神なき世界、
テスタメント。
創造神が去り、神の理が失われたことで、世界を束ねる法則が消え去った世界。
そこでヒトは、ヒトの理を作り、神の代わりに世界を束ねる法則を作り上げて、その安定のもとに、文明を構築・発展させてきました。
しかし、増えすぎたヒトは多様な価値観を持ち、それにより旧来のヒトの理を否定するものも現れました。
このままでは、世界を束ねる法則が破綻し、世界は無数の欠片に砕け散ってしまいます。
それを恐れたヒトたちは、従来のヒトの理を破却し、新たなる神を創造することで世界を束ねる法則を委ねようとしました。
ですが――新たなる神を作り出すということは、その創造者が神に最も近いものとして世界に君臨することを意味していると受け止めるものもいました。多様化したヒトは、そのような画一的独裁に恐怖し、神造りを妨害しました。
多くの血が流れたテロの後、それでもなお神を作ろうとするヒトたちと、それに反対するヒトたちは鋭く対立し、前者は
フリートラント共和国、後者は
ポラニア連合王国に別れて相争い、世界の破綻は身近に迫っていました。
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「先に脱走し、行方不明となっていた戦略打撃潜水艦”グロム”の目的がわかった」
ポラニア王冠領軍司令官、
アレクサンドラ・フィグネル中将は開口一番そう告げました。
「艦長、
マティウ・トレスキ大佐の声明だ。まずはこれを聞いて欲しい」
アレクサンドラがコンソールを操作すると、ブリーフィングルームのプロジェクターに精悍な顔立ちの、しかし眼には狂気を宿した人物が写りました。彼はおもむろに話し始めます。
「フリートラント共和国、ポラニア連合王国の全国民に告げる。私は戦略打撃潜水艦”グロム”艦長、マティウ・トレスキ大佐だ。私はここに、フリートラントが建設している軌道エレベータ”ピラー”と、人工神格レーゲルの破壊を宣言する」
ブリーフィングルームはざわつき始めますが、トレスキ大佐は言葉を継ぎます。
「これは神意を騙る冒涜者への一撃であり、私自身の復讐であり、そしてこれ以上の罪なき人々の虐殺を止めるための唯一の手段だ。私の家族はレーゲルの軍事利用により殺害された。他の大勢の人々とともに。私は、この残虐行為が神意を騙ってなされたことが赦せない。私は私の息子や娘がウランカ戦線で殺されたことを赦せない。そして、これから先ますます多くの人々が犠牲になることを赦せない。ゆえに、軌道エレベータ”ピラー”と人工神格レーゲルを破壊する」
ブリーフィングルームの喧騒はますます激しくなります。それを一括し、アレクサンドラが凛とした口調で告げました。
「戦略打撃潜水艦”グロム”には、時空振動弾頭”ネメシス”を発射可能な巨大レールガンが装備されている。これを使えば、たしかに軌道エレベータと人工神格を破壊できるだろう。しかしそれにより、軌道エレベータは倒壊し、ポラニア、フリートラント合わせて1千万の犠牲者が出ると推定される。私はこれを、戦争による付帯的被害と認めない。これは虐殺だ。だから、彼を止める」
しかしどうやって止めるのかと、ひとりの特異者が質問しました。
アレクサンドラが答えます。
「”グロム”のおおよその位置を特定できた。これを、ポラニア王冠領軍により撃沈もしくは拿捕する。しかし時間はさほどない。ネメシス”の発射最適位置に”グロム”が移動するまでおよそ24時間と推定される。それまでに、”グロム”の正確な位置を突き止め、攻撃を行い、”グロム”を無力化しなければならない」
そしてアレクサンドラはこうも言うのです。
「これまで困難な作戦を2度に渡り成功させてきた諸君なら、必ずや今回も成功させてくれると期待する。作戦名は”ガーリザント”。最善の健闘を祈る」
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一方、首都リーガでは大混乱が起こっていました。
「リーガ・ダムに出現したイレギュラーが、リーガに向かって前進中? その数およそ1万!?」
イレギュラーとは時空震により生ずるこの世界のバグで、異型の獣の形をしています。その殆どは人間サイズですが、中にはメッククラスの大型種もいます。殺傷能力は極めて高く、ヒトでは熟練の兵士でも太刀打ちできません。メックによる殲滅が最適解でしょう。イレギュラーに首都リーガが襲われれば、多数の死傷者が出ることは確実です。なんとしても食い止めなければなりません。
ですが、リーガ・ダムと首都リーガはポラニア王冠領軍の管轄地域です。ポラニア王冠領軍とその指揮下の”ポラニア親衛騎士団”は、”グロム”の脅威とイレギュラーの脅威、両方に対処しなければいけなくなりました。
「遺憾ながら戦力を2分する。”グロム”無力化とイレギュラー殲滅にだ。ポラニア親衛騎士団各員はいずれに当たるのをも自由とする。しかしどちらも失敗は許されない。相応の覚悟をもって、事態に当たられたい」
アレクサンドラは特異者たちにそう告げました。
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しかし、このような事態をフリートラントも見過ごしませんでした。
暗い部屋の中、数名の老人のホログラムと対峙するのはフリートラントいちのエース、先の戦功で少将に昇進した
テオドール・ティンメルマンです。
「人工神格レーゲルとピラーの破壊は絶対に阻止されなければならない」
「狂人の手によって我らが計画が破綻するなどあってはならない」
「”グロム”を無力化し、可能なれば拿捕せよ」
「頼んだぞ、ティンメルマン、我らが神子よ」
テオドールは薄く笑って応えました。
「ご老人方の意のままに」
そしてホログラムは消え、部屋が明るくなります。テオドールは薄い笑みのまま、ひとり呟きました。
「老人達が焦るさまを見るのは楽しいものだが、今回ばかりは同感だ」
果たして彼は、一体何を考えているのでしょうか?
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――神なき世界においては、ヒトの意志が試されます。
――あなたたち特異者は、この世界を救えるのでしょうか?
――あなたたち特異者は、ヒトの愚かさを赦せるのでしょうか?