――“空想の世界”ワンダーランド。
「昼」と「夜」とが分かたれた世界で、
“アリス”と呼ばれる者たちが「空想の欠片」を手に激しい戦いをしていたのはほんの少し前。
世界の「夜」は落ち着きを見せ、徐々に平穏が訪れ始めていました。
しかしワンダーランドに現れた謎の青年と少女の暗躍により、
“運命の筋書き”による物語に見立てた悲劇がワンダーランド各所で起こってしまうのでした。
少女
デミはワンダーランドの中で
「黎明の世界」を生み出そうとしていましたが
特異者たちはそれを中断させることに成功し、「黎明の世界」は膨張を止めました。
さらに事態の収束を目指す特異者たちですが、エラダムに一般人の心を移し孵化させた
エラダム完全体が数体確認されており
“運命の筋書き”が強く働いているその世界を守ろうとしているのでした。
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膨張を止めた「黎明の世界」。
しかし依然として朝焼け空が古城を中心とした広範囲に広がっており、
周辺の街をその美しい世界の中に取り込んでしまっていました。
「うふふふふ、わたくしは泉の女神。
あなたがこれから落とすのはその首ですか? それともその命ですか?」
「我が妹、グレーテルちゃんにふさわしい子はどこかなぁ? 君も違う、お前も違う――♪」
エラダム完全体
泉の女神は男性に問いかけを繰り返しては回答した者を足元に湧く泉の中に沈め、
ヘンゼルは女性を捕らえては舐め回すように品定めをした挙げ句にゴミのように投げ捨てています。
彼らの暴虐に人々は怯えきってはいますが、逃げるどころか自分からエラダム完全体に近づいている様子です。
「あれも“運命の筋書き”なのだろう。察するに自らを差し出す運命でも刷り込まれているのだろうか。
そして私も……泉に沈められる列に並んだほうがよいだろうか……」
「しっかりしろ、おっさん」
「ぐうっ! ……ああ、ワンダーウォーカーの貴殿に定期的に殴られないとあの運命に私も飲まれてしまう」
白の騎士はすでに
渋蔵鷹人に何度か殴られているらしい頬を擦りながら、
それでも冷静な眼差しでエラダム完全体たちの討伐に向け剣を構えます。
黎明の世界ではその全域で“運命の筋書き”が発生しているようでした。
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――古城内。
アデルたちは黎明の世界を消滅させるべく、城の中のどこかにあるとされる“核”を探していました。
時計ウサギ曰く、それを破壊できれば今の不完全な状態の黎明の世界ごと消滅させられるというのです。
「それにしても、随分とすんなりお城に入れたもんだよねー」
「……てっきりエラダム完全体とやらが侵入を阻むものかと。
それに、城内に“運命の筋書き”が働いていないらしいのも嫌な違和感がある」
ルージュと
ミチルは腑に落ちない表情ながらその足を止めません。
ワンダーウォーカーやワンダーテラーではない彼女たちはまた“運命の筋書き”に囚われる可能性が高いのですが、
今の所そのような変化は起きていないようなのです。
しかし彼女たちの後ろを走るアデルは緊張したようにごくりと唾を飲み、小さく呟きました。
「気付けていないだけなのかも、まだ」
と、その時先を行くルージュが「こっち!」と声を上げました。
アデルと特異者たちが駆けつけると、広い中庭の中心に太陽のように輝く巨大な光球が鎮座していたのです。
そして、それを守るように静かに佇んでいたのはエラダム完全体の
赤い靴の少女と
ウシワカでした。
「神様が与えてくれた運命はこの美しい世界の中できちんと動いていますことよ。
『多くの客人たちと楽しく自由に遊ぶ』ことこそがこの世界の運命であり、わたくしたちが生まれ変わった理由ですわ」
「……城への侵入を許したというよりも、私達は招かれたということか。『遊ぶ』の定義は曖昧なようだけど」
