●大統領官邸
「嘘! ルーくんが!?」
戻った吸血鬼たちから
羅石の訃報を聞いて、
審判は青ざめました。
羅石は数少ない純血の吸血鬼であり従兄弟、
審判にとっては弟も同然の存在。そして数百年の長きに渡る怨讐の理解者として、一族を率いる彼女の支えになっていた者の一人でもありました。
「嘘よ! 嘘嘘嘘嘘嘘――――信じるものですか!」
ふらふらと室内を歩いては手に触れる物をたたき落とし、投げつけ、踏みにじります。本が壁にぶつかる音、花瓶が割れる音やキャビネットのガラスが割れる音など、部屋の外まで響いていたでしょうが、ドアは不思議な力で閉じられていてドアの外の者は誰も中へ入れません。使用人は言うに及ばず、この国の大統領であり彼女の傀儡でもある
マシュー・ヒベニアや部下の吸血鬼や半吸血鬼たちもドアの前でうろうろするだけです。
(やれやれ。せっかく新しい部屋に移ったというのに、だいなしじゃないか)
癇癪を起こして暴れる
審判を眺めて心中でため息をつき、
愚者はおもむろにソファから立ち上がりました。
「それだけ暴れれば十分でしょう。いいかげん鎮まったらどうです? ヒステリーを起こすなんてみっともない」
――これだから女は。
「なんですってえ!?」
「そんなことよりもっと重大事があるでしょう。
アルカナを見つけたのに隠していたというのは、ケイオスさまへの裏切り行為ですよ。どう申し開きをするつもりですか」
「……うるっさいわね、ケイオスの腰ぎんちゃくが!! みんながみんな、アンタと同じと思わないで! アイツはそんなこと百も承知で、気にしてなんかないわよっ!!」
投げつけた花瓶が
愚者の頭の横を通り過ぎ、窓を割って外に飛び出しましたが、
愚者は表情一つ変えませんでした。
「そうですね。私はあなたと違う。魔人たちに暇つぶしで国を滅ぼされたあなた方の境遇には同情しますが、もう決着はついているのです。女を失い、子孫を残せなくなったあなたたちは滅びるしかない。
他国を奪い、兵を作り、ナイフートへ復讐したところで無意味。おとなしく終焉を受け入れなさい」
一瞬で
審判が凍りつきます。
そしてとても本心から言ったとは思えない、侮蔑の視線を
審判へ向けて、
愚者は退室していきました。
愚者の退室後、破壊音はますますひどくなりました。
そうしてついに何も破壊する物がなくなった部屋の中央で泣き崩れている
審判を、彼女の弟
蔡霞(ツァイシァ)が抱き起こします。
「気が済みましたか、姉上」
「小霞、ルーくんが死んだわ……」
「知っています。報告は俺も受けました」
「この500年で、何十人の同胞が消えたのかしら……。とうとうルーくんまで……」
「まだまだ一族は健在ですよ。羅石は気のいいやつでした。みんな彼の死に傷つき、腹を立てています。傷の痛みも、怒りも。われわれには力をそそぐだけ。
愚者の言葉は聞きました。彼は間違っている。敗北を認めるにはわれわれの持つ力は強すぎて、終焉を受け入れるにはわれわれの命は長すぎる。
アルカナとはいえ、しょせん彼も人間。一族を背負うあなたの哀苦は理解できない。
さあ、もう泣くのはやめて、立ち上がってください。涙は消して、退屈を嫌う、傍若無人で無慈悲な女王に戻るんです。あなたと志を共にし、忠誠を誓った一族の者に、復讐という生きる糧
(かて)を与え続ける強い女王に。
そうしたなら、あとは号令を発するだけです」
審判は蔡霞の支え手を解き、自らの足で立ち上がりました。
ドアに近づき、大きく引き開けた
審判はもういつもの自信にあふれた
審判で、艶然とした笑みをマシューへと向けます。
「ねえマシュー。アタシのお願い、かなえてくれるわよねぇ。
アタシ、この国の名前を変えたいの。
煌血蔡華帝国にね」
その言葉を聞いた使用人たちが一斉にざわつきます。
蔡華――それはかつて東方の地で栄え、数百年前に滅んだ吸血鬼たちの国名です。7日に渡る魔人との壮絶な戦争に敗れ、蔡華国は滅亡し、今では吸血鬼は伝説上の存在として子どもの寝物語に語られるものとなっていました。
その名に改名したいという以上、無関係とは到底思えません。
胸中でさまざまな憶測、疑惑を渦巻かせながら人々が見守る中、彼女の崇拝者であるマシューもさすがにこれには即答できずにいました。
「……
審判、それはできないよ……」
「なぜ? アタシのお願いは何でもきいてくれるって言ったじゃない? あれは嘘だったの?」
「嘘じゃないとも! しかし国名を変えるのは、わたしの一存では不可能なんだよ」
大統領は、この国では28の小国がまとまって1つになったことの象徴的存在。大統領権限は大きく、その役割は広範なものではありますが、執政権を持つのは28人のシアナド・エランズであり、国民が主権者である共和制民主国家として、合議・投票による多数決で決めなくてはなりません。
「……ふぅん。つまり?」
「つまりね、エランズの4分の3の賛成と、国民投票による3分の2の賛成票が必要なんだよ。
わたしは会議の議題として改名を提出することはできるし、国民投票を行わせることもやってみせよう。愛するきみのお願いだからね。きみの願いをかなえるために全力を尽くすよ。だけど……時間をくれないか?」
