歩分まで下がらざるを得なかった。単身で特異者達に立ち塞がろうというだけあって、易々とその攻撃を通してくれそうもない。
「何をしているか、判っているのか?」
そんな刃に、望の声が尖る。
佐久川 燧もまた、本来であればこちら側にあるはずの特異者に向けて、鉞を構えて「どけ」と語気も強く目を細めた。
「時間が無いと言うなら尚のこと……何をしでかすか判らないだろ」
最悪の場合、自爆して、全てを道ずれにしよう、などと考えているかもしれない。そんな相手を、生かしておくわけには行かない。その意思をそのまま表したように、導満へ向けられる燧の殺気に、刃は眉を寄せると、人を射殺さんばかりの鋭い目線で、殺気を噴き上げさせた。その気迫に、一瞬追撃の手を止めた一同に向けて「判らないと、思うか?」と刃は目を細めた。褒められた行動ではないのは、よく判っている。特異者達と好んで戦いたいと思っているわけでもない。
「それでも、彼を討たせるつもりはないんだよ」
刃が、その意思を言葉にした、その時だ。
山寺の中で、爆発音が響き渡った。
導満と向き合う直前まで、山寺内で式神と相対しているような動きで、真也が仕掛けて回っていた起爆符が連続で弾けたのだ。直接導満を攻撃するものではなかったが、四方へ注意を向ける、知覚用の式神たちの意識を逸らすには、十分だった。天井付近から、加護の唄によって仲間達を援護していた
縞田 瑪瑙は、この一瞬をチャンスと仲間達に合図を送る。
「敗れて尚、培い続けてきたその禍々しくも美しい力と執念! この目に焼き付けておくことにしましょう」
その一声と共に、導満へ向けて投げられた手裏剣が、刃によって弾かれる。だが、それは瑪瑙の思惑の内だった。正面を陣取っていた、障害が一瞬、消える。その隙を突いて、今度は
ノナメ・ノバデの起爆符が炸裂した。場の動くのを待つ間で、九字切りによって高められた集中力によって、その威力を増した符は、さしもの導満も相殺のために対応せざるを得なくなる。それこそが、ノナメの狙いだった。
「強力な陰陽師でも、技を使えなければ普通の人です!」
思惑通り、起爆符への対応で、導満の意識が術に集中した、その時だ。ノナメの動くのとほぼ同時に飛び出していた
ツェルン・ディーレが、導満に向けて突撃していた。目も耳も機能しない相手に、牽制は意味がない。ならばと、小細工無しの全力で飛び込んだツェルンだったが、当然、それを導満が看過する筈がない。
「勇ましいことよ」
愉しげな、導満の一声。指が印を切ると、氷結符の冷気が空気中の水分を凍らせて盾代わりの氷壁を生み出した。だが、それで怯むツェルンではない。多少の怪我を無視し、その足は前へと突っ込んで行く。その背中を押しているのは、後を頼む、と祈祷によって預けられたアノニメの力だ。本人は、アノニメのためじゃないんだから、と言いはしたものの、気合は十分。
「この一撃は、決める……ッ!」
その声に、意思に応じるように、
ツバナリ サヤハも燧と共に、この一瞬のチャンスを逃すまいと飛び込んでいた。
「ええで、ウチらの刃が届くか、じいさんの技が勝るか……試してやろうやないか!」
ツバナリの突撃するその道を切り開くように、燧が目の前を塞ぐ氷の盾を一刀両断に切り捨てると、続けざま放たれた起爆符によって一瞬鈍った足を、
ラヴィーネ・リヒトレーヴェの祝詞による加護が進ませ、傷つく体を瑪瑙の癒しの唄が包み込んでいく。
「後ろは、あたしに任せて!」
「行け、サヤハ、燧!」
ラヴィーネと、瑪瑙の声に押されたツバナリの、そして燧の全霊の一撃を後押しするように、更に飛び込んだ凪が、再び放たれた氷結符の盾へと抜き付けと共にフラマを放った。
「俺の静寂なる業火はどうだ?」
ごう、と噴いた炎が氷を相殺し、そこへ天井から再度の接近を試みるウィニティーと、虎走りで飛び込んだ望の太刀が肉薄する。導満も咄嗟にそれに対応しようと印を切ろうとした、その時だ。
「させませんよ!」
