縦横無尽
~京北部~
空には暗雲が立ち込め、イカヅチが雲の合間を巡っている。
普通の雷雲と明らかに違うその暗雲はただそこにあるだけでその場にいる者達に言い知れぬ不安を与えた。
ここは京の北部。普段ならば風景を楽しみつつ、散策するのにも適しているであろう場所。
だが、今は違う。重い空気がのしかかるように広がり、空に広がる暗雲からはいつ雷撃が落ちて来るかもわからない。とてもじゃないが散策する気にはなれない、そんな場所へと変貌していた。
少し開けた場所で数十人の者達が一体の獣を取り囲んでいる。
否、獣と言っていいのだろうか。
なぜならその顔は猿の顔であり、鋭い牙をむき出しにして咆哮する。
屈強な胴体は狸、力強く地を踏み締める手足は虎のようだった。ゆらゆらと動く尾の先は蛇の頭の形をしている。
「かかれぇぇぇぇーーーーー!」
囲む者達……京の守りを任せられた力を持つ者達――検非違使が掛け声に合わせ獣への攻撃を開始する。
5~10人単位の班に分かれた検非違使達は扇をとじるように範囲を狭めて獣を追いたてようとする。
獣が一声吼えると暴風の様な衝撃波が検非違使達に襲い掛かった。彼らはその場に立っていられずに吹き飛ばされ、直後飛来した雷撃にその身を焼かれ黒い炭となる。
「くそっ、流石はあの芦谷導満の式神、鵺……一筋縄ではいかないか!」
鵺の動きは制御されているとは言えず、本能のままに暴れまわっているだけのようだがその力は強大。検非違使でも気を抜けば先程の様に一瞬でその命を落とす事になる。
むしろ本能で動いてる分、その動きは予測しにくい所が多い。
検非違使達は懸命に立ち向かうが、一太刀も浴びせられずに薙ぎ払われ、物言わぬ骸へと変わっていった。
「このままでは……全滅してしまう……だが、我らが倒れる事はできない……我らの後ろには……後ろには京の都があるのだ!」
立ち上がろうとするが、検非違使はバランスを崩しその場に倒れそうになってしまう。その体を支える者が一人。それは少女だった。
「無理しちゃだめだよー。後はのぞみ達におまかせーってね」
「……だがあれは強大な式神だ。貴方達にだけお任せするわけには……」
「いいのいいのー。怪我してるんだからそこでじっとしてて」
そういうと
枢木 のぞみは鵺に向かって一直線に突撃する。
鵺の咆哮を斜め前に跳んで躱すと彼女は足に装着された苦無を掴んで投擲。数本の苦無が鵺を狙った。
青白く光る稲妻が鵺の身体を巡ったかと思うと高速移動で苦無は易々と躱されてしまう。
その体を黒い霧へと変えた鵺は赤く光る眼の軌跡を残し、その場を縦横無尽に駆け回る。
「わわわっ!? そんなに動かれたら当たんないよー!」
そうは言うものの鵺の攻撃は苛烈であり、正直彼女にはもう苦無を投げている余裕がなかった。雷撃がひっきりなしに彼女を焼こうと鵺から放たれている為である。
高速移動する鵺からの雷撃は地を裂き、一瞬のうちにのぞみに肉迫する。
しかし彼女には当たらない。鵺が捉えているのは幻影。彼女ではないからだ。
(これって……まともに戦ってたら一瞬で黒焦げになっちゃう感じだよねー……)
