――“空想の世界”ワンダーランド。
「昼」と「夜」とが分かたれた世界で、
“アリス”と呼ばれる者たちが「空想の欠片」を手に激しい戦いをしていたのはほんの少し前。
世界の「夜」は落ち着きを見せ、徐々に平穏が訪れ始めていました。
しかしワンダーランドに現れた謎の青年と少女の暗躍により、
ワンダーランドの住人達はおとぎばなしに沿うように悲劇に誘われるようになりました。
一方
戦戯 嘘(そよぎ うそ)を始めとした特異者たちは
ワンダーウォーカーのアバターに目覚め
血に塗れた悲劇の運命に対抗していきます。
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――とある古城。
突如山の頂に現れたそれを、近隣住民たちは「昔からあったと思う」と口を揃えて言いました。
よくよく目をこらして城を眺めれば、それがどこかぐにゃりと歪で建物とは言い難い何かだと分かるでしょう。
しかし人々はやはり「あれは城だ。お姫様が住んでいる」と当然のように証言をするのでした。
「……お城はちょこっとうまく作れたの。うん、ここからが本番ね。
デミはここから素敵な世界を作ってみせるよ」
城の一番てっぺんの塔から空を見上げて、
デミは子供らしく瞳を輝かせます。
そして、その傍らには相変わらず
時計ウサギがいました。ひしゃげた顔と腕をゆらゆらと揺らしながら、やはりデミを大事そうに見守っています。
デミは時計ウサギに駆け寄ると、ぼろぼろのその身体にぎゅっと抱きつきました。
「たくさんたくさん失敗もしたけど……えへへ、やっと分かった。
デミにとっていちばん大事なクレヨンはウサギさんだったのね!」
途端に、時計ウサギの身体から爆発的に何かが広がっていきました。
その「何か」は、城を、町を、人々を、空をも覆って飲み込んでいきます。
快晴だった世界は今や、昼のように明るくもなく、夜のように暗くもない、恐ろしいほどに美しい黎明に染まっていました。
「デミはね、夜明けがいちばんすき。空がはじまりの色をしてるから」
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「そんな……今までのとは規模が違うよ!」
仄暗い朝焼け色に染まった空を見て、
アデルが表情を険しくしました。
特異者たちはアデルと共にデミが作り上げた城へと急行していました。
ある意外な人物がこの事態をいち早く察知し、特異者たちに伝えていたのです。
「先生はいよいよ本番を――
世界を創ろうとしているのです。
あの子にとってはあくまで物語の舞台を創る感覚でしょうが、この世界にもたらされる影響は計り知れません」
「おい、もぞもぞするな。普段メガネなんかかけねえから気持ちが悪い……」
淡々と状況を説明するのは
渋蔵 鷹人……ではなく、彼の顔に乗ったどこかで見覚えのある眼鏡でした。
時計ウサギと顔を合わせたことがある者ならそれが彼のものだと分かることでしょう。
戦戯 嘘も興味津々でその喋る眼鏡を見つめています。
「はふ、ガチの眼鏡が本体ってやつなのよ! “メガネ掛け”の方はどうしちゃったの!?」
「それは“私の本来の身体”という意味合いでよろしいでしょうか。あれは先生に没収されてしまいました。
ただ、エラダムとして土に還る間際に、私の中身――心と言うべきそれをこちらへ移したのです」
時計ウサギは自分でもそのようなことが出来るとは思っていなかったようですが、
恐らくは自分の心を見付けてくれた者たちのおかげだろうと静かに告げました。
「そして今回の問題はその“メガネ掛け”にございます。
私のあの身体は先生の力を清書するための――言わばより強力かつ精密に具現化する装置のようなものなのです。
そのコントロールを先生が握ってしまった今、技術的な問題はさておきあの子が創れるものは理論的には
全てと言えます」
世界や因果すらも、と続ける時計ウサギ(眼鏡)。
曰く、このままではデミが創る黎明の世界が膨張を続け、
いずれはワンダーランドを内側から崩壊させてしまうとのことでした。
それを聞いた嘘は少し苦しげな顔をしました。
「実は……私を派遣してる聖歌庁って組織から、確実にあの子を始末するようにって言われたのよ。でも、でも私はっ」
「ああ、殺す必要があるかどうかを決めるのは上の奴らじゃない」
どこか泣き出しそうな嘘の言葉を遮り、鷹人が毅然と城を見上げました。
しかし、城の目前まで辿り着いた一行の前に立ちふさがったのは嘘と鷹人のよく知る人物でした。
「その通りだ、グランスタからは
『生きたまま捕らえろ』って真逆の指示だもんね?