ミチルの言葉に赤い靴の少女は上品に微笑みました。
まるでミチルを始めとした“運命の筋書き”に耐性の無い者が無意識に戦いを求めようとしているのを見透かすように。
それまで刀を抱えて黙り込んでいたウシワカも静かに殺気を帯びた視線を特異者たちに向けました。
「この世界は壊させやしないよ。この世界は……この運命は、ボクたちに必要なんだ。
自由に生きていいことを運命付けてもらえる幸せなんて、前の身体では考えられなかった」
弱々しい印象とは裏腹に強い信念を感じさせるウシワカの言葉に怯まず、アデルが一歩を踏み出します。
「どうやら……あなた達の孵化が特に早かったのには理由があったみたいだね。
だけどわたしたちはこの世界の存在を許すわけにはいかないんだ!」
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――古城の中心に近い大広間。
まるで童話の中ならば舞踏会が行われそうなその部屋で、少女はクレヨンを握りしめて絵を描き続けていました。
「お姫さまに、魔王に王さま。天使も妖精さんも、みんなみんなこのお城に集まってデミと遊ぶのよ。
すてきな物語、デミだけの世界」
大広間に集まりだす特異者たちの足音にデミは楽しそうに顔を上げました。
その中に
時計ウサギの姿を見つけ、彼にしたことなど何も無かったかのように無邪気に手を振る始末です。
「これはこれは先生、本日も素敵な発想にございます。その物語の仕上げは私達にも手伝わせていただけませんか?」
「……だめ。これはデミの世界なの。
デミはね、世界を創るために生まれてきたから。デミの世界じゃないと意味がないの」
自分の邪魔をしに来たのだろうと察した途端デミの表情は途端に曇り、ふてくされるような顔で俯きました。
「しかし、先生……」
「ウサギさんはいつもデミのなまえを呼んでくれないね。
……“デミ”が“わたし”じゃなくてあの人の名前だって、ほんとは知ってるよ」
その言葉に時計ウサギは目を見開きます。
ゆっくりと立ち上がるデミに呼応するように、その場の“運命の筋書き”に耐性の無い者たちが前に出ました。
デミと楽しく遊ぶ――つまり血腥い戦いを行うことになる覚悟を否応なしに決められてしまうのです。
「ど、どゆことなのよ!? 解説たのまいなのよ!」
「以前お話しました通り、先生は
デミウルゴス様の分身のような存在なのです。
それを先生自身自覚している……ということでしょうか。しかし、お伝えしたことも無いのになぜ――」
戦戯嘘にゆさゆさと揺さぶられながら、時計ウサギはハッとして特異者の方へ視線を遣りました。
「ワンダーウォーカーの力がデミウルゴス様の自我と先生の自我を切り離し、
本来であれば先生が辿れなかった運命を切り開こうとしているのでしょうか。
それなら、本当に……先生に人らしい心を芽生えさせることも可能かも知れません」
彼の話によると、デミウルゴスは分身の少女を生み出す際に
慈しみや倫理など創造の妨げになるあらゆるものを削り“デミ”を完成させたのだと言います。
削除された感情を取り戻せれば、もう悲劇を無邪気に繰り返すこともなくなるだろうと彼は考えているようです。
しかし嘘はそれを聞いて複雑な表情をしました。
(んむむ……けど、本当にあの子に人の心を持たせていいのかしら)
――仮に人の心が生まれたとしても、罪の意識に、自らの力の大きさに、自分を利用しようとする悪意に耐えきれずかえって幼い心が潰れてしまうのがオチだ。
ここへ来る前に
左脳がそっと伝えたその言葉が嘘の中でずっと引っかかっているのです。
「それより、たくさん“登場人物”が集まってくれてうれしい!
ねえみんな、またデミといっぱいいっぱい遊ぼうよ」
デミがクレヨンを宙に滑らせると、大広間に次々と土を積み上げたような不気味なかたちのエラダムが現れたのでした――。