28人中8人いる女性のシアナド・エランズが蛇蝎のごとく
審判を嫌っていることを知っているマシューは、8人を従わせる方法として脅迫、工作等さまざまな手段を視野に入れていますが、それでもかなり困難でしょう。まして、国民投票で確実な結果を出すためには、どれほどの票操作を必要とするか……。
それを聞いても、
審判の強気の笑みは揺らぎませんでした。
「民の大半がアタシを支持すればいいんでしょう? 簡単よ」
審判は、国主催のコンサートイベントを開催することをマシューに命じました。
歌姫である彼女のステージを全てのチャンネル、街頭ディスプレイ、ネット配信と、ありとあらゆる手段で同時配信し、国中へ届けるビッグイベントです。
「この国の男も女も、全員アタシのしもべに変えてやるわ……」
※ ※ ※
シアナド・エランズの1人で寡婦の
イーファ・オライアン(旧姓:バラッカム)は、知人たちを招いてのティータイム中にそのイベントの招待状を受け取りました。
審判はもともとロマ出身の歌姫であることは彼女も知っていましたし、この国の
アルカナである彼女を全国民に紹介する――2年もたって、しかも
アルカナのお披露目とは悪趣味な、と思わないでもない――というのは、多少思うところはあっても納得できる開催理由ではあります。
ただし、それが建前であることも、彼女には透けて見えていました。
「どうします? お姉さま」
妹の
シネイド・キーファーが、紅茶を飲む手を止めて、ひそめた声で訊いてきます。
「興味はない。だが、これはブリアナを連れ出すのに役立ちそうだ。邪魔な走狗どもの大半は女王蜂とともに巣を空けるだろう。忌々しいあの
僵尸(チアンシー)使いのガキもそうしてくれたら万々歳だが……わからんな。
ローナたちにこれを渡せ。誰にも見られるなよ」
「わ、わかりましたわ」
姉とDNLAの橋渡しをしているシネイドは、イーファが滑らせて寄越した招待状を急いでハンドバッグにしまい込みました。
「でも……、ローナたちから聞いた話では、ブリーは、外へ出るのを嫌がっているそうですわ。お父さまたちのことを自分のせいと思っているみたい……そうではありませんのに。不憫な子」
シネイドはそっと目尻の涙をハンカチで吸い取りましたが、イーファはふんと鼻を鳴らして彼女の感傷を払いのけるように手を振ります。
「ブリアナがどう思うおうが関係ない。あれが質にとられたままではわれわれが満足に動けん。それを解消するのが先だ」
「お姉さま、いつもそのようなことばかり口にされるから、周囲の者に誤解されるのですよ」
「それがどうした。おまえも物事は常に単純化して、順位をつけろ。見誤らずにすむ。
大体、ブリアナ本人がわれわれを理解しているとは言い難いのに、なぜこちらがあの子をデリケートに扱ってやる必要がある」
「子どもだからです。まだほんの14歳の、傷つきやすい女の子ですわ」
「では傷つきやすい子ども心をケアする役目はおまえたちに任せよう。オレはオレで、決着をつけるやつがいる」
話はこれまでと、イーファは席を立ち、庭園を横切って邸内へ戻っていきました。
(ブリアナは心に刻んでおくべきだったのだ。何が起きようが、どうあろうが、そんなことはオレたちの絆には何の関係もないと。
たとえおまえが
ケアティックの
アルカナであろうとも!)
●DNLA拠点『火竜の酒蔵亭』
シネイドから招待状を受け取ったDNLAは、拠点の1つである『火竜の酒蔵亭』で、コンサート会場の場所と日時とスケジュールが書かれた紙をテーブルに広げて苦悩していました。
故レオン・バラッカムの長女であるイーファは、DNLAに末妹ブリアナの捜索と確保を条件に活動資金を出資し、情報を流していました。ですから居場所が判明したブリアナの確保に動くのは当然として、しかしそれだけでいいのか、と思います。
「堕落し、国民から心の離れたヒベニア大統領と、彼をたぶらかした毒婦
審判。二人そろってカメラの前に出てくるんだよ? 制裁を下す絶好の機会じゃないか! 全国民にやつらの罪状を訴えることができる!
それに、ローナの気持ちを考えてごらんよ! 姉さんが僵尸なんぞに変えられちまって……。サラだって、何かと情報を提供してくれてたじゃないか。きっと官邸にだって、何かつかめないかと思って行ってくれたに違いないんだよ。それであんな目に……」
「わかってる。そりゃ、私だって同じ気持ちさ! だけど根本的に、人数が足りないのはどうしようもないだろっ」
「『踊る金羊亭』への手入れで、ジョーたちが捕まっちまったのが痛いな……。今から集められるだけ集めても、2つに分けられるほどの数が集まるかどうか」
「くそっ!」
「よかったらおれたちも手を貸そう。少しは失った兵力の穴埋めになるだろう。
それと、
審判のコンサートへの対抗策だが。ちょっとした提案があるんだが、やってみないか?」
それまで黙って彼らの話を聞いていた
松原 ハジメが、壁から身を起こして彼らの輪に加わりました。