その瞬間発動したのは、ヴェルデの八陣封殺だ。導満がツェルンたちの攻撃に意識をやっている間に並べられた八枚の符が、導満を取り囲んで封じ込めた。閉じ込められた時間は、僅か数秒にも満たなかったが、その数秒、導満の攻撃が絶えた。
「喰らえ……!」
刃の防衛も間に合わず、飛び込んだ一同の攻撃が炸裂する。
「うわ……ッ!?」
瞬間、導満を中心に凄まじい嵐が吹き荒れた。力尽くで結界を破った導満の法力が、まるで爆発のように噴出したのだ。それに吹き飛ばされる形で、特異者達の体が転がる。だが、流石の導満も、無傷、と言うわけには行かなかったようだ。咄嗟のことで、全力を使ったこともあるのだろう、肩で息をしながら、導満の口元は笑っていた。
「……ふ、ふ……最期にまた、こうして……技を費やせるとは、僥倖なり」
肩口をざっくりとえぐられた傷口に手を押し当て、それでも尚堂々と特異者に向き直った導満だったが、突然、その背をくの字に折り曲げたかと思うと、ゲホッと激しく噎せ込んだ。
「……っ」
とっさに、ステラがその体を支えたが、導満の顔色は一気に青ざめたものになっていた。
「……どうやら……時間が、来たようだの……」
その言葉の意味は明白だ。希一も思わず身を乗り出し、何事かを口にしようとした。
が。
「―――……もういいわ。ここまで、よ」
唐突に、涼やかな女の声が、割り込んだ。
もしも。
特異者たちが、導満の真意を汲み、彼を、彼が望む“悪役”として打倒しきっていたならば。
結末は、違ったものになっていたかもしれない。
「茨樹……童子!」
白装束に身を包んだ、艶やかな鬼女。
純然たる邪悪さを持つその女は弓を構え、導満に狙いを定めていた。
「悪名もまた名なり、とはよく言ったものよ。しかし残念じゃのう。うぬの名は、誰の記憶にも、記録にも残らぬ」
「ふふ……鬼よ、お主も思い違いをしておるようじゃな」
「やめて!」
春緒が叫んだ。
だが、放たれた矢を弾くには至らず、それは導満の身体を貫いた。
「私は、鬼と結託し、京を滅ぼそうとした愚かな陰陽師としてその名を残す……じゃが、本当にそれだけだと思うか?
その愚か者を倒した者たちがいる。ならば、その者たちに京の――大和の人々は何を見る?」
導満は笑った。
彼の姿が、次第に薄れていく。
「戯言を。うぬは“消える”。永遠にな。何をしようと、その結末は変わらぬ」
「ただでは消えんよ……誰も私の事を覚えてなかろうと、私は託そう」
「導満!」
希一が叫んだ。
導満の姿は、完全に消滅する。そして――
* * *
「数々の妖魔を退け、よもや鵺まで倒してしまうとはのう。正直、うぬらを甘く見ておったかもしれん」
伊与で妖魔、鵺の出現を聞いた希一と春緒は、京の特異者たちと合流し、「鬼が潜伏している」とされていたこの寺への侵入を決行した。
そしてそこには、“事前に聞いていた通り”六鬼衆の一人――それも、茨樹童子がいたのだ。
「相変わらず高みの見物が好きなようだね。だけど、今度こそ決着を……」
希一を嘲笑うかのように、茨樹童子は背を向け、無防備な姿を晒した。
「それには及ばぬ。ここまで来れたことを讃え、今日のところは引くとしよう。大嶽の渾身の式も破れてしまったようじゃからのう」
それに、妾の目的はもう済んだ……と小声で呟いた。
「せいぜい、滅びまでの間、仮初の希望とやらを抱いているがよい」
そう告げると、茨樹童子は姿を消した。
「くそ、またやられた……!」
希一が、歯を強く噛みしめた。
ふと、袖の中に引っ掛かっているものがあることに気づく。
「希一様、それは?」
「何だろう、これ。いつの間に……」
誰が放った者かは分からない。
だが、そこにはこう書かれていた。
「茨樹童子の術の正体は、“光”。言葉も薬も、添え物に過ぎない。“暗闇”へ誘え」
そのメッセージを残した者の顔も名前も、思い出せる者はいない。芦谷 導満という人物にまつわる記録と記憶は、大和から――三千界から、永遠に失われてしまったのだから。
だが、彼が遺したものは……本当にわずかなものでしかなったが、託されたのだった。