●海賊船オロノア号
一夜明けて。
ハーフェンの町での情報収集を終えてオロノア号に集合した特異者たちは、それぞれ持ち帰った情報を交換し、対策を話し合っていました。
「
北海の魔女の
節制がかけた魔法は2つ。ソルタウ号と船長別々ということで間違いない」
松原 ハジメが総括します。
「ソルタウ号は乗員を求めていた。そして船が航行する理由は目的地へ着くこと。つまり、人魚族の
シエンヌと船長が密会に使っていた小島だと考えて間違いない。
小島は夜の間、
オーダリー属性になる魔法がかかっている。やはり夜しか動けないソルタウ号は
ケアティック属性であるため、小島を見つけられずに北海をさまよってきた。おそらく今のままではさらに1000年たっても、それどころか永遠にたどり着けないだろうな。
そして肝心の小島についてだが。みんなが持ち帰ってくれた海図で大体の見当はつけられそうだ」
ハジメはまず最初に大小たくさんのバツ印がついた海図を広げました。それは、ソルタウ号内の船長室にあった海図を、ハーフェンの町の図書館からコピーしてきた当時の古い海図に写したものでした。
そしてもう1枚。やはり図書館からコピーしてきた、こちらは現在の地図です。
「ソルタウ号は昼間は濃霧の幽幻の世界にいて、夜の間しか現実世界にいられないような節がある。その濃霧も回遊性があるというのがミスティたちの調べでわかっている。とすると、このバツ印のある範囲が、ソルタウ号が一夜で移動できた範囲だろう。
1000年前と今ではかなり地形も変わってるんだが、昔のままの特徴的な場所もある。そこを重ねて全体を見て、船が移動できていない島となると、おそらくこの島だ」
古い海図と現在の海図を重ねて、唯一バツ印がついていない小島をハジメは指で押さえました。
「ソルタウ号だけではたどり着けない場所。ここへおれたちが船を導くんだ。そうすればおそらく船にかかった魔法は解けて、みんなは下船できるし、魔物化した者たちも元に戻るに違いない」
「船のほうはそれでいいとして。船長のほうはどうする?」
問いかけたのは、オーレアンの元女海賊
ミスティック・ミスティです。
「船長と船が密接な関係にある以上、行動する上できちんと決めておかなくちゃいけない事じゃないかい?
何がなんでも救えって言ってるわけじゃない。世の中にはどうしようもない事っていうのはある。ときには自分の考えを曲げて、受け入れなくちゃいけない苦みもね。
目をそらして見ないふりをしていると、いざその時が来たとき、後悔することになるかもしれないよ」
船にいる人たちを解放するだけでよしとするか、船長も解放するか、決めておかなくてはいけないとミスティは言っているのです。
「たしかにそうだ。
ただ、向こうの船に乗り込まないと船長には関われないから、現状おれたちが何かできるってわけでもない。このことはソルタウ号にいる仲間たちに伝えておこう。
おれたちはおれたちでやることがある。
小島は
オーダリーで、世界は
ケアティック。まさに1000年前と同じ状況だな。海には魔物がうようよいて、船の航海の邪魔をするだろう。朝までにたどり着けなければまたふりだしに戻ることになる。
小島に着くまでソルタウ号を守ることがおれたちの役目だ。海上戦の備えをして、作戦を考えよう」
●幽霊船ソルタウ号
その夜、ミスティの言葉を聞かされた特異者たちも、一応そのことについて話し合ってみました。
しかし前夜、彼らの問いかけに反応した船長でしたが、その後はまたいつもの魂が抜けたようなぼんやりとした状態に戻り、今も自室に閉じこもっています。ドアをノックすればきちんと反応して出てきてくれるのですが、話しかけてもただただ無言で見つめ返してくるだけです。
「夜は甲板に出てくることもあるが、昼間はあの調子で部屋から出ようとしない。意思の疎通を図るのは難しいぞ」
と、乗船して約1カ月の少年
クウハクが教えてくれました。
確かにコミュニケーションをとるのは難しそうですが、かといって、ミスティの言うとおり船長を無視して話を進めることはできないように思われます。
おそらく魔法が解けたなら、ソルタウ号はかけられる前の姿――沈没船――に戻って、沈んでしまうでしょうから。
そして話し合いはもう1つの問題へと移ります。
ソルタウ号は見かけは新造船のようにぴかぴかになったものの、それだけで、濃霧は消えませんでした。相変わらず船は濃い霧に包まれて、外界から隔離されています。
問題は、船が移動しなくなったというものです。
それまでは波に揺られてでも移動していた船が、今はいかりを下ろして停船する船のように、ハーフェン沖でとどまり続けていました。
はたしてこの現象は何が理由か、全員で考えている中。
「これって、乗組員が足りたから起きたことよね?」
考え考え、
正義の
アルカナ、
レダ・フォンツォンが自論を声に出します。
