神州扶桑国の辺境、一年中じめっとした林の奥深くに、その大きな屋敷はあった。
赤い壁に赤い柱、そして黒い瓦屋根……。
こんなに古びた建物になる前は、さぞ絢爛豪華な屋敷だったのだろうと想像できる。
神州扶桑国の住人からは“おばけ屋敷”と呼ばれ、嫌煙されているこの屋敷にはもう誰も近付かない。
というのも、この屋敷、否、この林に入って行った人間は二度と帰って来ないという噂があるのだ。
――マガカミが住んでいるのでは?
いやいや、そんな程度の不気味さじゃないのさ。あれはきっと幽霊屋敷だ。
――幽霊を見た者はいるのか?
それがなあ、あの林に入った人間は帰って来ないから、見た人間がいるのかどうかもわからないんだ。
噂話が広がり始めたのは、もう十数年前だったか……。
もはや、真相を突き止めようとする者もいなかった。
夜の闇が空を覆う。
誰も近付かなくなった例の屋敷の中からは、クスクスと笑う男達の声が聞こえる。
「やあやあ、これはこれは、また“出来のいい”のができたじゃないか」
「いやはやこの商売、まさかこんなにうまく行くとは……笑いが止まりませぬなあ」
「聞けばこの屋敷は幽霊屋敷と呼ばれているそうな……お陰で誰も近寄らず、我々は“紅桔梗”(べにききょう)作りに専念できるようになったわけで……」
「どうもこれを買った客が、そういう噂を流しているようでね、へへへ」
「そりゃこんな“違法薬物”を買ってるなんて知られるわけにはいかないからねぇ」
不気味な薄ら笑いを浮かべながら、男達はすり鉢で赤い花を潰し、様々な薬草を混ぜていく。
部屋には強すぎる桔梗の香りが漂っていた。
◇◆◇
六明館学苑敷地内某所、人目をはばかるようにある修祓隊の男女が会話をしていた。
「紅桔梗? なにそれ」
「へへへ……このクスリ飲むと、めっちゃ元気が出るんだよねぇ……うへへ……」
「ちょ、ちょっと……! あなた、様子がおかしくない? その薬、ヤバいんじゃ……」
「だぁ~いじょうぶ、だいじょうぶ! これはぁ、怪奇屋敷に住むお役人がくれたんだから! 変なクスリじゃないって!」
「怪奇屋敷って…… 確か郊外の林の奥にある、あの?」
「そーそー!」
女は男と距離を取って、冷静に言った。
「そうなんだ……。私、持病で飲んでいる薬があるから、併用するの怖いんだよね。ちょっとやめとくね。……このことは誰にも言わないから、安心してね」
そう言って女はその場を後にした。
持病の話も、誰にも言わないというのも嘘だ。
修祓隊の女性は、兼ねてから耳にしていたちまたで流行る違法薬物の手がかりであると考え、怪奇屋敷に単身乗り込んで調査をすることにした。
独りで乗り込む理由は、友人であるあの男の立場を守りたいからだった。
それは果たして、よい決断と言えたのか――――
◇◆◇
夕暮れ時、もう夜になろうとしている時間だった。
怪奇屋敷に乗り込んだ女は、打撲だらけの身体を引き摺って、なんとか仲間のもとへ帰還しようと急ぐ。
「う、くっ…… 薬物を作る……自称役人達も……みんなマガカミ……」
彼女が見たのは、お偉いさんのふりをしながらひたすら赤い桔梗を違法薬物へと調合する人型のマガカミの姿だった。
「奴らを生み出しているのも……マガカミ……しかし、あの巨大なマガカミは……う、うぅ……私一人では、どうする事も……」
怪奇屋敷に潜むマガカミは、自称役人だけではなかった。
5階建ての屋敷の最上階に、まるで御殿の大広場のような広い部屋があった。
仕切りの向こうにはあまりにも巨大な、誰もが恐怖を覚えるような女のマガカミが座っていたのだ。
巨大な女は白無垢を身に纏い、痛々しく腫れあがった右目を隠す様に右手を添えている。
巨大な女は、こう呟き続けていた。
「いちまい……にまい……さんまい………………たり、ない………たりない…………たり、た、たり、たたりたたたたたりたりたりたりたりたりたりたりたりたりないないないないないないないない」
修祓隊の女性は、なんとか六明館学苑に辿り着く。
「私には無理だ……彼のことは、諦めるべきだった……もっと強い仲間を、集めなければ……!」