ただ……俺としてはあの子は殺してあげたほうがいいと思うけど」
「ぶるぅべりぃ先生!?」
鷹人と所属を同じくし、嘘の尊敬する人物でもある
左脳。
姫宮ぶるぅべりぃというペンネームの売れっ子漫画家でもある彼もまた、鷹人と同様にグランスタから派遣されていたというのです。
「ただ、俺ってぶっちゃけ激弱だからね。
危険なところは鷹人君に任せて、こういう時に出しゃばれるようにコソコソ準備はしてたんだよ」
左脳が羽根ペンを振るうと、周囲から恐らく近隣住民と思われる人々がふらふらとした足取りで現れました。猟銃やナイフを構えている者もいます。
狼狽える嘘を庇い、一歩前に出たのはアデルでした。
「そっちの事情は知らないけど、こっちは世界が懸かってるんだ。邪魔をしようって言うなら……」
「ああ、いや、世界を生み出してるらしいあのウサギの化け物はご自由に!
むしろ倒して欲しいんだ、そうすればあの城を覆うバリアみたいなものも消えるだろうから……
無防備に塔から顔を出してる小さな作家さんを殺せるその一瞬を、俺は狙うつもり。
君たちにはその邪魔をしてほしくないってだけでね」
「そ、そんな……待ってください、先生はただ……」
動揺を見せる時計ウサギ(眼鏡)の声を聞いて鷹人が反射的に振り上げた剣は、下ろされる前にピタリと止まりました。虚ろな目の子供が左脳を庇おうとするのです。
そしてさらに意外なことに、その子供を更に庇おうと飛び出してきたのは
笛吹き男でした。
「待ってよ、殺さないでよその子……! 身体が生きてるなら、まだ戻れる可能性があるんだからさ!」
「あ? そりゃどういう――」
鷹人が言い終わる前に、一行の前に一体のエラダムが現れました。
土を積み上げたような不安定な形をしており、しきりに「苦しい、助けて」と言葉を漏らしているようです。
「
“孵化”前のエラダムだっ。
かみさまの作った身体に、死んだ人間の心を入れると僕や魔女やウサギみたいな完全体になれるんですよ。
ただ、孵化するまでが地獄みたいに苦しくてさぁ……!」
「……先生が近隣住民の心を大量に奪ってしまったのでしょう。元々そういう計画でしたから。
大量のエラダム完全体を――舞台にふさわしい登場人物たちを用意するために」
「あ、うん。そんな抜け殻たちが本当に死なないように親切な俺が保護をしてあげたってことで一つ」
ぬけぬけと言ってみせる左脳でしたが、確かにエラダムは先程の子供の身体を狙っているようにも見えます。
彼が住民たちの身体を操り避難させていなければ、彼らは本当に死を迎えていたかもしれません。
時計ウサギ(眼鏡)曰く今ならまだ心を身体に戻すことも実際に可能であると言います。
「そんな人達を盾にするなんて……ぶるぅべりぃ先生、今本当は何を考えてるのよ!?」
嘘の叫びも虚しく、左脳は肩を竦めてみせるだけでした。
どこか演技がかった笑顔と言葉で彼は両手を広げてみせます。
「本当に描きたいものを否定されて捻じ曲げられるのは作家にとって死よりも苦しいことだよ。
さあ、この先はどこへ向かってもメリーバッドエンドだ。君たちはそれでも進むのかね?」