「みんなが次々に乗り込んで、乗組員が足りた。つまりみんなはこの船の乗組員と認められたってことよ。
で、乗組員が何をするかっていったら?」
「そうか! 操船!」
話し合いには興味がないと部屋を出ようとしたクウハクの腕を、どこにも行かせないと抱き込んだまま、
ユンが答えました。
「あたしたちが自分たちで操船しないといけないってことね!」
「船長……はいるわね。オロノア号が先導してくれるみたいだから、航海士も今回は不要かな。あと操船に最低限必要なのは操舵手、檣楼員、操帆員、火器係。火器係っていうのは火薬を運んだり、砲弾運んだり、大砲撃つ人たちね。でもこの船に設置されてるのは1000年前のだから古すぎて、魔物との戦闘に骨董品の火器なんか全く役に立たないと思うわ。だから操舵手、檣楼員、操帆員でいいと思う」
操舵手は船の舵取りをする者、操帆員は帆を操って船を走らせる者、檣楼員はマストに付けられた檣楼から俯瞰して操舵手や操帆員に指示を出す者です。
船が小島へたどり着くことが最優先目標のため、戦闘しながらでも操船し続けなくてはいけないので、重要な役割と言えるでしょう。
「どのくらい敵が出てくるかわからないし。甲板戦になることも見越して、戦うのがあまり得意じゃない人がついたほうがいいかも」
レダのアドバイスを参考に、特異者たちはさっそく役割の分担にかかりました。
※ ※ ※
ソラスは話し合いには加わらず、船員室でベッドに入った
リュクスの枕元に座って、弟が寝付くのを見守っていました。
リュクスはようやく兄と出会えたうれしさと、またソラスがどこかへ行ってしまうのではないかという漠然とした不安から、なかなか目が閉じれないでいます。
眠さにまぶたが重くなりながらも必死に目を開けていようとするリュクスに、ソラスは「ちゃんといるよ」と、もう何回目になるかわからない言葉を口にします。
「おまえが目を覚ますまで、ここにいるから」
「……ほんとに……?」
「本当だよ。ずっとそばにいる」
安心させようと、シーツの上に出ていた手を握ると、リュクスが握り返してきました。
しかしそこにこめられた力は弱々しく、心配になるほどです。
「ごめんね、兄さん……。ぼく、なんか変なんだ……。最近疲れやすくて……力を使うと、すぐ、眠くなっちゃう……。
ぼく……ぼく……、どうしちゃったのかな……」
自分の状態がわからずに、不安を吐露するリュクスの目尻から涙が伝います。
そのとき、ソラスの脳裏に自分をここへ運んできた男の言葉がよみがえりました。
――白い王獣が亡くなったわよ、契約どおりにね。
――忘れちゃった?
リュクスのような肉体的な不調ではありませんが、自身がわからないのはソラスも同じです。
一体あの男は何を言っていたのか。
ぼくが何を忘れてるって?
「兄さん、痛い」
「あ、ごめん!」
強く握り過ぎていた手をぱっと放し、ソラスはあらためてリュクスを見ると、服の下に下げてあったペンダントを引っ張り出しました。
この世界で最も古い、最初の精霊と言われている
光の精霊・オルトディアを象ったとされるコインのペンダントトップです。
どこの雑貨店でも買えるような、よく見かける安物ですが、その横顔がどことなく母に似ている気がして長い間お守りとして肌身離さず付けていた物でした。
「おまえにあげる」
「でも、これ……」
「いいんだ。ぼくはこれをもらったから」
聖印のロザリオをポケットから出し、リュクスに見せてからソラスは首にかけました。
そしてリュクスの頭に自分のお守りをくぐらせると、ぎゅっとコインを握り込んだリュクスの手の上に自分の手を重ねて、ソラスは誓いました。
「おまえはぼくの弟だ。いつもおまえを大切に思ってる。どんなときもおまえのそばにいて、命賭けておまえを守るよ。約束する」
「兄さん? どうしたの、突然。そんな怖いこと言わないで」
「あれ? 怖がらせちゃったかな。ごめん。安心させたかっただけなんだ」
ソラスはかすかにほほ笑むと、そっと立ち上がってベッドから離れました。
「さあ、いいから寝ろ」
「兄さんは?」
「おまえが目を覚ますまでここにいるって言っただろ?
ちゃんといるよ」
リュクスを安心させるため、ソラスは彼にも見える窓側へ行き、壁に固定された板に座って船の図書室から取ってきた本を開きました。
その様子を眺めていたリュクスが、ゆっくりとまぶたを閉じていきます。
やがて呼吸が規則正しい寝息へとかわっていき、ほっとしたソラスでしたが。しかし自身はというと、目は文字を追えども頭の中には何も入って来ないというありさまでした。
(ぼくは兄だ。リュクスはぼくが頼りなのに、そのぼくがしっかりしないでどうする)
自分のことだけでも大変なリュクスの負担をこれ以上増やすわけにはいきません。
突然足元から床がなくなってしまったような、ぐらぐらとした不安感にさいなまれながらも、ソラスは何でもないふりを続けることで自身を支えていました。