黒焦げになった自分を想像し、つい青ざめてしまったのぞみの横を
イレイス・ソレイルが駆けていく。
自分の向かう先に起爆符を投げて地面を爆砕、発生した土煙に紛れてイレイスは鵺に接近を試みる。
が、薙ぎ払う様に放たれた雷撃が土煙を吹き飛ばし彼の姿は露わとなってしまった。
(まだ十分な距離に接近できていないが、今を逃せば投げるタイミングを失ってしまうな。ならば、いましかないか)
彼は妖縛符を数枚構えると鵺に向かって投げる。鵺の進行を妨げる様に投げられた妖縛符は雷撃でその多くが撃ち落されていくが、数枚が鵺の足に貼り付きその動きを阻害した。
「隙なら作った、後は任せる……」
雷撃を防御しつつ、イレイスは後方に下がっていく。手持ちの符はもう底をついており、再度の攻撃には参加できそうになかった。
(まさか一度の攻撃でここまで消耗するとは思わなかった。しかも様子を見るに動きはそこまで止められそうにない。これは予想以上に手強い相手かも知れん)
イレイスの妖縛符で一瞬できた隙を見逃さず
樹郷 雪愛が鵺に向かって走る。
腰に差した太刀を納刀したまま接近する彼女は、柄を強く握り斬り掛かる瞬間を計っていた。
(動きは鈍った程度、それも接近するタイミングができた程度の本当の一瞬のみ。少しでも間違えば私も……検非違使さん達のように)
脳裏に浮かぶ最悪のパターンを精神力で捻じ伏せると、鵺が重心を移動するタイミングを狙って太刀を抜き放った。
しかしその太刀は空を斬り、彼女は体勢を大きく崩してしまう。
「なっ!?」
彼女の動きを予測していたかのように身を翻した鵺。雷撃を纏った前足の一撃が彼女の腹部にめり込んだ。くの字に体を曲げた身体の内外を稲妻が駆け巡る。
「きゃああぁぁああーッ!!」
吹き飛ばされた雪愛はしばらく地面を転がった後、岩にぶつかって止まった。
立ち上がろうとする雪愛だが、雷撃の影響かそれとも痛みによるものなのか全身に力が入らない。
(こ、このままじゃ……)
彼女の眼には空中から見下ろす鵺の赤い瞳が映っている。全身が。彼女の本能のようなものが。動けと伝えているが身体は依然として思うように動いてはくれない。
鵺が空を駆け、雪愛目掛けて突進してくる。他の者が攻撃を加えるが雷撃に阻まれ有効打は与えられずその速度を緩める事すらできない。
覚悟して目を閉じた彼女であったが、衝撃がいくら待っても襲ってこない。
目を開けると彼女と鵺の間に一人の少女が立っている。
「アンタの相手はうちやで」
狐山 玉姫は足を踏ん張り、弩を構えると真っ直ぐに突進してくる鵺に狙いをつける。
まずは一射。鵺の右側を狙って放つ。飛んだ矢は鵺の右側を素通りし鵺はそれに合わせて左へと身体を傾けた。
次に間髪入れずに二射。鵺の左側を矢はまたも素通りする。鵺は右側に体を傾けた。
(鵺といってもその体は動物や。いくら式神とはいえ、基本的な本能には逆らえんはず……なら!)
引き絞られた破魔矢が勢いよく弩から放たれる。今度は鵺に対して真っ直ぐに。
(一射目、二射目は位置の特定と誤差の修正。本番は三射目……動物なら避けるのは難しいはずやッ!)
左右は危険と本能的に悟らせ三射目の破魔矢に対する退路を断つ。
並の妖魔であればこの方法で破魔矢に貫かれ滅することができただろう。だが、相手は鵺である。
真っ直ぐに飛んだ破魔矢は鵺の眼前で雷撃に焼かれ、黒い塵へと変わった。
「はぁっ!? あんな間近で撃ち落すとかあいつなんなん! しゃーない、逃げるで!!」
倒れた雪愛を担ぎ、玉姫はその場を急いで離れる。
倒れ込むように地面に伏せた直後、二人のいた位置を鵺が着地と共に爆砕した。土煙の中で赤い目が不気味に光っている。
「逃すわけにはいかねーな! 行くぞッ!」
着地で動きの鈍った鵺に対して
氷魚 凍夜の放った矢が迫る。
先程までの矢と同じように鵺は身体を光らせ、雷撃を放つと矢を撃ち落す……が、矢が雷撃を受けた瞬間それらは小規模な爆発を起こした。
予測していなかった爆発でバランスを崩し、一瞬鵺の動きが鈍る。
「うっしャァァァァァーーッ! てめェの相手は俺だァァ!!」
そのタイミングを狙った
伴場 弾が雄叫びと共に右手に木刀、左手に竹槍を構えて鵺に襲いかかった。その表情は嬉々としたものであり、恐怖などは微塵も感じられない。
力任せに振った木刀が風を斬って鵺の前足を打った。鈍い音と鋼でも叩いたかのような衝撃が彼の手に伝わる。それでも怯まずに弾は竹槍で鵺の身体側面を刺した。
引き抜くと勢いよく血が噴き出して目の前を赤く染め上げる。しかし鵺は怯む様子もなく弾に対して爪の一撃を繰り出した。その爪は鋭く、触れればただでは済みそうになかった。
弾は木刀と竹槍をうまく使い、爪を滑らせるようにいなす。
「上等上等ォ! たッのしいなァ! でっけェ祭りだァ! 俺と踊ろゥぜェ! 鵺ェェーーッッ!!」
決して押しているという状況ではないが、武器を振り回し血の中で踊る弾はとても楽しそうであった。
戦いそのものを。命のやり取りというものを心から楽しんでいる。それは戦士として、闘う者として十分すぎる資質である。
強敵との戦いの時こそ、恐怖に屈しない彼の様な者がとても頼もしく思えるだろう。まあ……味方であればの話だが。
「オーッホッホッホッホッ! この槍の雨をお受けなさーいっ!!」
弾の後方から竹槍を投擲しているのは
フランベル・ウィンザー。雨と言ってはいるが、一度に投擲できる竹槍の本数はそこまで多くはない。まあ、腕は二本しかないので当たり前といえば当たり前だが。
それでも彼女はアニメの様に槍が雨のごとく降るのを妄想しつつ鵺に竹槍を投擲する。
狙いは正確な為、弾に足止めされた鵺に次々と竹槍が刺さっていく。
「雷撃を発射した直後は稲妻の衣を纏っていないようですわね。そのタイミングを狙えば……外すことはありませんわっ!」
彼女の背後には竹槍のストックが地面に差してあった。それを後ろ手に抜き、渾身の力で鵺に向かってフランは投擲する。
その姿はまるでやり投げの選手のようにも思えた。本人に勿論そんな気は微塵もないが。
彼女もまた弾の様に鵺に対して恐怖はなかった。ただのよく動く的……ぐらいにしか思っていないようだ。
楽しそうに槍投げに励む彼女は検非違使から見れば不思議な様子に見えたかもしれない。
なぜなら自分達よりもはるかに幼い少女が恐怖心に駆られずにあの鵺と戦っているのだから。
「弾、フランはそのまま前線を維持、他の者は順次戦闘開始だ!」
状況を見極めつつ、凍夜は指示を飛ばすのも忘れない。そんな彼の後ろでは
対魔巫女が神楽舞を踊り、戦う者達を懸命に鼓舞していた。
「少々予定は変わっちまったが……やるしかないな」
火のついてない煙草を凍夜がくわえると、隣の
ショコラーデ・バランタインが彼の煙草に火をつけた。
「そうですね。氷魚様……私が鵺の動きを予測します。矢を放つ際には、お役立てください」
その言葉を聞いているのかいないのか。凍夜はショコラーデの方を見ずに起爆符を受け取ると、矢に結び付けリーゼロッテの弓を構えた。
彼に聞いてもらってなくても構わない。彼女はそう思う。
ただここにあって、彼の役に立てればそれでいい。それこそが自分の存在理由なのだから。
正直他はどうでもいい。彼女にとっては自分の身さえどうでもよかった。彼がその身を犠牲にしろというのであれば喜んで犠牲にする。
今の自分の日々こそが何よりも大切なものなのだから。